休日2
「ごちそうさまでした。」
ランチを食べ終わり、ハーブティーを一口飲む。
ヴィクトルは研究スペースで本を捲っては紙へ何かを書き込んでいた。
リュシルは座ったまま掌の上で水球を作り出す。出しては消して。出しては消して。出して……ふと考えた。
……そう言えば索敵とか視野共有とか以前言っていました……
初めて水球を作った時にヴィクトルが言っていたことを思い出す。
どうすれば出来るだろう……
魔力に感覚を乗せることができるのか……リュシルは瞳を閉じて、作り出した水球に意識を向ける。
掌の上でふるふると揺れる水球。
意識を向けると、段々と周りの音が遠くなった。
暗闇の中で自分の姿と水球が浮かび上がり、対峙している。
そっと手を伸ばし、触れようとして……
「……——っ、やめなさい。」
目を開けば、上に向けていた両手の掌が、ヴィクトルの大きな両手で包まれていた。驚いて視線を上げれば、いつも無表情のヴィクトルが酷く焦った顔で……。
「ぁ……えっ、私……何かしてしまいました、か?」
「……僕にも分からない。が、君の魔力が突然増幅した。一体、何をしていた……?」
「……索敵とか、視野共有というものが出来ないかと……水球に意識を向けていました……」
眉間に皺を寄せるヴィクトルの金琥珀の瞳を見つめ、申し訳なさに段々と視線が下がっていった。
視線の先では、いまだにヴィクトルの冷たい両手で包まれた自分の手がある。
安堵なのか、呆れからなのか……どちらか分からない嘆息をされ、リュシルは怒られるかとぎゅっと目を閉じた。
「……魔力を寄越しなさい。この後も歩くのだろう?」
「……すみません……」
包まれている手を通してゆっくり魔力を流せば、増幅したであろう分が吸い取られていく。
僅かに身体が軽くなった。
「……何かしたいことがあったら言いなさい。」
「はい……」
リュシルが頷いたのを確認して手が解放されたと思ったら、ヴィクトルの指の背が頬を撫でる。そのまま、垂れていた髪を耳に掛けられた。
「……怒っている訳ではない。」
「……っ……は、い……」
触れられた頬が熱い。見上げれば相変わらず眉間に皺を寄せている。しかし、目が合うとフッと表情が和らいだ。
「……熱でも出たか?」
「だっ……大丈夫ですっ」
……また!からかわれてますっ!
ぷいっと顔を背けて、膝の上で指先をモジモジと無意味に動かしてしまう。
「……索敵、したいのなら教えるが……僕はあまり得意ではないからな……」
「え……ヴィクトルさんが?」
ヴィクトルの言葉に驚いて背けた顔を戻した。ヴィクトルは口元に手を当て、やり方を思い出している様子だ。
「僕には必要がないからな。わざわざやる意味が無い。」
「……なるほど。」
言われてみれば、ヴィクトルは魔力を見ている。どうして見えるのかは謎だが、その能力でリュシルの体調は保たれているようなものだ。
そして、魔物は魔力を有する生物。つまり、魔力が見えればそこに敵が居るという事。
「……どうしてヴィクトルさんには魔力が見えるんですか?」
「これは遺伝だな。」
サラリと何でもないように答えられた。
英霊だから、とかではなく、遺伝的要因だったとは。
「母方の血統に現れるものらしい。兄弟の中では僕しか現れなかったが。」
「ヴィクトルさんの、お母様……」
「あの人は濃い琥珀の瞳だった。僕の目の方が色素が薄い。……恐らく、薄ければ薄いほど見える精度は高いのだろう。」
