124.黇の追想⑨一兄弟との約束、そして未来へ
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「今日は過ごしやすい気温ですね」
考えに耽っていると、前を行く高嶺が話しかけて来た。
意識を浮上させた秀峰は、小さく笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、左様でございますね」
(夢のような話だが、私は太子になった。高嶺と同等の身分に)
秀峰は昨日の夜、白珠より宣旨を賜った。正式に黇死の称号を授かり、黇死太子に冊立されたのだ。ただし、ラウと同様、しばしの間はその事実を秘匿することにした。
公表するまでの身の振り方は、宣旨をいただいた後で家族全員と打ち合わせて決めてある。
(冊立されたと思ったらさっそく公務続きだったな)
深く傷付いた秀峰の魂は、年単位の休息が必要だ。だが天威に目覚めた以上、真皇族としての役目は果たさなければならないのだ。
まずは東西の四大高位神に拝謁し、他の神々にも挨拶を行った。
テイヤーが淡色の淡いと思われる神器を用いて暴行を働いてきたため、それを授けたであろう四大高位神たちにも報告をしなくてはならなかったためだ。
また、悪神の長である神とも対話した。自身の覚醒には悪神の一柱である疫神が関わっていたからだ。
悪神の長は四大高位神に匹敵する特別な神であり、影の最高神とも称される存在だ。
事の次第を聞いた神々は、笑顔で口々に言った。
『宗基の当主と大公については、そのままお捨て置きください』
『かの者達に関しては我等が動きましょう』
『東西の神々で対応を検討した後、神託を降ろします』
『天威師様方はどうか動かれませぬよう』
これに関しては、人界で発生したことなので人の世の法で裁きたいと白珠とヴェルが伝えたため、それを勘案した上で神々が話し合うことになった。ゆえに、現時点では豪栄と大公には特段の措置は取られていない。
(私は今後、高嶺と協力して共に政務を行うようになる。北の御子という素性は隠した上で)
昨夜決まったばかりの自分の身の振り方を思い出す。魂の休息と天威師としての務めを両立させていくための方針を。
(何しろ、これからは――)
と、その思考を遮るように、顔を輝かせた高嶺が呟いた。
「陛下」
少し離れた道を、お付きの女官たちを従えた白珠が歩いていた。
「北の御子殿、陛下にご挨拶に行きましょう」
「藍闇太子殿下の御言葉のままに」
だが、頷き合っている間に、別の道から官服に身を包んだ要職者たちが早足で駆けて来た。宰相と総督の姿もある。
「蒼月皇陛下」
「こちらにおいででございましたか」
角度と遮蔽物の問題で秀峰たちには気付いていないらしく、白珠の前で立ち止まると跪拝した。
「挨拶を受ける。楽にせよ。――どうした。何事か起こったのか」
「は。陛下の担当官吏に、御子様の具合が良くないと漏らされたとお聞きしました。藍闇太子殿下のご容体を、私ども一同案じております」
宰相の言葉を聞いた高嶺はきょとりと瞬いた。「私?」と、顔に書いてある。
雁首揃えて真剣な面差しの高官たちに、白珠は麗容を緩めて苦笑した。
「それで駆け付けて来てくれたのか。不用意な発言で心配をかけてしまったことを詫びよう。公務の合間の予定を確認されたゆえ、御子が体調を崩しているので見舞いに行こうかと呟いてしまったのだ」
「何と……藍闇太子殿下はやはりご不調であらせられますか。早うご快復なされると良いのですが」
「常と変わらず公務をこなされておりましたゆえ、気付きませなんだ」
「太子殿下は我が国の宝。損なわれることがあってはなりませぬ。して、殿下のお具合は?」
