1-19
春たちは相変わらず動けず、訓練場の壁にもたれかかっていた。
長谷川と深が武器倉庫から出てきた今も、息を乱したままのメンバーが何人もいる。そんな中、全員が興味津々といった様子で2人を見つめ始めた。
「長谷川さん……何がしたいの?」
春が小さくつぶやく。
事の発端は数分前。
今日は礼子が長時間前衛を務めていたため、遠距離支援を得意とする春は序盤ほとんど動いていなかった。そのおかげで、最後まで立っていたのは春だった。
――とはいえ、それも長くは続かなかったが。
「立てるかしら?」
長谷川がいつもの笑顔を浮かべながら、倒れ込んだ春へ歩み寄る。
「はぁ……はぁ……いえ……ちょっと……無理で……」
悔しさはある。だが、まともに歩くことすらできない。春は素直に長谷川の差し出した手を借りることにした。
そのまま肩を支えられ、壁際へ移動している途中だった。
「ちょっと試したいことがあるんだけど」
長谷川が耳元で小さく言った。
「深君と手合わせしてみるわ。床ならしはその後でもいいかしら?」
通常なら、訓練後は全員で地面の凹凸を整備する。だが今の長谷川には、それより優先したいものがあるらしい。
春はその声音から、長谷川の好奇心を感じ取った。
「はい。でも……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。形にならないかもしれないけど……でも、面白いものが見れる気はするの」
意味深な笑み。
それを見た春も、つられるように口元をゆるめた。
「確かに……そうかもしれませんね」
4月にこの組織へ入って以来、春たちは武器の扱いを一から叩き込まれてきた。
刀組は素振りから。
春も最初は的に矢を当てることすら出来なかった。
だが、深は違う。
初めて見る“男の霊能士”。
それだけで、自分たちとは根本的に何かが違う気がしていた。
期待せずにはいられない。
春は訓練場中央へ向かう深の背中に向かって叫んだ。
「深君、頑張って!」
そんな声援を受けながら、深は長谷川と向かい合っていた。
相変わらず綺麗な顔。
だが、先ほどまでの訓練を見た後では、その笑顔が少し怖い。
(いや、普通に化け物だろ……)
もちろん口には出さない。
とりあえず、何も考えずに木刀を振ってみるしかなかった。
重心を落とし、木刀を握る手に力を込める。
――その瞬間。
長谷川から放たれる霊粒子が、一気に密度を増した。
「っ……!」
見えない圧力に押されるように、深が二歩後退する。
それに気づいた長谷川が、わざと明るい声を出した。
「木刀にも霊粒子を流し込むイメージでやってみて。なんとなくでいいから。ほら、いつでも来ていいわよ!」
深は小さくうなずく。
次の瞬間、床を蹴った。
一気に間合いを詰め、木刀を全力で振り下ろす。
だが。
長谷川は紙一重でかわした。
続く二撃目、三撃目も空を切る。
(くそっ……当たんねぇ……!)
深は連続で木刀を振るう。
しかし長谷川は余裕の笑みを崩さない。
(大振りだから見切られてんのか……?)
試しに振り幅を小さくする。
だが、それすら完璧に防がれた。
「くそっ」
思わず本音が漏れる。
すると長谷川は軽く後方へ跳び、距離を取った。
「そう。そのフォームのほうがいいわ」
(なるほど……)
深は再び踏み込む。
そこから十五分。
深の攻撃は、一度も長谷川を捉えられなかった。
避けられるか、防がれるか、そのどちらか。
それでも深は振り続ける。
体力にはまだ余裕があった。
一方の長谷川は、片手だけでその攻撃を受け流しながら、内心で分析を続けていた。
(体力あるわねぇ……しかも……)
違和感。
最初より、確実に攻撃が重い。
(気のせい……?)
さらに五分後。
さすがに深にも疲労が見え始めていた。
(やっべぇ……腕が重い……)
握力も落ち始めている。
木刀が妙に重い。
――いや。
(違う……?)
