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120.黇の追想⑤一至高の皓が降りる

ご覧いただきありがとうございます。

「御子様、りんごの果汁を作りましたよ」


 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる栄生が吸い飲みに入れた果汁を持ってくると、誰が飲ませるかで蘭、鈴、連が揉め始めた。秀峰はそんな従者たちをぼんやりと眺める。


(この五人は私の神使になった)


 栄生たちは、いつの間にか自分の意思を持つようになっていた。秀峰が大公にされた仕打ちを知った時は、全員が豪栄とテイヤーを抹殺しに行こうとした。各々の創生者たちが制止命令を出しても収まらず、発熱中の秀峰が寝台から声をかけてようやく完全に止まったのだ。


(形代が己の心を持ち、主である創り手の言うことを聞かなくなる……本当にそんなことが起こるとは)


 もしそのような事態が発生すれば、形代は役立たずとして消滅処分となる。だが秀峰にとって、ずっと側にいてくれた栄生たちは、もはや第二の家族になっていた。どうか消さないで下さいと懇願すると、レイティと白珠はすぐに言った。


『ならお前の神使にしてやればいい』

『私たちが形代の所有権を放棄しますから、あなたと新たに主従契約を結び直せばいいのですよ』


 ラウ、ティル、高嶺もそれがいいと賛同してくれた。


『鈴たちなら絶対に珠歩兄上を裏切らない。だって俺たちの分身みたいなものなんだから』


 栄生たちも乗り気であったため、その場ですぐに放棄と契約が行われ、めでたく秀峰の神使となったのがつい先程のこと。


(神使になりたがっていた私が、まさか神使を従える側に回るとは思わなかった)


 やれやれと思いながら果汁を飲み終え、室内を見遣る。高棚の上にある回転式の置物がくるくると回っているのを見ていると、先程話したばかりのレイティが珍しく難しい面持ちをして入って来た。


「珠歩、起きているか?」

「はい」

()()()()()()()()()。お前に会いたいと仰せだ」

「……」


 咄嗟に理解できず、秀峰はまじまじとレイティを眺めてしまった。


「父上とは……もしやルーディお祖父様ですか。お祖父様はもうお亡くなりですから、地上にいらっしゃることはないはずでは。勧請(かんじょう)されたのですか?」


 天に昇った神は、よほどのことがなければ自分から積極的に降臨することはない。至高の神であればなおのこと。それでも、一時的かつ短時間であれば降りることがないわけではないが……。

 レイティが頰をかいた。


「いや、真帝族の塔で今回の件に関する仔細を全て報告したら、来ると仰ったんだ。今はサナがお相手をしている」

「……ま、まさかもういらしているのですか!?」

「ああ。騒ぎにならないよう気配を殺して下さっているから、気が付かなかっただろうがな」

「他の祖神様方はお止めにならなかったのですか?」

「止められたそうだが、拳と気迫と弁論と笑顔で全員黙らせたそうだ」


 荒神が異次元の域にあるのは、純粋な戦闘力だけではない。頭脳戦や話術など、肉弾戦以外の戦いの手腕においても同じくらいの規格外さを誇っている。ゆえに、至高神に戻ったルーディがその気になれば止められる者はいないのだ。


「だが、誤解しないでくれ。父上は先達となる祖神様方を心から敬愛なさっている。祖神様方もそれは分かっておいでだからな、父上は少し腕白なだけでそこも可愛くてたまらないと仰っていた」

「はい、承知しております」


 流石は同胞をこよなく愛する至高神である。荒神の圧倒的な力を見せ付けられてもまるでめげない。


「まぁ俺たちの方も、今までは祖神様の勧請などして来なかったからなぁ」


 おいそれと至高神を地上に喚び出すわけにもいかないから、当然のことではある。


「では私の方から塔にお伺いいたします」


 介助されながら身を起こすと、レイティがふと瞬きした。視線を虚空に投げ、時折小さく首肯している。


(誰かと念話なさっている?)


