第9話 小学生名人戦県予選
小学生名人戦に参加するのは、来年小学生になる幼稚園の年長~小学五年生まで。俺たちはその年長として参加するわけだ。
「とおいー」
俺たちの周りに将棋教室が無いことから分かるように、名人戦予選の会場も遠い。もちろん、俺たちは車の中で待っているだけであるが。
「仕方ない」
そう言いながら、手持ち無沙汰の俺は美宇の頭を撫でようとして…………直前で頬に方向転換する。
「ん…………なんでほっぺー?」
ちらっと運転している母の方を見て答える。
「頭を撫でると、髪が崩れるからな」
と言っても櫛を通して整えてあるだけだが。母に美宇の頭を撫でないようにと釘を差されているのだ。
頬から首の辺りを撫でられ、少しの間くすぐったそうに身を捩っていたが、やがてイヤイヤと首を振り始めたので手を引っ込める。
「んー…………なんかしよ」
「将棋はだめだぞー」
これから大事な対局だというのに、やる前に疲れるってのはな。
「車で酔ったら大変でしょ?
寝ときなさいな」
俺の母からも注意が飛んでくる。
寝起きだと頭が働かない可能性も。
「着く前には起こすから、それでいい?」
「……はい」
俺は反論を諦めて、背もたれに体重を預け、楽な姿勢を取る。
「ん」
美宇がこちらに体重を預けてきた。
幼稚園の帰りに何度も見てきた光景だ。美宇も慣れたもので、こちらに負担がかからないように寄り添ってくれる。
あー、人肌が心地いい。
こんな幸せがいつまでも続けば、それで俺は満足だな……。
美宇の寝息をBGMにそんな妄想を続けていると、俺もいつの間にか夢の中へ落ちていた。
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「ついたー」
「着いてた」
「運ばれましたー」
最後の一言は、助手席に乗っていた美宇の母親の言葉だ。昨日夜更かししたとかで、俺たちより早く寝ていた。
「帰りはアナタが運ぶのよ」
「はーい」
うちの母親に睨まれた美宇の母親は笑顔で返事を返す。
……母親同士仲が良すぎない?
――クスクス。
「…………」
美宇が笑ってるたり、大会前の緊張をほぐすために漫才しているという可能性も。
ほんわかしている美宇の母親がボケで、目付きの鋭いうちの母親がツッコミか。いい配役だな。
「バカなこと考えてないで、行くわよ」
「はい」
叱られる俺を見て、美宇は楽しそうに笑っていた。
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「…………」
会場に着いた感想は、意外に狭い、だ。参加者は約60人。新6年生までの部に限れば約30人である。一つの県に於ける大会の参加人数と言われればすごく少ないように感じてしまう。
「意外に少ないー?」
あなたが口に出すんですか、美宇のお母さん。
「毎日将棋漬けの人生を送っている小学生が県に100も200もいてたまるもんですか」
確かに。
受付を済ませると、番号札を渡された。
この番号のテーブルで待機し、終わったら受付に報告。また番号札を渡されて次の対局へ、という手順らしい。最初は2勝で勝ち抜け、2敗で失格の予選が行われる。つまり、30人中半分は予選で落ちるわけだ。その後、残った15人でトーナメント戦が行われ、優勝者兼、県代表が決まる。
「まだ少し時間はあるけど……」
やることがないな。
他の人は既にテーブルに付いていたり、何人かのグループで駄弁ってたりしている。中には将棋の本を一人で読んでるやつもいた。テスト勉強か何かかな?
「いくー?」
美宇はテーブルに座って待っていたいらしい。
流石に初対面の人間がいる前で美宇とイチャつきながら待つのもな。俺はいいが、美宇が疲れてしまいそうだ。
「んじゃ、行くか」
ということで、早めにテーブルに付くことにした。
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「こんにちはー」
「こんにちは」
私は、先に待っていた相手に挨拶して、席についた。
相手は、私のことをじーっと見つめてくる。ちょっとこわい目つきと、その雰囲気から、私は弦くんのママを連想した。
そう、対戦相手は女の子である。
「あなた、見ない顔ですが、別の県からではありませんよね?」
「ん?」
声は思ったよりやわらかい。けど、とても緊張していることが伝わってくる。雰囲気がとげとげしいー。
……べつの県?
