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113.やるべきこと

ご覧いただきありがとうございます。

(ひいぃ!)


 全く気配が無かった。内心で絶叫するも、表面上は落ち着いて頭を下げる。


「お初にお目にかかります。橙日帝陛下におかれましてはご機嫌麗しく」

「面を上げろ」


 落ちて来た玉音は、想像よりもずっと柔らかく穏やかな声だった。どこかで聞いたことがあるように思うのは気のせいだろうか。そっと視線を向けると、こちらを見つめる湖水の瞳がどこか懐かしそうな気配を帯びる。


「俺とお前が会うのは初めてではないぞ」

「え?」


(前にもお会いしたっけ? あ、あの鳥とか形代とかを通じて会ったことがあるのか)


 そう考えかけた時、レイティの唇が動いた。


「歓迎する、我が義娘たち。どうか息子を支えてやってくれ」


 唐突に放たれた言葉。だが、以前にも言われたことのある言葉。


「……あ!」


 そうだ、斎縁家の養女になった時の挨拶の席で言われた。


 御簾越しではあったものの、義父となった斎縁家先代当主から直々に声をかけられたのだ。では、あの時御簾の内にいたのは――


「お、お義父様……」


 無意識の内に声が転がり出る。同時にもう一つ思い出した。蒼の使徒が出てくる記憶を視た時のことだ。

 木の上にもう一人、蒼の使徒以外の誰かがいた。とても優しい口調で話していたあの声は、眼前のそれと同じものだった。レイティの双眸がきらりと輝く。


「思い出してくれたか」


 こちらの様子を見守っていた秀峰が、ボソリと呟く。


「あの時は驚きましたよ。父上は公務の予定が入っておられたので形代を用意していたはずなのに、本人がいらっしゃったのですから」


 ヴェルが淡く微笑し、義娘に会いたくて急いで公務を片付けたんだ、と返事をする。そして再び明香を見据えた。


「我が義娘、もしも私事で俺の名を口にすることがあらばヴェルと呼べ。義娘には秘め名(シークレット・ネーム)を呼ぶことを許そう」

「――光栄の至りにございます」


 秀峰が持つ始まりの神器の様子を確認していた白珠が、何故か不貞腐(ふてくさ)れたようにレイティを睨んだ。


「こら、抜け駆けをするな。――その、なんだ。私のことも私的な場では義母と呼んでいいのだぞ」


 後半は明香に向けた言葉であった。


「はい、ありがとうございます」


(お義父様とお義母様には、何度も手紙をやり取りして色んなことを教えてもらった)


 レイティが碧眼を向けてくれる上に秘め名を呼ぶことを許し、名実ともに身内として認めてくれているのは、その交流があったからだろう。もしかしたら明香が知らない内に、形代を通じてより深い接触をしていたのかもしれない。


(本当に……天威師が総出で私を育んで下さってたんだ)


 真皇族と真帝族が総力を挙げて明香を護り、愛し、支え、導いてくれていた。自分はとても多くの縁に恵まれていたのだ。


「紅日皇女」

「――はい!」


 感慨に耽っていると、たおやかな声に名を呼ばれた。和んでいた表情を引き締めた白珠が、真っ直ぐにこちらを見据えている。


「始まりの神器はもう限界だ。このままではその機能を果たせなくなり、天威師は天に強制送還させられる。それを回避するために、そなたの力が必要なのだ」


(私の?)


 一度瞬きした時、側に立つ秀峰がじっと視線を注いでいることに気が付いた。目が合うと、小さな頷きが返って来る。


(……もしかして義兄様が言ってた、私にやって欲しいこと?)


「承知いたしました。何をすればいいのでしょうか?」


 自分にやれることならば尽力は惜しまないという気持ちを込めて尋ねると、凛とした声が返って来た。


「ありがとう。――神千国皇帝として紅日皇女に命ずる。日神の力をもって始まりの神器を修復するのだ。今すぐに、この場で」

「……」


 明香は一つ学んだ。結局は受けるしかないにしても、まずは詳細を聞いて心の準備をしてから(だく)の返事をした方がいいと。はいと答えたところにとんでもない内容が振りかかれば、冗談抜きで心臓発作を起こす。


(始まりの神器を修復? 私が? 初代陛下が創られた物を? 三千年の歴史がある神器を?)


