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第1章 幼稚園時代
123/182

第123話 いたいたっ、あいったーっ

「また変なのが来てるね。見てよノーラ」


 キューロが嫌そうな素振りで右の肩から反対の左の肩にぱたぱたと移動した。

 ということは右から何かが来るのだろう。私は右の方を見て異様につるつるな壁の向こうから透過して下の方へと辿って行く。


「いた。女の人だね」

「うん。しかもあの女の人、臭い」

「臭い?」

「とっても」

「とっても?」

「とっても臭い」


 女の人に対してそれはどうなのと思うところもあるが、キューロは精霊だ。精霊は人間に対して基本正直である。嘘ではないのだろう。


「不潔な人なのかな。それはちょっとやだな」

「でしょ。ノーラ、ぽいして」

「え? 私が? 触るの? それもちょっとやなんだけど」

「あんだけ匂いをぷんぷんさせてんだもん。きっと女を捨ててる人なんだよ」

「うわ~、何それ。私も近づかれたくないな~。で、返事は?」

「フ・ケ・ツっ、ふ・け・つっ」


 ごまかされてしまった。

 ちょっと今大事なところなのに肩の上で騒がれても困る。


「じゃあキューロ、窓を別に用意しようか」


 不潔女は今、おそらく真っ直ぐに私たちの所に向かって来てる。だって神様のところを見向きもしないし、神様に喧嘩を挑んだお馬鹿さんとたぶん同族だと思うから、私たちの敵の可能性が極めて高い。

 しかもキューロが問答無用で臭いというなら尚更だ。

 こう見えてキューロは恒星級の大精霊だ。この星系の恒星ぐらいは一撃で消し去る風の大魔法を使えるし、同じぐらいの恒星を風で星系中から塵芥を集めて作り上げることも出来る。

 そのぐらいの大きな展開のできる精霊が、あの女は臭いと言い切るのだ。近づけてはならない。それはもう鼻がひん曲がるほど臭いのだろう。


「言っとくけど譲歩はここまでよ」

「じゃあ下に作って置いて。そっちを襲わせよう。私は上のからも離れたいし」


 そうなのだ。問題は他にもあるのだ。

 キューロは先程、星空を見上げて、あの空は飛びたくないと断言したのだ。泡肌が立って、本当に気持ち悪そうだった。


「上のはどう。まだ気持ち悪い?」

「いや~な感じなんだよね。ケーフが教えてくれたらわかったけどサッ」

「ケーフが? なんで? あの子、通信にも返事返さないでしょ」

「囚われの身なんだからしょうがないじゃない」

「あ、そうか。そうだね。で、ケーフがどうして教えてくれたの?」

「ほら、ここの一番深いところで、ケーフがジーッと一番奥の建物を見たでしょ」

「あったかな。わかんない」

「あったのよ。その時に気づいたの。あそこに気持ち悪いのが居るって」

「へー」

「そしたら上からも同じ匂いがするじゃない」

「気持ち悪いのじゃないの?」

「似たようなもんでしょ」

「あーはいはい」

「だから囚われててもケーフは私のことを大事にしてくれてんだなーって思ったの」

「ライバルなんじゃないの」

「違うわよ」

「先輩なんじゃないの」

「ち・が・う・わよ?」

「だよね。違わなく無いよね。だって先輩だもんね。それともただの先輩じゃないってこと? キャーっ。異世界に来て衝撃のスキャンダル発覚っ」

「ノーラ、死ね」


 顔を真っ赤にしながらキューロがぽかぽか叩いてきた。


 あー、肩こりに効く。


 とふざけてる場合でもないのだが、実際、気持ち悪い気配がいっぱいあると言って、キューロは上空を見上げ、あれを近づけないでとずっと言っていたのだ。

 いえ、嘘を吐きました。キューロはそんな殊勝なことを言いません。乙女モードに私が入ってました。本当は宇宙にある気配をぶち壊したいようなことを言っていたのです。けれどもそれは、神様がいるようなところで下手にぶっ壊すと、神様の物だった場合神様に怒られるので、神様の許可が下りてからにしなさいとずっと宥めてきたのです。


 そして未だその神託は……ない。


 なので私があの箱を近づけまいと当座の処理に動き、空に大きくチャッター仕様の深度一を張ったのだ。この星をぐるっと囲んだから、あの大きな箱がこの星に落ちてくることはないと思う。