「いや、こんなちっさいんですし、初参加ですか」
「そうー」
ちっさい……。
県大会で別の県からってあるのー?
「……ごめんなさいね。
たまにいますの。
自分の所の県大会で勝てないからと、別の県大会に参加する子が」
あー。
30人くらいしかいないんだし、県によって強い、弱いがあるんだー。
「そっかー」
「あなた、年長さん?」
「うん」
それを聞いて、相手は少し笑みを漏らした。
雰囲気が和らいだのがわかる。
「私も年長の頃から参加していまして、今は小学二年生ですわ」
「へー」
この人もなんだー。
「だから、低学年の部は今年が最後」
「あー」
だから、か。
「そう。
私は少なくとも、知り合いの中で一番強い。
今年なら……」
だから、ピリピリしていたのだ。見たことないわたしを見て、他の県から来たんじゃないかって。小学二年生のこの子より大分ちっさいわたしを見て、同学年の子じゃないかって思ってしまうほど、緊張していたのだ。
「あなたも、今年は1勝も出来なくても、楽しむと良いわ。
私も、初めて出場したときは、勝ち負けより自分の力を出し切ることが、最高に楽しかったので」
「…………」
彼女は、とてもいい笑顔でそう言った。
……将棋が楽しい、かぁ。
わたしも弦くんといっしょに指す将棋が楽しい。強くなって弦くん一緒にいるため、弦くんに抱えられながら指すネット将棋も楽しい。一人で記憶しておいた本を読むのも、一人でネット将棋を指すのも、強くなって弦くんと一緒にいるためだと思えば、悪くはない。
でも、一人は寂しい。
一人で将棋の勉強をするのは、一人でネット将棋を指すのは楽しくない。
わたしは、たぶん将棋が楽しいんじゃない。
弦くんといっしょにいられるのが楽しいんだ。
「そういえば、名前を言ってなかったわね。
私は璃子。
あなたは?」
「美宇」
「美宇、美宇ちゃんね。
覚えましたわ」
「……璃子さんは、将棋が好きー?」
「?
もちろん。
大好きですわ」
「わたしもー」
わたしも、弦くんとする将棋が好きー。
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「時間になりました。
対局を開始してください」
「「よろしくおねがいします」」
振り駒…………私が後手ね。
2六歩。
居飛車明示、ですか。
私は3四歩と返し、2五歩、3三角、7六歩、4四歩、4八銀、4ニ飛。
私の四間飛車対居飛車の対抗系になりそうね。
6八玉、3ニ銀、5六歩、6ニ玉、7八玉、9四歩。
この9四歩は居飛車側に穴熊ですか、と問いかける意味がある。9六歩と突き返してきたら、基本的に穴熊はない。端が破られやすくなるから。
それに対して美宇ちゃんの応手は7七角。
穴熊に行きます、と返事を返されたわけだ。
居飛車穴熊は勝ちやすい戦法としてプロでも猛威を奮っている戦法。しかし、いくら洗練されたとはいえ、囲うまで時間がかかるのもまた事実。振飛車側にしっかりと対策をされれば居飛車側はその場でその対策をこじ開ける対策を考える必要に迫られる。
この将棋は持ち時間15分。秒読み30秒はあるけれど、初めて見る戦法(対策)に対する対策を考える程に長い時間ではない。むしろ、初めて見た戦法に動揺してるうちに、何も出来ずに終わってしまうほうが可能性としては高いでしょう。仮に対策を打ち立てたとしても、見慣れない形になってしまえばミスをする可能性も、自分だけ手が見えない局面に行く可能性も上がる。だからといって、そこから慎重に行けるほど時間が残ることもない。私の戦法はそこまで甘くないので。
美宇ちゃん。
あなたに、僅か15分で私のとっておきを攻略できるかしら?