 黙って様子を見ていると、レイティはけろっとした顔で告げた。


「塔に行く必要はなくなった。父上がこちらにご足労いただけるとのことだ」

「――え?」

「お前の容体を聞かれたのでな。熱が高いと正直に答えたところ、ならば自分が行くと」


 ここは帝城の一角、秀峰が療養するために急遽用意された専用の場所だ。レイティが個人的に有している私殿の中に設けられ、彼の許可が無ければ何人たりとも立ち入りは許されない。


 内部はレイティの気が非常に濃く、常に新鮮かつ豊潤な天蜜で満たされている。皇家の者にとっては天国に等しい安息の楽園であり、秀峰はその最奥で手厚く護られていた。


 死神の力を暴走させないため厳重に囲っている、という読み方もできるが、おそらく単に心配なだけだ。

 何しろヴェルは、かつて秀峰が兄弟たちに『父上ってどう思う?』と聞いた時、ラウ、ティル、高嶺の順で『過保護』『親馬鹿』『子煩悩』という即答が返ってきた程の父親である。


「――ああ、もうお越しだ。お前はそのままで挨拶すればいい。病床であれば略礼でお許しいただけるだろう」

「いえ、お祖父様はもはや至高神なのですから、きちんと礼儀を守ります」

「だが……」


 親子で言い合っていると、絢爛豪華な皓の気が迸った。

 満天の銀河のごとき輝きを体中に纏い、きらきらと瞬く光を煌めかせながら、痩身優美な長身の青年が顕現する。後ろにはクルーセラも付き従っていた。


「やぁ。来ちゃったよ、ヴェル」


 軽い口調で言い、青年――ルーディはレイティと秀峰を見た。

 慈悲深い眼差し。柔らかな笑み。レイティの瞳と瓜二つである、春の湖水の色をした双眸。

 かつて秀峰たちを可愛がってくれていた時と、何も変わらない。

 ただ、帝国の装いをしていた生前とは違い、領巾(ひれ)を絡めた神々しい神衣に身を包んでいる。


「珠歩――僕の孫ちゃん。久しぶりだね。ああ、今は祖神ではなく身内として接しておくれ」


 拝礼しようとするレイティと秀峰を制したルーディが目を細め、小首を傾げた。


「他の子たちにも会いたいなぁ。でも、政務があるから全員抜けるのは難しいよね。じゃあ覚醒している天威師以外の時間を止めちゃおう」


 瞬間、世界がぴたりと停止した。

 秀峰はくらくらする頭を抑えて周囲を見回す。回転式の置物も、時計の針も、空気の流れさえも、何もかもが止まっていた。外から感じられていた生物の営みの気配も、ぱったりと途絶えている。

 森羅万象が活動を停止した世界で、動いているのはルーディと覚醒済みの天威師だけだ。


「これで全員集まれるね。ここにおいでって念話したよ。今は無礼講だから身内扱いにしてねとも言っておいた」


 軽やかに放たれたその言葉を裏付けるように、家族たちが次々に転移してきた。いきなり時間が止まり、天に還ったはずのルーディから念話がきたのだ。相当驚いたのか、皆慌てて飛んできたようだった。先頭にいた白珠が言う。


「お義父様、何故地上に!?」

「ちょっと伝えたいことがあってね」


 ふふっとルーディが笑う。その間にも、残りの天威師たちが続々と現れ、瞬く間に全員が揃った。


「うん、覚醒済みの天威師はこれで全員だね」


 集まった顔ぶれをぐるりと見渡したルーディが、つと相好を崩す。


「大きくなった子たちもたくさんいるねぇ。当たり前か、僕が昇天してからもう随分になる。まだまだ小さかった雛が大人になった」


 孫たちを眺めて嬉しそうに呟き、ひらりと領巾を揺らして卓にもたれかかった。ふぅとため息を吐き、綺麗に整えられた爪の先で卓を撫でる。


「天にいる至高神たちはね、あんまり地上の天威師たちの様子を視ないんだ。視ていたら愛しさが込み上げて、無理矢理にでも天に連れ帰ってしまいそうになるから。視ていなかったから、白珠の時も今回の珠歩の時も、危機が迫っていることに気付かなかった」


 卓の継ぎ目を見つめる水色の瞳が、剣呑な光を放った。


「他の神々は下界を視ているけれど、宗基家の当主やノルギアス大公のように、至高神の神器を使って隔離や遮断の結界を張られたら中の様子を視認できなくなる。結果、僕たちは最愛の末裔の窮地をみすみす見逃し、深い傷を負わせてしまった」


 俯いていた顔が上げられ、真っ赤に変じた目が虚空を見据える。


「祖神たちは今、非常に怒っている。視ておけばよかった、そうして愛しさ余ってさっさと天に引き揚げさせておくべきだったと。そうすれば末裔たちはこんな目に遭わなかったとね」


