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第7話 心をずっと覗いてた


「配信で言ってたよな」


篠宮の声は静かだった。


バイト八回目。開店直後の栞堂。店長はまだ来ていない。なつめと篠宮だけが、薄暗い店内に立っていた。


前回、なつめは「自分から話す」と言った。時間がほしいと。


でも篠宮は待たなかった。


「"好感度マイナスは意識してる証拠"。あれ、当たってた」


好感度12。心の声が、初めて長く、途切れなく流れた。


『嫌いだったんだよ、お前の配信が。人の気持ちを数字にして、攻略とか言って、選択肢がどうとか。見るたびに腹が立った。なのにチャンネル登録を解除できなかった。声が耳に残って、次の動画が上がるたびに再生して、自分でも意味がわからなかった』


心の声が止まらない。好感度がプラスに転じてから、篠宮の内面がメガネに映る量は確実に増えていた。壁に亀裂が入ったように、言葉が溢れてくる。


篠宮は続けた。口で。


「で、お前がバイトに来た。声で気づいた。あの配信のやつだって」


「……うん」


「腹が立った。好感度とか攻略とか偉そうに語るやつが目の前にいる。ふざけんなって思った」


好感度12。変動なし。心の声:『でも、お前は——』


「でも」


篠宮が息を吸った。


「お前は配信と全然違った」


棚と棚の間の狭い通路で、二人は向かい合っていた。朝の光が窓から差し込んで、埃が金色に舞っている。


「棚のジャンル間違えても素直に謝る。猫にミルクやったら泣きそうな顔する。本を一冊渡しただけで、世界で一番嬉しいみたいな目をする」


好感度が上がっていく。12。15。18。


心の声:『だから困ってる。嫌いだったはずなのに。嫌いなままでいたかったのに』


なつめは唇を噛んだ。


全部、聞こえている。メガネ越しに。本人が口に出さなかった言葉まで。


篠宮はこうやって、自分の言葉で必死に伝えようとしている。なのに自分はメガネで心の声を盗み読みしている。篠宮が語る勇気を振り絞っている横で、カンニングペーパーを覗いている。


最低だ。


「篠宮くん」


「なんだ」


「ごめん。ちょっと待って」


なつめはメガネに手をかけた。


外した。


世界が変わった。


好感度の数字が消えた。心の声が消えた。篠宮の頭上には何もない。ただの空間。ただの朝の光。


篠宮の顔が、裸眼で見える。怒っているのか、悲しいのか、わからない。メガネがあれば心の声で答え合わせができる。でもそれをやったら、自分はきっと一生メガネを外せなくなる。


「私、逃げてた」


声が震えた。メガネを握る手も震えている。


「配信では偉そうに攻略理論を語って、このメガネで好感度を見て、心の声を読んで——全部、計算して近づいた。最初は。篠宮くんの好感度がマイナスだったから、攻略しがいがあるって」


篠宮は無言だった。表情が読めない。メガネがないから。


怖い。見えないのが、こんなに怖い。


「でも変わった。いつからか、わかんないけど。猫にミルクやってる篠宮くん見た時かもしれない。本を貸してくれた時かもしれない。好感度の数字じゃなくて、篠宮くんのことが知りたくなった」


言葉が止まらなかった。メガネがないから、相手の反応を計算できない。最適解がわからない。選択肢ウィンドウがない。自分の言葉しか頼れるものがない。


「このメガネで人の心が見えるの。好感度も、心の声も。信じなくていい。頭おかしいって思ってくれていい。でも私はそれで篠宮くんの心をずっと覗いてた。ずるかった。だから今、外した」


篠宮は黙っている。


五秒。十秒。永遠みたいな沈黙。


「——知ってた」


篠宮が言った。


「え」


「全部じゃない。メガネのことは知らない。でも、さっきも言った通り、お前が配信者だってことは気づいた。古本屋に来た理由が俺だってことも大体わかった」


篠宮が一歩、近づいた。


「確かめたかったんだ。配信で好感度がどうとか語ってるやつが、本当にそういう人間なのか」


また一歩。


「違った。お前は配信みたいに計算高くなかった。棚のジャンル間違えて、嘘つくのド下手で、猫見て泣きそうになって。あのメガネで何が見えてたか知らないけど——俺にはお前の顔が見えてた」


窓の外でスズメが鳴いた。有線のジャズが小さく流れている。紙とインクの匂いがする。いつもの栞堂なのに、全部が違って見えた。


好感度はわからない。メガネを外しているから。数字が見えない。心の声が聞こえない。


でも、篠宮の声が震えていた。


「お前の目で見てたんだろ。メガネじゃなくて」


涙が落ちた。ぽたぽたと。手の中のメガネのレンズに、透明な雫が落ちた。


「……うん」


「じゃあ、もうそれでいいだろ」


篠宮が目を逸らした。耳の先が赤い。無愛想な顔は変わらないのに、耳だけが正直だった。


メガネをかけたい衝動を、飲み込んだ。


裸眼の世界は不安で、曖昧で、答えがない。でも今この瞬間は、見えないほうがいい。



その日のバイトは不思議な時間だった。


メガネなしで過ごす栞堂は、知らない場所みたいだった。客に好感度が表示されない。店長の心の声が聞こえない。


でも、気づいたこともあった。


篠宮が本を棚に入れる時、指先で背表紙をそっと撫でる仕草。メガネをかけていた時は数字ばかり見ていて気づかなかった。


閉店後、裏口でしおりにミルクをやった。並んで段差に座る。二十センチの距離。


「今日、メガネかけてなかったな」


「うん」


「似合ってたのに」


「かけないほうがいい?」


「好きにしろ」


耳が赤い。この人は本当に耳だけ正直だ。メガネがなくても、それは見える。


「……篠宮くん。私の配信、嫌いだったんだよね」


「ああ」


「でも見てた」


「……うるさいな」


「嫌いなのにやめられないって、それ——」


「言うな」


篠宮が立ち上がった。首まで赤い。


「帰る」


「あ、待って」


「待たない」


早足で去っていく背中を、なつめは裸眼で見送った。


好感度は見えなくていい。あの早足と赤い耳で、十分だった。



帰宅後、ポケットからメガネを取り出した。レンズに涙の跡。


ふと、机の栞が目に入った。メガネをかけて見る。


前に読んだ文章の下に、新しい一行が浮かんでいた。


「好意と執着の違いは、手放せるかどうか」


メガネを外した。裸眼では何も見えない。かけ直すと、文字がある。


手放せるか。このメガネを。


今日一日、裸眼で過ごした。怖かった。でも、見えないまま篠宮と話せた。見えないまま、泣けた。


手放せる。たぶん。


でも、まだ手放さない。次に篠宮に会う時、メガネをかけていく。かけた上で、自分の言葉で伝える。


メガネを机に置いた。


スマホが光った。あかりからのメッセージ。


「なつめ、明日の約束覚えてる? 楽しみにしてるよ」


好感度は見えない。でもこの文面に好意があることくらい、裸眼でもわかる。


「覚えてるよ。私も楽しみ」


送信して、スマホを伏せた。


伝えることは、決まっている。メガネの力じゃなく、自分の目で、自分の声で。


ベッドに倒れ込んだ。天井を見上げる。


篠宮の赤い耳を思い出して、枕に顔を埋めた。


ゲームなら、ここは告白前夜のイベントCGだ。背景は夜の部屋。表情差分は「照れ」。


でもCGなんかいらない。


裸眼で見た篠宮の顔を、もう忘れられない。

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