9五歩、8八玉、7ニ玉、5七銀、8ニ玉、5八金、7ニ銀、9八香、4三銀、9九玉、5ニ金、8八銀。
ここまでは基本的な駒組み。穴熊対策として、四間飛車側から居飛車穴熊側へ急戦を仕掛ける策もあるけれど、そういう策は事前に対策されやすい。だから、私の好みとしては穴熊が完成するまでの間に陣形を整えること。
3五歩、1六歩。
3五歩は相手に3六歩と突かれない用にする効果と、将来的に3六歩と攻めに使う価値がある。1六歩は将来的な1五角を防いだ手。穴熊側はさっさと囲いを完成させたいのでこういった手は後回しにしたいだろうけれど、3五歩と3七の歩を狙われれば1六歩を入れないのは危うい。
そして3ニ飛。
ここからが私の用意の策。四間に一度振った飛車をもう一度振り直すので手損ではあるが、事ここに至っては関係ない。私の用意した策に対応できれば美宇ちゃんの勝ち。対応できなければ私の勝ちだ。
美宇ちゃんの応手は……2六飛。
ここで躊躇なく2六飛、ねぇ。
まさか、すべてを見切っての2六飛とまでは思わないけど、美宇ちゃんもやるわね。
普通、ここは2六飛に変えて7九金と金を引き付ける場面。
その後、5一角と角を引いた後、2六飛と飛車先の交換を防ぐ一手を指すのがわかりやすい手順ね。
にもかかわらず、7九金を省略したのは、より攻撃的にこちらの作戦を潰しに来ているから、というのは考えすぎか。しかし、単に先受けする方が安定だと考えた、ということはないでしょう。むしろ、まだ角を引いてないこの段階で飛車を浮かせるのは咎められるリスクすらある。それを考えれば軽々に飛車浮きという選択肢は選べないはず。
「…………」
対策されて、それでも尚角を引くか、それとも相手の浮き飛車を咎めに行くか。
普通に考えれば、この2六飛は思い切りが良いだけの一手。多少条件が悪くなろうが、一番慣れている角引きで戦うべき。理性はそう告げるが、感情は浮き飛車を咎めたほうが良いのではないかと考えてしまう。
その理由は、美宇ちゃんの指し方にこそあった。
迷わず指したその一手は、思い切りが良いだけの一手というより、最善手だと信じて疑わない人間の一手に見えてしまったのだ。
つまり、私の目には用意してきた作戦を、完全に読み切った上での2六飛に見えている。
……バカバカしい。
たかが年長、たかが初出場。
私が年長の頃、小学生にもならず初段に到達した子はいないという話を聞かされた事がある。だから、一つも二つも年上で強い相手には勝てなくて当然だと。
今目の前にいるのは、あの頃の私だ。
引くものか。
見せつけてやる。
今の私を、あの頃の私に。
5一角!
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来た。
一分程考え込んで、璃子さんは5一角。
わたしとしてはー、難しい局面になりがちな5一角より、浮き飛車を咎めに来てくれたほうが楽だったんだけどなー。
4六銀、3四飛、6八角。
ただ、7九金をしょうりゃくした効果でー、3三桂と跳ねられてないから、難しい局面に行きはするもののー、条件はいい。こっちは予定通り、穴熊の囲いを放っておいて、3四飛車を咎めに行くー。
璃子はさんはなぜかこの流れに一瞬息を飲んで、4五歩。
これを同銀と取ってしまえば銀が使いにくい。だから3五銀ー。3四の飛車を咎めに行きつつ、飛車先のとっぱを狙いに行くー。ここで飛車の逃げ場所はいろいろあるけどー、璃子さんは7四飛を選択。
一応7七銀で7六の歩は守れるけど、4三の銀を使われると7六歩の歩は結局受からないので放置してー、2四歩、同歩、2ニ歩打。
これが3三桂と跳ねさせなかった狙いの一手。
今のところは、記憶のはんいだから、勝負はここからかなー。
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やはり、穴熊の囲いを放置して、3四の飛車を狙いに来るのね。攻撃的に作戦を潰しにきたというのは考え過ぎではなかったようだ。四間飛車対居飛車穴熊に於いて、四間飛車側が三間に飛車を振り直し、3四から飛車を使っていこうという構想そのものは昨年の竜王戦でも見られたもの。だから、ここまではいい。相手の知識が最新の棋譜に及んでいたと言うだけの話。
問題はここから。
本題はここからだ。
3三桂、2一歩成、3四銀!
