蝉の運命 5
それから、僕達は僕が虫取りをした林に行ったり、魚釣りをした小川に架かる橋を見に行ったりした。
彼女は、時に珍しそうに、時に懐かしそうに表情をくるくる変えては嬉しそうに僕を振り返った。
正直、女の子と手を繋いでいるところなんか誰にも見られたくなくて、僕はドキドキしていたんだけど、細心の注意を払っていたのと思い出せる限り人通りの多くない道を選んだのとで、お昼に村にある唯一のスーパーに向かうまでは誰にも会う事はなかった。
ただ、太陽が真上にくる頃には、朝ごはんも食べてきてないのもあって、どうしても昼御飯を調達しないといけなくなった。
僕はスーパーに向かいながらアヤメの顔をチラリと窺った。
「お昼、どうする? 僕のおばあちゃんの家に来てもいいけど」
すると、案の定顔を曇らせた。
「私……お昼いらないから。誰にも会いたくないし」
そう言って、足を止めた。
何となく、彼女も村の人に会いにくいんだろうなって、不思議とそう感じていたからそう言うのは予想できていたし、できれば二人のままでいたい気はしたけど、もう喉もカラカラで……。
僕は汗を拭うと顔を上げた。
ちょうど昨日、彼女と出会ったあの場所が広い田園の向こうに見えた。あそこなら彼女の家にも近いし、ここからは一本道だ。人通りも多くない。
「じゃ、僕が何か買ってくるから、昨日の場所で待ち合わせようよ」
僕はそういって彼女を振り返った。
彼女は首をかしげ
「昨日……。あの屋敷?」
そう言った。僕は一瞬昨夜の恐怖を、まるでテレビで見た心霊特集でも思い出すような感覚で脳裏に浮かべると、思わず苦笑して首を横に振った。
「正直、君の家はちょっと……。ほら、昨日、君が帽子を引っ掛けた場所だよ」
「帽子?」
「木に引っかかって、僕が登って取ったじゃないか」
「……そう、だった……んだ」
彼女は何故かひどく曖昧な返事をすると、顔をあげて僕が指す方を見つめた。
「あの木?」
まるで知らない出来事を尋ねているような横顔に僕は戸惑ったけど、とりあえず頷いた。
「そうだよ。忘れちゃった?」
「……」
彼女は少し拗ねたような顔をして、こんなに長い間繋いでいた僕の手を簡単に離すとその方向を見つめたまま黙った。
まただ。また、何にも訊くなという顔だ。ずるいよ、そう言いかけた時。車の音が耳に聞こえた。
彼女はそれに弾かれるように顔を上げると、さっと帽子のつばで顔を隠す。
「じゃ、待ってるから!」
「え、あ……」
車、正確には見てみるとトラクターだったんだけど、そのエンジン音から逃げるように彼女は走り出した。
やっぱり、彼女はこの村の人間を嫌がってる?
どうして?
じゃ、昨日、祭りに来ていたのは?
様々な疑問が、浮かんでは花火を見たあとの残像の様におぼろげな輪郭だけ残して消えていく。そのうちに、彼女の姿は小さくなり、代わりにそのトラクターが僕の傍まで来た。
「あ、土屋さんの所の翼君じゃないか。」
おばあちゃん……つまりは母さんの旧姓を口にしたそのおじさんは、気さくに僕に声をかけると軽く手をあげてきた。
あれは確か……昨夜、光の家で見た顔だ。僕は思い出せたことにホッとして
「こんにちは。光君のお父さん」
そう挨拶した。
「こんにちは」
それはどうやら当たったらしく、真っ黒に日焼けしたその顔はトラクターの上から満面の笑みをくれた。
「昨日は眠れたかい?」
「はい。ご迷惑おかけしました」
「いや、いいんだよ。うちの光なんて、あんなのしょっちゅうでさ。聞いたよ。昨日も幽霊を捕まえに行ったんだって?」
光の父親の話しぶりは、昨日の自分たちを責めているというより、面白がっているように聞こえた。実際、そうなのかもしれない。
理解してくれる父さんか……一瞬、日立の顔が浮かんで、僕は顔をしかめかけた。光の父さんは、そんな顔をした僕が気まずさを感じたのかと勘違いしたようで、それを打ち消すように一層大きな笑顔を浮かべた。
「いや、女どもはどうもすぐに騒ぐけどさ、おじさんが子どものころも、よくあぁやって冒険したものさ。あ、ところで、光は?」
「え?」
おじさんは周りを見回しながら
「朝早くに、翼君と待ち合わせしてるからって出て行ったんだけど、一緒じゃないのかい?」
「いいえ」
僕は首を振った。光? あの神社には少なくともいなかった。
「そうか……仕方ないな。カブトムシでも取りに行く口実に君の名前を出したのかな」
それも変な気はした。光の事をよく知るわけじゃないけど、彼はそんな嘘はつかない気がした。
でも、おじさんはそれほど気にした様子もなく
「翼君は何してるんだい?」
そう話を変えてきた。僕は本当の事を話そうか躊躇ったけど、昨日の事を光が誤解……つまりアヤメが幽霊だって誤解を解かないと、そう思って
「友達と遊んでるんです。今から、そこのスーパーで何か買って河童石の所で食べようと思っているところです」
そう答えた。
おじさんは首にかけたタオルで汗をぬぐって進行方向の先のスーパーに一瞥してから
「友達って、希ちゃんかハヤテくんかい?」
「ううん。あの……」
「ん?」
「アヤメちゃん」
瞬間、おじさんの顔色がさっと変わった。
まるで幽霊でも見るかのような顔で、僕を見つめる。次いで酷く力無げな笑みを 浮かべた。
「嫌だなぁ。アヤメちゃんは、もうこの村にはいないはずだよ?」
「え?」
「そりゃ、翼君にはショックだったことだろうけど……おじさん、そういう冗談は良くないと思うな」
どういう事?
僕が彼女の事でショックだった?
いない?
また疑問だ。
この村に来てから、わからない事が増えていく一方だ。
僕は胸をじりっと焼くような感覚に少し声を荒げた。
「けど! 本当に!」
「あぁ、アヤメちゃんの思い出を辿ってるんだね」
おじさんは半ば僕の言葉を強引に遮ると、そういって僕の頭を撫でた。
「仲が良かったんだものな。わかるよ」
そういって、優しく微笑むその顔は早くこの話題を切り上げたがっている大人の顔だった。
それからおじさんはトラクターに座り直すと、ギアに手をかけた。
「光にあったら、少しは手伝えっておじさんが言ってたって伝えてくれるかな?」
「あ、はい」
「じゃ、またな」
僕は釈然としない気持ちでおじさんを見送った。
見えてきそうで、肝心な部分に焦点が合わない。そんなもどかしさに胸がモヤモヤする。
気がついたら、蝉の音が止んでいた。正午に近いのだ。
僕は空を見上げる。相も変わらず雲ひとつない晴天は、底が見えない深い海に似ていて僕は不安を感じる。
「喉、乾いたな……」
僕は呟くと、スーパーに走った。
疑問は増えていくばかりだけど、今はそれを考えるよりアヤメちゃんとの時間を大切にするべきだ。そうした方がいい。
そんな気がした。




