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行方不明とされた令嬢は、隣領で静かに商会を立て直していた  作者: 九葉(くずは)


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レナートの縁談帳

フォルクマー家との縁組がどうもぎくしゃくしているらしい、という噂が、レナートの耳に届いたのは十日ほど前のことだ。取引先の男爵から世間話のついでに聞かされた時、レナートはさして気にも留めなかった。縁談というものには、多かれ少なかれ波風がつきものだ。四年も続いた婚約であれば、なおのことだろう。エルンストの側にも思うところがあるのかもしれないが、それはフォルクマー家の内輪の事情であって、こちらが口を挟む筋合いのものではない。


娘が領地の湯治場で療養しているという話を、レナートは特に疑わずに受け止めていた。エルンストからの手紙にも、そう書かれている。多少の伏せ事はあるにせよ、体面のための言い回しだろうという程度の認識でしかなかった。実際のところ、フィーネがどこで何をしているのか、レナート自身も詳しくは把握していない。娘のことは、娘に任せておけばよい。長年、そう考えてきた。フィーネは幼い頃から手のかからない子で、頼めば何でも黙ってこなす。心配する理由など、これまで一度もなかった。


夜会の席で、その認識に小さな亀裂が入った。


会場に着くなり、レナートはいつもと違う視線をいくつか感じていた。挨拶を交わす顔ぶれの中に、こちらの様子を窺うような素振りを見せる者が混じっている。気のせいだろうと自分に言い聞かせたが、旧知のブランシュ夫人に扇の陰から声をかけられた時、それが気のせいではないと悟った。


「フィーネ様は、近頃はご自分で縁談をお進めになっているんですって。フォルクマー様のお家とは、少し間が空いているようですけれど」


言葉そのものに棘はない。むしろ、気遣うような口調ですらあった。それだけに、レナートは即座に言葉を返せなかった。娘が湯治場で療養している、という説明は、この場では一切通用しない響きを持って耳に届く。夫人の視線の奥に、憐れみとも好奇心ともつかない色が揺れていた。


「いろいろと、立て込んでおりまして」


そうとしか答えられなかった。夫人は品よく微笑み、それ以上は踏み込んでこなかったが、その微笑みの奥に何かを見透かされたような居心地の悪さだけが残る。会場を辞去するまでの間、レナートは誰と目を合わせても、同じ問いを向けられるのではないかという落ち着かなさを拭えなかった。


帰りの馬車に揺られながら、レナートは今夜のやり取りを反芻した。フィーネがいれば、こういう場でどう受け答えするべきか、いつも先に助言をくれていた。誰に何を聞かれても困らないよう、事前に想定問答のようなものまで用意してくれていたことすら、今になって思い出す。あれを面倒な世話焼きだと思っていた時期もあったが、今夜のような場では、その用意のありがたみが身に染みた。


屋敷に戻ると、レナートは書斎に籠もり、隣家から届いていた新しい縁談の打診に返事をしたためようとした。フィーネの縁談が滞っている今、次善の策として、遠縁にあたる子爵家との縁組を進めておきたい。要件そのものは単純だ。


棚の隅に、ラング家に代々伝わる縁談帳があった。婚姻や縁組の経緯を書き残しておくための、形式だけの帳面だ。藁にもすがる思いで開いてみると、日付と相手方の家名が申し訳程度に記されているだけで、肝心の条件や駆け引きの中身はどこにも書かれていない。フィーネがどうやってあれほど滑らかに縁談を進めていたのか、この帳面には欠片も残されていなかった。結局、彼女は何ひとつ紙に託さず、すべてを自分の頭の中だけで動かしていたのだと、今さらながらに思い知らされる。


ペンを取り、便箋に向かう。書き出しの一文からして、手が止まった。


「先日は御多用のところ」まで書いて、続きが出てこない。相手方の格式に見合った挨拶の言い回しはどうあるべきか。こちらの事情を、どこまで正直に、どこまで曖昧にぼかして伝えるべきか。過去に交わした約束事があったかどうかも、正確には思い出せない。フィーネはいつも、こうした文面をどこかから引っ張り出すように、すらすらと仕上げていた。相手の家の気質や、過去のやり取りの機微まで踏まえた上でのことだったのだろうと、今になって推し量る。


書いては直し、直しては破ることを、何度繰り返しただろうか。まともに一通も仕上がらないまま、蝋燭の芯が短くなっていく。従僕に清書役を頼もうかとも考えたが、そもそも下書きの体を成していない文面を、誰に見せられるものでもなかった。


これまでの縁談は、すべてフィーネが取り仕切っていた。相手方への手紙も、条件の詰めも、断りの返事すらも。レナートは、ただ最後に署名をするだけだった。それで十分だと、これまでは疑いもしなかった。娘がいなくなって初めて、自分がその署名以外の何ひとつ担っていなかったという事実に思い至る。


フィーネが縁談を進めたいと自分から言い出したことは、一度もなかった。頼まれるままに、こなしていただけだ。そのことに、今夜まで気づきもしなかった自分がいる。苛立ちまぎれに、レナートはペンを置いた。書きかけの便箋を丸め、屑籠に放る。窓の外はすでに白み始めていた。


縁談の返事を自分で書いたことがない、と気づいたのはこの朝が初めてだった。

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