私の作戦は昨年の竜王戦のものと比べて複雑さに欠ける。単純故に一手対策が遅れれば致命傷を負わせれる代わり、仕組みがバレれば対策も簡単だ。早めの2六飛。だからこそ、研究相手との検討で、早めの2六飛から用意の策を潰される可能性と、その場合の対策についても考えていた。その一つが浮き飛車を咎める形。
そして、もう一つがこれだ。
44手目、3四銀。
本来は、県大会か、県予選を勝ち抜いた後、私が対局した棋譜から対策を練られた際に使うはずだった一手。まさか県予選の初戦、しかも年長の、初出場相手に使うことになるとは、思いもしませんでしたが。
「…………」
しかし、駄目だ駄目だとわかっていながら、顔がニヤけてしまいそうです。思いもよらない展開で棋力を競い合うのも嫌いではありませんが、用意の策をぶつけたこの快感、やはり堪らないモノがありますわね。
大局的に考えれば、秘策をここで披露することになったわけですし、喜んで良いことではないとわかってはいるのですが、自身の全力をぶつけるこの展開こそ、将棋指し冥利に尽きるというもの。興奮せずにはいられませんわ。
…………さて、美宇ちゃんの手も、対局始まって以降初めて止まりました。
ここは同銀も、2四銀も、2四飛も1一と金もありえましょう。2ニと金や、3一と金、ここで7九金なんて選択肢もあり得ますわ。しかし、事前に考えてきた私と違って、美宇ちゃんに与えられた時間は僅かに15分。
早く決断しなければ、時間で決着が付くことになりますわよ?
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んー……。
せっかく出来たと金をゆうこー活用するなら、2四銀で激しい展開を避けたいけど、2四銀には4六歩がなー。
これを同歩と取ってしまうと、2四にいる銀に角の効きが効かなくなっちゃうから、2五銀で、
飛車取りと2四の銀取りが同時には受からない。
だから、4六歩には同角なんだけど、
2五歩、2八飛車、4五銀、6八角、5六銀。
この後桂馬が4五に跳ねれば、攻め駒が飛車、銀、桂に加えて、2四の銀がいつでも取れる質駒になるから計4枚。更に歩を一枚手持ちにしてるから端攻めも来ちゃう。駒損の攻めになりそうだから、受けきれれば勝てそうだけど、この展開は考えたくないかなー。
だから戻って、
これを同銀と取ると、同飛車、1一と。
ここは2四角が先手になってるから、2五歩……は、1三角成がまた先手になっちゃうし、2五桂?
これなら2四角を防ぎつつ、3七桂成りを見せて先手も取れてる。
【13:17】
ここまでかなー。
この展開になるなら香と、と金がある分戦えそうだし。
1一と金の所、2三銀打もなしではないかもしれないけど、ここに銀を使うなら読み切る必要がある。そして、その時間はない。
だから、同銀、同飛、1一と!
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取ってきましたか。
まぁ、3五の銀を取らせる展開は私に主導権を渡しかねない選択ですし、2四銀は両取りが見えるので選びにくかったでしょうから妥当な選択ではありますね。1一と金も香を受けに使える選択肢を残すので対応に柔軟性が残る。
この子、体躯に似合わず、もとい年齢に似合わず素の棋力も相当なものとお見受けしますわ。これは一瞬足りとも油断できませんわね。
2五桂!
