24 沈丁花
石段を上り、俺は先日振りに春香さんのいる離れへと足を踏み入れる。こんなにもすぐに再びこの地を踏みしめるとは思ってもみなかったが、変わらず桜の独特な香りが空間を満たしていた。
「真冬はそこに寝かしておいてくれるかの」
よそ見をしていた俺が焦点を合わせ直すと、至近距離に春香さんがゆったりと佇んでいた。桜の華やぐ香りが、頭をくらつかせて仕方がない。
春香さんが言う真冬の一時的な寝床は、入口近くの部屋の片隅だった。毛足の長い毛布が敷かれており、俺はそこに真冬を横たわらせてやる。それだけでは可哀想だと、手近にあった他の毛布を手繰り寄せて真冬の身体に軽くかけた。
「近うよれ」
声が響いてきた先は、雨夜と訪れた時に春香さんを初めて目にした場所だった。肘掛けにもたれかかり扇子を優雅にたなびかせている。
真冬のことは気になるが、表情を見る限りしばらく目を覚まさないだろう。後ろ髪を引かれる思いではあったが、俺は言われるがまま春香さんから離れた正面にぽつんと置かれていた座布団に腰を下ろした。
「春香さん。真冬は大丈夫なのでしょうか」
数分の沈黙の後、耐えきれず俺は静寂を破る。俺を待っていたとでも言うように春香さんは現れた。だから、春香さんがまずは話し始めるのかと様子を伺っていたがどうも違うらしい。
「心配せずともいずれ目を覚ますであろう。同様の事象は過去にもあったからの」
突如として倒れた真冬に俺がしっかりしなければならないと。大丈夫だと、無事だと、心の中で繰り返し唱えていた。だからこそ、真冬の姉としても管理者としても信頼できる春香さんの言に俺はようやく安堵のため息を吐くことができた。だが、付随した発言が引っかかってならない。
「以前にも突然倒れたことがあったんですか? まさか、何か持病があるとか……」
「安心せい。真冬は生命を脅かすような病を患ったことも患っていることもない。今回も恐らく、真冬に秘めた能力のせいであろうて」
あんなに元気そうに見えた真冬に病の影があるのではと不安になったが、そうではないなら一安心だ。と言いたいところだが、やはり絡んでくるのは真冬の核としての能力なのか。真冬本人すら知ることのない、能力。真冬が倒れた時のことを思い返してみても、その能力の発動条件や効果などまるっきり思い当たる節もないし想像もつかない。
ここは春香さんを頼るしかないが、ストレートに真冬の能力について聞いたところではぐらかされるがオチだ。いや、雨夜が問いただした時のように一喝を入れられて終わりだろう。
「真冬が倒れた時、俺たちは真冬の器である鷹司沈来と対面していたんです」
「ほう。鷹司の弟と……な」
だから、一旦ここは真冬が倒れた時の状況を整理し伝えることで、原因究明を図るよう仕向けてみる。管理者という立場上、俺と真冬に何があったかなんてすべてお見通しかもしれないが、打てるだけの手は打っておくべきだろう。春香さんも相槌を打って話を聞いてはくれそうだ。それに、かろうじて聞き取れた春香さんの相槌の後の言葉を聞くに、鷹司は見知らぬ人ではなさそうだしな。
「まあ、色々ありまして。なぜか突然、鷹司の奴が俺をナイフで刺してきたんです。その様子を隣で見ていた真冬は、うなじを押さえて倒れてしまいました。結果的には鷹司のナイフはオモチャで、ご覧のとおり俺は何ともなくピンピンしているのですが」
あんな衝撃的なことがあったにもかかわらず、我ながら事のあらましについて要点を押さえて簡潔に説明できたと誇らしくなってきた。言い換えれば端折りすぎとも言えなくはないけどな。
春香さんは俺の話を静かに聞いていた。その間、特に驚きもせずその他何のリアクションもなかった。話し終わると春香さんは口元を隠していた扇子をパチリと閉じ、興味深そうにゆっくりと一つ頷いた。
「ふむ。やはり能力を使用しようとし抑制されて意識を失ったのだな」
「能力を抑制……ですか?」
俺は記憶を呼び起こし、春香さんの言わんとすることを必死で考える。普段であればこんなに頭を使うことなど高校入試か中間期末テストぐらいしかないのだが。高校に入学してからこの一か月、どうしてもインプットが多すぎて相手の発言にすぐ対応できないことが多くなっている気がする。
そこから数秒。思い当たったのは、春香さんが見せた何とも艶めかしい背中の桜。神水家に伝わるいずれ強大な力を持って生まれ落ちる子への対策として刻まれた印。その刻印は消えない限り能力を抑制する機能を果たすと言っていた。
「その顔、以前説明した内容を思い出したようじゃの。余に刻まれし桜の印と同様、真冬にもまた刻印がなされておる。真冬が押さえておったという首筋の裏。まさしく、沈丁花の花が刻まれし場所」
「ジンチョウゲ……?」
聞き慣れない単語を俺は辿々しく繰り返す。
花の名前なんて俺にはわからない。春香さんの背に咲く桜は国花だし、節目ごとに入学卒業を祝ってくれるんだから知らないわけがない。チューリップや紫陽花くらいならわかるな。プラタナスも今まで学校の校内で散々見たからわかるが、あれは花が咲くのか?