 それでもあの箱は箱のくせに自分で動けるらしく、ちょろちょろと深度一の表層を撫で回してくれてるので、一体どんな箱なんだという好奇心もある。

 キューロは本気で気持ち悪がってるから、表立っては現在の状況は言えないけれど。

 とりあえず答えてなかった問いかけに頷いておく。


「わかったわ」


 襲わせたいということは、そこに罠を張ると言うことだろうし。

 罠といっても結局自分たちがその位置まで降りて、襲わせて、返り討ちにしてしまうことなんだけど、神様への言い訳を念頭に入れた対処法なので私も文句はない。


「そう。じゃあノーラはどうするの」

「キューロに任せるよ」

「じゃあケーフが塵風見せたことだし、ここに私がいるってのも見せとこうか」

「それはケーフも心強いかもね」

「でしょでしょ。あいつが勇気づけられてあたしに感謝しまくるのよ、ど~う?」

「あー、それはケーフに惚れられちゃうかもね。覚悟しときなよー」

「えーっ、ケーフがーっ。どーしよっかなー」


 キューロは(しな)を作って随分と女らしさを強調しだした。これはこれでむかつく。どうせ私には男っ気がありませんよ。


「あー、もう面倒臭いから降りるよ。ぱっぱと終わらせちゃおう」


 そして突然に寛司へのブースト深度一が切れたのだ。しかしそのことをノーラは全く意識していない。だって相手は神様だ。

 そして地下三階へとつづく階段まで下りたノーラが、体裁上女の人に奇襲を受けたこととなる。

 実際階段の踊り場を曲がったところでいきなりノーラの姿を発見した女の人は狂喜乱舞した。


「いたいたぁっ。いたよ、やっぱりいたーっ」


 それを聞いてノーラは思った。

 何がいたのかはわからないが、覚悟してた臭い匂いはないな、と。

 そしてノーラは女の人を挟んで小窓を開けると、キューロが鼻をつまみながらその女の人の背後から声をかけた。


「邪魔だよあなた」


 言い捨てると同時にキューロは女の人を風壁にくるんでしまう。一瞬の早業だ。そしてためらうことなくポイと表に捨てた。

 階段の壁を透過してくのは、ノーラがサービスでチャッター仕様の深度一を風壁の廻りに張り巡らせたからだ。外界と遮断したので、中の女の人は何が起きてるのかもわからないはずだ。時の流れの中から取り残されたようなものだ。

 やがてその風は暗い闇の中に消えた。それを確認してから、ノーラとキューロは元居た場所に腰を据え直した。




 クーリエは「いたいたーっ」と喜んでたが一瞬で景色が暗転して、何が起きたのかと疑問に思う間もなく──、

 地下五階の床に弾んで、風壁は消えると、


「あいったーっ」


 とお臀を押さえながら、見覚えのない床の上を転げ回った。


「ん?」


 目の前にはティリオーダウンがあった。クーリエは何で自分が格納庫の床の上にいるのか、理解できなかった。



 ◇



 ジェラルドはこの成人したくるる人こそが、今日のご馳走の中での最強のご馳走だと思った。

 咄嗟に自分に化けたことと言い、今また毒の風を簡単に対処したことと言い、あのガキはやられてから対処してたが、この親父はやられる前に対処してたからだ。

 この差は大きい。

 この差があると言うことは、倒すのに時間がかかると言うことだ。

 ガキは引っかかった時点でアウトにする可能性があるが、親父は引っかからないので技術を超えてどつき合いになる可能性が高い。それも極めて高い。


「お前が俺を通せば別にどうもしやしないぜ。上方修正した以上は、俺としてはお前は一番最後に喰いたいんだがな」


 そのジェラルドの思わぬ問いかけにオレは戸惑った。

 申し遅れた。最上寛司だ。双子の弟だ。


 確かにジェラルドの問いかけには考慮する余地がある。いま(あに)さまはアミック隊と合流しようとしている。上手く行けばアミック隊とジェラルドをぶつけることが出来る。これは内輪もめとなるからかなり魅力的な手だった。


 加えて今のジェラルドの状況だ。ジェラルドは間違いなく毒を風に混ぜた。しかしジェラルドは苦しんでいない。それどころか極めて健康優良児のように振る舞っている。大人のオッサンだけど。


 まあいい。そこは問題じゃない。バカだからで解決する問いだ。


 問題はジェラルドの場所には毒の風が入ってこないようだと云う事だ。

 思い当たるとすれば、この東京地下大深度に秘密基地を作ったセプトのマシーン、プリンターの存在だ。このプリンターで部屋の構成を変えられたのではないかと、オレは疑っている。


「これは…………」


 と思って魂の回廊を切る。ここから先は兄さまの負担になる。

 ジェラルドは趣味の充実を図りながら、陸戦隊隊長としての目的も遂行してたのだ。


 オレはまんまと時間を稼がれたわけだ。


 おそらく今この会話を交わしてる瞬間も、オレに考えさせてる瞬間も、プリンターで自分の有利な場所へと再構成するための時間稼ぎなのだろう。

 バカのくせに考えるというか、バカだからこそ考えるというか、相手をやっつけるためだけにしか考えることが出来ない、極めてバカな人材だと云う事がようやくオレにもつかめて来た。


