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冬に咲く薔薇は、誰のものでもない ── 愛と支配の物語 ──  作者: 宵待 桜


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Chapter One La Rose et l'Épine


誰かが焦っている。


それに気づいたのは、茶会が始まって一時間ほど経った頃だった。


伯爵夫人の邸宅の庭園は、この季節になると薔薇が盛りを迎える。


白いテーブルクロスの上に磁器のカップが並び、柔らかな午後の光の中で令嬢たちが笑い声をあげている。


絵のように美しい光景だ。


そしてその美しさの水面下で今日も誰かが誰かの評判を傷つけ、誰かが誰かの縁談を妨害しようとしている。


私はそれを眺めながら、紅茶を一口飲んだ。


今日の収穫は悪くない。


宰相派の重鎮が先月の外遊で交わした密約の断片、新興貴族の令息が抱える借金の噂、そして王太子の側近の一人が最近ひそかに会っている人物の名前。


どれも単体では大したことではないが、組み合わせれば盤面が見えてくる。


情報とはそういうものだ。


一枚一枚は薄い紙でも、重ねれば鎧になる。


そして今、誰かがその鎧を脱がせようとしている。


さりげなく、しかし確実に視線を感じていた。


私の方をちらちらと窺う視線が、さっきからずっと同じ方向から届いている。


顔は上げず気づいていないふりをしながら、紅茶のカップを傾ける角度でさりげなく確認した。


イザベル・クレモン。


ああ、あの方でしたか。


確か、王太子の婚約者候補として名前が挙がっていた令嬢だ。


今はもうその話もない。


詳しい経緯は覚えていないが、社交界での評判が何かの拍子に傷ついて、立ち消えになったのだったと思う。


彼女が私を恨んでいるという話は耳に入っていた。


恨まれる心当たりがないわけではないが、特に気にしたこともなかった。


やがて彼女は意を決したように立ち上がり、こちらへ歩いてきた。


私は微笑みを作った。


彼女が三歩近づく間に、表情を選ぶ。怖がらせてはいけない。


かといって親しすぎてもいけない。

ちょうど、社交辞令の温度で。


「ミシェルローズ様」


私は少し驚いたふりをした。


「まあイザベル様。お久しぶりですわね。お元気でしたか」


彼女の頬に微かな赤みが差した。


怒りか、緊張か、おそらく両方だろう。


それでも彼女は笑顔を崩さなかった。


「ええ、おかげさまで。……少しよろしいでしょうか。二人で、お話ししたいことがあって」


断る理由はなかった。


私はカップをソーサーに戻し、彼女と連れ立って人垣から少し離れた場所へ移動した。


薔薇の垣根の近く、他の令嬢たちの声が届かない程度の距離。


彼女がその場所を選んだことが、すでに多くを物語っていた。




✦ ✦ ✦




イザベルは声を低くした。


庭園の笑い声の下に沈めるように。


「単刀直入に申し上げます。ミシェルローズ様は最近、あまり深入りしない方がよいものを、お調べになっているようですわね」


「何のことかしら」


「とぼけないでください。あなたなら分かるはずです。手を引いてください。関わってはいけないことがあります」


彼女の声に、抑えきれない感情が滲んでいた。


なるほど…と私は静かに彼女を観察した。


指先が微かに震えている。


瞳に怒りと、それ以上の量の恐怖がある。


これは彼女自身の意志で来たのではなく誰かに言わされている。


それも、断れない相手に。


「心配してくださるのは嬉しいですわ。でも私が何かを調べているとおっしゃるのなら、どのようなことをご存知なのかしら。あなたはそれを、どちらで聞かれたの」


すると彼女の顔色が変わった。


私が関わっているものを知っている人間は、限られている。


イザベルがそれを知っているということは、その限られた人間の誰かが彼女に話した。


わざわざ彼女を使者に選んだのは私が彼女を軽く扱うと思ったからか、あるいは私に対して感情的になると読んだからか。


どちらにせよ、ずいぶん甘い判断だ。


「……言えません」


一歩、近づくと彼女の肩がわずかに強張った。


「そうですか。では、こちらからひとつだけ申し上げますわね。私に警告を届けるよう頼んだ方に、お伝えください。手紙か使者を直接よこした方が、まだ誠実でしたと」


イザベルは何も言わなかった。


言えなかったのだと思う。


彼女はやがて短く会釈をして、足早に立ち去った。


薔薇の垣根の向こうへ消えていくその背中を、私はしばらく眺めた。




✦ ✦ ✦




誰かが焦っている。


それはつまり、私が掴んだものが本物だということだ。


誰かを動かすほどの重さがある。

わざわざ人を使って警告を寄越すほどに。


私はゆっくりと元の席へ戻りながら、頭の中で情報を並べ直した。


宰相派の密約や新興貴族の借金。


そして王太子の側近が密かに会っていた人物の名前はダリウス・ヴォーン侯爵。


一枚一枚は薄い紙でも、重ねれば鎧になる。そして今、その鎧の形が少しずつ見えてきていた。


これは面白い。


恐怖は感じなかった。


危機感も、さほど。


ただ、知的な昂りに近い何かが静かに胸の底で灯った。


これだから社交界はやめられない。


盤面が複雑なほど、駒を動かす手が冴える。


席に着いて、冷めた紅茶を一口飲む。


次に誰が動くのか、それを待てばいい。


私はそう思っていた。


まだ、その時は。




✦ ✦ ✦




茶会から戻ると、マルグリットが部屋で待っていた。


幼い頃から私の側にいる侍女だ。


物心ついた時にはすでにそこにいて、今も変わらずそこにいる。


私が泣けば一人にしてくれて、機嫌が悪ければ黙って距離を置く。


主人を崇拝も恐怖もしない、この邸で数少ない人間のひとりだった。


「お帰りなさいませ。お顔の色がいいですね」


「そう見える?」


「何か面白いことがあったのでしょう」


私は答えなかったらマルグリットはそれ以上聞かなかった。


彼女はそういう人だ。


無理に踏み込まず、ただ全部分かった上で黙っている。


支度を解きながら、私は今日のことを頭の中で整理した。


イザベルが動いて、そして誰かに言わされた。


その誰かは、私が何かを調べていることを知っている。


面白い夜になりそうだと、私は思った。


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