温室と精霊
「……足元に気を付けなさい」
グロリエットは少し小高い場所にある。
周囲は階段状になっているため、ヴィクトルが注意を促した。
リュシルは「はい」と頷いて、ふわりと広がるスカートを抑える。靴はヒールの低いブーツだから段差も問題はない。
雰囲気ではドレスの方が似合うだろうが、リュシルの体力では見て回れないだろう。
階段を登り切り、グロリエット内のベンチへ座るように促される。リュシルは大人しく従い、ホッと一息ついた。
周りを見渡せば、眼下には鮮やかな花々が咲き乱れている。精霊の灯りも相まって、幻想的で感動を覚えるほど、とても美しい光景だった。
「凄いです……素敵……!」
感動しているリュシルの前に、コトっ小さな音を立ててカップが置かれた。
ヴィクトルが水を出してテーブルに置いてくれたのだ。そして、リュシルから一番遠いテーブルの端に、缶を一つ置く。
「……それは、なんですか?」
クッキーの缶のように見えるけれど……?
「……精霊への贈り物だ。彼らは甘い菓子が好きだからな。」
「贈り物……次からは私も用意します!」
「……関わるなと言っただろう。」
「でも……お邪魔しているわけですし……」
カップの水を少しずつ飲みながら、じっとヴィクトルを見た。
その視線を受けて、段々と眉間の皺が深くなっていく。
「……だから僕が持って来た。」
「私はダメ、ですか……?」
「……彼らの悪戯は、僕の手には負えない。関わっていいことなどない。」
深く刻まれた眉間の皺と溜息に、リュシルはそれ以上食い下がるのをやめた。
残念、とクッキー缶に視線を向ければ、一つ、また一つと光が集まっていく。
そして、カタカタと音を立てて蓋が開いた。
「!」
蓋がテーブルに転がり、中のクッキーが宙を舞う。
クスクスと数人の小さな笑い声が聞こえたと思ったら、パッと光が消えていった。
「……行ったな。」
面倒臭そうに嘆息して、ヴィクトルもベンチに座った。
「可愛らしいですね」
「……面倒なだけだ」
缶を亜空間ボックスに仕舞うと、ヴィクトルは背に凭れて温室を眺めていた。
「精霊さんは魔力はないのですか?」
「そうだな。精霊は自然そのものだ。魔力とはまた違う、自然のエネルギーを使用している。」
「そうなんですね……なら、姿がないとヴィクトルさんでも見えないということですか?」
「あぁ……まとまって居れば気配が何となくはわかるが、一匹だけなどは分からないな。」
「そういうものなんですね」
ヴィクトルさんでも認識できない存在がいるんですね……
精霊なんてものはお伽噺の存在だと思っていたリュシルは、今見た光景もどこか夢見心地の気分だった。
一休みをして、立ち上がればまたヴィクトルが手を差し出してきた。どうやら最後までエスコートの形を取るらしい。リュシルも頷いて手を重ねる。
ここは精霊に招待された舞踏会。
リュシルはそんな気持ちでヴィクトルと歩いた。
色とりどりの花々を眺め、ゆったりと歩いてまわる。時折、精霊の笑い声が聞こえたり、明かりが灯ったり。
近くを漂う精霊に無意識に笑いかけてしまうリュシルに、ヴィクトルは僅かに顔を顰めながらもエスコートを続けた。
時々立ち止まって休憩を挟みながらゆっくりと温室を廻り、再びグロリエットまで戻る。ベンチに腰を落ち着けるとリュシルの頭の上に精霊が一人、ちょこんと乗った。
ヴィクトルが気付いて精霊に手を伸ばす。しかし、精霊はヴィクトルに捕まる前にパッと姿を消してしまった。
「? どうしました?」
「……いや。」
伸びてきた手に小首を傾げるリュシル。
ヴィクトルは眉間に皺を寄せたまま、一度ぽんと撫でると腰を落ち着けた。
「……まだ半分も見れていないですが、帰りが辛くなりそうなのでそろそろ戻ります。」
「あぁ……また来れば良い。」
「はいっ」
次もある——それが嬉しくて笑顔で頷いた。
休みながら歩いてはいたが、少しだけ、脚が痛くなり始めていた。
ヴィクトルが入れてくれたカップの水を飲み終えると、寮へ戻ろうと立ち上がった。
グロリエットから出る際にはまたヴィクトルはエスコートをしてくれようとしたのだが、今度は手ではなく腕が出された。
「……え?」
「……脚が痛むのだろう?」
「………………はい」
