週末
食事が終わり、リュシルは席を立った。クローゼットから服を取ると浴室へ向かう。
ヴィクトルはその姿を一瞥して再び本へ視線を落とした。
……こういう時は恥じらうことはないんだな
いまいちリュシルの恥ずかしがるポイントが分からない。考えすぎて言葉を飲み込む傾向があるのは理解した。接触に関しても慣れていないのも分かった。
しかし何に恥じらうのかは謎だった。変な所で照れるのだ。統計を取るのが難しい。
そんなことを思いながらリュシルが浴室に姿を消したのを確認すると、ヴィクトルは部屋を見渡した。
……何処に研究スペースを設けるか……
出来れば日の当たらない……
生活動線の妨げにならない……
あの子の動きが見える位置で……
……入口側の壁沿いなら妨げにはならないな。
ベッドの横ではあるが……距離は空いている……天蓋を使えば明かりは遮断できる……
目星を付けた一角へ移動する。その位置から部屋を見渡せば今挙げた条件はクリアしているように見えた。
「……ここなら良いか。」
ヴィクトルは亜空間BOXから、それなりの大きさをした簡易な折りたたみの机を引っ張り出す。それを設置すると、次々と研究道具を亜空間BOXから取り出して並べて行った。
次にリュシルが魔力を注入した魔石を取り出す。一番最初の魔石のみBOXに戻して、残りを机へ置いた。そして希少石を保管してあるケースも取り出して魔石と共に置く。
……棚も欲しいところだが……
必要になった時にでも設置許可を取ろう。今はまだなくても問題はない。
先程書いていた紙類も取り出して内容ごとに選りわける。
……一先ずはこれでいいだろう。
満足そうに机をひと撫でして、ソファの所まで戻る。立ったまま残っていた紅茶を飲んでいると、ガチャっと洗面室の扉が開いた。
扉を開けて、リュシルが一瞬止まる。
先程まで何も無かったはずの一角に、既に研究スペースが出来上がっていたのだ。
「……全部、お持ちだったのですか?」
「あぁ。」
「……机も?」
「そうだな。」
ふふっと笑みが溢れたリュシルを不思議そうに見た。
「近くで見てみてもいいですか?」
「構わない。」
「ありがとうございます。」
研究道具などを見たことのないリュシルは弾む足取りで机に近付く。触らないように手を後ろで組み、興味深そうに一つ一つ見ている。
瞳をキラキラと輝かせて、見ているだけでも楽しそうだ。
「……不足しているものはありませんか?」
「そうだな……棚と鉱石は欲しいところだが……まだ形も何も出来ていないから今はこれで問題ない。」
「では、それらの購入を目標にしましょうっ」
「目標?」
「はいっ。体力作りの目標です!」
「なるほど。」
すぐには付かない体力とすぐに必要な訳では無い物か。いつの間にか隣に来ていたヴィクトルがリュシルの頭に手を置く。そのままさらりと髪を撫でたかと思えば、パチンと指を鳴らして抽出しきれていなかった髪の水分が抜けていった。
「……もう少しだな。」
「あ……ありがとうございます……」
まだ水分抽出が甘かったらしい……。髪をひと房持ち上げて加減が難しいと眉を寄せた。
しかしぽんぽんと頭を撫でられ、眉間のシワが消えていく。
「……ヴィクトルさんは頭を撫でるのがお好きですか?」
「……好き嫌いで考えたことはないが……大抵の子は喜ぶだろう?」
「……子……」
「不快ならやめよう。」
「ふ、不快なわけではありませんっ……その……良く撫でてくださるので……少し不思議に思っただけです……」
ヴィクトルは僅かに頬を染めて俯いていくリュシルを不思議そうに見下ろしている。
……やはり恥じる意味がわからん……
「……街の子供たちや年の離れた弟が良く纏わりついてきたから、頭に触れるのが多かったせいかもしれない。」
「……ヴィクトルさんは沢山の方に慕われていたのですね。」
まるで自分の事のように、リュシルが嬉しそうに微笑んでいた。その声と笑顔に、ヴィクトルは過去を思い出すように少し遠い目をする。
『――ヴィクトルさまぁー、今日は何作ってるの?』
『ねーねー、光る腕輪また作ってー』
『お兄ちゃん待ってよー!』
――――……
それは遠い記憶。
……これは……脳裏に残るただの残像だ……
瞳を閉じると、静かに大きく息を吐いた。
「…………僕に、慕われる資格はない……」
「ヴィクトルさん……」
苦しそうに吐き出される言葉に、リュシルはまたいけない事を言ってしまったと眉を下げた。ここで謝罪をしたところで無意味だろう。でも、自分のものではない胸を締め付けるこの気持ちに少しでも寄り添いたくて、リュシルはそっとヴィクトルの袖口を掴んだ。
