休日
大人達の取引が終わり、子供達に目を向ければリュシルが白銀狼に埋まっていた。
「……躾がなっていない」
「ぶふっ……あれくらい、良いじゃないですか」
リュシルは白銀狼の腹部に身体を預け、白銀狼も彼女を守るように尾で包み込んでいる。
「貴様は召喚士ではないのか?」
「はい。私はただの薬草学教師ですから」
「はぁ……それはいい。仕方ない。一つ、教えてやろう……召喚獣は主人の意思を反映する。」
「……え。」
……というと、今の状況は……
「……教師としてどうなんだ?アレは。」
「あー…………私は何も見ていない、かなー……?」
「——僕は現在、介入できない。」
ヴィクトルは小さく眉を顰める。
……あの子がこの状況を受け入れている。恐らく、何も知らずに。
「……分かりましたよ。」
ローランはボサボサ頭をポリポリと掻きながら、渋々といった様子で子供達に近づいていく。
座って白銀狼の背を撫でるジークの肩を叩き耳元に口を寄せた。
「ジークフリート君。私も男なので気持ちは分かるのですが……この状況はあまり人前でしない方が良いかと。私も一応、教師なので。」
「……は?」
声の方を見れば顎で示された。
そちらを見れば、先程から身を預けるリュシルとそれを包み込む自分の召喚獣がいる。
「……っ……!!」
やっと言葉の意味を理解したらしいジークが勢い良くローランの方を振り向く。
「ちがっ……俺……っ」
かぁっと日に焼けた肌が赤くなった。ぽんとローランがジークの頭を叩くように撫で、リュシルの方へ視線を向ける。
「リュシルさん、ヴィクトル様が待っていますよ。」
「! 分かりました」
パッと顔を上げ、立ち上がる。
「ジークさん、バンディさん、ローラン先生、ありがとうございました」
リュシルは白銀狼をひと撫でして、ジークとローランに頭を下げるとヴィクトルの元へ向かった。
ローランはヒラヒラと手を振り、ジークはぎこちなく頷いてリュシルを見送る。白銀狼は「わふっ」とひと鳴きしてジークに擦り寄った。
「……リュシルさんは召喚獣の特性を知らないそうなので安心してください。」
リュシル達が移動するのを見てからローランが優しく告げる。
「っ……ホントに、そんなんじゃ無いんです……リュシルとは今日、知り合ったばっかりだし……」
……ただ……笑ってくれるのが、嬉しかっただけなんだ……
「……青春ですねぇ」
「——違うっ!」
「バンディ君も、あんまりはしゃぐとリュシルさんに会えなくなりますからね。お行儀よくしなさい。」
「ぅをんっ!」
白銀狼はキリッとお座りをして、承知したことを示した。
「ふふっ良い子ですね。……それじゃ、私も戻りますよ。」
ローランは数歩歩いて「あ。」と振り返る。
「多分、あの子は薬草園に良く来ると思うので会いたくなったらキミもいつでもどうぞ。」
「だから違うって!」
ジークの叫びも虚しく後ろ手にヒラヒラと手を振ってローランは戻って行った。
「あー、もー……絶対楽しんでんじゃん……」
『主、困ってる?』
「……わかんねぇ」
『リュシル、マーキングする?』
「しないっ!そんな事したら俺もお前も殺されるよ……」
『……主、死ぬ、ダメ。』
「そうだよ。だから、リュシルの前ではいつも以上に良い子でいてくれ。」
『わかった。ボク、良い子!』
「あぁ。良い子だ。」
わしゃわしゃと首元を撫でて、ジークはその場に寝転んだ。瞳を閉じてリュシルの笑顔を思い浮かべる。
もう少し、見ていたかったな……
————……
「バンディさん、フワフワでした!私初めて動物に触ったんですがあんなに温かいんですねっ陽だまりのようでした」
興奮気味に白銀狼の感想を伝えるリュシルを、ヴィクトルは静かに見つめる。
「……良かったな」
「はいっとても可愛かったです」
……楽しかったのなら、余計なことは伝えない方がいい、か……
リュシルの様子を見てヴィクトルは召喚獣の特性について口を噤んだ。
二人は寮の建物が見える所まで歩き、一度休憩を挟む。ヴィクトルは木陰に座るリュシルの後ろに回り編まれている髪をほどいた。
「わ。……どうしたんですか?」
「先程埋もれていたからだろう、乱れている。」
「気付きませんでした……あの……?」
ヴィクトルの指が髪を梳く。何をしているのか問おうと振り向けば、両手で頭の位置を直された。
時折耳に触れる指に肩を跳ねせながらもされるがままに大人しくする。
「……これで良い。」
少しして、スルッと胸元に編まれた髪が落とされた。ドキドキしながら亜空間BOXから手鏡を取り出して見る。
これは……もしかしたら自分でやった時より綺麗かもしれない。
「凄いです……! ありがとうございます。ヴィクトルさんは何でも出来ちゃうんですねっ」
「……編むくらい出来るだろう。」