バレていた。
寄りかかれる様にと腕でのエスコートに変えてくれたようだ。
手でのエスコートならば慣れている。しかし、腕でのエスコートは……恥ずかしい。
手よりも距離が近くなるし、なにより、親密な男女がとるエスコートの形でもあるのだ。
どうしよう……でも……と悩みながら、ゆっくりと腕に手をかけた。少しだけ。そっと触れるだけ。
「……。」
じっと、ヴィクトルの視線を感じた。
段々気まずくなって、意を決して、しっかり腕に手を掛ける。
「疲れたら寄りかかって構わない。……行くぞ。」
「は、はい」
ゆっくりと歩き出してくれた。
とても安定していて、先程よりも歩きやすい。
段差で少し力を入れてしまったが、ヴィクトルの腕は微動だにしない。それよりも力を入れた時に感じた腕の硬さにリュシルは驚いた。
……筋肉って……こんなに硬いのですか……
歩きながらヴィクトルの腕を見てしまう。
手だけでも支えられていたのは分かっていたが、腕に触れると男の人なのだと改めて認識してしまう。
思えば家族は男性しか居ないのに、今まで関わりがなかったのだ。普通の男の人と知り合うのはこれが初めてなのではないかと思った。
殿下もレオンさんたちも男の人ではあるが、やはりまだ成長途中の男の子だ。なにより子供の頃から知ってはいるので「男の人」と言うのは少し違う気がした。
寄りかかって良いと言っていたのは、本当に、私くらい支えられるから、なんですね……
ヴィクトルの腕の力強さに安心感を覚えて、腕に触れる手が少しだけ強くなった。
二人が出入口に向かっていることに気付いた精霊たちは、少しずつ周りに集まって来る。
あちらこちらで明滅をして、別れを惜しむように辺りに漂っていた。
しかしヴィクトルが扉に手を伸ばすと、それを遮るように精霊たちがドアノブを囲んだ。
「……はぁ……面倒な……」
伸ばした手で前髪をかき上げながら溜息を着く。
その姿勢のまま暫し逡巡して、腕を下ろした。
「……フィアクラの生徒だぞ?ここに閉じ込めていいのか?」
学園長の名を出し、精霊たちを見下ろす。
その言葉を聞いて、精霊たちがプルルッと震えたかと思えば一瞬で姿が消えてしまった。
「……まぁ……」
沢山いた精霊が一瞬で消えていった事にリュシルは驚いて口元を抑える。
ヴィクトルが改めてドアノブに手を伸ばしたが、今度はそれを遮るものはいなかった。
扉が開いて、温室を出る前にリュシルはヴィクトルから手を外して振り返る。
少し離れた所から精霊たちが明滅していた。
「素敵な時間をありがとうございました」
リュシルはカーテシーをして、精霊たちに感謝を伝えた。
その姿を見てヴィクトルは仕方なさそうに、しかしどこか口元を緩めて、リュシル同様、胸に手を当てて礼をする。
頭を上げれば、リュシルは嬉しそうに微笑んでヴィクトルを見上げた。
ヴィクトルは短く嘆息して、再び腕を差し出す。少し躊躇したが、今度はリュシルもしっかり腕に手を掛けた。
外に出れば空は茜色に色付いていた。
温室内が明るかったため、思ったよりも長居してしまっていたようだ。少し急がなければ、と原っぱを抜けて並木道に差し掛かると……何か違う。
「……ここ……来た道、ですか?」
「そうだな」
「道、違いませんか?」
「……場所は、同じだ。」
曲がりくねっていた筈の並木道が、直線になっている。薬草園への分かれ道まで、見えている。
「……これが、精霊さんの力ですか?」
「その一端だな。植物の精霊は植物を自在に操れる。このように道を作るのも造作ない。」
……凄い。
あんなに迷路のようだった並木道が、帰りは真っ直ぐになっている……行きの時は精霊さんに試されていたのかも。なんて思ったリュシルの頬は緩んでいた。
「この道なら、来た時より早く戻れそうですね」
「行くか」
「はいっ」
二人は夕焼けの中、寮へ向かって歩き出した。
行きの時より道も平坦な気がする。疲れている足には有難い。あっという間に薬草園との分かれ道まで辿り着いた。行きの半分程度の時間だ。
「——お二人さん、温室帰りですか?」
「あ、ローラン先生!」
薬草園の入口から、木箱を抱えたローランが声を掛ける。その瞳は二人の間。組まれた腕に向いている。
……え?デート?