だからこそ、私も間髪入れずに次の一手を放つ。ここはまた先手の手が広い場面。美宇ちゃんの時間を削るような指し方ですが、悪く思わないでくださいな。容赦はしない、いえ、容赦できるほどこちらに余裕はありませんので。
美宇ちゃんの手が再び止まる。
ここは単純に3六香や3五銀で3七の地点を受けてもよし。そこを放って7九金、3七桂成、3五香などという展開もある。わたしの予想では美宇ちゃんは先受けの類が好きだと見て3六香を予想していた。2六飛もそうだけれど、穴熊の完成を置いといて、攻撃的に受けてくる辺り、相手がなにかする前に潰して有利を取って行くスタンスが見て取れる。
しかし、そんな美宇ちゃんが選んだ選択は――
――2一と金。
ここで受けに手を入れず、じっと2一とですか!
6九の金は浮いたままで、6八角のせいで5八の金が左に寄れないこの状況を押して、2一と! 下手をすれば敗着級の一着にも成り得るというのに。しかもそれに掛けた時間は僅かに2分。元が15分ということを考えれば大きい2分ですが、その時間で3六香や7九金、7七角より2一と金が優れているなどと読み切るにはあまりに短い2分。
だとすれば読んでいたのは3六香などの直接的な迎撃択であったはず。それらを選ばなかったのは、まぁいいでしょう。私もその展開は後手やれると読んでいましたし。
しかし、流石にここで2一と金は痺れますわね。こちらが攻め続ければ、まず間に合わないでしょうに。ただ、美宇ちゃんの言いたいことは明白ですわね。
――このと金が間に合ったら、私の勝ち。
いいでしょう。
受けきれるものなら、受けきってみなさいな。
3七桂成!
==========================
【11:02】
ここは3五香打、2五歩、
同飛車、2四飛車。
3五に打った香が銀ならこの展開はなかったけどー、
同飛車、同角、3四銀打、5七角、2五歩で、こっちの飛車も取られちゃうからだめー。
戻って、
3七桂、2五飛、同桂、2九飛打。
7九金でもこの場は受かるけどー、この形なら7八銀打が手筋かな。
攻め駒は足りてるしー。
2五飛成、3ニ香成、
============================
ここは8四桂打が見えますが、1三角成、7六桂、7七銀左、9六歩、同歩、9七歩打、同香、9五歩打、同歩、9六歩打、同香、8五銀打で
これは少し足りない。
だから、こっちから行きましょう。
9六歩、同歩、9七歩打、同香、9八歩打、同玉、8五桂打、
穴熊崩しの基本的手筋。さっきの手順では9一の香が攻めに参加できなかったらから、桂、銀、龍を配置しても攻め駒が足りなかった。けれど、これなら攻めが続く。わたしの玉はまだ固いから、攻めさえ繋がれば勝てるはず。
「…………」
3一と、ですか。ブレませんわね。こちらは2四角で眠っている角を攻めに活用しましょう。
4一と。穴熊の硬さに任せて、と金を1一から4一まで運ばれましたが、攻めは明らかにこちらのほうが早い。
9七桂成!
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同銀が手筋。
……いつのまにか、囲いが左美濃してるー。
9ニ香打。
んー、ここで4ニ成香、同金、同と、は同角で全部払われちゃうからだめ。
先に2四角、同龍を入れてからなら、4ニ成香、同金、同とで入りそうだけど、
ここで9六香、同銀、同香、9七歩打、同香成で
同玉なら9九角打、同桂なら9六歩から危ないー。一瞬9四桂打から切り返せそうに見えるけど、2四にいる龍のせいでそれもむりー。角交換で自然に2四龍とさせるのが不味そう。
だから、戻って、
ここで8六桂打なんてどうだろうー?
