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1-12



 その後、2人はエレベーターで上階へ戻り、『長谷川』と書かれた名札の掛かった部屋の前に到着した。

 花南がノックすると、すぐに中から落ち着いた声が返ってくる。


「どうぞ」


 返事を聞いた花南は、わずかに背筋を伸ばした。


「失礼します」

「あら、花南ちゃん。珍しいわね。どうしたの?」

「はい。実は、明日から入る新人を――」


 そこまで言ったところで、花南は室内にいたもう1人の人物に気づいた。


「あっ、サイさんもおられたんですか。今、大丈夫でしょうか? 新人を連れてきたんですが」


 深も続いて部屋へ入る。

 小綺麗に整えられた室内を見回す暇もなく、“サイ”と呼ばれた人物が笑みを浮かべた。


「なぁに、ちょうどよかったわい。今、まなみとその話をしておったところじゃ。どれ……お前さんが中川深か?」

「はい……」


 深も自然と居住まいを正して答える。

 戦いだの霊能だのを扱う組織に、目の前のような高齢の女性が必要なのか――そんな疑問が一瞬頭をよぎった。

 だが同時に、彼女から漂う“普通ではない何か”も、深は確かに感じ取っていた。


 威圧感。

 恐怖。

 あるいは、長年積み重ねられた重みのようなもの。


 それらが入り混じった不可解な空気が、じわじわと肌を刺してくる。

 深は無意識に息を浅くしながら、サイの視線に耐えていた。


 そんな様子を見抜いたのか、サイがしわだらけの顔をほころばせる。


「そんな怖がらんでもええよ。わしはサイ。ただの占い師じゃ」


 その言葉に、花南がすかさず付け加えた。


「日本で一番の、ね。深君を勧誘したのも、この人の占いなんだよ。ほら、いたでしょ? あの図書館に“シン”っていう青年」


 深は小さくうなずいた。

 同時に、自分がなぜこの老人に恐怖を覚えたのか――そして、それをなぜ簡単に見抜かれたのかを考えていた。


「それで、こちらが長谷川まなみさん。明日からお世話になる人」

「よろしくね、深君」


(……確かに綺麗だ)


 深は軽く頭を下げながら、長谷川を見つめる。

 サイに向けていた警戒心が、一瞬で吹き飛びそうになるほど整った容姿だった。

 柔らかな声色も相まって、同性異性を問わず人を惹きつけるタイプなのだろう。


 ――そして、その視線の先で。


 深は長谷川の左腕が肘から先ごと欠けていることに気づいた。


 生まれつきなのか。

 それとも任務で失ったのか。

 気にはなったが、さすがに聞ける空気ではない。


「それでじゃ。深について、どういうカリキュラムで進めるかを話しておったんじゃが」


「それはちょうどよかったです。私も、その件で長谷川さんに相談しようと思ってまして。紹介も兼ねて連れてきました」


 そう言いながら、花南はどこか安堵したような顔を見せた。

 どうやら、2人の話し合いを邪魔してしまったのではないかと気にしていたらしい。

 ウェイト室では気楽そうだった彼女も、ここでは少し緊張しているようだった。


 すると長谷川が立ち上がる。


「まぁ、立ったままもなんだし、座りなさい。お茶でも入れましょうか?」

「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて」


 深と花南は、サイと向かい合う形で席についた。

 しかし、姿勢こそ落ち着いていても、深の内心は逆だった。

 むしろ警戒心は強まっている。

 初対面の相手が2人いるから――というわけではない。

 深はそこまで人見知りする性格ではなかったし、さっき地下で二十人近い女性に囲まれた時に比べれば、よほど楽な状況だ。

 花南の緊張が伝染したわけでもない。


 原因はひとつ。

 サイから漂う、あの異様な気配だった。


 さらに、席についた後もサイがじっと深を観察するように見つめ続けているせいで、余計に落ち着かない。

 視線の置き場に困っていた深へ、サイがゆっくり口を開いた。


「驚いたのう。確かに占いで見た顔じゃが……霊力はまだまったく備わっとらんらしい。

 深よ、お前さん今まで心霊体験の類に遭ったことはないじゃろ?」

「はい。まったく」

「でも、今、わしから得体の知れん気配を感じとる。違うか?」

「……はい。たしかに」


 答えながら、深は少しだけ笑った。

 今自分が感じている不気味さを、“それが普通だ”と説明してもらえたことで、逆に安心できたのだ。

 少なくとも、自分だけがおかしいわけではないらしい。


「そうじゃろ。まぁ、よい」


 サイがそう言ったタイミングで、長谷川がお茶を運んできた。


「それで、今サイさんとも話してたんだけど……実際に会ってみると、本当に霊力ないのね。これじゃ、明日からの合流は厳しいわね……」


 困ったように眉を下げる長谷川。

 その表情さえ妙に絵になっているが、深は別のことを考えていた。


(このばあさんから感じる気配……これが霊力ってやつなのかもな……)


 霊力という言葉自体、まだ実感はない。

 だが、サイ――いや、もしかすると長谷川からも漂っているこの異様な圧迫感こそ、それなのかもしれなかった。


「はぁ……」


 曖昧に返事をした深をよそに、サイは長谷川へ話を向ける。


「まなみ、あれはどうじゃ? 結界術班の儀式。霊力を無理やり目覚めさせるやつがあったじゃろ」

「はい……確かにありますけど。四方結界になりますから、結界術班が四人必要ですね。最短でも……一週間ほどはかかるかと」


 途中から会話の内容が完全に理解不能になる。

 隣を見ると、花南までぽかんと口を開けていた。


(おい花南さん……そっちも分かってないのかよ……)


「今、東京には一人いるかどうかじゃろ?」

「はい。恐山に数人、富士山に数人、あと島根の出雲に十人ほどいます。ちょうど監視当番の交代時期なので、来週には半分ほど戻ってきますが」

「なら、その後じゃな。まなみ、手配を頼むぞい」

「はい。ふふっ、深君? かなりきついわよ。覚悟してね?」


 急に話を振られ、深は慌ててうなずく。


「は、はぁ……。でも、何をするんです?」


 その問いに、サイはお茶をすすりながら笑った。


「心配せんでええ。死にはせんわい。ちょいと強引なやり方なだけじゃ。かっかっか!」


 まったく安心できない。


「それじゃあ、今週はどうしましょうか。午前中は講義、午後は筋トレかしら。私も午前中なら時間取れるし、午後は他の子たちの訓練もあるしね。それでいい?」


 花南が慌てて返事をする。


「あっ、はい。大丈夫です。あと……事務作業もまだ残ってますので、もしこちらで必要になった場合は……午後なら、お借りしてもいいでしょうか?」


 長谷川はやさしく微笑んだ。


「やっぱり花南ちゃんはしっかりしてるわねぇ。午後ならいつでも連れて行っていいわよ。サイさんも、それで大丈夫ですか?」

「おう。よろしく頼むぞ、まなみ。深もな」


 深は素直にうなずいた。


「それじゃ、わしは占術班の会議があるけぇ失礼するわい」


 サイが杖をつきながら立ち上がる。

 3人も慌てて席を立ち、花南が扉を開けた。


「それじゃあ、花南ちゃん。またな」

「はい」


 花南が頭を下げる。

 サイは、いつの間にか廊下で待機していた黒服のスタッフ数人を引き連れ、そのまま去っていった。


(うわ……護衛付きかよ。やっぱ相当偉い人なんだな……)


 だが、ここへ来てから驚くことばかりだったせいで、深はもはや何も口にしなかった。





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