高官たちが口々に心配と見舞いの言葉を口にする。白珠は心を読ませぬ笑みで返した。
「そなたらは勘違いしている。体調を崩していたのは北の御子だ」
その瞬間、高官たちが表情を消した。今までの熱量があっさりと消え失せる。
「北の御子……藍闇太子殿下ではなく?」
「ああ、あちらの御子の方でしたか」
「ならばようございます」
「これにて御前を失礼いたしまする」
一斉に興味を失った面差しは、道端の石ころに向けるものとそっくりだった。白けた様子でさっと身を引く。そして白珠に再度拝礼し、足早に立ち去って行った。だが、天威師の聴覚は、彼らの心の声までも丁寧に拾い上げる。
『北の御子ならば心配してやる必要などなかったな』
『やれやれ、藍闇太子殿下であればどうしようかと思っていた』
『とんだ時間の無駄だった。あの穀潰しに時間給を払わせたいものだ』
『今は天威師も充実している。無価値な庶子は不要だ』
拍子抜けしたことで気が緩み、決して口には出さない胸中の声が高まっているのだろう。本当の心がはっきりと聴こえてくる。
『いくら万事が優秀でも、御威無しというだけで論外だ』
『藍闇太子殿下は天威を持って生きていらっしゃればそれだけでいい』
『御威無しの御子など最下位の神官にも劣る』
『御威をお持ちであることだけが藍闇太子殿下のご価値なのだ』
無言で立ち尽くす白珠の顔は、いつも以上に白い。切れ長の双眸の奥に、表には出さぬ葛藤がよぎる。
――絶大な権威と力を持つ皇帝でありながら、我が子たちすらろくに護れない。
僅かに視線が動き、秀峰たちの方を見た。白珠は当然、息子たちの存在に気付いていたのだ。
「……」
秀峰と高嶺は、兄弟で手を握り合ったままじっと気配を殺していた。
高官たちの認識は、決して間違っていない。むしろ当然のことだ。強力な御威を用いて神と世界、国と民のために尽くしてこその皇族であり、だからこそ皆に敬われるのだ。
だが、心に深い穴が空いたような気がするのは何故だろうか。
寄り添うように、支え合うように繋いだ互いの手の体温だけが、遠退く感覚を引き戻してくれていた。
◆◆◆
一言も口を聞かぬまま、秀峰と高嶺は皇宮の人気が無い道を歩く。緋に固められた地を見ながら黙々と足を動かしていると、頭上に影が差した。見上げると、レイティが優しく微笑んでいる。
「俺の小さな宝玉たち。一緒に散歩に行こう」
言葉と共に橙色の光に取り巻かれ、気が付くと見晴らしのいい小高い丘の上にいた。瑞々しい草葉の中に、色とりどりの花々が咲き乱れている。
「綺麗だろう。皇都の外れにあるから、人も余り来ない穴場なんだ」
穏やかに笑う父は、きっと先程の高官たちの件を視ていたのだろう。秀峰を案じ、しばらくは帝城だけでなく皇宮の様子も白珠と共に確認すると言っていた。
高嶺が花を見つめて俯く。重い沈黙の後、普段よりずっと弱々しい声で呟いた。
「私は……皇帝になりたいと思ったことはありません。天威師の義務であるからなるだけ」
ぽつりぽつりと話す言葉は、降り始めた雨が止まらなくなるように流れ出る。
ふと視線をずらすと、いつの間にか白珠とラウ、ティルがこの場に来ていた。皆、一様に高嶺の様子を注視している。
「地位も特権も名誉も、絹の衣も豪勢な食事も玉の宮殿も、何もいらない。ただ家族が共にいて、最低限の暮らしができればそれだけでいいのに」
望んで皇帝になるわけではない、なりたくもない。
高嶺はふと微笑んだ。とても苦しげに。
「けれど、それでは私を敬い、仕えるべき主として戴いてくれる臣民たちに申し訳が立たない。私の衣食住は全て臣民たちが丹精込めて用意してくれているもので、時には命懸けで材料の調達や製作を行うことすらあるのですから。――ゆえに、今までは言えずにおりました」
