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02 農夫

 夜が深まるにつれ、雨足は一段と強まり、古びた旅籠の隙間風が不気味な笛の音のような音を立てておりました。ペローは固く冷たいベッドの端に腰掛け、油煙の匂いが鼻につく粗末なランプの光の下で、白紙のままの手帳を見つめて溜息をついておりました。


 そのときでございます。きしむ廊下の床板がかすかな音を立て、彼の滞在する小部屋の扉がサッとわずかに開きました。


 滑り込んできたのは、昼間に旅籠の隅で鋭い目を光らせていた中年の農夫、ギヨームでございました。彼は身を縮め、部屋の外へ油断なく視線を走らせると、素早く扉を閉めて閂をかけます。雨で濡れたギヨームの髪からは水滴が滴り、その顔には、恐怖に加えて何かを企むような光が浮かんでおりました。


 ペローが警戒して立ち上がろうとすると、ギヨームはかすれた声で制するように手を上げ、ペローの着ている上質な衣服と、テーブルの上に置かれた手帳に目を走らせました。


「旦那、大声を出すんじゃねえぞ。村の奴らに見つかったら、俺まで何をされるか分かったもんじゃねえ」


 ペローは相手の真意を瞬時に察し、黙ってポケットから輝く銀貨を三枚取り出すと、手のひらの上でカタリと鳴らしてみせました。金属の触れ合う美しい音に、ギヨームの瞳が一瞬大きく見開かれます。ギヨームの手が伸びかけ、そこで一度止まりました。それから彼は、銀貨ではなくペローの顔をじっと見たのでございます。


「……三枚、本当に貰えるんですかい?」


 ペローは銀貨を握り締め、ギヨームの目をまっすぐに見つめながら、低く静かな声で語りかけます。


「私はただ、この土地の古い物語を知りたいだけなのだ。嘘や偽りではなく、真実の語り部を探している。私に手を貸してくれるなら、この銀貨はすべてお前のものだ」


 その答えを聞いてから、ようやく手を銀貨に伸ばしたギヨームは生唾を飲み込み、喉仏を大きく上下させました。彼は何度も部屋の天井や壁を気にしながら、ペローの鼻先まで顔を近づけ、ひそひそ声で話し始めます。


「旦那、村の連中にいくら聞いたって無駄だ。昔話なんて呑気なものを知ってる奴は、村の中にはもういねえ。日々の飯を食うので精いっぱいで、親から子へ語り継ぐような余裕なんて、とうの昔に失せちまったんだからな……。いや、だがな……一人だけいるな。村の外れの森の境目に追いやられた、アニエス婆さんだ」


「アニエス……」


 ペローがその名を呟くと、ギヨームは慌てて口元に指を立て、首を横に振りました。


 ギヨームは膝を折り、ペローの耳元へさらに顔を寄せると、不気味なほどの真迫さを帯びた声でその老女の生い立ちを明かし始めます。


 かつてアニエスは、この村で最も頼りにされる存在でございました。赤子が産まれるとなれば夜中でも駆けつける優秀な産婆であり、山野の薬草に詳しく、村人の病や怪我を癒す薬草医として重宝されていたのです。村のあらゆる家系の歴史を知り、古くから伝わる物語や教訓を誰よりも多く記憶している者でもありました。


 しかし、数年前、村に激しい疫病が吹き荒れたとき、事態は一変いたしました。


 いくら薬草を煎じても死者が止まらないことに狂乱した村人たちは、その絶望の矛先をアニエスへと向けたのです。「あの婆が忌まわしい病を呼び込んだのだ」「悪魔と取引して薬を作っているに違いない」と。


 昨日まで感謝を捧げていた村人たちは、一転して松明と農具を手にして彼女の家に押しかけ、彼女を「魔女」として激しく糾弾いたしました。村人の一部は殺せと言い、アニエスは魔女として裁かれ、火刑にされかねませんでしたが、疫病が続く中で、彼女の知識を完全に失うことを恐れた者も多くおりました。その妥協の末、村から追放することで決着した、生きながら村を追放され、人間社会と異界の境界線である森の掘っ立て小屋へと押し込められたのでございます。


 ギヨームはペローの手から銀貨をひったくるように奪い取ると、それを愛おしそうに懐へ押し込み、冷たい笑みを浮かべました。


「あの婆さんなら、旦那が腰を抜かすような古い話を山ほど知ってるはずだ。ただし、あそこに行くなら覚悟することだな。今じゃ疫病で追放された連中の看取り場みたいになってる。本当の呪いがあるって、村じゃ皆そう言ってる」


 ギヨームはそれだけ吐き捨てると、音もなく閂を外し、暗い廊下の向こうへと鼠のように消え去っていきました。一人取り残されたペローは、手帳を固く握り締めながら、窓の外で不気味にざわめく深い森の影を見つめておりました。

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