07 無自覚な使者
アニエスは膝の前に置かれた粗末な火かき棒をゆっくりと動かし、炉の中で燃えさかる薪の配置をくべ直しました。パチパチと不気味な音を立てて火の粉が跳ね、老女の刻まれた顔の皺を鮮やかな橙色に照らし出します。彼女はペローの熱を帯びた推測を聞き終えると、小さく首を横に振りました。
「まあ、そういう者たちでもあるだろうねぇ。この深い森の暗がりや街道の陰には、飢えた脱走兵もいれば、金目のものを奪う盗賊もおる。
哀れで貧しい村人から少ない肉や金を根こそぎむしり取る野犬のような奴らは、森の中にいくらでも潜んでいるさね」
アニエスは静かな口調でペローの言葉を一度そっと受け止めました。己の分析が当たっていたのだと、ペローの強張っていた肩の力がふっと抜け、安堵の息が漏れかけたその瞬間のことでございます。
老女は落ち窪んだ目をゆっくりと持ち上げ、ペローの顔を正面から見据えると、しわがれた低い声で、刻むように言葉を継ぎました。
「だがね、お前さん……本当に恐ろしいオオカミってのは、そんな森の暗闇なんぞに潜んでいるんじゃないのさ」
その声音には、先ほどまでの冷ややかなあざけりとは異なる、底知れない暗闇へとペローを引きずり込むような重々しい響きが宿っておりました。ペローは息を呑み、せっかく解けかけた全身の緊張が、より冷たく強固な恐怖となって再び凝固していくのを感じずにはいられませんでした。
アニエスは深く落ち窪んだ眼窩の奥から、冷徹な光を孕んだ視線をゆっくりと下ろしました。彼女の目は、ペローが身に纏っている雨に濡れた上質なコートの滑らかな織地をなぞり、次いでその白い指先に固く握られた、細い羽ペンへと注がれました。
老女は薄い唇をわずかに歪め、炉の爆ぜる音に紛れさせるようにして、低くしわがれた声で静かに言葉を紡ぎ出します。
「絹やベルベットで派手に身を着飾り、腹いっぱい肉とワインを食らい……それでもなお飽き足らず、貧しい者の骨の髄まで食い散らかす、傲慢で貪欲な人間さ。お前さん、そういう生き物を知っているかい?」
その平坦な響きを持った問いかけが室内に落ちた瞬間、手帳の羊皮紙の上を滑ろうとしていたペローの銀の羽ペンが、ピタリと動きを止めました。インクの黒い滴が紙の繊維へじわりと染み込んでいく音すら聞こえそうなほどの静寂が、ふたりの間に横たわります。
ペローの脳裏に、怒濤のごとく恐ろしい映像の数々が駆け巡ってまいりました。
極彩色の絹やベルベットに身を包み、絢爛豪華な部屋で不敵に微笑む者たち。
金銀の食器に盛られた極上の肉を喰らい、高級なワインを浴びるようにあおりながら、なお渇きを訴える者たち。
そして、この泥まみれの貧村から容赦なく過酷な塩税とコルヴェを絞り上げ、娘たちを慰みものとして奪い去り、疫病に倒れた者をゴミのように森の境界へ投げ捨てざるを得ない構造——その凄惨な搾取の頂点に君臨する者たち。
アニエスの視線は、動揺に揺れるペローの瞳の奥を逃さず捉えておりました。それはペローというひとりの男を越えて、彼が背後に背負ってきた「ヴェルサイユ宮殿」の黄金の輝きと、そこに蠢く巨大な捕食者の幻影を、真っ直ぐに射抜いていたのでございます。
ペローは全身から血の気が引いていくのを感じながら、ペンを握り締めたまま凍りついたように立ち尽くすばかりでございました。
ペローの額から、ねっとりとした不快な脂汗がつつと落ちていきました。手帳を握る指先からは感覚が消え失せ、羊皮紙を叩く雨音すら遠のいていくような不気味な錯覚に囚われます。
彼の胸中にあった誇りは、いまや無残に打ち砕かれておりました。自分は「都市の洗練された知識人」であり、無知で野蛮な農村に足を踏み入れて、貧しく哀れな農民たちの奇談を「取材してやる」高潔な立場にいるのだと、疑いもなく信じ込んでいたのです。
しかし、現実はまったく逆でございました。
アニエスの放った一言によって、視界の天地が完全に反転いたしました。
過酷な重税で農民たちの生き血を吸い上げ、骨の髄まで貪り食う巨大なオオカミ——自分自身こそが、その最悪の捕食者が蠢く巣穴から遣わされた「無自覚な使者」に過ぎなかったのです。
そして、この泥と疫病に満ちた森を離れて自分が今夜帰る場所、あの絢爛豪華な宮殿こそが、世界で最も肥え太ったオオカミたちが群れる巣穴そのものだったのだと、恐ろしいまでの解像度で理解させられたのでございます。
アニエスは、青ざめて絶句するペローの顔を暗がりの中からじっと見つめ、歪んだ口元をさらに吊り上げました。
「お前さん方が『おとぎ話』にして優雅に笑い飛ばしているものの正体が、本当は何のことなのか……宮殿のサロンの煌びやかな灯りの下で、よく考えてみることだねぇ」
老女はくっくっと喉を不気味に鳴らし、乾いた木が擦れるような音で笑いました。その冷酷な嘲笑は、ペローの文士としての自尊心を根底から切り刻んでまいります。
アニエスの笑い声が途切れると、二人の間に鉛のように重く、息苦しい沈黙が落ちてまいりました。炉の残り火が小さく爆ぜる音と、小屋の屋根を叩く雨音だけが不気味に響き渡り、ペローは手帳を抱えたまま、己の足元に広がる真実の深淵を見つめて立ち尽くすばかりでございました。




