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第6話 人の気持ちを攻略とか言うな



「最近の乙女ゲー実況ってさ」


篠宮が唐突に言った。


バイト七回目。棚の整理をしながら、珍しく篠宮のほうから話題を振ってきた。好感度5。心の声は非表示。


なつめは平静を装いながら背表紙を眺めた。篠宮が「乙女ゲー」という単語を発音するのを初めて聞いた。あの無愛想な口から「乙女ゲー」。違和感がすごい。格闘家が「マカロン」と言うくらいの不協和音がある。


「好感度を"効率"で語るやつ多いよな」


なつめの手が止まった。


背表紙に指を置いたまま動けない。心臓がうるさい。振り向けない。


「……そう、なの?」


「ああ。好感度がいくつだからこの選択肢を選べ、みたいなやつ。あれ見てると腹立つ」


好感度5から6に上がった。


上がった。


なつめの悪口を言いながら好感度が上がるというのは一体どういう感情の回路をしているのか。


心の声が表示される。


『人の気持ちを攻略とか言うな』


刺さった。


胸のど真ん中に、きれいに刺さった。


「……まあ、ゲームだから。ゲームの中の話だし」


「ゲームでも一緒だろ。好きになるのに効率もクソもない」


篠宮は棚に本を入れながら、独り言のように言った。こちらを見ていない。なつめに向けて言っているのか、それとも画面の向こうの「なつめのガチ攻略」に向けて言っているのか、判別できない。


好感度7。心の声:『お前が一番わかってるだろ』


わかってるだろ、と言われた。


お前が。


この「お前」は、目の前のバイト仲間・桐島なつめに対してか。それとも配信者「なつめ」に対してか。


どちらにしても、篠宮は知っている。


確信に近い予感が、なつめの背骨を冷たく下りていった。



帰宅後。


なつめは配信をしなかった。


パソコンの前に座ったまま、過去の配信アーカイブを再生した。自分の声が、スピーカーから流れてくる。


「恋愛に才能は要りません。必要なのは情報と正しい選択だけです」


三万人に向けて、自信満々に語っている自分。あの声を篠宮も聞いていた。壁越しではない。チャンネル登録者として、何度も。


「好感度マイナスの相手は、根気よく正解を積めば絶対落ちます」


落ちます、と言っている。人間のことを「落ちる」と表現している。ゲームの攻略対象と同じ動詞で。


画面の中の自分の声が、急に他人の声に聞こえた。冷たくて、計算高くて、人の心を数値でしか見ていない人間の声。


篠宮が嫌っていたのはこれだ。


好感度を効率で語るやつ。人の気持ちを攻略と呼ぶやつ。


それは、配信者「なつめのガチ攻略」そのものだ。


マイナス15の意味がようやくわかった。


篠宮はなつめの配信を見ていた。そしてその内容を嫌悪していた。人の感情を数値化して、最適解を語って、効率的に好かれる方法を解説する——その姿勢が、篠宮の信条と根本的にぶつかっていた。


好きになるのに効率もクソもない。


あの言葉は、篠宮の本心だ。心の声ではなく、口から出た本物の言葉だ。


そして篠宮は、その嫌いな配信者がバイト先に現れた時、腹を立てた。マイナス15はその怒りだった。なのに、なぜ好感度はそこからゼロに向かったのか。


なつめは知っている。自分の配信理論が篠宮には通じなかったからだ。セオリーが効かず、ただ黙って棚を整理し、猫にミルクをやる篠宮を見て泣きそうになっていた自分は——配信の中の「なつめのガチ攻略」とは全然違う人間だった。


篠宮はそれを見ていた。配信と実物の落差を。


なつめはパソコンの画面を閉じた。


暗くなった液晶に、メガネをかけた自分の顔が映っている。このメガネで好感度を見て、心の声を読んで、最適な言動を計算して篠宮に近づいた自分は——篠宮が一番嫌いなタイプの人間そのものではないか。


「……私、こんなこと本気で言ってたんだ」


声が震えた。


篠宮がこれを聞いていたら。バイト先で自分と同じ空間にいる女が、裏では「好感度を効率で上げましょう」と語る配信者だと知っていたら。


嫌うのは、当たり前だ。


むしろマイナス15で済んでいたのが不思議なくらいだ。


なつめはメガネを外した。


裸眼の世界はぼんやりしている。好感度の数字がない。心の声が見えない。ただの、薄暗い六畳間だ。


メガネを机に置いた。


篠宮にもらった本が、枕元にある。百二十ページに挟まっていた栞。メガネ越しに見えた文字。


「——の声が聞こえたら、それは"好意"ではなく"執着"かもしれない」


私は篠宮のことが好きなのか。

攻略したいだけなのか。


答えを出す前に、一つ確かめなければならないことがある。


篠宮は、どこまで知っているのか。



翌日。栞堂。


開店前。なつめが出勤すると、篠宮が店の前にいた。


まだシャッターは閉まっている。朝九時の住宅街は静かで、どこかの家から味噌汁の匂いがする。篠宮は壁に背を預けて文庫本を読んでいた。今日はコニー・ウィリスではなく、伊坂幸太郎。ジャンルの幅が広い人だ。


なつめの姿を見て、本を閉じた。


「……話がある」


その四文字で、空気が変わった。


好感度7。心の声が久しぶりに長文で流れ始めた。


『全部知ってる、と言ったら——』


表示が途切れた。


文字がノイズ混じりにちらつき、消えた。メガネのレンズに細かい縞模様が走って、心の声の表示領域がブラックアウトした。


篠宮の口元が動く。


「お前のこと、ちょっと調べた」


好感度7。変動なし。心の声、復帰しない。表示が壊れたのか。それとも篠宮の内面が激しく揺れていて、メガネが処理しきれていないのか。


「お前、——」


「待って」


なつめは遮った。


自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。


「待って、篠宮くん。それ、今は聞きたくない」


篠宮が目を見開いた。


「私のほうから話す。ちゃんと。でも今日じゃない。もうちょっとだけ時間がほしい」


好感度が動いた。7から9。


心の声が一瞬だけ復帰する。


『——こいつ、泣きそうな顔してる』


泣きそうだった。


だって、もし篠宮が全部知っていたら。配信者であること。好感度が見えるメガネのこと。最初は「攻略対象」として近づいたこと。全部知った上でまだここにいるのなら——それは篠宮の好感度が7である理由にはなっても、マイナス15だった理由とは矛盾しない。


最初は嫌いだった。でもバイトで一緒にいて、変わった。


篠宮の中で何かが動いたのと同じように、なつめの中でも何かが動いている。でもなつめのほうは、まだそれに名前をつけられない。


「……わかった。待つ」


篠宮はそれだけ言って、シャッターの鍵を開けた。


開店準備が始まる。日常が戻ってくる。棚の整理。在庫チェック。有線のジャズ。紙の匂い。


好感度9。あと一歩で二桁。


でも数字のことはもういい。


今のなつめには、数字よりも大事な宿題がある。


自分の口で、何を話すか。

メガネではなく、自分の言葉で。


あの栞の警告が頭を離れない。

好意か、執着か。


その答えは、メガネの向こうにはない。

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