第10話 決着
早い。
美宇ちゃんがここでノータイムの9五香打。自玉が詰むや詰まざるやというこの状況でいくら手が広いからと言っても思考省略などありえない。予め4六歩に応手を決めてあったのでしょう。なら、いつ? 私は4六歩を選ぶのに一分掛かった。その間に私と同じ結論に至っていた? 9四桂からの攻めは届かないと。だとしても応手を考える時間はなかったはず。
あの5分から、ここまで美宇ちゃんはノータイムだ。ここまですべてが読み筋だというのなら、恐ろしいものがあるわね。
さて、この9五香打の意味は何でしょう?
どう見ても詰めろには見えないですし、こちらから4七歩成と詰めろを掛けて、勝っているようにも見えますが――
――なるほど。
7四桂打ですね。
これを7一玉と逃げれば8ニ銀打までの即詰み。だから当然取るしかありませんが、その場合は9一角打が王手竜取り、なんですね。
9六に歩があるせいで9三歩打と受けることができない。かといって9七歩成などと悠長なことをしていれば速度が逆転してしまう。
……9三銀打と受けるのは最終手段。攻め駒がなくなれば、4六歩と手を戻されるだけでも相当厳しい。
3八銀打は次に4九銀不成が詰めろで入りますが、
9九角打、7一玉、4ニと、で
これが詰めろ。
つまり、3八銀打に変わって、4七歩成以外で先手玉に詰めろを掛けるか、うまく受けなくてはならないということ。
…………6四歩、はどうでしょうか。
王手竜を妨げつつ、玉が逃げるスペースを作る。角道を塞ぐのに、歩を突くというのははよくある筋ですが、今回はぴったりに見えますわね。
ここで先ほどと同じように、9一角打、7一玉、4ニとなら、
4七歩成、8ニ銀打、6ニ玉、
5ニと、同金、7一龍に6三玉!
先ほど開けた脱出口からギリギリ生きてますわね。
以下7五桂打、5四玉。
これで生還。
ということは、
ここで美宇ちゃんは別の手を指す必要に迫られますわね。
私の玉に一発で詰めろを掛ける順は見当たりませんし、4六歩と手を戻すのが妥当でしょうか。
ただ、攻め続ければ勝てるというのは最初から一貫してこちらの主張ですし、今回は銀を手放したわけではありませんから、なんとか攻めも続くでしょう。
よって6四歩です。
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受けてくるよねー。
こっちもとりあえず、4六歩。
4八歩打。
早い。
これはわかりやすく、5七銀打からの詰めろを防いでる4九の桂を消しに来てる。つまり、次の4九歩成が詰めろ。こっちは相手玉に詰めろを掛けられない状態が続いてるから、わたしの玉がこの二手スキの状態で続けば、受け続けるしかない。
ただ、ここも受けの手が広い。残り時間がもう5分を切るけどー、読み落とせば終わりだし、がんばるしかないー。
んー、4九の桂はもう助けられないし、5七の地点を受ければ桂馬を補充されて状態が悪化するだけだし、2八の龍に働きかけるのがよさそうー。
かといって銀や角を使っちゃうと、こっちの三手スキが消えちゃう。ゆっくり攻められるだけの手数を稼げるならそれでもいいんだけど、桂馬と香車をいつでも取れるコマ、質駒にされてるし、たぶんむりー。
だから……歩かな?
2九歩打。
龍さえどけば二手スキは消える。これでこっちが相手の玉に二手スキを掛ける番、かな?
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…………なるほど。これを3八龍と躱すのは不味そうですわね。下手をすれば龍が抜かれますし、3九歩打ともう一度龍の頭を叩かれておいて同龍では何をやっているかわかりません。
ここで同龍とした場合、攻めの速度が逆転してそうですが……他に手もありません。返し技がありそうですし、美宇ちゃんの時間も残り少ない。これは仕方ありませんわね。ミスに期待しつつ、耐えるしかないでしょう。
同龍です。
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これー、攻めに転じたいけど7七銀打があぶないー?
