第6話 「由汰くん」と「奏子」
学校からの帰り道。茜色に染まった空の下。
俺と水撫は河川敷の並木道を歩いていた。
「〈ヘルブレイズ・ビースト〉の魔法スキルを発動して、水撫の〈水蝶の剣士・メルル〉と〈グラシアル・スネーク〉を撃破。1000ダメージだ」
「むぐぐ……!」
「これでおまえのエレメントは全滅した。あとは手札から強襲スキル〈サンダーストーム〉を発動して、俺の勝ちだ」
「待つのです。私は手札から防御エレ……」
「無駄だ。おまえのHPは0になっている」
「あれれ? そうでしたっけ?」
「そうだ」
「むむ〜!」
ぷくっと頬を膨らませる水撫。この顔を見るのは今日で何度目になるだろう。前髪のせいで瞳は見えなくても、だんだん可愛く思えてきたから不思議だ。
「佐藤くん、ひょっとしてズルしてないですか? 私の計算ではHPはあと300以上は残っているはずなのです」
「いや、計算違いだ」
「ああ〜! やっぱり実物のカードが要るのですよ。こんなイメトレみたいな対戦では、私の真価は発揮されないのですよぉ!」
「単純に記憶力の問題だと思うぞ?」
頭をガリガリと掻きむしっている水撫。これは俺が昔にやっていた練習法で、手札の枚数を記憶しつつ、デッキに編成されているカードの範囲内で好きなエレメントを召喚して対戦する。常に最善の手が打てるので、デッキへの理解が急速に深まる。
「はぁ〜。佐藤くんは、やっぱりめちゃくちゃ強いのですよ。私……やっと追いつけたと思ったのに、まだまだ遠い存在なのですね」
放課後も最終下校時刻まで対戦していたが、水撫はまるで俺に勝てなかった。理由は明白なのだが、この様子だと、まだ気づけていないようだな。仕方ない、ちょっと教えてやるか。
「水撫、はっきり言っておくが、おまえのキャスターとしての技量は、ちゃんと上級者の域にあるんだぞ?」
「え!?」
驚いて顔を上げた水撫の白い頬が、ほんのり朱に染まっている。こいつはちょっと褒めるとすぐ照れる。まあ、そういうところも可愛いとは思うが。
「それは……どもどもなのです」
「問題は技量ではなくデッキの編成にあるんだ。おまえの戦略は〈アクアドラゴン〉以外の勝利パターンが無い。そのせいで、攻撃力の低いデッキになってしまっている」
「でもでも、〈アクアドラゴン〉はとっても強い子なのですよッ!?」
「べつにおまえの切り札を否定してるわけじゃない。ムキになるな。だが、俺に勝ちたいなら、いま一度編成を見直さなきゃダメだ。サーチじゃないぞ。ちゃんとダメージがとれる強力な上位エレメントを編成しろ」
「強力な……上位エレメントですか?」
「そうだ。おまえはカードのコントロールが上手いから、水属性との相性は抜群だ。それを活かして『手札の枚数』や『味方エレメントの数』を召喚条件にもつ上位エレメントを編成しろ。そうすれば、おまえはもっと強くなれるはずだ」
「うう〜ん。〈蒼狼のヴァルクロス〉? それとも〈リヴァイアサン〉あたりでしょうか?」
一生懸命に考えている水撫が微笑ましくて、ついつい頬が緩んでしまう。よしよしと頭を撫でてやりたくなる。だが、そんなことはできない。なぜなら俺は誓ったからだ。
この恋愛において主導権を握ってやる……と。
そもそもこの状況は、水撫の告白(ゴリ押し)によって始まっているのだから、俺の好感度は0であって然るべき。俺とラブラブな関係になりたかったら、まずは水撫のほうが頑張って好感度を上げていくのが道理というものだ。
……まあ、せいぜい頑張るんだな、水撫よ。俺の好感度を上げるのは難しいぞ? なぜなら、俺はこの絶対的優位な状況をそう簡単に手放すつもりはないんだからな。基本、おまえには塩対応をしてやるつもりだ。フッ、覚悟しておけよ?