それなら、9六香に9四桂打で
これは同香なら9四桂で受けきれた上に相手の玉が危ない。それに、さっきの手順で8五に桂がいれば、今度こそ9四桂から切り返せそう。
……ただ、相手も8五銀打でもう一枚足してくるー?
逃げ道を塞ぐことになるけどー、8八桂で耐えにいくとー?
これで、相手の手は2九龍くらいだけど、そこで2四角、同龍と龍を引き戻させて、3一飛打なら、これはこっちの勝ちかな?
だけどー、2九龍の所、相手から6八角成、同金、2九龍とされた時、
これどうやって受けるんだろう?
ここで3一飛打は9六香からさっきより危ないかもー。
なら、6六角打で9九角打とかなくす?
でも、1九龍と香を補充されて、3九歩打で龍の効きを遮断して、9三香打で足された時、
やっぱりこれも危なそう。
【9:07】
それでも、この局面を選ぶか、戻って、
この局面を選ぶか、だねー。
読むのが簡単なのは、明らかに後者。だから、もっと深く読もうかな。わたしの玉が詰まなければこの局面を、詰んでいるならもう一つの局面を選べばいいー。
ただ、こっちの読みを外しに来た場合も考慮するなら、時間はあまり消費できない。それに、もう一つを選ぶことになった場合も、読みきれないなりに時間を使うことになる。
わたしの読みが間に合えば勝てそう。
間に合わなければ終わり。
つまり、いつものことー。
======================
長い。10分代から考慮を始めて、既に8分を切った。恐らく、考えているのは受けるか、攻めるか。2四角、同龍、4ニ成香、同金、同と、で攻めに出れば、9六香からのカウンターで私の勝ち。だからといって8八桂や8六桂と耐えても2九龍から香を拾ってこちらの攻めが止まらない。ならその間にこちらを攻め潰せるかと言うと先手にそんな早い攻めはない。これが私の読み。
そして、ここで手が止まるということは、多分美宇ちゃんも同じように読んでいるはず。だとすれば…………これは勝ちましたわね。美宇ちゃんに残された手段としては場を複雑にして私に間違えさせる策。時間内に読みきれない局面を作れば、後は指運の勝負。それにしても、攻める私と受ける美宇ちゃんでは、結末も見えてますけど。
・
・・
・・・
これで6分を切った。
……………………おかしい。
長過ぎる。
局面を複雑にさせたいだけなら、ここまでの時間は必要ない。
読んでいるのではなく、ただ悩んでいる?
切れ負け勝負ではないとはいえ、そんな事ができるほど易しい時間設定ではない。それでも、ぐだぐだと悩んでいらっしゃるなら、お望み通り時間で押しつぶして上げますが。
ちらりと、私は美宇ちゃんの顔に視線を向ける。
「ッ!」
美宇ちゃんは、目を瞑っていた。
持ち時間わずか15分の将棋でそれをしますか!
脳内将棋盤、というのは誰でも大小あれど持っているもの。しかし、それは持ち時間無制限に近い状況で使うもので、こんな短い将棋で使うものではない。アレはとにかく使用に時間がかかるものだ。現在の盤が目に入る方が邪魔なくらい深く読む、というのがどれほど負荷がかかることか、どれほどミスを誘発するかなど考えるまでもない。今回のように、詰むや、詰まざるやを読むというのであれば総当たりに近い読みを要求される。特に不利な状況で、受ける側だとすれば尚の事。それを脳内だけで、ミスなく読み切る? 不可能だ。現実的じゃない。…………ただ、もし美宇ちゃんが盤面を複雑にするより、危うい局面を読み切るほうが楽だ、などと考えたのであれば――
「ふー……」
――パチンッと響く駒音と、美宇ちゃんの浮かべた安堵のため息に、嫌な想像を掻き立てられる。
勝ち筋を見つけて、喜んだような様子は見られない。ただやるべきことをやり遂げただけ。そんなふうに見えてしまうのは、私が弱気だからか、それが真実だからか。
美宇ちゃんが指した一手は2四角だった。
局面を複雑にさせようという一手ではない。
受けに手を入れず、攻める一手。
つまり、こちらの攻めを読み切ったという宣言である。
=====================
どうする?
