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119.黇の追想④一泥を超えた大花が咲く

ご覧いただきありがとうございます。

(至高の、御方……?)


 誰のことだろうと思った時、胸の奥がざわめいた。ようやく解放された力が、目覚めた真価が、体から溢れ出そうになっている。その気配だけで、花瓶に生けてあった花や草がたちまち枯れていく。


「な……」


(何だこれは――この力は)


 よく分からないが、これはまずい。


 混乱に陥りかけながらも、秀峰は懸命に力を抑えにかかった。いつか御威に目覚めた時のために、力の制御方法やそれに必要な心の持ち方などは徹底的に教え込まれていた。覚醒の可能性が低くなってもなお、できる形で地道に勉学と修練を続けて来た。教えられたことを実直に研鑽し、洗練し、高めていった。


 周囲からどれだけ馬鹿にされようと、無駄なことだと蔑まれようと、存在すら眼中から外されようと。


 決して挫けることなく、逃げることもせず、歯を食いしばって必死に頑張りを重ねて、重ねて、重ねて、重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて重ねて……小さくても一歩一歩、精一杯足を踏みしめて進み続けて来た。


 今、その成果が大花となって実を結ぶ。


 精密に制御し掌握した力が、秀峰の意に従って鎮まり、ぴたりと大人しくなる。満ちかけていた死の気配が止まり、室内に生気が戻ってきた。


(良かった、抑えられた)


 ほっとした時、部屋の外から凄まじい轟音が響いた。橙色の閃光が扉をぶち抜き、レイティとラウが一目散に駆け込んでくる。


「珠歩!」

「珠歩ー!」


 後ろから白珠と高嶺、ティルも雪崩れ込む。叔父叔母と従弟妹たち、ミアまでがそれに続いた。

 レイティがその場に膝をつき、秀峰を抱え上げた。濃厚な天蜜が一気に流し込まれ、体が楽になる。


「珠歩、珠歩、しっかりしろ。俺の子、俺の宝玉。俺の至宝」

「何故こんなことに。私の対が!」


 ラウも取り縋るようにして泣き崩れる。


(父上、母上、皆)


 また会えた。もう(まみ)えることは叶わないと思っていた家族に。

 奇跡のような出来事に、涙がぽろぽろと流れ落ちる。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめん、なさい……」


 うわ言のように、秀峰は白珠とレイティに向かって繰り返した。言いたくても言えない、もはやその機会も術も与えられないと思っていた言葉を。


「ひ、酷いこと言って、振り払って、料理も落として……申し訳ありません」


 返事は即答だった。両親は些かの迷いもなく断言する。


「良いのです。そんなことは気にしていません」

「お前がいきなり出て行ってしまったから、すごく心配したんだぞ」

「え……」


 てっきり失望され、冷たく拒絶されると思っていた秀峰は、思いもよらぬ返しに頭が真っ白になった。周りを囲むようにしてこちらを窺う家族たち全員から、治癒の力が放たれる。


「珠歩兄上、徴が……覚醒されたのですね」

「やっぱり珠歩兄上がそうだったんだ」


 高嶺とティルが僅かな興奮を孕んだ声音で呟き、皆が同意するように互いに目配せを交わしているが、当事者の秀峰は気付かない。


(皆はどうしてここに……そもそも父上は私を見捨てたはずなのに、何故こんなに優しいのだろう)


 瞬時に治っていく体を見ながら、新たな疑問が湧き上がる。身勝手で自己中心的で利己的な自分は、もはや見捨てられたはずだ。こんな風に、今までと同じように心配してくれて、優しい眼差しを注いでくれるわけがない。


「父上、何故ここに……? だってあなたは私を捨てたと。愛想が尽きたから金など払わないと仰っていたと……父上と念話した大公がそう言っていたのに」

「な、何の話だ。愛想が尽きた? 金を払わない? 大公が俺に念話? 一体何のことだ、何か連絡があったのか」


 目を白黒させたレイティが、確認するように白珠たちを順繰りに見遣るが、皆困惑の表情で分からないと首を振るばかりだ。


「……俺の小さな宝玉。お前は何か思い違いをしているようだ。お前の魂はとても傷付いている。今は無理をせずゆっくり休んだ方がいい。落ち着いたら改めて話そう」


 帝家の者は、宝玉や対の心身に危機が迫れば察知できる。ゆえに、秀峰の精神と肉体が非常事態に置かれていると悟り、場所を割り出して白珠たちと共に駆け付けたのだという。

 だが、監禁場所で1日過ごしても、外界ではほんの少しの時間しか経っていないはずなので、本当に大急ぎで駆け付けて来てくれたのだろう。


「私、は……」


 白珠の優しい瞳に見つめられ、レイティの力強い腕の温もりを感じた途端、張り詰めていた糸が切れ、一気に感覚が遠のいた。


「そうだ、それでいい。このまま眠れ」


 見守ってくれる家族たちの姿が霞み、現の感覚が曖昧になっていく。

 誰かの手がそっと涙を拭ってくれるのを感じながら、秀峰は意識を手放した。



◆◆◆



(まさか私が神託の子だったとは……)


