109.何も気付いていなかった者
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「な、何?」
突如として走った目を焼くような爆光に、明香は条件反射で身構えた。だが、瞬時に力を抜く。
螺旋を描くようにして迸る、大きく深く熱く、そして力強い天威。
この天威は知っている。これは味方だ。
「橙日帝陛下がいらっしゃいました」
先程までの怒りを消し去った高嶺が、嬉しげな表情に転じて秀峰を見た。
「ああ」
頷いた秀峰も安堵を浮かべて殿舎の外を窺っている。
(やっぱり今の、橙日帝陛下のお力だったんだ)
「わしを無視する気か、無礼な!」
豪栄が目を血走らせて叫ぶ。綺羅が冷めた眼差しを据えた。
「本来であれば何もせずとも礼を表されるはずの者が、その器量不足ゆえに自ら敬意を払えと求めなくてははならない。何とも惨めだと思わないか」
豪栄が宗基家当主として相応しい器を有していたならば、周囲は自然と傅く。例え皇族であろうとも、三千年来の忠臣に対してひとかどの配慮は示していただろう。少なくとも、このように冷然と無視をされることはなかったはずだ。
それを成し得ないのは、この男の未熟さゆえだ。
「この小僧がっ。わしは、わしは奇跡の御子の父親であるぞ!」
ぎりりと歯を食いしばる豪栄に、綺羅は憐れむように首を振った。
「何も気付いていないのだな。自身の娘のことすらろくに見ていない」
まるでそれが合図となったように、殿舎の扉がぎいぃと開き、幾つかの人影がしずしずと入ってきた。
「恵奈……?」
豪栄がぽつりと呟く。恵奈、松庵、そして白珠とよく似た美しい女性が、連なるようにして現れる。
(松庵様、大神官様! ……と、誰?)
白珠や高嶺によく似た女性。どこかで会ったことがある気がするのはその容貌ゆえだろうか。
明香と目が合った女性は、ふふっと笑った。その笑顔に、やはり既視感を抱く。
恵奈が高嶺と秀峰に向かって一礼する。
「到着が遅れましたことをお詫び申し上げます。念のため、特別区以外の……新宮と離宮、一位貴族に貸与している至高神の神器に封をしておりました」
「ああ、助かった。礼を言う」
高嶺が小さく微笑んで応じた。秀峰は何故か松庵と女性に頭を下げている。
「恵奈、何故ここに――いや、そんなことは後だ。早くお父様を助けなさい、お前は皇族にも匹敵する最高神の申し子なのだよ!」
下手な猫なで声を飛ばす豪栄に、恵奈は可憐に微笑んだ。鈴を転がすような声で囀る。
「まあ、何を仰るの。奇跡の御子は確かに擬皇族と並ぶ存在だけれども、真皇族とは同じ土俵にすら立てないではないの。立場を弁えなさいな、下郎」
「な……」
ふぅと小さな溜め息を吐き出した桜桃のような唇が、不意に小さくつり上がる。
「あなた、本当に何も気付かなかったのね。最初から最後まで、疑問すらお持ちにならなかった。せめて僅かでも異変を感じていれば、最後の情は得られたかもしれないのに」
肩をすぼめて呆れ返るように呟き、後ろを振り返って松庵と女性に同意を求める。
「ねぇ、そう思いませんこと?」
「おかしいと気が付くようであれば、ここまで堕ちはしなかったでしょうよ」
「きっと己の娘すら都合のいい道具でしかなかったのね」
松庵が懐から取り出した扇子を優雅に閃かせながら言い、女性も衣の袖を口元に当ててばっさりと切り捨てる。綺羅がぴしゃりと言った。
「ええ。奇跡の御子という希少で高価な道具ゆえに、丁重に扱っていただけ。大神官も可哀想に」
「まぁ」
それを聞いた恵奈がころころと笑う。綺羅へと向けた瞳には、確かな親愛があった。
「あの子は既に割り切って前に進み出しているわ。もう父親への情も期待も枯れ果てて一滴も残っていないもの。お分かりでいらっしゃる癖に」
「なにを……恵奈、先程から何を言っているのだ」
訳が分からないと、豪栄が掠れた声で唸る。恵奈の丸く大きな目が、逆さまの三日月の形に曲がった。一見すると慈悲深い笑みは、同時に心胆からぞっとするような空恐ろしさをも纏っている。
「何を言っているとはこちらの台詞。私はあなたの娘ではないわ」
瞬間、その姿が揺らぎ、別人に変貌する。元から並外れて美しかった容貌は大人びたものになり、人外の域に達した美しさにまで進化して咲き誇った。きりりとした目元、意思の強さを示すように引き結ばれた唇、すっと通った鼻筋は、クルーセラの凛とした容貌を連想させる。明香の胸の奥が疼いた。弱いながらも共鳴している。
「はぁっ!?」
豪栄が素っ頓狂な声を上げた。
明香も危うく同じような反応をしそうになったが、皇女としての矜持で堪え、何食わぬ顔で平静を保つ。もしここに高嶺と秀峰しかいなければ、『ぎゃあ変身したぁー!』と指差して叫んでいたかもしれないが。
「な、な、何故あなたが――纁朏皇女殿下!」
裏返った声が室内をつんざいた。
(纁朏皇女!)
内心の驚愕を押し殺し、明香は品位を損なわぬ範囲でゆったりと女性――纁朏皇女に視線を向けた。急いで脳内の皇族図鑑を引っ張り出してめくる。
(ええと、綺羅様の妹君に当たられる真皇族のはず。綺羅様より一つ下で、私と同い年だっけ)
「け、恵奈は!? わしの奇跡の御子は!?」
「このような時くらい娘と言ってやったらどうなのだ」
高嶺がぼそりと言う。
当の纁朏皇女は豪栄の悲鳴を華麗に無視し、にこやかに明香に向き直った。
「この姿でお会いするのは初めてにございますね。改めてご挨拶申し上げます。私は纁朏の称号を賜っております、紗羅にございます。私的な場では、どうか名でお呼び下さいませ」
「ご丁寧にありがとう。こちらこそよろしくお願いいたします」
かつて義兄から叩き込まれた指導の成果により、思考が停止していても口が勝手に答えてくれる。何とか状況を把握しようと視線をさ迷わせ、ふと松庵の方を見ると、怜悧な眼差しで豪栄を射抜いている姿が目に入った。
ありがとうございました。