だが、豪栄と大公の凶行を知り、臣下たちの本音を聴いてしまった以上、もう己の心が抑え切れない。
「ねえ兄上。こんな世界、護る価値があるでしょうか」
自身の神格と同じ闇の色をした瞳が揺れていた。迷いに覆われた夜の中、その心が惑っているのだ。
「私も私の大事な方々も、いつも務めに追われ、大切な者との時間も取れず、怪我ばかりしています」
こんな生活はもう嫌ですと告げると、その目じりから涙が伝っていった。
高嶺も我慢していた。ずっとずっと我慢し続けてきたのだ。
「私はこの世界で、全然幸せではありません。家族がいることは幸せですが、それは祖神様の世界に還っても継続することでしょう。この世界にいなくてもいい」
非常にまずい状況だ。秀峰は内心で焦った。
白珠も困ったように眉を下げているが、口を挟めずにいる。レイティがやんわりと制止しているのだ。今は何人たりとも手出しを許さないと、その気配で告げていた。
それに励まされたように、高嶺は続けた。
「もう三千年も経つ頃合いなのですし、十分ではないでしょうか。後は人間たちが自力で頑張ればいいのでは」
そして言葉を切り、迷うように幾度か深呼吸した後、その言葉を発した。
「皆で祖神様の御元に還りませんか? もちろん叔父上方も一緒に。まだ目覚めていない天威師も全員連れて引き揚げるのはどうでしょう?」
疑問形であったことに、秀峰は安堵した。
高嶺も迷っているのだ。本気ではない――今はまだ。
(太陽が必要だ)
ふとそう思った。高嶺を照らし、迷いの霧を晴らしてくれる光が。
レイティとラウも日神だが、二人は高嶺だけではなく、白珠や秀峰、ティルにとっての光でもある。そうではなく、高嶺だけの太陽が必要なのだ。
「高嶺、滅多なことを言うものではない」
秀峰はなるべく穏やかな声音で言った。
「一時の感情でそんなことをすれば、きっとそなたは後でとても後悔する」
(私が発端になってしまった。何とかしなくては)
「……高嶺。父上と母上は賭けをなさっているそうだ。どちらがより英邁な君主として在れるか競われている。――私たちもやらないか。そなたと私、どちらが優れた皇帝になるか競争するんだ」
挫けそうな気概を再燃させる動機付けだ。
高嶺が虚を突かれたように瞠目した。少し考え、小首を傾げる。
「きっと兄上が勝ちます」
予想外の返事だった。おそらく社交辞令として、兄への配慮として言ったのだろうが――それにしては瞳が真剣だ。
(そんなはずはない)
今まで絶え間なき努力と成果を積み上げながら着実に進んで来た高嶺は、秀峰より遥か前を走っているはずだ。
「1歳になると同時に公務を始め、以来ずっと天威師として勤しみ、修練と専心と実績を重ねてきたそなたが何を言う。そなたの方が優勢だろう」
誰が聞いても賛同するであろう主張を述べる。だが、高嶺はいつになく饒舌に言い返して来た。
「いいえ、兄上の方が素晴らしいです。腐ることなく努力を続け、未覚醒の状態で宗基家当主の誘惑に抗い、身を投げ出して神罰牢から世界を護り、覚醒と同時に適切に力を抑制し、1日で全ての力を使いこなせるようになり、祖神様方を宥め説得するという初公務をやり遂げたのです」
「いや、その……」
余りの熱弁に、秀峰は若干引き気味に後ずさった。だが、下がった分だけ高嶺が迫ってくる。
「いいですか。兄というものはえてして弟より優れている存在なのです。兄に勝る弟などいないのです。兄上方は完璧なのです。私の兄上たちはその精神も含め、髪の毛の一筋から全身の臓腑と血肉と体液に至るまで、全てが素晴らしく愛おしく美しく完璧な存在ということなのです」
何だこいつは。
兄に勝る弟などどこにでもいる。