「……なぜ君がそんな顔をする」
「…………」
俯いて、ゆるゆると首を振る。
言葉に出来なかった。でも何だかとても寂しくて。
「……感傷に浸るなど非合理的なんだよ」
ぽんぽんとヴィクトルはまたリュシルの頭を撫でる。きっと癖のようになっているこの仕草が、ヴィクトルを縛る後悔の鎖とも繋がっているのかもしれない。輪廻の輪に乗ることすら拒むほどの後悔。残り続ける魂の存在。
後悔があるからここに居るヴィクトルと、出会えて嬉しいと言うのは勝手すぎるだろうか。
頭上で短い溜め息が聞こえた。そろりと視線をあげれば僅かに眉間に皺を寄せたヴィクトル。
煩わせてしまっているかもしれない……と袖口を掴んでいた手をそっと離した。
「……君は、どうすればいい?」
「え?」
「気落ちしている時は、どうしたら浮上する?撫でるのもダメならば抱きしめるか?」
「だきっ……え?……いえっ……だ、大丈夫ですっ」
心配してくれていたのだと分かったが、出てきた言葉に混乱して慌てて首を振る。
どういう事なのだろうと見上げれば、ヴィクトルは小首を傾げている。
もしや……
「……そう、言われたことがあるのです、か?」
「そうだな。……アレは君より幼かったか……」
……アレって……そんな言い方はないのでは……
しかし、遠い昔に誰かがヴィクトルに対して「抱きしめて」と言っていて恐らく彼はそれを承諾した過去があるのは確かなのだろう……
口振りからして女の子なのだろうけど……
……ヴィクトルさんにそんなことを言えるなんて凄い子がいるんですね……
「街のお子さんですか?」
「……王女だったな」
「お……王女様……ですか?」
「頻繁に研究所に来ては構えと騒ぎ立てて……忙しいといえば怒るし邪魔だと言えば泣き出すし……挙句には抱きしめろだのなんだのと……」
言いながら、だんだん遠い目をしていく。
……お相手をするのが大変な方だったのですね……
でもたぶん、本気で邪険にはしなかったのだろう。幼い王女様に振り回されるヴィクトルの姿を想像してくすくすと笑ってしまった。
リュシルは自分の笑い声に僅かに安堵の表情を浮かべたヴィクトルに気付かず、肩を震わせている。
「……人の苦労話に笑ってないでそろそろ寝なさい」
「ふふ……、すみません。」
日記を書いたら寝ます、とリュシルは自分の机に向かった。
昨日もそうだが、今日も書きたいことがいっぱいあった。
昼間はあんなに心が息苦しかったのに、今はとても穏やかだ。
今朝はサシャさんとご飯を食べて、お昼に庭園を少し散歩して……キオスクが素敵だった。週末は入れないからまた来週になったらキオスクでのんびりしよう。購買部では少し嫌な言葉を聞いてしまったけれど、熱も下がったし、ヴィクトルさんの研究スペースも出来た。
それに……ヴィクトルさんの昔のお話も聞けた。
それが、何よりも嬉しかった。昔から、やはりヴィクトルさんは優しい人だったのだ。子供たちに慕われて、王女様まで。
……少しでも、ヴィクトルさんに信用してもらえてきたのかな……。
そうだったら嬉しいな……。
もっと色んなお話が聞けるようになれたらいいな、と願いを込めて日記を閉じた。
ベッドに入り、本を見ながら紙になにやら書き込んでいるヴィクトルの後ろ姿を眺める。
……王女様も、こうして見ていたのかな……
瞳を閉じるとすぐに眠りの世界へ落ちていった――
見たことの無いはずの研究所。
何かを調べるヴィクトルとその後ろで椅子に座りながら足をブラブラと揺らす少女。
ミルクの入ったカップを両手で持ち、不貞腐れた様子だ。
付き添いの兵が部屋の入口で静かに立っている。
穏やかな、昼下がり。
何度目かの王女の呼び掛けに、仕方のない様子で振り向くヴィクトルは今より少しだけ若く見える。
――なぜこんな姿が浮かぶのだろう……分からないけれど、温かくて、優しい夢だ……。
――――
「……これは、初めてだな……共感記憶か……」
額に手を当て、ヴィクトルが呟いた。
リュシルが夢で見えた景色は、ヴィクトルの記憶にある過去の映像だ。
そして、それはヴィクトルの脳内にも同様に映し出されていた。
「……まさか僕が見ることになるとは……」
共感記憶は滅多に起こらない。エルフなどは故意に見せることもあるようだが、それ以外は契約者との相性による。
「……これは……気を付けなければ……」
……もしも、僕の死ぬ場面が見えてしまえば……この子は……
そんな思いを溜息とともに吐き出して、眠るリュシルの傍に行った。
微笑んだような表情を浮かべて眠っているリュシルを見下ろす。
……熱も、魔力の量も問題ないな。