 ぐるぐると思考が回るが、同じところに留まったまま、一向に前に進んでくれない。

 白珠が気遣うように言葉を継いだ。


「突然のことで驚かせてしまったな。だが、初代陛下と同じ日神の神格を持つそなたしかできぬのだ。陽神では出力が足りず、他の神格では力が適切に馴染まない」


(そ、それなら……)


 明香はラウとレイティを見た。この二人も日神だ。それも、自分よりも遥かに力を使いこなしている。

 だが、現実は無情だった。視線を向けられたラウとレイティが、すまなそうに言う。


「私も日神だが、帝家の者ゆえに力の波動が苛烈すぎる。始まりの神器の穏和な天威とは上手くかみ合わないのだ」

「俺に至っては荒神だからな、もっと酷い。下手をすれば弱った神器をショック死させかねん。皇家の太祖が創られた神器に合わせるには、やはり皇家の力でなければ不具合が起きてしまう」


 つまり、消去法で明香しかいないということだ。


(ひいぃぃ!)


 余りに責任重大な事態に、立っている床が崩れていくような錯覚に陥った時。

 高嶺と秀峰が両側から体を支えてくれた。


「そなた一人でやらせるわけではない。私たちも可能な限り力を貸す」

「私も死神として最後の仕上げをする。皆で一緒にやるんだ」


(一人でやるわけじゃない……皆で一緒に……)


 その言葉に辛うじて気力を持ち直し、恐る恐る周囲を見回す。床に転がされた豪栄は、先程レイティに睨まれたことが堪えたのか、白目を剥いて気絶していたのでそのまま無視する。

 豪栄以外の皆は――天威師たちは、全員が励ますようにこちらを見ていた。その眼差しが、一様に告げていた。

 自分たちも力を合わせる。共にやる、と。

 その声なき声に、立ち竦みそうだった背を強く押される。


「――はい」


(やらなきゃ。だって私しかできないんだから。怖くても進まないといけない。足を踏み出さないと。大丈夫、落ちそうになったら皆が助けてくれる)


 震えそうになる唇を引き結んで首を縦に振る。


(高嶺様)


 とっておきの呪文を唱えながら、安心成分を求めて高嶺を見た。どれほどの苦境に陥っても、彼の名を呼び、その姿を思い浮かべると力が湧いてくる。

 彼にとっての自分も、そういう存在になれるだろうか。

 高嶺がそっと手を握ってきた。その温もりは何よりも強く大きな支柱となり、怖気付いて震える心を力づけてくれる。


(ああ、やっぱりこの方だ)


 深い夜と同じ色をした黒眼は、絶え間なく光り続ける太陽すらも包み込み、安らぎを与えてくれる。明香の輝きが、闇の最奥まで照らし出して高嶺を明るみの下へ引っ張って行くように。

 互いが互いを欲し、求め、想い合っている。


(私と高嶺様は、共に添うべくして生まれたんだ)


 紅の天威が輝き、活力と希望が満ちる。

 藍の天威が煌めき、安息と平穏が満ちる。


 奇跡の権化(ごんげ)と言うべきまでの呼応と調和を以って融け合い、高め合う二つの波動。それは、明香と高嶺が真実天が定めた伴侶である証であった。

 皆が瞬くことも忘れ、ただそれに魅入られていた。


「蒼月皇陛下。ご勅諭、確かに拝命いたしました。必ずや神器を修復してみせます。皇族として、皇女としての務めを果たします。――世界を滅亡させたりなどいたしません」


 蒼き皇帝に向かって言い切ると、信頼と奨励を湛えた頷きが返って来た。


「その言葉を嬉しく思う。どうか頼んだ」

ありがとうございました。

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