こいつ実は危ない奴なのではないか、という考えが浮かんだ秀峰が引き攣っていると、ティルとラウがささっと近寄って来た。
「ねぇねぇ、俺たちも混ぜて―」
「誰が一番立派な皇帝になれるか競争しよう」
兄弟揃ってわいわいもみ合っている内に、どうにか気を取り直した秀峰は高嶺を見る。
「高嶺、世界と人間が憎らしいならいっそ大声で叫んで発散してしまえばいい」
「叫ぶ?」
瞬きした高嶺に頷きを返し、天威で丘の周りを見渡す。この周辺には家はないようだ。多少騒がしくしても問題はないだろう。すぅっと息を吸い、一度止めてから声として吐き出した。
「ばかやろー!」
力一杯叫ぶ。兄弟たちが驚いた顔でそれを見つめている。秀峰がこのような行動をしたことなど、今まで一度もなかったから。
「お前らなんか大っ嫌いだ―!」
失望と嘲笑の眼差しを向ける臣民たちを思い浮かべながら、思いの丈を放つ。
臣下たちは間違ったことを言っているわけではない。言ってしまえば祖神たちとて同じ面を持っている。
御威を持っていれば褒めそやし、そうでなければ無下にする臣民。
天威師であれば愛情を注ぎ、そうでなければ関心すら持たない祖神。
両者は共通する部分もある。
そして自分は、天威師として祖神から愛されているのだから、この上なく恵まれているのだ――と、以前の秀峰ならば考えていただろう。
だが、今はもう違う。
「ばーか!」
今までの辛い記憶が流星のごとく流れ、涙がにじんだ。
臣民の立場になってみれば、本人に瑕疵がないにも関わらず、天威師でないというだけで庇護対象から外されれば、少なくとも良い気持ちにはならないだろう。
だが、それは秀峰も同じなのだ。御威が無いというだけで嘲笑され侮蔑されて、辛くないわけがない。
自分は辛かった。ずっと痛かった、苦しかった。その本音を表に出すことはなくとも、心の中で思うことくらいは自由だ。
もう抑えない、ごまかさない。気が付かない振りをしない。
「……」
それを見ていた高嶺が、恐る恐るといった様子で隣にやってきた。思い切ったように口を開く。
「ば、ばーか!」
やや遠慮がちに弾けた声にかぶせるように、ラウとティルも音声を飛ばした。
「ばかっ!」
「だーいっきらいだぞー!」
そろりと両親を窺うと、泣き笑いのような顔をしてこちらを見守っている。
高嶺がもう一度声を上げた。今度は先ほどよりも大きく強く。
ラウとティルも負けじと続き、秀峰も叫んだ。
四つの叫びが尾を引いて空に消えていく。つられて上を見上げ、秀峰ははっとした。
(青い)
空が青かった。途方も無いほどに。
一欠片の雲もなく、天が晴れている。
切れ目のない快晴が遥か彼方まで広がっている。
(空というものは……こんなにも青かったのか)
自分はこの空を翔び回る翼を手に入れた。天威に目覚め、天威師となったのだから。
(これからは、この大空に羽ばたいて行ける。家族と一緒に、どこへでも飛んで行ける)
秀峰の様子に気付いた兄弟たちが、共に上を見上げた。両親もだ。
家族皆でより添うように、同じ場所を見る。
(私は皇帝になる)
雲一つない晴日が目に沁みる。
蒼穹を見ながら、秀峰は己の誓いを胸に刻んだ。
(私は)
青空に浮かぶのは、輝く太陽と静かな月。
その二つの下で、祈るように言葉を紡いだ。
(人としての生を終えるその日まで、自分の務めを遂行する)
汚いのに澄んでいて、醜く在りながらも美しい。残酷なまでに清らかな、この愛しい世界で。
頰から流れ落ちた涙が風に乗り、一瞬きらりと輝いて宙に消えていった。
ありがとうございました。
本作で高嶺視点がほぼ書けない理由は、実は家族に対する愛情が重すぎて思考が色々とヤバいからです。




