仲間はずれ 1
「赤ちゃんが生まれるまで、翼は田舎のおばあちゃんの家にいてね。お兄ちゃんになるんだから、一人でも平気よね? 赤ちゃん生まれたら、一番に翼に教えるからね」
母さんは優しい顔をして、僕にそう言った。これが、僕がこんなクソ田舎にいる理由の全てだ。
僕は厭味なぐらいに真っ青な空を睨みつけて、もう一生分ぐらいついただろう溜息を、また零した。
広いだけが取り柄のばあちゃんの家の縁側に臨む廊下に、ごろりと寝そべる。頭上の風鈴すら鳴らない、真夏の昼間。ぼんやりとした僕の目に映るのは、庭に咲いた僕の背丈ほどもある向日葵の鮮やかな黄色と、ばあちゃんが育てている胡瓜の濃い緑。その隣には無邪気な赤色をしたトマトも熟れていた。
世界はこんなにカラフルなのに、僕の心は沈んだままだ。まるで色をつけない。
「翼ちゃん」
玄関の方からばあちゃんの声が飛んできた。返事も面倒なので、ごろりと寝返りだけをうつ。
「翼ちゃん。ここにいたの。おばあちゃん、これから町に出かけるけど、一緒に行くかい?」
「……いい」
足音がして、僕の背中でおばあちゃんの気配が僕に気を遣う。
きっと、母親が再婚相手の子どもを産むのに体よく厄介払いされた僕を、『可哀そう』なんて思っているんだ。冗談じゃない。そんな同情は子どもを傷つけるだけだ。
それに、町って言ったって、ちょっと大きめのスーパーがあるだけの田舎じゃないか。バスが一日に5本って聞いた時は驚きを通り越して引いたくらいだ。
僕は放り出していた携帯ゲームを掴むと、これ見よがしに電源を入れた。
「忙しいから」
「そう? 翼ちゃん、ここには翼ちゃんと同じ年くらいの子どももいるんだよ。たまにはお外にでも出てみたら?」
うるさいな……そう思っても、口にするほど僕も馬鹿じゃない。「ん……」と唸り声の様な相槌の様な、曖昧な返事をして、これ以上話しかけられないようにゲーム画面に集中した。
「今晩はお祭りもあるから、一緒に行こうね」
おばあちゃんはそう付け足したけど、それに答えるのはもう億劫で僕は聞こえていないふりをする。
小さなため息が聞こえた。
そして、ゆっくりとその気配は遠ざかって行った。
また静寂が戻った。ゲーム機を置いて空を見上げる。夏はまだ終わってくれそうにはなかった。
真昼の暑さは蝉の音もしない。ここ美空村に来て、唯一気に行ったのは都会と違って日陰にいれば結構涼しい事くらいだ。
―― クーラーって母さん苦手なのよ
お腹の大きな母さんはそう言って、扇風機の前で団扇を仰いでいた。父さんが生きていた頃はそんな事言ってなかった。父さんに合わせてたのか、今あの男に合わせているのか僕にはわからないけど……。
前にここに来た時は、父さんと蝉取りに行ったり、沢ガニを探しに行ったりしたんだ。
まだ僕は小さくて、ハッキリ覚えているのかと言われたら自信ないけど……この古い家には父さんを思い出させるものがいくつもあって、僕はこの縁側から動けなかった。
優しかった父さん。頭がよくて、いつも遊んでくれた父さん。
「なんで死んだんだよ。馬鹿……」
みぞおちにあたりが重苦しくて、僕は鼻をつく涙に唇を噛んだ。
握りしめた手は汗ばんでいて、僕はその不快感をぶつけるように柱を叩いた。
夏なんか大っきらいだ。
その時だった。耳に微かな話声が聞こえたのは。
「お前行けよ」
「光が言い出したんだろ?」
「希のがいいんじゃない?」
その囁き声はどうやら垣根の向こう側から聞こえてくるようだ。複数の子どもの声。
僕は数年前に訪れた時の事を思い出す。確かこの村には5、6人子どもがいたはずだ。遠い記憶に名前や顔はぼんやりしてるけど、なんだかそりが合わなかった事は覚えている。
「だって、そもそもトマト食べたいって言ったのは……」
「うるさいな!」
僕は蝉のように騒ぐその声に向かって声を上げた。
苛立ちを塊にしたその声は、奴らを黙らせるのに十分だったようだ。ざまぁみろ。そう思って、ゲーム機にまた目手を伸ばそうとした時だった。
「翼だろ! うるさいって随分だな!」
威勢のいい声は攻撃的で、僕は思わず座って顔を上げた。
垣根の上からのぞかせた顔は、真っ黒に日焼けしたこ憎たらしい同じ年くらいの少年だった。
「翼! ちょっと見ない間に嫌な奴になったんだな! 今、そっちに行くから待ってろ!」
そいつは怒っているのかそう言うと、垣根をさらによじ登ろうとする。
「光! やめなよ!」
「危ないよ!」
数人の止める声もまるで届いていない。
呆然とする僕の前に光って呼ばれたそいつは、とうとう苦心の末に垣根を乗り越えてやってきた。
「翼。久しぶりだな」
額に伝う汗そのままに、そいつは僕を睨む。
どうやら、僕を知っているらしいって、いうか、前に来た時に会ったのかもしれない。そして、そりが合わなかったのもたぶんこいつだ。名前も顔も思い出せないけど、それだけは自信が持てるような気がした。
僕は泥だらけの葉っぱまみれなそいつを座ったまま見上げると睨みかえした。
「君、誰?」
「はぁ!?」
覚えられていなかった事に光はショックだったらしくて顔色を変える。僕はおかしくなって、思わず口の端に笑みを散らした。
「ってか、普通に入って来ればいいじゃん。垣根をわざわざ乗り越えるなんてさ。馬鹿じゃない?」
「なっ」
僕は立ち上ると靴を引っ掛けて、庭になっているトマトの方に歩いて行く。そして、真っ赤に熟れた奴をもぎ取った。
「こんなのが欲しかったわけ? ここじゃトマトも売ってないんだ? っていうか、おやつが野菜? 田舎すぎて笑えるね」
一度口をついて出てくる悪態は、僕自身でも驚くほど止まらない。
まるで一気に押し寄せたまっ黒な雲が夕立ちを降らせるように、僕の腹の底にたまったあの鳩尾を締め付ける熱が悪態って言う形で溢れだしてくる。
僕はトマトに目を落とすと、鼻で笑った。
真っ赤でつやつやした瑞々しいトマト。父さんはばあちゃんの作る野菜が好きだった。母さんはここの野菜を食べれば、父さんの病気なんてすぐに治るって言ってた。
でも……父さんは死んで、母さんは……。
「翼。お前、どうしちまったんだよ?」
不意に飛び込んできた声に、僕は顔を上げる。光はさっきの怒りはどこにやったのか、眉を寄せてまるで僕を心配するように……そう、父さんのいない僕を見る大人たちの様な目で僕を見ていた。
頭に血が上った。
僕は光を睨みつけた。トマトを掴んでいた手が思わず上がった.
その時だった。
車のエンジンの音がした。外が俄かに騒がしくなる。
「すご~い!」
「これ外車?」
子ども達の声がまた垣根の向こうからする。
嫌な予感に僕は手を止めた。そしてその予感はすぐに当たっている事を思い知る。
「そうだよ。良かったら、今度乗ってみるかい?」
あの男……母さんの再婚相手、水瀬日立の声だった。