いや、まさかな……
流石にそれは無いかと視線を足元に移す。
……重心が偏ってる……なるほど、痛めたか。
「……ポーション、要ります?体力回復と怪我の治療と魔力回復ならこの中入ってますけど。」
「……体力二つ。」
「はいはい。……どうぞ。」
ローランは木箱を下ろして中から午前に渡したものと同じポーションを二本取り出した。
「ヴィクトルさん、一つ持ってますよ?」
なぜ二本も?とリュシルはヴィクトルを見上げた。
「明日も歩くだろう?」
さも当たり前のように、今ではなく明日の為のものを貰おうとしていた。リュシルはその答えに一瞬目を見開いて、顔が綻ぶ。
「……怪我用は大丈夫ですか?」
「筋疲労は怪我ではないから不要だ」
「……なるほど」
……お嬢様が疲れたから腕組んでたんですか……どういうことよ。
いや、まぁ、寄りかかれるという点では理解出来るが……
…………いや……もう気にしないでおこう……
「ローラン先生はポーションの納品ですか?」
「はい。これから医務室に。」
「そうなんですね。お疲れ様です。」
「いえいえ。リュシルさんも、しっかり休んでくださいね。」
「はい。ありがとうございますっ」
「では、失礼します」と軽く頭を下げて二人は寮の方へと歩いていく。
ローランは頬を指で軽く掻き、連れ立って歩く二人を見送る。
なんか、もう……温室デート、ってところですかね……
しかし……精霊に許可されたのか。まぁ、あのお嬢様ならそうか……。
俺はいつになったら入れてもらえるかねぇ……って、無理か。アイツら血の匂い嫌いだもんなぁ。
ローランは小さく嘆息して、木箱を抱え直すと校舎へ向かって歩き出した。
学園の温室は学園長の聖域。
俺も一度は行ってみたいもんだねぇ……
ローランがそんな風に思っている頃、リュシルとヴィクトルは寮の裏手でまた少し休んでいた。
「ポーションを飲んでおきなさい」
「はい」
先程貰った一本を少し飲んだ。
あれ……苦くない……?