なんて、俺は思考を斜め上の方向に飛ばすことによって知らず知らず現実逃避をしていた。春香さんの続く言葉により一瞬で現実に引き戻される。
「沈丁花は小さな花が鞠のように集まって咲く、香り高き花。その白く小さき花が、真冬の能力を抑制しているのじゃ」
ようやく、合点がいく。
真冬が体育の授業でもどんな時でも、あの長くきれいな髪の毛をおろしたままにしている理由を。真冬のポニーテールはレアもので、拝んでみたいとほざいていた石原のことも。今ここで石原が頭をよぎったのは完全に負けた気がするけれど。
沈丁花という花が、真冬のうなじには刻印されている。春香さんのあの美しい桜の刻印を見てしまったからか、刻印とやらはてっきり桜モチーフのものだと勝手に思い込んでいた。それに、大小大きさはあれど印は背中に刻まれるものなんだとも勘違いしていた。
そうなると俺は。真冬が倒れ苦しんでいる中、不謹慎ながらも真冬のうなじが、刻まれた沈丁花の花が、気になって仕方がなくなってくる。もちろん、ポニーテール姿の真冬もだ。
「それで、真冬のどんな能力が抑制されたんでしょうか。当時の状況を考えても、俺には皆目検討がつかないのですが」
俺は勇気を振り絞って一歩踏み込む。踏み込んだ先によっては、ここで話は終了、真冬を置いてこの場からあっという間につまみ出されてしまうことだろう。
「ほう。……汝には知る権利がある、か」
そんな覚悟を決めこんでいた俺だったが、春香さんの返答はあまりにもあっさりとしたものだった。踏み込みチャレンジは無事成功したわけだったが、代わりに引っかかる物言いをされてしまった。俺には知る権利があるとは、何とも含みがある。裏を返せば、俺以外には権利がないってことだもんな。
「ふふ、そう身構えるでない。余は管理者じゃ。中立の立場にて物を言わねばならぬ」
扇子を再び広げ、覗く瞳に柔らかなものはない。確かに、雨夜とともに人類存続審判の話を聞いた時と同じピリリとした雰囲気に変わっていた。それではなおさら身も固くなってしまうってもんだ。
「真冬は、汝が刺された時、刻印を押さえ膝をついたと言っておったな。目の前で見知った人間を失うと認知した。無意識下にて、その現象を拒否したのだ。つまり、その現在をなかったことに『再構築』しようとした」
再構築、だと?
新たなワードの出現に、毎度のことながら俺は混乱に陥る。受けた内容を易しく噛み砕いて翻訳し直してくれる雨夜はここにはいない。誰かに頼らずとも意味を理解しなければいけないのだが。俺の脳味噌はそんなに回転速度が早いものではないんだ。
「なに。難しく考える必要などない。言葉どおり捉えるがよいのだ。再構築……『世界を思うが姿に再生する』。それが、真冬の能力なのじゃよ」