水撫が、パッと俺のほうを見た。
「あ! 私、閃いちゃったのです!」
「なんだ?」
「佐藤くんに勝てるエレメントを、佐藤くんが教えてくれればいいのですよ。さあ、私に教えるのです。私は、どんなエレメントを編成すればいいのですか?」
「ふざけるな。自分で考えろ」
「え〜!!」
「言っておくがな、水撫、俺は弱い奴が嫌いなんだよ。明日までにデッキが強くなってなかったら、もう勝負してやらんからな?」
「そ……それはダメなのですよぉ〜!」
「だったら死に物狂いで強くなれ、以上だ!」
俺はスクールバッグを肩にかけなおし、足早に歩きだした。置いてきぼりにされた水撫が「待つのですよぉ〜!」と小走りで追いかけてくる。
『私のことを思い出してほしいのです』
放課後の図書室。秘密めかして人差し指を唇にあてるポーズをしながら、水撫はそう言った。思い出せなんて言われても、なにも覚えてないんだから困るのだが?
だが、まったく手掛かりが無いわけでもない。水撫から貰ったデッキだ。初めてにしては妙に馴染むので気になっていたが、思い出した。あれは、俺が中学1年生のときに使っていたものと完全に一致しているのだ。
中学1年生の……夏休みだったはずだ。その当時、俺はTCG専門店『ランページ』の常連客だった。水撫もそこにいたのだ。彼女は俺のすぐそばで何度も対戦を見ていた。だから、デッキを完コピすることができた……そう考えるのが自然だろう。
……だが、おかしいのだ。
俺は記憶力には自信がある。『ランページ』の常連客で、女の子は2人だけだった。山野辺と和泉だ。顔もちゃんと覚えている。そこに水撫奏子はいなかった。ならば、どうやって俺のデッキを作ったというのか?
そのとき、ドンッと肩をぶつけられた。
振り向けば、膨れっ面の水撫。
「んもうッ! 佐藤くんは速いのです。歩くペースは私に合わせなければならないのです」
「断る。俺ははやく帰りたいんだ」
「ダメです。いまの私はあなたの大切な恋人なのですから、もっと私を大事にしないといけないのですよ?」
言いながら、水撫は俺の腕に抱きついてくる。肘に襲いかかってくる、ふにゃりとした柔らかな感触。この正体不明の女は、相変わらず距離感が狂ってやがる……!
くそッ……!
なんなんだよ、おまえはッ!?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
河川敷の並木道から閑静な住宅街に入り、帰路は、さらに駅前の繁華街へと続いていく。店から溢れる音楽と車の走行音に挟まれた、騒がしい歩道を歩いていく。
普段は気にならないカップルたちの姿が、今日はやけに目につく。手を繋いでいる連中もチラホラいるが、女の子が腕に抱きついているようなバカップルは、俺たちだけだ。
いい加減に離れろよ、水撫!
恥ずかしいだろうがッ!
「あ! そうなのですよ、佐藤くん!」
「おい、いきなり耳元で声をあげるな!」
「名前なのです」
「はぁ? 名前?」
水撫はひょんひょんとスキップすると、くるっと反転。膝丈のスカートがふわりと広がった。それから、ビシッと俺を指差して宣言する。
「私は、これから佐藤くんのことを『由汰くん』と呼ぶのです。私たちは恋人同士なのですから、名前で呼び合うべきなのです」
「好きにしろ」
俺は構わんぞ。
おまえが呼ぶ分にはな。
「では……」
勿体ぶってコホンと咳払いをして……
「由汰くん」
名前を呼ばれた瞬間、その声音に込められた水撫の愛情に触れたような気がして、急激に恥ずかしくなった。
「まあ……いいだろう。一文字短くなって効率的ではあるな」
俺はそそくさと歩きだそうとしたが、水撫がサッと動いて通せんぼをしてきた。おい、邪魔だ。
「どけ」
「名前で呼び合わなければならないのです」
「……」
俺にも『奏子』と呼べというのか? 馬鹿め。それはもうちょっと好感度を上げてからだ。無視して横を抜けようとしたが、またサッと動いて阻まれた。左右にフェイントを入れて揺さぶってみたが、完全に動きを読まれていた。
ぐっ! こいつ……!
俺が名前で呼ぶまでここを通さんつもりだな!