さらりと髪を撫でて、今まで使っていなかった天蓋を静かに垂らす。これで眠りの妨げにはならないだろう。
「……良い夢を。」
作業机に戻るとヴィクトルはまたペンを手に取った。生身の身体ではないヴィクトルは睡眠すらも必要としない。久方ぶりのまともな研究に嬉々として取り組むヴィクトルだった。
――――翌朝
「ぅ……ん……」
寝返りを打って、意識が浮上する。
……あれ?天蓋が下りてる……
起き上がって天蓋をそっと開けるとヴィクトルの後ろ姿。
……あ……夢で見た……
「……ヴィクトルさん……」
王女様のように呼び捨てには出来ないけれど。
私にも、振り向いてくれるだろうか――
「……起きたか。」
「……、おはようございます」
一度の呼びかけで振り向くとは思わず、挨拶が一拍遅れる。
夢の中と同じように振り向いてくれた。
それだけで、自然と頬が緩んだ。
ヴィクトルはベッドの傍に来るとリュシルの手を取った。いつもの診察タイムだ。リュシルは大人しく座って待つ。
「問題なさそうだな。」
「はい」
「食事は?」
「大丈夫です。支度をしたら食堂に行ってきます。」
「そのまま外を歩くか、一度ここに戻るかどうする?」
リュシルは少し考えた。朝の空気は好きだ。そして出来れば人が少ない方が良いかもしれない……。
「食後にそのまま行きたいです。」
「わかった。ならば僕は腕輪に戻ろう。」
ヴィクトルはぽんと一度リュシルの頭を撫でると腕輪の中へ消えていく。
リュシルはベッドから降りて身支度を整えた。洗面所で顔を洗い、動きやすいようにと柔らかいシャツとシンプルなスカートにカーディガンを羽織って、ベルトとカードキーも忘れずに身に付ける。髪は梳かして一本の三つ編みにした。
「……よし、行ってきます。」
平日の朝よりゆっくりな時間。
今日は何を食べようかな、なんて考えながら階段を下りていく。
談話室に続く扉を開けば思ったほど人は居なかった。しかし、その中に見慣れた紅い色があった。レナの双子の兄、レオンだ。向こうもリュシルに気付いたらしく、睨むような視線が突き刺さる。リュシルはいつも通りに微笑むと会釈をして通り過ぎた。
食堂は賑やかだが、いつもより人が少ないようにも見える。週末はもっと混んでいるかと思っていたリュシルは少しホッとした。
パンとスープとフルーツをいつも通りに選んで、会計近くにランチボックスを発見する。
……今日のお昼はこちらにしましょう。
ランチボックスも手に取り会計に向かった。
会計の方曰く、週末のお昼は人が少ないために食堂は開けないらしい。なるほど。ちょうど手にして正解だったようだ。
どこに座ろうかと食堂内を見渡して、周りに人の少ない席へ移動する。
「いただきます。」
一人で食べ始めて少しした頃、前の席にトレーが置かれた。
「おっはよ、リュシルっ」
「レナさん、おはようございます。レオンさんも。」
二人はリュシルの向かいに座り食事を始める。相変わらずレオンは不機嫌そうではあるが一緒に食べるらしい。
「昨日、リュシル食堂来てた?」
「いえ……昨日は熱が出てしまって、部屋で過ごしていたんです。」
「熱!?大丈夫なの?」
レナは心配そうに眉を下げている。
「あ。今はもう、大丈夫ですよ。」
心配させないようにふわりと微笑んだ。そんなリュシルをレオンは眉間に皺を寄せて見ている。
「私の部屋六号室だから、何かあったら言ってね?いつでも来てくれて大丈夫だからね!」
「ありがとうございます。」
「そだ、リュシルは今日何して過ごすの?私たちはこの後、市場に行くんだ。サシャはおうちに呼ばれて戻るって。」
「そうなんですね。私は今日明日は学園内を散策する予定です。」
「そっか、リュシルは遅れて入学してるから施設案内参加してないもんね。ここ広いから散策しがいがあるよ。」
「……森は許可なく入れないぞ。」
それまで静かに食事をしていたレオンが声を上げた。
「そうなんですね。教えてくださってありがとうございます。」
「周りに被害が出るようなことすんなよ。」
「はい。ヴィクトルさんが居るから大丈夫です。」
「……ヴィクトル?」
「はい。私の召喚獣さんです。」
ニコニコと先程までと違う笑顔だ。
レナはそんなリュシル見て安堵したように微笑んだ。
「英霊って言ってたよね。信頼関係できてるみたいで良かったねっ」
「はいっ」
「——は?英霊だと?……S級召喚獣じゃねぇか……」
レオンの驚く声。やはり英霊は高位の存在なのだと改めて感じた。
「……たぶん、魔力過多のせいかと。」
眉を下げて微笑む。
「……魔力過多?」
レオンがまるで初耳だと言うように目を見開いた。
……え?知らなかった……?
