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冬に咲く薔薇は、誰のものでもない ── 愛と支配の物語 ──  作者: 宵待 桜


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Prologue La Rose et l'Hiver


私は人を愛せない。


これは嘆きではない。


自己嫌悪でもない。


ただの、事実の確認だ。


物心ついた頃から、人の感情というものが私にはよく見えた。


この人は不安を隠している。

あの人は承認が欲しくて仕方がない。

あちらの婦人は夫に秘密がある。


それを見抜くことは息をするのと同じくらい自然なことで、だから私はいつでも相手の欲しい言葉を与えることができた。


微笑みひとつで人を動かし、沈黙ひとつで人を追い詰める。


そういう生き方しか、私は知らない。


愛情というものは、たぶん相手を「透明なまま」見ることだと思う。


計算も、利用も、駆け引きもなしに。


けれど私には、それができない。


誰かを見るとき、私の目は最初から盤面を探している。


この人はどこに弱点があるか。

どの言葉に反応するか。

どう動かせば、私に都合がいいか。


それは意図してのことではなく、もはや本能に近い。


だから私は人を愛せない。

愛する前に、必ず利用してしまうから。


それでいいと思っている。

少なくとも、今夜この場所では。




✦ ✦ ✦




アルミューズ王国の夜会は、いつも美しい。


シャンデリアの光が宝石のように砕けて、絹のドレスの上に降り注ぐ。


香水と蜜蝋と誰かの野心の匂いが混ざり合った空気の中で、貴族たちは笑顔のまま互いの喉元に刃を突きつけている。


それがこの社交界というものだ。


剣を持たない戦場。

血の出ない戦争。


私はその中心に立っていた。


「ミシェルローズ様、今宵のドレスは一段と……」


「ありがとうございます」


相手の名前も覚えていない男が何か言いかけるより早く、私は微笑んだ。


完璧な角度で、完璧な温度で。


男は途中まで言いかけた台詞を飲み込んで、ただ頬を赤らめた。


簡単すぎる。


光の角度が変わるたびに、私の髪は黒から赤へと滲む。


それを見て息を呑む者がいる。


怖いと思う者もいる。


それでも目を逸らせない者が、圧倒的に多い。


「黒薔薇の令嬢」などという大仰な名で呼ばれているのは、つまりそういうことだ。


近づいてはいけないと知りながら、近づかずにいられない。


それが私の武器であり、ヴァレンタイン家の血が私に与えたものだった。


「あの、ミシェルローズ様。少しよろしいでしょうか」


今度は別の声だった。


若い令嬢で緊張を隠しきれていない。


先月の夜会で夫人たちに囲まれて困っているところを、私が助けたように見せかけた娘だ。


本当は彼女の父親から、ある情報が必要だっただけ。


けれど彼女はまだそれを知らない。


「もちろんですわ」


私は彼女の方へ向き直り、今度は少し柔らかい微笑みを作った。


怖がらせてはいけない相手には、怖がらせない顔を使う。


彼女が話し始める内容は他愛のない近況報告だったり社交界のうわさ話。


そして、ほんの少しだけ父親の仕事の話が混じる。


私は相槌を打ちながら、必要な情報だけを静かに拾い上げた。


その事に彼女は気づいていない。


このまま気づかなければ彼女は傷つかずに済む。


気づいたとしても、もうすでに遅い。


これが私の日常だった。


誰かを動かし、誰かを使い、誰かの運命を掌の上で転がす。


夜会のたびに、茶会のたびに、笑顔のまま戦い続ける。


そして私はそれを、退屈だと思ったことが一度もない。




✦ ✦ ✦




令嬢と話し終えて、私は少し人の少ない場所へ移動した。


シャンデリアの光が届かない、廊下に近い壁際。


グラスを傾けながら、広間全体を眺める。


誰が誰と話しているか。

誰が誰を避けているか。

それだけで今夜の勢力図が読める。


視線が、自然と動いた。


理由は分からない。


ただ何か、空気の質が変わった気がした。


広間のざわめきが、ほんの少しだけ、別の色になったような。


人垣の向こうに、彼はいた。


白銀の髪が、シャンデリアの光を静かに受けている。


燃えるでも弾けるでもなく、ただ冷たく、美しく。


深い紺の瞳は広間をゆっくりと見渡して、何かを、あるいは誰かを、静かに観察していた。


ベネディクト・ローゼンベルク。

私の婚約者。


幼い頃に両家の思惑によって結ばれた、政略婚約だ。


ヴァレンタイン家とローゼンベルク家


王国でも屈指の名門同士による理想的な縁談と、社交界では語られている。


当初の私たちに特別親しい関係はなかった。


ただ家が決めた未来として、互いの名前を知っていただけだ。


彼はその場にいる誰とも視線を合わせているように見えて、実際には誰のことも見ていない。


そういう人だった。


側にいる者が無意識に言葉を選び、笑顔の裏を隠したくなる。


それほどの静けさを、彼は何もせずにまとっている。


私は彼を見ていた。


それ自体は珍しいことではない。


この場の誰もが、多かれ少なかれ彼に視線を向けている。


「冬の貴公子」などという異名は伊達ではなく、彼の存在感は社交界においても一種異様なものがある。


だから私が見ていても、何もおかしくはない。


ただ、なぜ今夜はこんなに長く見ているのだろう。


その疑問に気づいた瞬間、ベネディクトの視線がゆっくりと動いて、私と交わった。


遠いのに、近い気がした。


広間を隔てているのに、何かが静かに、まっすぐ届いてくるような感覚。


彼は微笑んだ。


穏やかで、柔らかで、底の見えない笑みを。


私はグラスを傾け、それだけ返した。


婚約者と目が合っただけのことだ。


名前も覚えていない男に微笑んだ回数の方が、今夜だけでもずっと多い。


それと同じことに過ぎない。

わざわざ考えるまでもない。


私は人を愛せない。


それは今この瞬間も、変わらない事実のはずだった。

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