例えば、5五桂打と6三の地点を塞ぐと、7七銀打で
5九玉と逃げると4九龍までの即詰みだから、同香、同角成、7九玉と逃げるしかないんだけど、
ここで9五馬と香車を抜かれといて、だめそう。
だから、7七の地点を受けるか、香を抜かれても問題ない状態に持っていくか……。
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ここで手が止まるということは、7七銀打には気づいたようですね。ただ、龍、桂、角に囲まれて、桂馬と香が質駒になっているこの状況、受けがあるようには見えません。だとすれば、9一銀打や9一角打、もしくは9四桂打などを決めておいて、9五の香が抜かれても問題ない状況にするのがわかりやすい解決策でしょう。
しかし、すべてを読み切れるだけの時間はない。何を持って玉の退路を断つか、その後の攻めは4ニ成香か、4ニと金か、はたまた5一と金と捨てるのか。香を捨てても自玉は詰まないのか、一つでも読み落とせば美宇ちゃんの玉はあっさり詰んでしまうことでしょう。
未だ状況は美宇ちゃんに厳しい。それ自体はこちらの思惑通りなのですが……4九の桂馬といい、9一角からの受けといい、細くて難しい受けをここまで通し続けるのは本当に恐れ入りますわね。逆の立場ならこんな受けができたかどうか……。しかし、そのかいあって相手の時間も残り少ない。
今までのようには行きませんわよ!
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平凡に9一銀打で決めて7一玉、4ニと、4九歩成だとー、
これ2九に龍をずらしたのに、結局4九歩成が5七銀打からの詰めろなんだ。
つまりー、ここで5ニと金と詰めろを掛けると、5七銀打、同金、同桂成、同玉、6五桂打、
玉が6八に落ちると5七金打、7八玉、7七角成で簡単だし、
4七に逃げても2七龍から合い利かずでどうやっても詰み。
だから、香が抜かれても問題無い状態に持っていくにしても、更に一工夫できないと速度負けしちゃう。
じゃあ9一銀打、7一玉に8八角打と更に決めちゃって、それから4にと金とか。
やっぱり平凡だけど、これで…………だめだー。
同じように4九歩成とされた時、5ニと金が王手でそのまま詰みきれると思ったけど、これには同玉がある。
4一飛成、6三玉に5五桂打で一瞬詰んでそうだけど、
これには同角成がある。
ついでにこの馬を同歩と取ると5六桂打と空いたところに桂を打たれて三手詰み。
だから――
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また長考に入りましたわね。
9一銀打、7一玉、8ニ角打、6ニ玉で追っていく方法はギリギリ生きてそうですが、そこで受けに手を入れられれば、その先は難しい。
例えばこの場面。
5五桂打と打ってくれるなら同角成からカウンターでこちらの勝ちですが、冷静に6六金と受けに走られて、これはもうわからない。
この一手は6一龍からの詰めろを見せつつ、5七銀打からの詰めろを受けている。つまり、詰めろ逃れの詰めろ。
こうなればもう手が広すぎて読み切ることはできないように見える。
…………美宇ちゃんはこの先を読み切ろうというのでしょうか?
先程の、4九桂打までの深読みは見事でしたが、今回はこちらの手が広い展開。読みでどうにかなるようなものではないでしょう。美宇ちゃんの時間が少ないことも合わせて考えれば、こんな形で時間を消費していくのは得策ではないように見えます。だとしたら、別の変化がどこかに――
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――9四桂打?
美宇ちゃんが二分程掛けて選択した一手がそれでした。これに7一玉と逃げれば、9一銀打と打ったときに比べて銀か角を温存できるため、こちらの玉は大分危ない。
具体的には7一玉に8ニ銀打と決めて、6ニ玉、4ニと金、
ここで9一銀打と決められたときと同じように4九歩成とすると、5ニと金、同玉、4一角打で、
これはもう詰んでますわね。
具体的には5一玉なら6三角成、で合い利かず。
6ニ玉なら6三金打、同銀、同角成、同玉に6一飛成。
これもまた簡単に詰み。合駒には5ニ銀打、でどこに逃げても金打ちまで。
しかし、9四桂打には9ニ玉があると思っていましたが。
一応9三歩打からある程度王手が続きますし、この展開も先が見えないといえばその通りです。だからといって、9一銀打から6六金の展開と比べてこちらが優れていたのかと言うと――
「…………」
――違いますわね。
9三歩打ではない。
7一角打ですわ。
これで決まってますのね。
もし同金なら、8ニ桂成の両王手で
同玉しかありませんが、9一銀打で即詰み。
つまり、
この7一角打は取れない。
だからといって、放置すれば8ニ桂成の両王手が詰み。
受けはない。
だからこその9四桂打。
なら、9四桂打には……9三玉ですか。
これしかないとはいえ、この展開では相当厳しそうですわね。
逆転された、というほどこちらに失着があったようには思えません。ただ、美宇ちゃんの実力が、私の想定を上回っていたと言うだけの話でしょう。こちらの思惑通りに運んで尚、それを正面から乗り越えられたのですから。
しかし、それに使った時間も膨大。
美宇ちゃんの残り時間は後一分と少し。
まだ諦めませんわよ!
9三玉!