つまり、お母様も見えるけれどヴィクトルさんの方がしっかり見えているという事らしい。
……言われてみれば琥珀色の瞳を持つ人は見かけたことがない。
王家はブルー系統。レナさんたちは赤系統。私の家系も何代か前に降嫁した王族が居たためブルーグレーだ。サシャさんは紫系統で北部のジークさんは赤みの強い橙だった。他の公爵家も緑系統とグレー系統だったはず。
黄色みの強い瞳は見たことがない。
私の会ったことのある人が少ないせいもあるけれど……。
「……珍しい瞳の色、ですよね……?」
「そうだな。……子供の頃は魔物だと言われたこともあった。」
「そうなんですか!?」
「童話などに出てくる魔物の絵が金色になっているものが多かったせいもあるのだろう。」
「……綺麗なのに……」
ぽつりと零れてしまった。
あ、と思った時には頭に大きな手が乗っていた。
「……君は本当に変わっているな。」
「そんなこと、ありません……」
僅かに唇が突き出ている。
……だって、本当に綺麗な色なのだ。月明かりのように静かで綺麗な輝きをしている。
いくらでも眺めていられるような瞳だと思った。
ヴィクトルはそれ以上何も言わず、しかし頭を撫でる手は優しかった。
「……索敵は今はやめておきます。」
「そうか。」
「そろそろ、温室に向かおうと思います。」
休みながら行くのだから、早めに出よう。行って帰ってこなければいけないのだ。歩けなくなることがないようにしなければ。
「承知した。」
そう言って、ヴィクトルは腕輪に消えていく。「よし」と小さな声で気合を入れて、リュシルは再び外へ向かった。
先程と同じように、寮の脇から木々の向こうに見えるガラスドームへ向かって歩いて行く。寮の隣を通り過ぎれば、また同じようにヴィクトルが姿を現して、隣を歩く。
見上げれば、こちらを見ていた目が僅かに細められる。リュシルもまたふわりと微笑んだ。
————……
……はぁ……はぁ……はぁ……っ……、……
「……飲みなさい」
こくんと頷いてカップを受け取る。
こくっこくっと音を立てて飲み込んで、一息ついた。
歩いて火照った肌に、通り抜ける風が心地良い。木陰に座るリュシルとその傍に静かにヴィクトルが立ち、小休憩中だ。ここから右手の道に曲がれば先程の薬草園。このまま直進すれば温室のある分かれ道まで歩けた。
ローラン先生はまだ薬草園でしょうか……
明日も薬草園に遊びに行こうかな、なんて考えながら、ゆったりと流れていく雲を眺めた。
少しして、呼吸も落ち着きを取り戻したリュシルは立ち上がる。
「動けるか?」
「はいっ」
笑顔で頷く。気持ち的にはとても元気だった。出来るならば、歩きながら魔法の練習もしたいくらいなのだ。しかしそんな事をすれば五分も歩けないだろう。
今は温室に辿り着くことだけを考えて、足を進める。
どんなお花があるだろう。ガラスドームの中はどうなっているのだろう。わくわくとした気持ちでリュシルは歩いて行く。
隣を見上げれば、嫌な顔一つせずに歩調を合わせてくれるヴィクトルがいる。それがとても心強くて、嬉しかった。
……もう、一人じゃ、ない——
リュシルの視線に気づいたヴィクトルが小さく首を傾げて——眉間に皺が寄る。
「どうした?」
「え……?」
伸びてきたヴィクトルの指先が、リュシルの目尻を撫でた。触れられた拍子に閉じた瞳からこぼれる雫。
「あ……あれ?」
……なみだ?