 帝国の意匠に彩られた室の中、大きな天蓋がかかった寝台に横になり、まだ少しぼんやりとした頭で考える。


 正体をなくして眠っていた秀峰が目覚めたのは、あの緊迫の覚醒からおよそ半日後であった。


 北の宮を飛び出してから起こった出来事は、家族たちの調査によりすっかり把握されていた。天威師が関わることは同じ天威師でも見通し難いが、テイヤーと豪栄の記憶を読むことで仔細をつまびらかにしたのだという。

 また、一度は天に戻った疫神も、秀峰のことが気にかかったために地上の様子を確認しており、事の次第を説明をしようと家族たちの元に再度降臨してくれたらしい。秀峰が目覚めた死神の力を即座に抑えたところまで視ており、しっかりとレイティたちに伝えてくれたようだ。


 目覚めた秀峰はそれらのことを聞かされ、今度は逆に天威師たちの側の事情を教えられたのだ。


 至高神からの預言は一つではなかったこと。

 第四の至高神、死神のこと。

 その先駆けであった先帝に続き、秀峰が本命であること。


 なお、死の神が顕現することは、()()()()()()()と表現するらしい。


 実のところ、家族たちは密かに秀峰を死神の有力候補に据えていたそうだ。親族の覚醒状況、潜在的な御威持ちでもなければ有り得ないほどの量の勉学を粛々とこなしている姿、さらに各種の推測材料、天威師の直感などを総合すると、神託の死神は秀峰ではないかというのが共通見解であったらしい。

 だが事前に伝えてしまうと、万が一違った時に失意の底に落としてしまうかもしれない。加えて、死の神のことは極秘情報でもある。ゆえに、覚醒の日が来るまでは何も告げずに見守っていたのだという。


(信じられない)


 夢を見ているのではないかと思いつつ、そっと手をかざすと、確かに天威師の証である虹色を纏った輝きが指先に灯る。美しい黄白の光を眺めながら、眠りから起きて以降のことを思い返した。


(――母上は怒っておられなかった。私を許して下さった)


 目覚めた後、多忙な政務の間をこじ開けて来てくれた白珠に改めて謝罪した。白珠は微笑んで、気にしていない、全て許すと言ってくれた。


『今度はもっとすごい料理を作ってみせます。落とそうと思う気すらなくなるくらい見事なものを』


 そう言ってたおやかに笑う母の瞳は、これまでと同じ慈愛を湛えていた。


(それに、高嶺とも話した)


 両親から絶対安静を命じられた秀峰が休んでいる寝室にそろりと現れた高嶺は、目に見えて落ち込んでいた。神殿で天威を用いて絵を描いたこと、それを秀峰に見られたことを、とても気にしているようだった。


『私は本当に、兄上がお作りになる品が好きだったのです。でも、今回は熱を出されていたので……』


 天威を用いずとも素晴らしい品を作り上げる秀峰を、心の底から尊敬していたのだと言ってくれた。


『これからも……助けていただけますか?』


 恐る恐る聞くその顔は、先程白珠に相対していた時の自分と似ていた。

 しかし、料理をひっくり返して悪罵を吐いた自分は自業自得だが、高嶺は皇族として当然の行為をしただけでであり、何も悪いことはしていない。こんな顔をするべきではないのだ。

 そう思い、できるだけ柔らかな笑顔で答えた。


『喜んで。いつでも、何度でも』


 それを聞いた高嶺が浮かべた、安堵と喜びの入り混じった表情は、いつまでも忘れることはないだろう。


(父上ともきちんとお話ができた)


 一度は見捨てられたと思った父も見舞いに来てくれたので、二人で話をすることができた。それで分かったのだが、レイティのもとにはテイヤーからの念話など来ていなかったのだという。どうやら、秀峰を絶望させるために念話した振りをしていただけであったらしい。


