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1-06




 二時間後。

 深は河川敷にいた。

 理由はわからない。

 普段はこのように独りでボーっとしながら、風景を眺めることはしない。


 しかし、今日は違った。

 ただ、部屋にいられなかった。



 あの電話の後、深はもう1度テレビの電源を入れ、チャンネルを回し始めた。

 相変わらずのそれらしい映像……なかには古い絵画のようなものを映して解説してる番組まであった。大方平安時代の資料か何かを引っ張り出してきたのだろう。


 そんなテレビの現実に向き合うことができず、深は知らずとアパートを出てフラフラと歩き出した。

 頭の中は受け止めきれない事実があふれていた。

 無意識に近くの河川に向かう。目的地は普段大学までの通学路につかっている道沿いにある土手である。

 見慣れた光景。今日も風景は変わっていない。

 よく、ドラマとかで使われそうな――綺麗な、だけどありきたりな河川敷。遠くのほうに東京の高層ビルも見えた。


 夜空には満点の星……。

 夜風が頬を撫でる。

 川の流れる音。


 そして――月。


「……どうしろってんだよ」


 小石を拾い、川へ投げる。

 ぽちゃん、と小さな音。

 それを何度も繰り返す。


 相変わらず深の頭の中は混乱から抜け出すことができないままである。

 ただ、何となくわかったこと。

 会話の最後の部分は、花南が今日一番深に伝えたかったことのようである。


 静かな、そしてやさしい女性の声――謝罪と気遣いの気持ちのこもった声――


(……)


 時間だけが過ぎていく。

 気づけば、夜十一時を回っていた。

 思考は、ようやく整理されていた。


(……やるしかない、のか)


 すべてが事実なら。


 逃げ場はない。

 スマートフォンを取り出す。

 履歴には、あの番号。


(……明日でいいか)


 深夜にかける気にはならなかった。

 ポケットに戻す。

 空を見上げる。

 月が、浮かんでいた。


(……帰るか)


 そう思った。


 けれど――


 なぜか体は動かなかった。


 そのまま、土手に寝転ぶ。

 草の感触。

 少し冷えた空気。

 そして、静かな夜。


(……もうちょっとだけ)


 理由はない。

 ただ、なんとなく。

 月が、綺麗だった。


 日付が変わる頃。

 深のアパートの明かりが灯り――

 三十分後、静かに消えた。




     ◇




 一方、奇遇にも花南は同じ時間に月を見ていた。

 深と別れてから、清高と東京に戻ってきていたが、それに先立ち『埼玉科学大学』の『しん』という人物についての情報を集めるように局の人間に依頼していた。

 東京に戻る頃には一通りの情報が集まっており、それらの資料から上司である福井にあげる報告書を作成していた。

 その作業の途中に時間は19時となり、花南は内閣府の会見をテレビで見ることとなる。


 首相の表情は覚悟を決めた男の顔だった。

 メディアから浴びせられる馬鹿にしたような質問にひとつひとつ丁寧に答えていた。

 その途中、深についての資料の中から携帯電話会社の資料を探し、彼に電話する。最後はなぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。


 自分はそれなりの覚悟を決めてこの道を選んだ。



 しかし、彼は……?



