05 現実の解体
手帳の羊皮紙の上に落ちた黒いインクの滴は、紙の繊維を吸って小さく滲み広がっておりました。ペローは固まった指先をどうにか動かし、握りしめていた羽ペンをゆっくりと置くと、震える呼吸を整えながら、暗がりの中に佇む老女へ視線を向けました。彼の頭の中では、知識人としての理知と、いま耳にしたあまりに異様でグロテスクな筋立てとが、激しく衝突を起こしておりました。
「待ってください、アニエス殿……。あまりにも筋が通りません。いかに幼い少女とはいえ、なぜベッドの中に横たわる野獣の姿を、実の祖母であると誤認するなどということが起きるのですか。耳が大きく、手が鋭く、顔立ちが獣のようだとなぜ疑わないのです。そして、なぜこれほどまでに不条理で凄惨な物語が、この土地に語り継がれねばならなかったのですか」
ペローの問いかけは、物語の破綻を突こうとする知的な抗弁であると同時に、あまりの生々しさに耐えかねた彼自身の防衛本能でもございました。
アニエスは深く落ち窪んだ眼窩の奥から、冷ややかな眼光をペローへと注ぎました。その口元が、枯れ木が裂けるような歪んだ笑みを象ります。彼女は細く乾いた指先で、自分のしわくちゃの頬をゆっくりとなぞりながら、低い声で静かに問い返しました。
「なぜ気づかないかって? ふん、あんた……重症のらい病や、顔を腐らせる酷い疫病が進んだ人間の姿を、その綺麗な目で一度でも見たことがあるかい?」
ペローは言葉を失い、喉を鳴らして生唾を飲み込みました。アニエスはペローの反応に満足したかのように、さらに言葉を重ねてまいります。その淡々とした口調は、まるで薬草の効能を記録簿から読み上げるかのように冷徹でございました。
「らい病が進めばね、眉のあたりの肉が盛り上がり、鼻の骨は落ちくぼみ、顔全体がゴツゴツとした獅子の面のように変形するのさ。まぶたは引き攣れて閉じなくなり、まるで兎の目のように乾いた眼球が剥き出しになる。声は鼻に抜けるようになり、ひどくかすれた音しか出せなくなる。指先は硬着し、内側へ折れ曲がって、まるで猛禽の爪か鉤手のような形に変わり果てるのだよ。……いいかい、文士様。村の外れに追いやられ、病床に伏しているおばあさんの顔を、少女はずっと見てきたのだよ」
アニエスは炉端の薪を小さく突き、火の粉を散らせました。その橙色の光が、老女の刻まれた皺を深く陰影として浮き彫りにいたします。
「少女にとって、ベッドの中で掛け布団を頭までかぶり、崩れた顔と大きな目、大きな手を見せているものはね……病がさらに悪化して凄惨な姿になった、哀れなおばあちゃんそのものだったのさ。だからこそ、少女は不審に思いながらも、それが自分の肉親だと信じ込んでベッドに近づいたのだよ。突如として獣に変身したのではない、病によって人間としての容姿を奪われた身内だと思ったんだ」
ペローの背筋を、冷たい汗がひとすじ流れていきました。現実の病の残虐性が、童話の奇妙な描写と恐ろしいまでの整合性をもって噛み合っていく事実に、胸が押し潰されそうになります。ペローは掠れた声を振り絞り、次の疑問を口にいたしました。
「では、本当にその少女は、祖母と狼を見分けられなかったのですか?」
「さあねぇ。その子が本当に気づかなかったのか、気づいていても気づかないふりをしたのか。それを知っているのは、もう死んだ者だけさ」
アニエスはペローを突き放すように答えました。
「では……あの『パンとワイン』は? 幼い少女にそのような危険な場所へお使いに行かせるなど、親として正気の沙汰とは思えません」
アニエスは短く鼻を鳴らし、悲哀と諦念の混ざり合った視線を、小屋の隙間から覗く濡れた森の暗闇へと向けました。
「親の正気だって? あんた方都市の人間には、想像もつかないだろうねぇ。
村から追放され、森の境界で死を待つだけの病者に対して、村に残された家族が抱くのは……ほんの微かな良心の呵責と、身内を見捨てたという世間体に対する最低限の義務感だけさ。
自分たちが直接足を運べば、病がうつるかもしれない、あるいは村人から仲間扱いされて自分たちまで追放されるかもしれない。大人が行けば危険だから、子供ならまだ病人に近づいても許されると思った。
だからね、何も知らない幼い子どもに重いバスケットを持たせ、『遠くから食べ物を置いてすぐに戻っておいで』と、身代わりのように差し向けたのだよ。お使いなどという微笑ましいものじゃない。あれは、罪悪感を薄めるために子どもを利用した、残酷な差し入れなのさ」
アニエスが語る言葉の真実味に、ペローは手帳を握り締めたまま立ち尽くし、手先を震わせるばかりでございました。