「……奏子……。どうだ、これで満足か?」
舌打ち混じりにそう言ってやると、奏子は、前髪の下の唇に笑みを咲かせながら「はい♡」と頷いた。頬が朱に染まっている。
「……」「……」
初めて名前で呼び合って、お互いに顔を赤らめている俺たち。なんだ、この微妙な空気は? まるで初々しいカップルそのものじゃないか。名前で呼ばれたのは嬉しかったし、頬を染めて微笑んでいる奏子も可愛くて、ついつい頬が緩みそうになる……!
……駄目だ、笑うんじゃないッ!
ここで笑ったら負けだ。恋愛の主導権は俺が握ると誓っただろうが。これまで幾度となく女の子から好意を寄せられたことはあるが、自分から好きになったことは一度もない。実際に告白されて交際にまで至ったのは、これが初めてだ。俺は、女の子にアプローチする方法なんて知らん。この絶対的有利な状況を手放したら終わりだぞッ!?
俺は顎にギュッと力を込めて、どうにか耐えてみせた。スクールバッグを肩にかけなおし、さっさと歩きだす。
「いくぞ、奏子ッ!」
「由汰くん♡ 由汰くん♡ 由汰くん♡」
「無意味に名前を連呼するな。あと腕に抱きつくのもやめろ。バカップルに見えるだろうがッ!」
「私たちは恋人同士なのですから、これでいいのですよ」
「よくない。俺のプライドに関わる問題だ」
「ダメです。由汰くんは歩くのがちょっと速すぎるのです」
「おまえが遅いんだ。人のせいにするんじゃない」
だが、奏子は俺の腕を放してくれず、おかげで繁華街を歩いているだけで疲れた。つい昨日までそこにあった平凡な高校生活が嘘みたいだ。
「あ! そうなのですよ、由汰くん!」
「だから、いきなり耳元で声をあげるなと言っただろうがッ!」
「買うのですよ!」
「なにをだ!?」
「コンビニに行くのです!」
「おい、引っ張るな!」
なんて馬鹿力だ、まるで対抗できん。奏子に腕を引っ張られて、コンビニの自動扉をくぐると、連れてこられたのはお菓子が陳列されている棚の端。そこには、各種TCGのブースターパックが売られていた。
「はい、由汰くん」
奏子から手渡されたのは、もちろん『ディバイン・ストーンズ』のブースターパック。だが、俺はかぶりを振った。
「俺には必要ない」
「ダメです。今日は私と由汰くんの恋人記念品なのですから、私と一緒に『開封の儀』をしなければならないのです」
「開封の儀……だと?」
よくわからんが、奏子はさっさと自分のブースターパックを買って店を出ていってしまった。1パック500円だと? 俺の記憶では480円だったはずなのに、いつの間にか値上がりしてやがる。これは完全に余計な出費だ。
「では……これより開封の儀を始めるのですよ。私と由汰くんのキャスター人生に、永遠に幸あらんことを」
「大袈裟な奴だな……」
コンビニの駐車場の片隅で向かいあいながら、奏子はブースターパックの端を指で摘んだ。俺にこくりと頷きかけて……
「せーの!」「……」
2人で揃ってパックの包装を破って、ビリッという音が同時に響く。現れたカードを手札のように広げると、新品のカードに特有の匂いが鼻についた。
……ふと、懐かしい記憶が脳裏に蘇ってくる。そういえば、俺も昔、まだカードを始めたばかりの頃は、こんなふうに学校帰りにコンビニに寄ってブースターパックを買っては、封入カードに一喜一憂していた。
「どうでした、由汰くん?」
「べつに……どうもこうもない」
俺のカードを覗き込んでくる奏子。ぴったりと肩が触れる。人目も憚らずバカップルを経験させられた後なのだ。もはやこれしきのことでは動じんぞ?
「おおッ! URじゃないですか、おめでとうございます。火属性のカッコイイ子を迎えることができましたね」
「俺はどうでもいい。それより奏子は?」
「私は……内緒にしておくのですよ。また明日、新しく迎え入れたこの子たちと一緒に、由汰くんと対戦するのです」
「ふん。期待しといてやる」
俺は2人分のブースターパックの包みをゴミ箱に捨てた。振り返ると、カードを見ながら楽しそうな笑みを浮かべている奏子。俺は肩をすくめる。いま、彼女の前髪の向こうにある瞳も、きっとキラキラと輝いているんだろうな。
……あの頃の俺のように。