 瞳の赤は自分へ向けた怒りだ。白珠たちに向き直った時、その双眸は常と変わらぬ湖の色に戻っていた。


「単刀直入に言おう。祖神たちは近々、地上の天威師全員に強制帰還命令を出す」


 世界を護りたいと思っている真皇族たちが、一斉に青ざめた。


「特に、東の白死神様の怒りは凄まじい。珠歩がここまでずたぼろにされてしまったから。僕だって怒っているよ。僕の宝玉たちを次々と傷付けて行く世界など要らない」

「そんな……」


 白珠が顔色を失くした。レイティも硬い表情で唇を引き結んでいる。秀峰も血の気が引く思いでその言葉を聞いていた。

 だが、ルーディはふっと眼差しを和らげ、その三人を順繰りに見た。


「だけど、そうしたら君たちは気に病むよね。自分たちのせいで天威師が還らされて、世界が滅んでしまうんだって」


 仕方ないなぁと言いたげな苦笑いを浮かべ、続ける。


「だから君たちに免じて、僕は怒りを堪えるよ。東の白死神様にも取りなしてみる。でも上手くいく可能性は低いから、覚悟はしておいてねって伝えに来たんだ。ま、強制送還になったら祖神が総出で慰めるから、地上のことなんてそのうち忘れるだろうさ」


 至高神の愛は限りが無い。底無しの愛情で包み込まれ慰撫され続ければ、どれだけ深い傷でもいずれは癒え、笑顔を取り戻す。多少時間がかかったとしても、それができるという自信と確信を、ルーディはみなぎらせていた。


 それを聞いた秀峰は、力を込めて寝台から起き上がった。酷い目眩と倦怠感が全身を襲うが、構わずに告げる。


「ならば私を連れて行って下さい」

「えっ?」


 ルーディが瞬きした。顔面蒼白になっていた白珠を筆頭に、他の家族たちもこちらを見る。


「私が白死神様とお話しします。私が傷付けられたことがお怒りの大きな要因なのでしょう。ならば私が行って話をします。それに、お祖父様は本心では白死神様にお味方なさりたいのですよね」


 レイティと白珠と秀峰が気に病んで苦しむのが嫌だという一心で、本音を押し込めてこちらに付いてくれるだけだ。


「それでは白死神様を止められません。本気で怒っていらっしゃる方と、渋々意に添わぬことを行う方では、前者が勝つに決まっています」


 だから、自分が行く。白死神の怒りの原因であり、かつ心から世界を存続させたいと思っている自分が行くしかないのだ。


「私を白神様の元にお運び下さい。天威師ならば至高神に目通りも叶うはず」


 ルーディが秀峰を見つめた。心の奥の奥まで見透すように、じっと。そして、一瞬だけ哀しげな表情を浮かべ、すぐに穏やかな表情に戻って頷いた。それは、秀峰が()()()()()()()()だった。


「……そうだね。白死神様を止められるとしたら、多分君だけだ」


 白珠とレイティが秀峰の前に立つ。


「皇家の御子、秀峰。神千国皇帝として命ずる。必ずや白死神様の御心をお宥めし、天威師の強制帰還を防ぐのだ。神の声を聴き、想いに寄り添い、応えてみせよ」

「とても難しいことだが、お前ならきっと正しい道を見つけ出せる。神のお考え、お望み、仰りたいことを感じ取れ。心を開いて本音で神と向き合って来い」


 両親がそれぞれ秀峰の両肩に手を置いた。その温もりが、一本の道のように秀峰の心を照らす。


「はい」


 この場にいる全員の励ましを感じながら頷くと、ルーディがさっと腕を翻した。


「では、行こう。もう白死神様は爆発寸前だ」


 ぐにゃりと視界が歪む。兄上、と悲痛な声で高嶺が呼んだ気がした。


(……ああ、やはりそうだ)


 改めて再確認する。ルーディの哀しそうな顔をどこで見たのか。


 高嶺や白珠を始めとした家族たちが、よく自分に向けていた笑みと同じなのだ。


 切なそうな、寂しそうな顔。自分が出来損ないだからそんな顔をさせてしまうのだと思い、心苦しく感じていた。だが、天威に目覚めたにも関わらず、ルーディは同じような眼差しを向けてきた。


(ひょっとして、出来損ないだからあのような表情をしていたのではない……?)


 ならば、家族たちは何故あんな顔をしていたのだろうか。

 聞いてみたいと思ったが、もうその姿は見えなくなっていた。


ありがとうございました。

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