何が凄いのか分からないと言うふうに小首を傾げてから寮の方へ目を向けた。
「僕はそろそろ腕輪に戻ろう」
「分かりました。付き合ってくださってありがとうございます。」
「構わない。収穫もあったしな。」
「収穫?」
返事はせずに一度頭を撫でて消えていった。
もはや習慣化しつつあるその仕草に僅かに安心感を覚え、前髪を整えながらふふっと笑みが零れた。
少し一人で秋風を感じながら空を仰ぐ。
楽しかった。
ローラン先生、ジークさん、召喚獣のバンディさん。みんな優しくて、温かい。お友達が増えて嬉しい。
午後は何をしようかな。
魔法の練習もしたい。もう一度お散歩も行きたい。薬草のことも学びたい。
やりたいことが次から次へと思い浮かんでくる。
「よし」と呟いて立ち上がる。ハンカチを綺麗にして仕舞うと寮へ歩き出した。
ローランが週末は一年生しかいないと言っていたが、確かに普段と比べてとても人数が少ない気がする。食堂が空いていないせいか、談話室も人影がなかった。
自室に着くとソファに腰を下ろす。楽しかったけれど、やはり部屋に戻ると安心感からか疲れが襲ってきた。
ソファに深く座り直し、初めて背に凭れる。
少し、だけ……。
そんな言い訳を自分にしながら頭まで預け、瞳を閉じた。
————……
村が見える。
あぁ、またあの不思議な夢だ……
小高い丘の上。心許ない柵に軽く寄りかかり、村の人々を眺めている。
ほのぼのとした光景だった。
しかし、突然大声で「逃げろっ」と聞こえて来た。
慌てて家に入っていく人々。
子供が一人転んで、その後ろから野犬が迫ってくる——!
「——見るな。」
ヴィクトルの声にハッと目を開けた。
ただの夢のはずなのに、動悸がして、肩で息をしている。
今のは……?あの子は……?
「……落ち着きなさい。大丈夫だ。」
後ろから冷たい手が目元を覆った。冷たさに少し落ち着きを取り戻す。しかし、まだ震える手を胸元で握り締めた。
「あの子は無事だ。転んだ際の怪我だけだった。」
……噛まれたのは間に入った僕の腕。
あの狼と戯れて楽しんでいたというのに、噛み付く場面など見せるわけにいかない。
しかし……この共感記憶は厄介だな……
「……あれは……夢、じゃないんですか……?」
「……僕の記憶の一部だ。」
「記憶?……なぜ……私に?」
落ち着いてきたのか、ヴィクトルを振り向いて見上げた。
「共感記憶と呼ばれる。契約者同士の繋がりのようなものだ。」
「そう、なんですか……じゃぁ、前回の研究室も?」
「あぁ。あれは王女が押しかけてきた時のものだな。」
……あれは確か婚約しろって話の時だったか……しょっちゅう押しかけてきては騒ぎ立てて泣いて帰っていたから記憶が定かではないが……。
あの時は騎士から書状を貰った記憶があるから恐らくそうだろう。
少し遠い目をして、溜息を吐くとリュシルの頭をぽんと撫でた。
「……楽しかったところに水を差して悪かった。どうも見させられる記憶はコントロール出来ないようだ」
「いえっ!……ヴィクトルさんの記憶が見れて嬉しいです。あのお子さんも無事なようで安心しました。」
ホッとしたように微笑んで、震えの止まった手を下ろした。ヴィクトルは虚をつかれた顔をしてリュシルを見る。
「……嬉しい?」
「はいっ」
人の過去を勝手に見させられて……
見たくない場面を見せられるかもしれないのに……
今だって震えていた癖に、それを嬉しいというのか……
「本当に……君は変わった子だな……」
「……そうですか?」
「楽しくもない過去を見させられても迷惑なだけだろう?」
「ヴィクトルさんの記憶ですから」
——それが例え、悲しい記憶だったとしても。
リュシルはヴィクトルの生きていた頃を見られるのが嬉しかった。何気ない日常を垣間見る事が出来るなんて、なんて幸運なんだろう。
どんなものを見て、どんなことを感じて、どんな日々を送っていたのか……些細な事でも、この謎に満ちたヴィクトルの日常を見ることが出来るなんて嬉しいに決まっている。
何の衒いもなく微笑むリュシルに、ヴィクトルは少し面食らってしまった。
意味が分からなかった。
自分の記憶になんの価値があるというのだ。ただの日常が何をもたらすのだ。
全く理解に苦しむ……。
ヴィクトルは溜息をついて、自分の死に直結する記憶だけは見せたくないと願った。
「……落ち着いたのなら昼食を取りなさい」
「はい」
亜空間BOXからランチボックスを取り出し、手を洗おうと席を立った。
ヴィクトルは向かいのソファに腰を下ろすとローランから受け取ったコーヒー豆を取り出した。ミルとプレス、カップも次々と取り出していく。
ミルに豆を入れ、レバーを回す。ガリガリと小気味いい音を立ててコーヒーの香りが立った。
戻ってきたリュシルは興味津々の目を向けている。