私は美宇ちゃんの放った2四角に即座に同龍と返し、今3一飛打と打ち込まれたところだ。
ここで私は二つの選択肢がある。一つは、美宇ちゃんが読み切ったと宣言する局面に突っ込む選択。もう一つは私の方から局面を複雑化させに行く策。ただ、後者を選ぶなら、相手の攻めに対応する形で複雑化を狙うのは難しい。美宇ちゃんはと金と成香に飛車までついてる上に角と桂を手持ちにしているのだ。受けきることは不可能。
だから、やるなら8五銀打と8八桂打の交換を入れるくらい。
私から銀桂交換を申し込むことにはなりますが、将来的な6五桂の筋と、相手の読みをはずさせるという意味では、実践的な一手と言えるでしょう。…………ただ、これを選ぶということは、9六香で私の勝ちという読み筋を、大局観を放棄するということ。
確かに、手の善悪を問わず相手の注文通りに指すことは良いことではない。まして、相手は貴重な5分を使って9六香で私の勝ちだと、やって来いと言っているのだ。こちらが詰みまで読み切れていないのだから、尚更拒否するのが当然の一手に思えてくる。それに、拒否して多少形勢を損ねたところで、今なら時間攻めを狙うこともできましょう。
しかしッ!
私の培ってきた形勢判断能力は9六香で勝ちだと、他の手は紛れを起こさせるだけだと囁いてならない。少なくとも、私ならこの局面は受けきれない。私は机上真理より、先を読みにくく、一手間違えれば終わるような、相手にとって苦しい局面に持ち込むことを優先するタイプではある。しかし、それは自身の読み筋や大局観に自信がないからではない。そんな事があってはならない。自信があるからこそ、自分では乗り越えられないような苦しい局面に相手を誘導するのだ。私の感覚では、8五銀打は時間攻め以外の勝ち筋がない。
であるなら、選ぶべきは9六香でしょう。
私の感覚が正しければ、9六香は形勢的に、8五銀打は時間的に苦しい局面に持ち込める。むしろ9六香の後、攻めきれなくとも、延々と攻めを続けていれば相手の時間切れだって狙えるはず。
…………それに、理性だけでなく、感情的にも選びたくはない。ここまで、相手の動きは1一と金を間に合わせようとする以外は想定内。そして今、それを咎めてこの状況を作り出したと私は自負している。だとすれば、こんなところで紛れを狙いに行くなど、納得できるはずがないでしょう!?
だから、ここは9六香一択です!
===================
ん、それでも9六香かー。
璃子さんは、私が長考した後一分ほど考慮時間を使ってた。これは私が考慮していたことを含めて、どうするかを考えていたはずー。だから、わたしが9六香の先を深く考えていたのも知っている。知っていて、それでも9六香を選んだんだ。私の読みに、真っ向から反発してきた。
だから、後はどっちの読みと感覚が正しいか、それだけ。
同銀、同香、9七歩打、
同香成、同玉、
ここまでは、一直線。
次は9四龍も、9六歩も、9九角もあって、そのどれもが受けにくい。だから、多分璃子さんはこの局面を優勢と見てる。ただ、ここで璃子さんの手が止まった辺り読み切ってこの変化に入ったわけではなさそう。
とりあえず、最初に見えたのは9六歩打。
取るといかにも危ない一手。実際これを取ると9九角打と退路封鎖で受けがない。
これは4ニ成香とかで放って置くとー、9四龍、9五歩打、8五銀打、9七玉、9五龍、9六歩打、同龍で簡単に詰んでる。
だから4ニ成香に変えて9五歩打で受けるくらいだけど、8八角成がまた詰めろ。
やっぱり4ニ成香なんてすると、8五銀打、同玉、8四龍、9六玉、8五銀打で詰み。
だからといって、8五に銀を打たれないように、先手側から8五香か8五桂なら9四銀打で受けなし。
放っておけば8五銀で同じことだし、同歩なら同龍、9五歩打、8五龍、同玉に9三桂跳ねがぴったり。
以下7五玉、7四銀打、8六玉、8五銀、7五玉、7四歩、6五玉、7三桂まで。
だから、
9六歩打には逃げるしかないんだけど――
===============
とりあえず叩きましょうか。
9六歩打、8八玉、
取ればどうやっても詰みそうなので、当然逃げの一手。ですが、ここで9九角が厳しい一着。
これも取れば9七銀打から受けなしなので、7九玉、8八銀打、6八玉、
ここから王手はありませんが、攻め続けるなら8九に良い駒が落ちてますわね。
8九銀不成、同銀、6五桂打!