疲れではない。
一振りごとに、木刀の存在感が増していく。
まるで、木刀そのものが意思を持っているような感覚。
(なんだこれ……)
さらに振る。
すると今度は、次にどう動けばいいのかを木刀が教えてくるような感覚が生まれた。
(……ここか?)
その感覚に従って振り抜く。
「くっ……!」
長谷川が初めて苦しそうな声を漏らした。
(おぉっ!?)
深の目が見開かれる。
(押してる……? 今、押したのか!?)
次の瞬間。
深の猛攻が始まった。
一方、長谷川は驚愕していた。
(やっぱりおかしい……)
深の攻撃が、急激に洗練され始めている。
動きが滑らかだ。
速い。
重い。
にもかかわらず――
(霊粒子を感じない……)
深の体からは、依然として明確な霊力放出が確認できない。
なのに、攻撃だけが戦闘術士の域へ近づいている。
(どういうこと……?)
試すしかない。
長谷川はあえて回避行動を選んだ。
深が木刀を大きく振り下ろす。
その一撃が地面に叩きつけられた瞬間――
轟音。
土煙。
そして。
地面に縦一メートル近い亀裂が走った。
「うそ……」
固まる深。
だが長谷川は、その亀裂を見つめながら確信していた。
(やっぱり……)
すでに深の攻撃力は、戦闘術士として成立している。
しかも訓練初日で。
長谷川は笑みを浮かべ、再び構えた。
「どうする? まだいける?」
「……はい。もうちょっと」
「じゃあ、かかってきなさい!」
その声と同時に、深が再び踏み込んだ。
さらに十五分後。
今度は長谷川のほうが息を切らしていた。
(速い……!)
威力そのものは頭打ちになりつつある。
だが速度が異常だった。
これまで片手だけで捌いていた長谷川も、徐々に余裕を失い始める。
(しかも……)
依然として、深の体からは霊力をほとんど感じない。
かろうじて頭部周辺にだけ、霊粒子が集まり始めていた。
一方の深。
(……頭、重っ……)
木刀とは別の違和感。
頭の周囲に何かがまとわりついている。
(これ……霊粒子か?)
しかも、それは外から集まっているのではない。
(いや……俺から出てる?)
その瞬間。
世界がゆっくりになった。
舞い上がる土。
長谷川の髪。
服の揺れ。
全てが遅く見える。
(集中するとスローに見えるってやつか……?)
だが。
それでも長谷川を崩せる気はしない。
そう思った瞬間だった。
「うぐっ!」
腹部に衝撃。
次の瞬間、深の体が十メートル近く吹き飛んだ。
受け身も取れず、地面へ叩きつけられる。
「がっ……!」
呼吸が出来ない。
肺の空気を無理やり吐き出しながら、深は地面を転げ回った。
「そんな……急に……!」
長谷川が慌てて駆け寄ってくる。
「ごめんなさい! つい……!」
この一時間、防御しかしなかった長谷川。
だが今、初めて反撃した。
それほどまでに、深の攻撃が危険になっていたのだ。
「大丈夫!? 本当にごめんなさい!」
「……うぅ……ひどいっすよ……いきなり……」
深は長谷川に支え起こされながら、情けない声を漏らした。
その時だった。
「あらっ!? 血が……!」
右肘から血が流れている。
「大丈夫っす……折れてはないんで……」
深が無理やり立ち上がろうとした瞬間。
「きゃっ!」
突然、長谷川が悲鳴を上げた。
「うおっ!? な、なんすか!?」
「……いえ。なんでもないわ」
そう言いながらも、長谷川の視線は深の傷口に釘付けだった。
皮膚の奥。
そこから高密度の霊粒子が漏れている。
(なんなの……この子……)
理解不能。
だが、今はまだ言わない。
長谷川自身、答えを持っていなかった。