「……いただきます。」
ランチボックスの蓋を開ければサンドウィッチとカットされたオレンジが入っていた。
サンドウィッチを手に取り、ヴィクトルの手元を眺めながら食べる。
豆を挽き終わるとプレスに入れて、余りを空き瓶へ移すとお湯を沸かし始めた。ミルを綺麗にして片付け、沸いたお湯をプレスに注いでいく。ついでだ、とハーブティーも淹れてくれた。四~五分経つとプレスを下げ、カップに注ぐ。香ばしい香りが部屋に広がった。
「……それが、コーヒーですか?」
「あぁ。今日の収穫だ。」
帰り道で言っていた収穫とはこの事だったらしい。
「ローラン先生と仲良くなったんですね」
「……仲がいいとは思わんが……あれは君を守ろうと動いたからな。」
「バンディさんが突撃してきた時ですね」
そう言えばローラン先生は私とヴィクトルさんの前で庇うように立っていた。
「何かしらの任務はしていると思うが……まぁ、危険はないだろう」
「ふふっ……ヴィクトルさんのお墨付きなら安心ですね」
ぱくりとサンドウィッチを口に含み、モグモグと味わって咀嚼する。味を感じるようになって、楽しみになった食事。ハーブティーもスッキリしていて美味しい。
「……これにバラが使われているんですよね?」
「あぁ。バラ……正確にはローズヒップとハイビスカスと、少量のネトルがブレンドされている。その色はバラというよりハイビスカスの方だな。」
「そうなんですか……」
まじまじとカップの中を覗き込み、色や香りに注目した。
「君も自分でブレンドすれば良い。」
「出来ますか?」
「あぁ。好みのフルーツを合わせるのも楽しいだろう。」
「挑戦してみたいですっ」
もちろん今すぐではないが、そこはヴィクトルにもちゃんと伝わっていたようで、ひとつ頷いてカップを傾けていた。
「……コーヒーってこんな香りなんですね。何だか落ち着く香りです。」
「そうだろう。コーヒーの香りにはストレスの低下とリラックス効果がある。」
「そうなんですか!」
「……まぁ、デメリットも大きいから君は飲まない方がいいがな。」
香りはリラックス効果があるが、飲料としては不安感を煽ったり睡眠の質が低下する。更には胃を壊しかねない。
やっと食事が取れるようになったリュシルに勧めようとも思わなかった。
リュシルはヴィクトルの言葉に、少し残念そうな顔をしながらサンドウィッチを齧った。
ヴィクトルが好む物がどんなものか気になっていたのだ。しかし、ヴィクトルにダメだと言われたら我慢するしかない。いつも体調を気にかけてくれているのだ。それなりの理由があるのだろう。
そう言えば紅茶も貧血に良くないと言っていた。栄養についても一度調べてみるのも楽しいかもしれない、とまた一つリュシルのやりたいことが増えていく。
「午後はもう一度、温室を目指そうかと思います」
「そうか。」
ヴィクトルはカップを片手に頷く。
焦らずに、休みを挟みながら向かえば、大丈夫なはずだとリュシルは胸に手を当てる。
「あ、ヴィクトルさんは研究したい様でしたら残ってくださって構いませんよ?」
「……いや、君を一人には出来ない」
「そう、ですか……すみません。」
……一人で……この子は平気だと思っているのか……
ヴィクトルは僅かに呆れた顔をしながらカップを傾ける。ヴィクトルは今までこんな危なげな子を見たことがなかった。幼子だってもっと危機感を持っている。ここは学園内だが、安全とは言い難い。結界も低位から中位くらいまでは退けられるが、それ以上には効果を持たない。
何より、リュシルにとっては魔物なんかより同じ生徒の方が何倍も危険だ。
……その事を分かっているのか……いや、いないのだろうな……
クラスでの様子や購買の所でされた噂話も、自分が我慢すればいいと思っている節がある。しかし、そうでは無いのだ。我慢した所で悪い噂は消えることは無い。実力を示さなければ「落ちこぼれ」のままになってしまうのだ。
だからヴィクトルはいくらでもリュシルに付き合うつもりだった。散歩でも、魔法練習でも。自分の主を強くする為ならば協力は惜しまない。それは巡り巡って自分の評価に値するのだ。
この子の魔力量ならば、壊れることはないからな……
……僕は恐らく、長く留まりすぎたのだろう。
何も残せないまま……魔力の消費だけが増えていく……
カップの中のコーヒーを見つめ、もう何百年の月日が流れたのだろうと記憶を巡らせた。
この子の前に召喚されたのが五年前……。
一週間と持たずに、術者の魔力が枯渇。……全くこちらとて良い迷惑だ。
その前は二週間位だったか……。
そんな事ならばずっと、狭間の世界に居れば良かった……そう、思っていたのだがな……
カップ越しにランチを食べるリュシルを眺め、目を細めた。
……何故かこの魔力は——抗えない。