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6六角打ー。
これが王手角だから、角交換で9九の角がきえるー。
同角成、同歩。
ついでにこの歩が6五の桂に当たるのも大きい。
4九歩成で桂馬を補充されたとき、7七銀打、同香、同桂成、同玉とされた時、6五桂打と打ち直す筋が消えてる。だから、こっちの玉はだいぶ楽になった、かなー?
後は時間に追われて間違えさえしなければ――
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難しい。
しかし、ここを迷うようでは美宇ちゃんを時間攻めにはできませんわ!
4九歩成!
難しい場面は相手に考えさせる。こちらの基本方針ですわね。ついでに駒得は裏切らない、といいますし、桂がいなくなったので5七からの攻め筋もできる。この局面を処理できずに秒読みに入ってくだされると嬉しいのですが……7五角打、淀みありませんわね。
一見8四銀打で角が詰んでいるからそれで良いように見えますが、迷いなく角を打ったからにはそうではないのでしょう。具体的には、8四銀打には8ニ銀打、9ニ玉、9三歩打。
同桂か同銀しかありませんが、同桂なら同銀成、同銀に8ニ桂成で、
これは簡単に詰んでますわね。同玉、9三角成、8一玉、8ニ銀打まで。
同銀成に同銀ではなく同玉の場合は
取ったばかりの桂で8五桂打がありますわね。
これも平凡に追っていけば受けなし。9ニ玉、9三歩打、8一玉、
ここで8四角と銀を補充すれば次の8ニ銀打までの詰めろ。逃げようが受けようが8ニ銀打から詰んでいる。7一玉、8ニ銀打、6ニ玉に7三桂成です。
同銀、同角成まで。
よって、8四銀打とはできません。
なら8四歩です。
角に当てられませんが、8三、7四と逃げ道ができたおかげですぐに詰むことは…………いえ、これ9一銀打から詰めろですわね。
何も受けなければ8ニ桂成まで。しかもぱっと見、受けが見えない。
時間攻めするためとはいえ、指した後に気づいたという事実は、私の背筋を凍らせた。
美宇ちゃんは、数秒だけ手が止まり…………6五歩。
ふぅ。
ここで桂取り…………読んでいたわけではありませんが、恐らく9一銀打より早い攻め、もしくは、返し技がこちらにあったのでしょう。美宇ちゃんの反応からして、9一銀打には気づいていたようですし。そして、ここで桂を取ったということは、こちらの攻めか、返し技かを消しに来たということ。つまり、次こそ9一銀打が飛んできますわね。
こちらの攻め駒、6五の桂が消えた以上、単純に詰めろか、王手で迫り続けるのは厳しそうです。だから、受けるしかないのですが……8ニの地点に駒を足しても桂馬をもう一枚所持している以上、精算されればもう一度打ち直されるだけで受けになりません。
なら、少し工夫してみましょうか。
例えば、9一銀打の後、8ニ桂成で詰むのは9五に香車がいるから。だから、香車を攻める方向ではどうでしょう? 9一銀打と一手空くのだから、こちらもこの一手で香車に当てる必要はない。次に香車に当てられる形を作れば良いのだから――
――9七歩成。
これで9一銀打とされるなら、9六と金、と引く手で受かります。
8ニ桂成は9五の香で王手をかけるわけですから、9五と金で受かっているのです。
ついでに、
この9七歩成に同角としようものなら、攻めの速度が逆転しているのでやはり私の勝ち。
8五桂打。
だから、そうなるでしょうね。
8三玉。
ここで8ニ桂成と王手をかけるのは読みが必要になりそうですが、美宇ちゃんにその時間は残されていない。直感で選ぶのかそれとも――
4ニと金
――来ましたわね!
正着か、緩手か。
少なくと8ニ桂成が正着なら、4ニと金は緩手。付け入る隙があるとしたらここでしょう。
5九銀打!
相手の攻めが緩んだのは正着、失着以前に失策でしょう。残り一分もないその時間で、正確に受けきれるとは思えません。
7八玉、2七龍、6七銀打、
……躊躇なく、手持ちの銀を手放しましたわね。
それでも私の攻めは途切れませんが。
9九角打!
この狙いは次の6六桂打。
例えばここで5ニと金と悠長に金を拾えば、6六桂打で、
同銀は8七龍で一手詰め、なので同角しかありませんが同角成の際、
次の狙いである6七馬と9八角打の詰めろ両方同時には受からない。
かと言ってその解決策を捻り出す持ち時間は、もう――
――ノータイムで8ニ桂成?