「……ご存知だったのではないのですか?」
「……いや、知らない。……ただ魔法の使えない落ちこぼれとしか……」
「ちょっとレオン!」
レオンの言葉にレナが諌めるように声を上げた。リュシルは構わないと首を振り、レオンを見つめる。
「……私は魔力過多症なんです。ずっと、魔力が生産し続けられてしまうそうで。魔法の扱いも知らなかったので、ずっと、魔力酔いが続いているような状態だったのです。」
「……そんな……」
レオンが言葉を失っている。
まさか、魔力過多の事を知られていなかったとは。
「……茶会の、時も……魔力酔い状態、だったのか?」
「……はい。私もヴィクトルさんに魔力供給をして初めて、ずっと蝕まれていたことを知りました。」
レナが心配そうな瞳でリュシルとレオンを見ている。
レオンは額に手を当てたまま固まってしまった。恐らく、今まで彼の信じてきたものが揺らいでいるのだろう。
「……すみません。朝からする話題じゃありませんでしたね。」
困ったように微笑みながら、ごめんなさいと謝罪をする。リュシルの謝罪にレナはブンブンと音がするんじゃないかと思う程首を左右に振っている。
「——あれ、双子じゃん。朝に見るの珍しいなぁ」
なんとも言えない雰囲気の所に、のんびりとした声が降ってきた。
のしっとレオンの頭に腕を乗せて、レナに笑いかける。
「ジーク!」
「おいっ頭に乗せるなっ!」
「今日も綺麗な髪だな。」
サラリとレナに向かってキザな台詞を言うと、レオンの隣に手にしていたトレーを置いた。
「——で、そっちの小さい美人は?」
「ちょっと、リュシルにまで軽率な発言しないでよね」
レナの睨むような視線も意に介さず、ニコニコとリュシルを見ている。
「リュシル?……君があのフォンテーヌの令嬢か?」
「おはようございます。リュシル・フォンテーヌです。」
いつもの、淑女の笑顔で挨拶をする。
「俺はジークフリード・ヴァルグレン。宜しくな。」
爽やかな笑顔と差し出された手にリュシルもそっと手を伸ばした。
握手をして、そのまま掴まれている。何だろうと小首を傾げれば、その手がフルフルと震え出した。
「……おい、おいおいおいっ、何だこのちっさ細い手は!」
「……え?」
「……は?」
「……はぁ?」
「あんたちゃんと食べてるか?こんなんで生きていられるのか!?」
「え……いや、あの……」
初対面でこんな反応をされたことの無いリュシルはオロオロするしか無かった。手を掴んだまま、ジークフリードは心配そうな顔をしている。
レナとレオンもジークフリードの発言に驚いて固まっている。
……どうしましょう……
「……一先ず、主の手を離してもらおう。」
ヒヤリと冷たい空気が流れる。
リュシルの手を掴んだままのジークフリードの手首へ、学者コートの腕が伸びた。
「……っ……すまない!」
「……ヴィクトルさん……」
ほっと、安堵の息が漏れた。掴んだままな事を忘れていた様子のジークフリードはハッとして手を離した。
ヴィクトルは離されたリュシルの手を掴んで引き寄せる。リュシルの白い手は少しの間掴まれただけでも赤みを帯びてしまっていた。それを見てまたヒヤリと温度が下がる。
「だ、大丈夫ですからっ」
「……チッ……」
舌打ちを残して、腕輪に戻っていく。
三人はその様子を呆気にとられて見ている。
「……あの……すみません……。」
ヴィクトルの態度を三人に申し訳なさそうに頭を下げた。
『なぜ君が謝る。謝罪すべきは向こうだろう。』
脳内に苛立ちを隠しもしないヴィクトルの声が響いた。