 そんなことを考えながら、花南は作業の合間に窓の外の月を見ていた。

 かすかにわかる月の模様に集中していた花南に突然声がかかる。


「花南ちゃんや」


 花南は視線を移動させると同時に少し驚き、敬礼の準備にとりかかろうと起立した。

 そこには1人の老齢の女性が杖を片手に立っていた。


「サイA級霊能士殿、お疲れ様で……」


 すかさずその女性が答える。


「ええわええわ。そんな堅苦しゅうせんでも。この椅子つかってもええかえ?」

「はぁ、どうぞ」


 花南の周りにいた他の職員も、いささか姿勢を正して作業を続けている。


「どうせ、わしらは軍隊ではないけんねぇ」


 サイと呼ばれたこの女性は、しわの刻まれた顔をさらにしわくちゃにして笑っていた。

 右の眉から左の眼の下まで、昔負ったであろう傷の跡があるが、そんな物騒な傷すら覆ってしまうほど穏やかな笑顔である。


「はい。それで、いかがなさいました?」

「いやなに、花南ちゃんと話をしようと思ってな」

「そのことでしたら、わざわざサイさんからお出にならなくても……呼んでいただければ私が足を運びましたのに」

「まぁ、ええじゃろ。たまには運動しないとな。体がなまって大変じゃけん」


 花南がほほ笑む。


「それでじゃ。今日会いに行った人物についてちょっとな……どんな感じのやつじゃった?」

「は、はぁ。特に……普通の男の子でした。ただ……」

「ただ。なんじゃ?」

「まあ、私たちのことを不審がっていまして。それで、あの……逃げようとしましてので……少し手荒なまねを……」

「手荒なまね?」

「えぇ。回し蹴りを……」

「かぁーかっかっ! そうかそうか! 痛い洗礼ってわけじゃな。面白いのう」

「私もつい反応してしまって……悪気はなかったのですが」

「くっくっく! ええじゃろええじゃろ。どのみち我々の下で働くことになる人間じゃ。そのうち信用してもらえるじゃろうて。

 気にせんでもええわい。男は女に暴力振るわれても、許す生き物だってに」


 花南が深にした回し蹴り。それについて花南が少し後悔をしていることにサイは気づいたようだ。

 その点を優しくフォローするようなサイの言葉に、花南の顔がまた笑顔になる。


「他には何かないかのう? 性格とか、雰囲気とか?」

「我々の質問には一通りしっかり答えていました。しかし、常に警戒していたように思えます。後は……特に……そこらへんにいる普通の若者でした」

「ほっほっほ。まあ、ええじゃろ。問題なさそうじゃな」


 サイが少し考え込む。

 その様子を見て、花南が意を決したように質問した。


「あの……あの子に何があるんですか? あの子は男性です。霊能士になれるってわけじゃないのに。わざわざ国家緊急特殊組織法の対象にしてまで。

 後方支援スタッフだったら、防衛省とか自衛隊から探してくればいいんじゃないですか?

 いろんな人に聞いてみたんですけど、男の人に勧誘かけたの初めてらしいじゃないですか? いったい……?」

「こら! 花南。失礼だぞ。サイばあさん困ってんじゃねーか。それに、こそこそ裏でそんなこと……」


 少し離れた席にいた清高が割って入ってきたが、サイがそれを制して花南に語りかけた。


「ええわいええわい。わたしゃ、花南ちゃんのそういったところがお気にいりじゃけんのう。

 疑問に思うのも自然。誰かに聞きたくなるのも自然。

 それでもわかんなかったら、本人に聞きたくなるのも自然。なぁ?」

「はぁ」

「実はな。深っていう若者じゃがな。霊能士としての資質があるらしいのじゃ。それも戦闘術士のな。わしの占術でそう出たのじゃ。

 いや、わしも最初は信じることができなんぞじゃ。だけどじゃ。何度やっても、そう出るのじゃ。

 そりゃ、わしだってはじめて聞いたぞ。男が霊能士になるなんて話はな」


 花南の顔が今度は驚きでいっぱいである。頭の中の1つの疑問が枝分かれしてどんどん増えていった。


 そんな花南が驚きのあまりポカンと開いた口を閉じるまでサイも黙っていた。ものめずらしそうに、パソコンを眺めている。

 いや、眺めているように見せかけて、次の会話を探していた。もしかすると、花南からの質問を待っていたのかもしれない。


「サイさんの占術でそう出たのでしたら……」


 しばらくして花南が小さく言った。




 サイは霊能局に所属する占い師である。それも腕利きの。

 そして内閣総理大臣に助言し、今回の会見までさせた人物が彼女であった。


 肩書きこそ1人の霊能士であるが、齢80を過ぎた今も霊能局に勤務し、その経験と能力はもはや局長以上の発言力を持っていた。

 花南に深を会わせたのもこの人物である。いや、サイは今日の昼に埼玉のとある大学の図書館に彼がいることを占いの結果として花南に伝えただけであるが、結果として花南は深に出会うことができた。


 そんな人物を前にして、いつまでも驚きを隠せない花南。今度はサイが自ら口を開く。


「んで、そのあとじゃ。わしも部下に指示を出したのじゃ。そんな前例があるかどうかをな。局の資料室と国立図書館。その他もろもろ調べさせたぞ。

 そしたらな。見つかったのじゃ。室町時代あたりの資料なのじゃが、やはり何人かの男の霊能士が実在したらしくてな。

 長い歴史の中でおそらく数人程度じゃろうが実在するのじゃ」

「そんな……」

「まぁ、あやつの才能は未知数じゃが、怪しい人間じゃなければわしらの力になってくれるじゃろ」


 サイは立ち上がる。


「さてさて。そろそろ、内閣府にいかんとな」

「え? これから行かれるんですか?」

「そうじゃ。年寄りをこき使って。あの小僧どもめ……」


 小僧どもというのは内閣総理大臣やその他関係省庁のトップたちだろう。

 そんな人物たちを子ども扱いする際に、花南はまた顔が緩んだ。

 しかし、やはりどこかすっきりしていない顔である。

 サイもそんな花南の表情にも気づき、最後にとびっきりの笑顔を浮かべながら言った。


「まぁ、今回はわしもわからないことだらけじゃけん。なんかわかったら報告してくれ。あいつは予定通り花南ちゃんの下に置くからな。

 よろしく頼むぞ。邪魔したのう。清高もまたな」

「はい。お気をつけて」


 作業中の清高も背中を向けながら手を挙げる。対照的に、花南はサイが部屋から出るまで立っていたが、サイの姿が見えなくなると、花南は清高のほうに向かって駆け寄った。


「ねぇねぇ……」

「わかったわかった。聞こえてたって。しかしまた、どういうことだ? まぁ、あのばあさんが言ってるんだから、その通りなんだろうけどな」

「だってさ……」

「おっと、それ以上は俺に何にも聞くなって。俺がわかるわけないだろ? とりあえずは、あいつが来るまでなにもわかんねぇよ」

「そりゃそうだね」


 最後に何かを諦めたかのように花南は自分の席に戻り、パソコンを操作し始める。それを視界の隅で確認しつつ、清高も通信装置らしい機械のつまみを調整し始めた。

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