仲間はずれ 2
奴の声が鼓膜を震わせるだけで、僕の胃は焼けそうなほど痛くなった。
水瀬日立。母さんの再婚相手で、戸籍上は僕の父親だ。
でも、僕は認めていない。僕の父さんは、あの優しかった父さんだけなんだ。あんな、人の家に勝手に上がりこんで、人のいい母さんを丸めこんで居座った奴を父親なんて認められるわけがない。
「翼?」
光の声がして、僕は奴にトマトを押しつけると、隠れてしまおうと日立の声に背を向けた。
その時だった。
「翼! ここにいたのか! 久しぶり!」
むやみに馴れ馴れしくするその口調に、僕との距離を詰めようとする必死さが滲んでいて、余計に嫌悪感が込み上げた。
僕は舌打ちしたい気持ちをなんとか押し込めると、足を止めて振り返る。
「なんだ、友達もうできたのか」
日立は僕の返事を聞く前に大股で歩み寄って来ると、光と僕の間に立った。
光は少し混乱した顔で奴を見上げている。
「あ……えと。はじめまして。おじさんは……」
僕の名前を覚えいていたくらいだ、光は父さんの事も覚えていたのかもしれない。戸惑う彼に、日立はパーツが何もかも馬鹿でかい顔に、やっぱり馬鹿でかい笑みを浮かべると
「ん? おじさんは、翼のお父さんだ。今、翼の妹か弟が生まれるんで翼をこっちにやったんだけど、翼が心配でさ。車を飛ばしてきちゃったってわけ。でも、友達ができたならもう安心だよな? 翼」
そう大きな手を僕の頭に載せた。
苛立ちが頭をクラクラさせた。
誰が父さんだ?
誰が妹か弟だ?
僕にはそんなものいない。
僕の家族は……僕の家族は……。
「翼、母ちゃんがいなくて寂しいだろうが、あと少しの辛抱だ。お兄ちゃんになるんだから、頑張れ……」
「勝手なこと言うな!」
僕は思わず声を上げ、奴の手を振り払っていた。
空気が避ける音がして、僕の右手に焦げたような痛みが走る。
僕は日立を睨みあげると、なぜかこみ上げてきそうになる涙を絶対こいつの前では零すまいと唇を噛んだ。
「翼?」
呆ける奴には僕の気持ちなんか微塵も届いていないんだ。
僕は奴の分厚い胸を突き飛ばすと走り出した。
もうあんな奴の顔を見たくない。こんな現実なんかくそくらえだ!
「待てよ!」
光の声。
僕は玄関先にいた複数の子ども達を突き飛ばす。一瞬速度は落ちたけど、それでも僕は足を止めることはできなかった。
一歩でも先へ。数歩でも遠くへ行きたかった。やりきれない思いに地面を蹴りあげ、僕は逃げる。
ひたすらに、夏の日差しに焦げ付く道を。
僕の居場所はどこなんだ?
僕の家族はどこにいる?
僕の……。
何から逃げているのかわからなくなった頃、僕は川縁に来ていた。
父さんと沢ガニを探した、場所……。
ふと顔を上げると、大きな岩が見えた。
父さんの声がする。
『これは河童石って言うんだよ。雨上がりにここにいると、河童にさらわれてしまうんだ』
まだ小さかった僕は、怖くてあの時は近づくことすらできなかった。
「父さん……」
僕は頬で乾きかけていた涙を拭うと、一歩また一歩とその河童石に近づいた。
焼けた石……というより岩に登り腰を下ろしてみる。
頭上の木々が日差しを遮り、足元のせせらぎからの涼しさも相まって、僕はようやく落ち着く気になった。
決して汗を拭ってくれるような涼しさではないけれど、優しい風は心地よく、むやみに火照った体を癒してくれているようだ。
寝転がり目を閉じる。
風を感じる度に葉ずれの音がした。
瞼の裏にちらつく木漏れ日は、万華鏡のように一瞬毎に姿を変える。
不意になんの音かわからないものが耳に届いた。僕は、それが何かを探るように耳を澄ませる。
それは僕の呼吸の音だった。普段気にもしていない音に、僕自身から生まれた音なのにも関わらず驚いてしまったのだ。
妙な発見に苛立ちに焼けついていた胸が熱を奪われていく。
このままだと、鼓動まで聞こえてきそうな静寂だ。
「翼君」
その静寂が破られたのは、僕がうつらうつらしかけた時だった。
転寝を邪魔された不快感はなく、どちらかというと居眠りを発見された時の様なばつの悪さを感じで僕は体を起して声の方を見た。
そこには光と同じ年くらいの女の子が岩の上の僕を見上げていた。さっき、ぶつかった連中のなかにいたのか、その子は不思議そうにこちらを見ている。
「何? 君、誰?」
「やっぱり覚えてないんだ。ね、隣行っていい?」
明るい声に、僕は思わず頷いてしまった。
その子は慣れた様子で岩を簡単に登ると、足を川の方に投げ出して座った。見ると裸足で、細くて白い脚首が華奢に見える。
「気持ちいよね~。ここ。私もよくここにお昼寝に来るんだ」
その子はそう言うと足をぶらぶらさせ、天を仰いだ。日焼けした横顔に、僕は一瞬見とれてしまう。
「で、君は……」
「あ、あぁ」
その子はまるで天を仰いでいた間僕の事を忘れていたかのような返事をしてこちらを向くと、小さな向日葵の様な笑顔を向けてきた。
「希。上地希。小4だよ。覚えてないかなぁ?翼君が1年の時にここに来た時に、みんなで遊んだじゃん」
小4っていったら、一つ下だ。
希も光と同じように僕の事を覚えていてくれたみたいだけど、僕はやっぱり彼女の事も覚えてなかった。




