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121.黇の追想⑥一祖神からの条件

ご覧いただきありがとうございます。

本日は4話更新なので、1時間前にも1話投稿しています。

ご注意下さい。

 体が浮くような感覚と共に、秀峰は虹色の世界を揺蕩っていた。ああ、という小さな吐息と共に、どうしようもない程の喜びと郷愁の念が全身に満ちる。


 ここは全ての天威師の郷里にして還るべき領域。実際に訪れたことはなくとも、本能がこの場所を知り、奥底で求めている。


 至高神の色に満たされた世界の中で、歓迎するように色とりどりの流星が翔けた。


「あの光は祖神様方ですか?」

「そうだよ。さぁ、おいでだ」


 数多の光の中から、八つの輝きがこちらに向かってくる。金、銀、黒、そして白がそれぞれ二つずつ。

 ルーディが小柄な秀峰に合わせて長身をかがめ、耳元で囁いた。


「神の本意を取り違えてはならない。お前の感情を丸ごと曝け出して向き合え。心からの決意を翻せるのは、同じく心からの叫びだけだ」


 いいね、と念押しするように言われた時、白い輝きの一つがうねり、一気に加速すると秀峰を取り巻いた。


(私の始祖神様……)


 この光は東の白死神だと、直感で分かる。途方も無い懐かしさと慕わしさが込み上げ、泣きそうになった。

 ぱぁんと白光が弾けると、目の前には端正な顔立ちの青年が佇んでいた。翻る長髪、凛とした杏仁型の瞳に中世的な容貌、完璧な造形美。純白の神威を纏う、かくも美しい男神だ。


「白死神様」

「黇の愛し子。よう参った」


 秀峰の体がゆるりと抱擁され、澄んだ声が紡がれる。このまま微睡んでしまいたくなるほどに心地いい声だ。


「ああ、地上などにいるせいでそなたはこのような憂き目に遭った」


 痛ましげに細められた白死神の目が、秀峰を見て束の間哀しさを帯びる。家族たちが、ルーディが帯びていたのと同じ哀切の情。


「可哀想に、魂がぼろぼろではないか。何ということ」


 細く長い指にそっと頰を撫でられると、例えようもなく気持ちが良くなった。地上から還らされた天威師が悲しみに暮れていても癒せる、と断言していたルーディは正しい。この絶大な愛の前では全ての痛みが無効化され、あらゆる憂いが取り払われる。

 うっとりとしていると、白死神はさらに優しく秀峰を愛撫した。


「疲れたであろう。このまま眠るがよい。何、ほんの少し休むくらい何ほどのこともなかろうて。話は起きてからすればいいのだ。そうであろう」


(気持ちいい――)


 秀峰の目がとろんと閉じる。至福の眠気に抗えない。少しだけ、時計の長針が半周するくらいの時間だけ休息を取ってもいいかと思った。


「はい……」


 こくりと頷き、そのまま力を抜こうとした瞬間、様子を見ていたルーディが慎ましやかな態度で口を挟んでだ。


「ええ。始祖神様の懐で、ほんの少しの間だけ――数百年ほど休んで傷を癒すのがよいかと。そのつもりで仰ったのでしょう。数百年など神にとってはごく僅かな間」


(っ数百年!?)


 聞き捨てならない単語に、秀峰はぱっと目を開いた。遠のきかけていた意識を引き戻す。


(そ、それは駄目だ)


 軽く頭を振って眠気を飛ばすと、白死神が唇を尖らせた。


「何と残念なこと。もう少しであったに起きてしまった。これ、皓の愛し子よ。邪魔をするでない。全く、この可愛い悪戯っ子が」


 だが、言葉とは裏腹に、白死神がルーディに向ける眼差しは慈愛に満ちている。危うく数百年眠りこけ、その間に天威師の強制帰還が実行されるところだった。冷や汗をかきながら、秀峰は本題を切り出した。


「やはり今すぐにお話をしたく思います。白死神様、どうか天威師の帰還をお考え直しいただけませんでしょうか」

「黇の愛し子。それは何故だ。そなたも他の愛し子たちも、地上にいたがために凄惨な目に遭うた。そのような場所にこれ以上我が至宝を置いておけるものか」

「ですが天威師が引き揚げれば神々は世界を滅ぼします」


 今が好機とばかりに、秀峰は思いの丈をぶつけた。

 自分は世界を護りたい、人間に生きていて欲しい。自分のことを心配して下さることをとても嬉しく思う。少しでも白死神様の懸念を払しょくできるよう精進するので、今しばらく見守って欲しい。

