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深はマンションに戻ると、シャワーを浴びてジャージに着替えた。
適当にテレビをつけ、ソファにだらりと身を沈める。流れているのは、どの局も似たり寄ったりの特番ばかりだった。
ぼんやりと画面を眺めながら夕食を済ませると、深は部屋の明かりを消し、ベッドへ横になった。
まだ夜の十時。
眠気はない。だが、なんとなく静かな空気に浸っていたかった。
ここ数日で、あまりにも色々なことが起きた。
知りたくもなかった世界を知り、巻き込まれるように日常が変わっていく。
濃すぎる一週間だった。
――いや、まだ一週間すら経っていない。
これから自分は、どんなことに巻き込まれていくのだろう。
ゆっくり考えられる場所が欲しかった。
できれば、あの河川敷みたいな場所が。
そんな風に物思いに沈んでいた時、不意に携帯電話が鳴った。
せっかくの静かな時間を邪魔された気がして、深は少し苛立ちながら体を起こす。
画面を見ると、花南からのメールだった。
『おつかれ! 長谷川さんから聞いたよ。倒れたんだって? 大丈夫?』
その文面を見た瞬間、深の口元が少し緩む。
『俺もびっくりしたけど、今はもう大丈夫。花南さん、まだ仕事か?』
数分後、返信が返ってきた。
『うん、もうちょっと仕事!
でも深君が無事なら安心した!
それでね、長谷川さんから連絡来たんだけど、この前話してた深君の儀式(?)、今週中にできそうなんだって。結界術班の人たちと予定合わせてくれたらしいよ。
急いでも金曜になるみたいだけど! というわけでヨロ!』
昨日、長谷川の部屋でサイと話していた内容を思い出す。
あの時は「来週以降になる」と言っていたはずだ。
儀式の内容は結局よく分からないままだが、今日みたいなことが起きなくなるなら、それに越したことはない。
少し肩の力が抜ける。
その後もしばらく花南と他愛のないやり取りを続け、深は眠りについた。
気づけば、さっきまで胸に溜まっていた重苦しさも、少しだけ薄れていた。
そして、その日が来た。
朝九時。深は霊能局六階にあるサイの部屋へ呼び出されていた。
エレベーターの中で長谷川と一緒になる。
彼女は相変わらず綺麗な笑みを浮かべながら、軽い調子で話しかけてきた。
「どう? 緊張してる? 昨日ちゃんと眠れた?」
深は階数表示を眺めたまま肩をすくめる。
「いや、緊張はしてないっす。何するのかよく分かってないですし。昨夜も普通に爆睡でした」
「そう。まあ、ちょっと大変かもしれないけど頑張ってね」
(またそれだよ……。みんな“大変”って言うだけで、誰も説明してくれねぇ……)
しかも長谷川の笑顔が妙に意味深で、不安だけが増していく。
そんなことを考えているうちに、エレベーターは六階へ到着した。
「失礼します」
長谷川に続いて部屋へ入ると、そこにはサイの他に四人の女性がいた。
三十代くらいから六十代くらいまで、年齢はばらばらだ。
「おう、来たな」
「あら、まなみちゃん。久しぶりねぇ。元気してた?」
「お久しぶりです、塩田さん。今日は無理言ってすみません」
どうやら顔見知りらしい。
話の流れからすると、長谷川は教官としてかなり評判がいいようだった。
「いいのよ。こっちも久々に東京へ戻れて嬉しいしね。
……それで、この子が中川君?」
「はい。中川深です」
「へぇ……ほんとに男の子なのねぇ」
またその反応か――と、深は内心で苦笑した。
もう何度目かも分からない。
「一応、男っす。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
挨拶が一段落したところで、サイが口を開く。
「さて、始めるかの。恵子、どうすればいい?」
「じゃあ中川君――」
「深でいいです。みんなそう呼ぶんで」
「そう? じゃあ深君、こっちへ」
促され、深は部屋の奥へ向かう。
サイの個室はかなり広い。
二十畳はありそうな空間の中央、応接テーブルと執務机の間に通された。
「ここに座って」
言われるまま床に座る。
すると四人の結界術士が、深を囲むように立った。
その光景を見上げた瞬間、深の背筋に嫌なものが走る。
(……これ、完全に儀式じゃねぇか)
囲まれた自分は、どう考えても生贄側だ。
しかも詳しい説明は未だゼロ。
不安だけがどんどん膨らんでいく。
「じゃあ始めるわね。
少し息苦しくなるかもしれないけど、動き回っちゃ駄目よ。
四人の作る正方形の外には出ないこと。もし出たら最初からやり直しだから」
「はぁ……。ちなみに、その“息苦しい”ってのは?」
地下のウェイト室で倒れた時の感覚が脳裏をよぎる。
「あなたの霊力を目覚めさせる過程のひとつよ。
この中はあなた自身の霊粒子で満たされるわ。それを認識して制御できるようになるまで、少し苦しくなるかもしれない」
「……なるほど。全然わかんねぇ」
思わず本音が漏れた。
長谷川が離れた場所から苦笑混じりに声をかける。
「大丈夫よ」
その直後、サイが塩田へ尋ねた。
「どれくらいかかりそうじゃ?」
「個人差があります。早ければ十五分、長い人だと一時間以上。
ただ、それ以上は体が持たないので途中で止めます」
「うむ。頼むぞ」
「式自体は簡単な結式継続型です。一度結べば維持は自動なので、解除もすぐできます」
説明を聞き終えたサイが椅子へ腰を下ろす。
同時に、四人の結界術士が深へ向けて手をかざした。
「――それじゃ、いくわね」
深は周囲を見回す。
結界というからには、SF映画みたいに光ったり爆音が鳴ったりするものだと思っていた。
だが実際には、四人が静かに手を向けているだけだ。
いや。
よく見ると、全員の唇が小さく動いている。
呪文――だろうか。
それから一分ほど経った頃。
四人がゆっくりと手を下ろした瞬間、深の全身に嫌な感覚がまとわりついた。
(……この感じ)
地下のウェイト室で味わったものに似ている。
だが今回は違った。
あの時のような暴力的な不快感ではない。
ただ“何かが存在している”感覚だけが、じわじわと肌にまとわりついてくる。
数分後、塩田がふうと息を吐いた。
「これで結び終わりました」
他の三人も汗を拭いながら緊張を解く。
「どうじゃ、深?」
「なんか……周りに何かいる感じはします。でも気分悪くはないっす」
その返答に、塩田が首を傾げた。
「あら? 自分の霊粒子放出はないのに、結界は感じられるの?」
「この前も妙な反応をしておったしの。不思議な小僧じゃ」
サイと塩田が顔を見合わせる。
すると長谷川がふと思いついたように言った。
「微量すぎて、私達が感知できないだけじゃないですか?」
「……あり得るわね」
塩田は納得したように頷き、再び深を見る。
「どう? 苦しくない?」
「今んとこは平気っす」
「なら長期戦ねぇ」