「……どうした?」
先程より少しだけ柔らかく問いかけられる。
こぼれる涙を掌で抑えて、ふるふると首を振る。
「ちが……違うんです、悲しいわけじゃ、なくて……」
……そう、悲しくなんかない。むしろ……
「ホッと、したら……なんだか、急に、……」
「…………」
「すみません……ただ……ヴィクトルさんが、居ることに、安心しただけなんです……」
ヴィクトルは何も言わなかった。
しかし、そっとリュシルの頭を引き寄せて、その涙を隠した。
ポスッとヴィクトルの胸に埋まり、一瞬、硬直したリュシル。しかし、ヴィクトルから香るインクや古紙の匂いに安心感を覚えて、力が抜けた。
ヴィクトルに頭を預けたまま、ポンポンと撫でられる。
少しの間、そのまま溢れる涙を流した。
涙が落ち着くと、慣れないこの状態に恥ずかしさが込み上げてくるもので……。
そっと、ヴィクトルの胸元を押せば、撫でる手が止まった。頭が解放されて、一歩下がる。
「…………すみません……」
目尻に残る雫を指で払いながら、謝罪を口にする。
「……落ち着いたか」
「はい……」
「なら、良い。」
ポンともう一度手が乗って、ヴィクトルが歩き出した。それを追うようにリュシルも足を進める。
安心して涙が出てくるなんて思いもしなかった。自分でも驚いたのだ。
ヴィクトルさんも……訳も分からなかっただろうに……ずっと撫でていてくれた……
申し訳ない気持ち半分に嬉しい気持ち半分。
チラッと視線だけヴィクトルの方へ向け、様子を窺う。
……普段通り、無表情だ。
視線を戻して、足を進める。
いつも、何を考えているか分からないけれど、温かい気持ちを貰ってばかりだと思った。
……ヴィクトルさんの望みは、何だろう……?
やっぱり、輪廻への昇華なのでしょうか……
私が、叶えることは可能なのかな……
烏滸がましい願いかもしれない。
でも……出来るならば、ヴィクトルさんの願いを叶えてあげたい。
私を暗闇から救ってくれたのは、間違いなくヴィクトルさんだから……。
「……前を見なさい」
トン、と額に手が触れる。いつの間にか、足元しか見ていなかったようだ。顔を上げれば、数歩先に木があった。
「あ……すみません……」
「疲れたのなら休もう」
「いえ、ちょっと……考え事をしていただけです。まだ大丈夫です。」
疑わしげな目を向けられたが「まだ歩けます」と言えば、溜息を返事変わりにしてまた歩き出した。
ガラスドームはだいぶ近付いた。まだ入口は見えないが、この並木を抜ければあるはずなのだ。
曲がりくねった並木道。まるで別の世界へ続く道のようにも見える。
「……何だか、暖かい……ですね?」
「……温室だけでなく、周りにも効果があるようだな」
温室に近付くにつれ、木々が大きくなり道端にも野花が増えていく。
本当に、異世界のようだ。
並木が終わりに近づくと、原っぱが見えた。可愛らしい野花と野草が、絨毯のようだ。
「わぁぁあ……!」
並木を抜けると一面、草花が生い茂っている。その先に、大きなガラスドームがあった。
巨大なガラスドームとその前に広がる原っぱ。
とても幻想的で、圧倒されてしまう。
しかし圧倒されたのはその景色だけではない。
原っぱを通り抜け、温室の前に立った。
……大きい。……とてもつもなく。
温室ってこんなに大きいものだったかしら……と頬に手を添えて小首を傾げてしまった。
「……とても……立派、ですね……?」
召喚士学園にこんなに大きな温室が必要なのだろうか?