 全て本心だ。皇家に生まれた者として、幼い頃から育んで来た価値観だった。


「……」


 白死神が寂しそうな笑顔でこちらを見下ろしている。


 どうしてだろう。


 自分は皇家の者として相応しい姿を保ち、然るべき意思を抱いているのに、どうしてそのような顔をするのだろう。


「――黇の愛し子。そなたは真に人間が好きなのだな」


 やがて、白死神は緩やかな眼差しを浮かべて秀峰の背を撫でた。


「気持ちはよう伝わった。確かに、ここで地上の愛し子たちを退かせるは世界の破滅と同義。そなたが憂うのも無理なきこと」


 ゆるりと首を傾げると、さらさらと流れ落ちる長髪が秀峰の頬にかかり、小さなくすぐったさを覚える。


「なれば、覚醒した死神の力を自在に使いこなせるようになってみせよ。さすればこたびのような窮地に陥ることもなくなり、我も安心できよう」


 その台詞に、秀峰は内心で歓喜した。神から譲歩を引き出せたのだ。それも自身の努力で実現可能な内容で。


 通常、神は生まれながらにして己の力を極めており、修行せずとも自由に神威を使うことができる。しかし、神格を抑えている天威師や聖威師の場合は、例外として修練が必要なのだ。


(これから集中して修練すれば、一年あれば一通り扱えるようになる)


「承知いたしました。本日より精進し必ずや……」

「1日だ」

「――え?」


 相変わらず慈しみに満ちた笑顔のままで放たれた一言が、瞬時には理解できなかった。


「人界の時間にして1日間。それが期限だ。それ以上は待てぬ」

「いちにち?」


 それは無茶というものだ。たっだ1日でどれ程の上達が見込めるというのか。

 だが、白死神の笑みは微動だにしない。


「幾日も猶予をもうけてしまえば、雛でいる期間にまた惨劇に見舞われるやもしれぬであろ。単日で力を使いこなせるようになれ。それができねば天威師は全員、天界に強制送還させる」

「お、お待ち下さい。私は仰せの通りの処遇でよろしゅうございます。しかし、他の天威師は既に力を使いこなしております。このたびのような憂き目に遭う懸念は低く、心配は不要かと……」

()()()()()


 天上の楽も霞むほどの美声が、全ての反駁を封殺した。


「他の選択肢は与えぬ」

「っ……」


 冷たい汗がこめかみを伝った。白死神の雰囲気は依然として柔らかく、慈愛を溢れさせている。だが、何よりも優しい眼差しとその意思は、どのような弁術を繰り出したところで小動ぎもしないだろう。


「……承知、いたしました」


 数拍の逡巡と迷いの後、秀峰は頷いた。白い始祖神が一つ瞬きをする。


「単日で死神の力を使いこなせるようになってみせます」


 自分には、それ以外の回答権は与えられていない。

 例え、その内容がとても実現不可能なものであったとしても。



◆◆◆



「……ばかな」


 ぽつりと落とされた微かな呟きは、固く閉めたはずの栓から一粒だけ零れ出た滴のようであった。

 見開かれた白死神とルーディの眼差しが、信じ難いと言いたげに秀峰を凝視している。

 己が力を完全に制御下に置いたその姿を。


(な、何とか……やった)


 祖神たちの驚愕を見ながら、秀峰は崩れ落ちそうな安堵を抱いていた。


『この中で丸一日過ごす時間が、外では一呼吸する刹那に等しい』


 そう言われて入れられた真っ白な空間で、ひらすら修練に励んだ。幼い頃より、将来御威に目覚めた時に備えて教えられてきたことの実践だ。

 生来真面目であった秀峰は、その教育を真摯に学び、反復し、理解し、想像し、昇華し続けて来た。いつかその努力が役立つ日が来ると信じて。


 ――そして、文字通り血を吐き反吐をまき散らしてのたうち回るような修練と研鑽の果てに、秀峰は僅か1日の実地修練で己が力を完全に掌握した。


(常に死線を超えかけているような1日だったが……何とか間に合った)


 真に我がものとなった神威は、美しい燐光として顕現した。蛍を連想させるような、幽玄で美しい灯火。今この身に纏い、目の前の祖神二柱を揃って絶句させている光。


(これで天威師の強制帰還は免れる)


 他の祖神たちも、星くずのような光の姿のまま凍り付き、愕然とした気配を滲ませている。

 しかし、はやる心を宥めて白死神に視線を向けた瞬間、高揚していた気分が急速に萎んでいった。


(……白死神様? どうしてそのようなお顔をなさるのですか?)