『俺がお前を捨てるはずがないだろう』


 秀峰と話したレイティは、些かの迷いも見せずにそう断言し、忸怩(じくじ)たる表情を浮かべていた。

 テイヤーと豪栄は、これまで必要最小限にしか帝家と皇家に接触して来なかったこと。自国を出てノルギアス家と宗基家が監督している属国に入り浸る期間もあったこと。天威師たちも始まりの神器への対処や神託への対応などで特に多忙であったこと。その他にも多くの要因と時機が重なったことで、動向を察知するのが遅れたことを悔やんでいた。


『お前のためならば世界が買えるほどの金でも惜しくはない。お前がいなくなったら探す。探して探して、見つかるまで探し続ける。例え最下層の神罰牢の果てであっても助け出しに行く』


 温かみを帯びた湖水色の瞳がそう告げるのを見て、不意に涙が溢れて来た。

 もう二度とこの穏やかな碧眼を向けてもらえることはないのだと思っていた。冷たい赤眼で睨まれるばかりになるのだと。

 それが実際は、今までと何ら変わらぬ慈愛の眼差しが注がれている。


(溢れる涙をどうしたらいいのか分からなかった)


 双眸から雫をこぼしたまま困り果てていると、レイティは手巾でそっと涙を拭い、両腕で抱き締めてくれた。


『わ、わだっ……私のこと、怒っておられる、のでは』

『怒っていない』

『あんなこと、したからっ……もう、嫌われて、しまっただろうと』

『嫌わない』

『き……きっと捨てられるって……』

『捨てない。俺はお前を心の底から愛している。怒るはずがない、嫌いになどならない、捨てるなど以っての外だ』


 自身が抱いていた懸念と絶望が、一つ一つ律儀に払しょくされていく。だが、どうしても分からないことがあった。


『私は……母上を傷付けたのに。どうして父上はまだ私を慈しんで下さるのですか? 謝罪を伝えて、母上がそれを受け入れているからですか?』

『違う』


 レイティにとって、己の対であり天命の伴侶であり宝玉でもある白珠は、文字通り最愛かつ絶対の存在であるはず。だが、もしやと口にした予想は簡潔な言葉で否定されてしまった。

 煌めく碧い瞳が、真っ直ぐに秀峰に据えられる。深い深い底すらも見える程に澄んだ色。


『我が妻への愛とお前への愛は、別個であり独立している。俺はただお前という存在を愛している。我が子であるお前自身が愛しくて堪らない。お前がいい、お前でないのならば要らない。お前だから愛している。俺の小さな宝玉』


 その瞬間、秀峰は悟った。

 最愛というのは一人だけとは限らない。複数の者が同列で最上位になることもあるのだ。自分にとって、父と母と兄弟の全員が等しく一番であるのと同じように。

 父にとっては、愛妻である白珠も、愛し子である秀峰も、どちらも至宝なのだ。


(私はきっと、特例で許された。父上にとって愛すべき存在であったおかげで、特別の恩赦が下された)


 無償の愛は、永遠でも不変でもない。いつまでも与えられるわけではない。後でそれに気付いて後悔しても、もう遅い。手から零れ落ちたものは取り戻せない――奇跡が起きない限り。

 だが今回に関しては、その奇跡が起きたのだ。

 秀峰がレイティの宝玉であったがゆえに。自分は一体、どれだけの幸運に恵まれた身なのだろうか。


『俺は過去も現在もこれからの未来永劫も、ずっとお前を想い続ける。決して見捨てたりなどしない。決してだ』


 ぎゅぅと抱き締められ、寝衣越しに伝わる体温と共に、ああそうだったと思い出した。

 臣民の期待が失望に変わり、ことごとく背を向けられ、存在すらも忘れ去られて。色を失くし凍土となり果てた世界の中で――それでも、この腕の温もりはずっと変わらなかった。


『お前は俺の最愛であり、何よりの幸福と誇りだ。よくぞ宗基家当主の甘言を拒んだ。よくぞ神罰牢から世界を護った。あの極限状況の中で、よくぞ目覚めたての天威を完璧に抑え込んだ。よくやった。お前は文字通り真皇族――真の皇族だ。家族全員が心の底からそう思っている』


 それは、最上級の称賛であった。

 一度は失ったと思った愛に抱かれ、秀峰はただ泣き続けた。


 ――それから後は、気が抜けたせいか酷い高熱を出してしまったため、安静命令と共に寝台に押し込まれて現在に至る。

ありがとうございました。

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