リュシルの疑問が手に取るようにわかるヴィクトルはフッと小さく笑みが零れた。
「……君は、ここの学園長を知っているか?」
「学園長、ですか?……えと……フィアクラ学園長、ですよね?」
「あぁ。……彼はドルイド族だ。」
ドルイド族と言えば……
自然と共に生き、魔法ではなく精霊の恩恵を受ける種族だったはず……
「……学園長が、ドルイド族……?」
「ここは、彼の聖地のようなものなのだろう。ドルイドは自然の中でしか生きられない。」
つまり……この立派な温室は学園長の為に作られたようなもの、という事なのか。
「……お邪魔しても、大丈夫でしょうか……?」
「問題ないだろう。ここまで辿り着けたのだから彼らに許可されている」
原っぱに目を向けたヴィクトルの視線が、再びリュシルに戻る。その仕草にリュシルは小首を傾げた。
「……どう、いうことですか?」
「……精霊はこの道を閉ざすことも出来る。」
「!」
パッと原っぱに顔を向けた。
……精霊さんが、ここに……
何となく、見られているような気がして。
リュシルは頭を下げた。誰も居ない、原っぱに向かって。
そして、ドキドキしながら温室の扉に手を伸ばす。
——手が触れる前に、扉が勝手に開いた。
「——ッ!」
驚いて、肩が跳ねる。数回瞬きをして隣のヴィクトルを見上げた。
「……君を歓迎してくれているようだな。」
それならば、とヴィクトルが手を差し出す。反対の手は背に組み、まるで舞踏会の入場のようだ。
少し逡巡して、軽くスカートを摘んでお辞儀をすると手を重ねた。
互いにふっと笑みを零して、温室へ足を踏み入れた。
二人が足を踏み入れた瞬間、パッと温室内が明るくなった。
先程までも陽の光はあったが、灯りがついたかのように輝きを増した。
「……やりすぎではないか……」
「……精霊さんて凄いですね……」
二人が同時に正反対の言葉を零す。
隣で純粋に感嘆の声を漏らすリュシルを見下ろして「……なるほど」と口の中で呟いた。
「君の感性に合わせているようだな……」
……過剰な見返りを求めてこなければいいが……
過ぎる一抹の不安を溜息と共に吐き出して、リュシルの手を引いた。
「……凄いです……」
精霊の歓迎から落ち着き、温室内を見渡せばまた感嘆の声が漏れる。
石畳で整備された道と、綺麗にゾーニングされた花々。
ヴィクトルにエスコートされたまま、ゆっくりと歩いて行く。円状に敷かれた石畳。中心に向かって緩やかな坂になっている。
入口からも見える、中心部にある壮麗なグロリエット。どうやらそこへ向かって、手を引かれているようだ。
……とても、素敵な所。
キョロキョロと辺りを見ながら、ふと、ふわふわと近くを漂う光に気がついた。
ヴィクトルを見上げれば、彼の近くにも何個かふわふわと漂っている。
……これは……?
「……構わなくていい。」
光を目で追い始めたリュシルに気付き、ヴィクトルが声を掛けた。
「……これ、もしかして……」
「精霊だ。あまり構うと悪戯をし出すから、放っておきなさい。」
「やっぱり、精霊さんなんですね……!」
構うなと言われたにもかかわらず、リュシルは近くを漂う光に微笑みかける。
「こんに——んむっ」
「——やめなさい。」
挨拶をしようとするリュシルの口を手で抑えた。
「……んん……」
「……君が思っているほど、精霊は優しい存在ではない。言葉を交わすな。名乗るな。触れるな。……わかったか?」
「ん……」
眉を下げて、こくりと頷いた。
それを見てヴィクトルの手が口から離れていく。
「……すみません……」
「いや。先に言わなかった僕も悪かった。君の言動の傾向を失念していた。」
「…………言動の、傾向……」
……聞きたいような、聞きたくないような……
複雑な表情を浮かべるリュシルに僅かに首を傾げた。しかしヴィクトルは再び手を引いて歩き出す。
「……君はあまりに丁寧すぎる。」
「そう、でしょうか……?」
頬に手を当てて小首を傾げた。
隣から深めの溜息が聞こえてきたが、リュシルは丁寧にしているつもりは無いのだ。
幼い頃から一人の時間が長すぎたせいか、部屋に気まぐれに訪れる小鳥や蝶などに話し掛けていた。
ただ寂しさを紛らわすその行為が、いつの間にか習慣づいてしまっているだけだった。その為、リュシルは何が丁寧すぎるのかすら理解出来ていない。
人に限らず、生きとし生けるものへ話しかける。
それはリュシルにとっての日常だったのだ。