「助けを待つか? いるんだろ? 姿を現さないもう一人か二人が」


 ノーラのことを言ってるのだ。

 敵の数を数えることも出来るようだ。さすがにこれは失礼か。

 まあいい。ジェラルドはノーラの存在も気づいてて、それはこっち側だと思ってるようだ。オレにまとわりついてたブースト深度一も見てるからな。


 だがこのピーキーな性格のノーラは、いつブースト深度一を兄さまに投げかけるかわからない。気分次第でオレを助け、兄さまを邪魔し、行動に一貫性がないから、唯一のブースト深度一の対抗手段である位相の拒絶を、オレがやめるわけにはいかないのだ。

 やめればその瞬間に兄さまは動きを封じられる。それはこれまでの真理ちゃん奪還作戦を台無しにするものになりかねないし、それは駄目だろう。

 幸いノーラはオレには拒絶のブースト深度一を撃ってこないし、この位相の拒絶を必要としてるのは兄さまの方だけで、今はそれだけで済みそうな感触もある。

 それに──。


 約束もした。


 この位相の拒絶は事が終わるまで外さないと。

 兄さまはいつものノリで考えてるかも知れないが、何気に位相の拒絶は重大な生命線だとオレは思ってる。


「どうだい、返事は」

「ちょっと待て」

「そうかい」


 そう言って今もジェラルドがひょいと何かを風の中に放った。


「何してんだよ」

「生体拘束具だ」


 また物騒な物を。

 しかしこれで憎めないというのはどういう事なんだろう。不思議だ。


 とにかくジェラルドにしてみれば待ってる間が暇なので、暇つぶしに生体拘束具を風の中に放ってオレに辿り着くかどうか実験してみたのだろう。すぐさまその生体拘束具は風壁の中に紛れさせた風刃でズタズタに切り裂いてやったが。

 だがこの生体拘束具は恐ろしい。

 この虜囚を拘束する道具は、人間の皮膚に同化して固着してしまうのだ。そうなったら普通の人間には取り外すことは不可能だ。取り付けた人間の、この場合はジェラルドの生体波がこの拘束具の解除のキーとなる。それを流し込む機能がエー・トゥールにあることからも、セプトで最も一般的な拘束方法なのだろう。


 オレと真理ちゃんの時には非常事態だったから用意してなかったのだろうが、今は準備も整えたと云う事なのだろう。いや、今も整えてる最中であるか。

 この部屋自体に細工をしようとしてるんだろうから。


 まぁ兄さまならプリンターだろうが拘束具だろうが、何が来ようがダブルでどうにでも出来るのだが──。

 出来たからといって安全が保証されるわけではない。これを解除してる間のその隙を見逃すほど、セプトの陸戦隊はお人好しではないだろう。

 一瞬でも敵の前で動きを封じられたら、その瞬間に兄さまはやられる可能性が出てくる。そして当然兄さまがやられたら真理ちゃんも無事では済まない。


 思い起こすのはどうしてもその後のことだ。虜囚となったあの後のことだ。


 真理ちゃんは左手を何度も何度も切り刻まれた。

 一度捕まっただけで、それだけのことをセプトは幼い女の子にしでかしたのだ。今度捕まったらどうするのか、想像を絶する不幸が真理ちゃんに、それから兄さまにも訪れると思う。特に兄さまは念入りに解剖されるのではないか。

 セプトならばそのぐらいは平気でやりそうだ。


 最早今は何も知らなかったジゼル電気のデモンストレーション会場にいたオレたちではないのだ。

 様々な体験をし、何が起きて何をしてくるか、その予測がつくような状況になった。


 ふーっ。


 真理ちゃんの左手が拷問で切り落とされたのはオレの責任だ。オレがアッチ・ドーナムに破れたせいだ。

 その時に一度オレは兄さまの期待を裏切っている。そう、オレは兄さまも裏切ってるのだ。


 あの時も約束したのだ。


 真理ちゃんを連れてちゃんと逃げると。

 オレはそれを果たせなかった。


 オレは、決めたよ、とジェラルドに告げた。


「ほう。で、答えは?」


「ここでアンタを通すわけにはいかないな」


 ふひっとジェラルドが嗤った。


「やっぱお前もバカだよ」


 時間を稼げたということだろうか。まあそれもいいさ。やることは変わらない。


「バカで結構、間抜けじゃ困る。

 ここは抜かさないよ、ここは」


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