 哀しい、とても哀しい表情。泣きたいのを堪えているような、とても困っているような。よく見れば、ルーディもの眼も同じ色を帯びていた。祖神たちの光も、優しく温かなのにどこか切ない。


 何かがおかしい。


(どうして……言われたことをやり遂げたのに。きちんとできたのに。どうして)


「……無理だと思うておった」


 ややあって、白い神が独り言のように呟いた。


「まずできぬであろう無理難題を課したというに……。きちんと神眼でそなたの器量を見極めておくべきであった。生まれたての雛と油断し、器の大きさを読むことを怠った我の落ち度だ」


 振り絞るような口調だった。やり切れないような悲痛さを宿した双眸が向けられる――その哀しみに圧倒される。秀峰が息を飲んだ時、白死神はつと気配を和らげた。


「ようやったのう」


 再び口を開くと、平静に戻った典雅な美声が奏でられる。


「そなたは偉い子だ。ほんに勤勉で誠実だこと」


 偽りなき本音であることが伝わってくる、愛情に満ちた賛辞。だが、何故か背筋が粟立った。嫌な予感が脳裏でけたたましく警鐘を鳴らす。


「黇の愛し子。そなたは我が提示した条件を達成した。ゆえに天威師の強制帰還を再考しよう」


 原初の死神は、慈悲の具現のような艶かしい微笑を刷き、穏やかに頷いた。そして告げる。


「今、再考した。その結果、やはり天威師たちは引き揚げさせることにする」

「……え……」


 秀峰の頭が真っ白になった。


「ど……うして、私はきちんと力を使いこなして」

「考え直すとは言ったが、取りやめるとは言っておらなんだであろう?」

「そんな――」


(初めからお答えが決まっていたのか? 私の成否は関係なかった?)


 秀峰が傷付くことを憂いての帰還命令ならば、力を使いこなせるようになれば懸念は薄まるはずなのに。


(何故白死神様はここまで強硬に天威師を還そうとなさる? どうしたらお怒りを収められるんだ。どうしてこれ程までにお怒りに――)


 そこで思考が途切れる。ふと、気付いた。


(……お怒り? いや違う。白死神様は心の奥底では怒ってはおられない。本当は哀しんでいらっしゃる)


 真の感情である哀切を宥めなければ、白死神の心は変えられない。


(白死神様も、お祖父様も、祖神様も……地上の家族たちも。どうして皆哀しい顔をするんだ。私はきちんとやっているはずなのに。分からない。分からない……)


「……どうして笑って下さらないのですか?」


 ぽろりと言葉が零れ出た。一度瞬きした白死神が、今までよりも大きく微笑む。


「何を言うておる。ほれ、笑うておるとも。そなたを抱きしめることができ、我は至福の極み――」

「泣いていらっしゃいます」


 原初の祖神の言葉を遮るという、普段の自分であれば卒倒ものの非礼を犯し、秀峰は言った。


「お顔は笑顔であられても、白死神様の御心は泣いていらっしゃいます。それは何故でしょうか? 白死神様だけでなく皆様も……地上にいる家族たちも同じなのです」


 鼻の奥がつんとした。今までずっと堪えていた何かが疼いている。心の外殻に張り巡らせていた分厚い防壁に亀裂が入り、揺らいでいる。


「皆様が私を大切に想って下さるように、私も皆様のことをお慕いしております。愛する方々には笑って欲しい。喜んで欲しい」


 目の前の光景が滲んでぼやけた。祖神が何かの目眩しでも使っているのだろうか。


「なのに、私が頑張れば頑張るほど、皆が哀しむのです。今までずっとそうでした。笑っていても胸の内では泣いている……。どれだけ必死に努力しても、心から喜んでもらえないのです」


 一体どうすればいいのだろう。万事を真摯に取り組み、適切と思われる判断をし、堅実に成果を挙げても、寂しい笑みをむけられる。


 それは何故だ。

 どうしてーーどうして。


「もっともっと頑張れば、さらに哀しい笑顔を向けられて。やっと天威に覚醒して、これで心から笑ってもらえると思ったのに、まだ哀しい顔をされるのです。今だって、きちんと言われたことをやり遂げたのに、皆様は切ない目をなさる。……私では皆様を喜ばせることができないのですか」


 目がじんじんと熱い。頰を流れ落ちる水気の感触に、自分が泣いていることに気付いた。眼前の風景が滲んだのは目眩しなどではなく、涙が溜まったからだったのだ。

ありがとうございました。

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