これで逃げ場はない。詰めろでないとはいえ、次の7七角成を許せば、7九玉と躱した後、9七歩成がまた詰めろ。しかも受けなし。こちらの玉は美濃囲いが残ってますし、9四桂打の筋は2四の龍が守っているので鉄壁。
故に、美宇ちゃんも7九香打で更に受ける。
さて、ここで7七銀打なら5九玉、2九龍、4九桂打と言ったところでしょうか。
これでは9九に打った角が使えず攻めが切れている上に、龍が2九に来ているので9四桂打からの逆襲の筋があって負けですわね。
しかし、2四の龍を守りに使ったままでは勝ち筋もない。
ここは2八龍で勝負ですわ!
ふふ。4枚の攻めは切れない、玉は包むように寄せよ、なんて格言もありますが、これはその通りの状態で、気持ちのいい攻めですわ。ついでに5七銀打からダメ押しの詰めろ。
これをどう受けてくるか――
――4九桂打?
てっきり4八銀打で受けてくると思いましたが。桂馬はそもそも受けには使いにくい駒。4九桂打では打った桂馬が浮いている上に、受けきれた際に9四桂打や7四桂打など攻めで使いたい駒だったはず。
今更こちらの読みを外そうなんて考えてるわけではないでしょうし。時間も10分近く余っていますので読みを外したところで考え直せばいいだけの話ですし。
…………まぁ、銀でも香でも4六歩、でしょうね。
これを同歩と取れば、4七歩打で、次の歩成が詰めろになる。その間、詰めろでもない状態が一手できることになりますが、頼みの9四桂打も即詰みどころか詰めろにすらならないでしょう。…………ん?
9四桂打に9ニ玉としておけば横に効く駒もなく、9三の地点は桂馬が効いていると思いましたが、
これは9三歩打、同桂、9一銀打で
一応詰めろなので、同玉と取りますが、4ニと金がまた詰めろで、これ非常に受けにくい?
…………いやいやいや、これなら7七銀打から相手の玉も相当危ない!
十分即詰みが見えますわ!
同香、同角成、7九玉に8八銀打、
同銀、同馬、同玉に5八龍!
同金なら7七銀打からどこに逃げても8八金打。この変化は4九に打った駒が桂馬だからこそ生じた変化です。もちろん、銀を使っていれば9一銀打はなかったので9一角打になっていたでしょう。その場合先手の玉に詰みがあったかどうかは知りませんが、とにかくこの変化は私の勝ちです。
となると、美宇ちゃんは4六歩に同歩とはできない。かといって4七歩成は一目詰めろ。具体的に考える必要もないでしょう。そして、同歩としないのであればそこからの先手の手はあまりに広い。これは相手に考えさせるのが一番ですわね。
ということで、4六歩!
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――だから、ここまではほぼ一直線。
わたしは考えておいた手を、ノータイムで放つ。
9五香打。
これが、4九桂打とした効果。
先に包囲網を作られたけどー、これで相手の玉もあぶない。
こっちには色々手がありそうだし、相手の攻めにも受けがありそうー。
ゆうせいー……かな?