家で飲んだものは苦味があったのに……
お水のように無味無臭。色はよく見る緑色のポーションなのに、と半分ほど飲んだポーションを眺める。
「……どうかしたのか?」
「あ、いえ……ローラン先生のポーション、苦くないんです。家で飲んだものは苦味があったので、何か違うのかな、と。」
「ほう……それは興味深い。」
もう一本のポーションをヴィクトルも眺めた。
……魔力の属性は土。
昼間に見た作る手順は基本のものだったはず……
薬草の育て方か、採取方法か……
薬学教師と言うのも伊達では無さそうだ。
しかし、流石に見ただけでは何が違うのかは分からない。ヴィクトルはポーションを仕舞うとリュシルを見下ろし、次に寮の方へ視線を向けた。
「……一人で歩けるか?」
「はい。大丈夫です。」
その言葉に頷いて、指先で頭に触れてから腕輪に戻っていく。
リュシルはヴィクトルに触れられた所を自分の手で触れて、少し頬を緩めた。視線を上げれば空は茜から藍色に移ろい、ちらほらと星が姿を現し始めている。
脚は少し痛むけれど、体力はポーションのおかげで大丈夫そうだ。立ち上がって一度深呼吸をする。夜の匂いがし始めていた。
受付に挨拶をして部屋へ向かう。食堂からは夕食の準備の声。談話室は今日は静かなままだ。誰にも会うことなく自室に辿り着き、リュシルはシャワーに向かった。
ヴィクトルが編んでくれた髪を名残惜し気に丁寧にほどき、櫛を通す。服は脱いですぐに浄化魔法を掛けて綺麗にした。少し熱めのお湯を頭から掛けて瞳を閉じる。
瞼の裏には温室で見た光景が広がっていた。
温かな光を纏う精霊たちが、お伽話ではなく現実に居ることを知れた。とても不思議な体験だった気がする。
ほぅっと息を吐いて瞳を開けば、目の前に明滅する光。
「——ひゃぁ!」
『どうした……?』
ヴィクトルは悲鳴を聞いて腕輪から出ようとしたが、リュシルがバスルームに向かっていたことを思い出して声だけ掛けた。
「……せ……精霊さんが、居ます……」
『……着いてきていたのか……』
グロリエットでリュシルの頭の上に乗っかっていた精霊を思い出し、ヴィクトルは舌打ちをした。
『それは放っておいて大丈夫だ。そのうち帰るだろう。』
「わ、分かりました……」
驚きに早鐘を鳴らす胸に手を当てて深呼吸をすると、いつも通りに身体を清める。精霊はずっとリュシルの周りを漂っていた。
シャワーを終えてソファに座ると、リュシルは脚をマッサージする。
明日も歩くのだから、少しでも疲れを取っておこうと思った。ポーションを飲んだとは言え体力は回復されるが、痛みが消える訳では無いのだ。
着いてきた精霊は相変わらず近くを漂っている。
両脚ともある程度揉んだり撫でたりとマッサージをし終え、時計に目をやれば夕食の時間になっていた。
「……どう、しましょうか……」
先程から精霊がずっと一緒に居るのだ。
このまま一緒に食堂まで行っても大丈夫なのかと少し不安だった。ヴィクトルに「構うな、話すな」と言われている手前、目で追ってしまってはいるが、なるべく気にしないようにはしていた。
しかし、食堂でこの子がいたら話しかけてしまう人がいるかもしれない。それで何かあったらと思うと不安で、部屋から出るに出れないでいた。
「……ヴィクトルさん……精霊さんはどういたしましょう?」
溜息と共に、隣に姿を現したヴィクトルは出てきて早々に精霊を見下ろす。
「……温室に帰れ。」
ヴィクトルの言葉にプルルっと光が揺れる。
「……悪さをするようならフィアクラに突き出す。」
光がクルッと円を描く。
隣から小さく舌打ちが聞こえた。
「この部屋の外に出る時は姿を現すな。」
再び、光はクルッと円を描いた。
暫し睨むように精霊を見て、ヴィクトルは首を緩く振りながら溜息をついた。
「……どうやら、君を気に入ったらしい。」
「そうなんですか……?」
「精霊は気まぐれだからな……コレの所在は学園長も把握している筈だから問題は無いだろう。」
言いながらもヴィクトルは精霊から視線を外さない。警戒しているようだ。
「……あの男、今日は一年だけしかいないと言っていたな?」
「ローラン先生ですか?そう仰ってましたね。」
「ふむ……ならば僕もこのまま行こう。」
「!……はいっ」
リュシルは嬉しそうに微笑んだ。
カードキーのポーチがついたベルトをつけ、カーディガンを羽織って部屋を出る。ヴィクトルは静かに後ろから着いて行った。
精霊の姿は見えない。消えているのか部屋に残っているのかは分からないが、少し安堵した。
談話室に着くと、朝以来に人の気配があった。
「——あ、リュシルっ」
ヴィクトルは普通の男性のカテゴリで良いのか…?と思いつつ、リュシルからしたらそうなんだろうと書いていました。
少し忙しいので投稿ペース落ちます。
基本的に19時に投稿しますので、ブックマークしていない場合はそれくらいに覗いて頂ければ幸いです。
いつも見ていただきありがとうございます。