…………なるほど。
これが4ニとの狙いですか。
この8ニ桂成に同玉、5ニと金となると、
これが次の9三金打からの詰めろになっているのですね。
つまり、4ニと金は悠長な一手ではなかった。
…………しかし、この場面にも受けはある。
直接8三玉では9四金打が痛すぎるので、まずは9四歩打、
同香、そして8三玉で詰めろは確かに外れます。
ただ、これでも玉はかなり危うい。少しでも駒を渡せば6一龍辺りが詰めろで入りそうです。
こちらの残り時間は4分。
ここだけを読み切ろうと思えば読み切れる程度の時間ではあります。ただ、この展開を望んだのは美宇ちゃん。
なら、
むしろここで7四玉と逃げる場合について考えるべきでしょう。
次の一手は5ニと金か、7ニ成桂か。どちらにしても、一目こちらの攻めが勝る。理由は先程言った通りで、6六桂打、同角、6六角成の際、6七馬と9八角打の狙い両方は同時に受からないから――
「っ!」
――違う。
7四玉の次が7ニ成桂なら、6六桂打、同角、同角成の時、
8六銀打がある!
この銀は、9八角打の詰めろを9七銀でと金を払うことで回避し、
6七馬、同金、8七と、同玉、6七龍、7七桂打と合駒された際、
金銀を打ち込むスペースを消すことで攻めを潰す完璧な受けの一手。……ここまで考えての4ニと金だというのなら、その際時間を使わなかったことも考慮に入れて、人間離れした読みだと言えますが、そんなことはないでしょう。それができるのなら、中盤でこんなに時間を消費することはなかったでしょうし。
さて、それはそれとして、どうしたものか。
勝ち将棋鬼の如しと言いますが、同玉も7四玉も先がない。正確には、先がないようにしか見えない。
しかし、そんな絶望的な状況でも、私の心は意外に晴れやかだった。対局前に散々負けることを意識して、怖がって、ピリピリしていたというのに、自分の思い通りに指して、それでも尚上回ってくる相手を前に、心は高揚していた。
残り、3分30秒。
これだけあれば、同玉か7四玉。どちらかの先を深く読み込める。今出した結論は浅く広く読んだだけのもの。もちろん持ち時間15分なら十分な深さだと自負していますが、それで足りないなら更に深く読むだけです。
今更手遅れかもしれませんが、諦めるなんてありえない。
全身全霊を掛けて、深く。
深く。
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ふー。
璃子さんが長考に入ったし、一息つけそう。
4ニと金を入れたのは、即8ニ桂成だと先が見えなかったからだけどー、結果的には成功っぽい。時間があれば即8ニ桂成で勝ってた気もするけどー、ないものはないし。
だからこそ、今のうちにできるだけ読まないと。
局面こそ勝ってそうに見えるけどー、私の持ち時間は30秒を切った。一手30秒になっても、終盤なら膨大な記憶が読みを省略してくれるからー、自信はある。あるけどー、どうせなら今のうちに読み切りたい。
現局面で7四玉なら8六銀打が刺さって指しにくいだろうし、同玉も4ニと金が生きて指しにくい。でも、読み切ろうとするのならー、答えが明確にありそうな同玉かな?
当然5ニと、9四歩打、同香、8三玉までは一直線ー。
詰めろを外して、桂を捨てて調整した玉の位置を元に戻せて、一瞬悪くなさそうだけど、ここで6一飛成、同銀、5九金寄。
持ち駒が金が二枚に銀が一枚。これ多分、詰めろになってるー。もし、7七飛打、6八玉、8七と、と詰めろを掛けてきたら、
9三香成、同桂、7三桂成、
同玉、6四角、8三玉、
7三金、9四玉、8三銀打、
8五玉、7四銀不成、9四玉、
9五歩打、同玉、9六歩打、同玉、9七歩打、
9五玉、9六金打、9四玉、8三銀不成までー。
だから、
ここ以降で受けになる手を指す必要がある。
すぐ思いつくのはー、7七飛打、6八玉に、8七飛成かな?
9六歩打や、8六金打に受けを作って、玉を入玉させてしまおうってはなしー。
でもー、これわたしに対する詰めろになってないから、速度は逆転しないし、適当に9五金打とかで塞げば、
ここで相手の手が難しい。というか、これは流石にわたしの勝ちー。
なら、
後考えられるのはここで7四玉と指す場合だけだけどー、これも7四玉、7ニ成桂、6六桂打、同角、同角成、8六銀打のとき、
手が難しい。
一手空けば5九金寄で銀を回収し、7五銀打で王手馬取。この馬を処理されればもうわたしの玉に迫る方法はないし、だからと言って、8五歩で銀に当てたり、9八角打の詰めろはやはり9七銀と冷静にと金を処理して問題なし。
後は――
====================
ピー
持ち時間が切れ、一手30秒になった事を知らせる音が小さく響く。頭が痛い。呼吸を整えつつ、頭を冷やす。頭から熱が引いていくような感覚とともに、思考が盤上から現実へと浮上する。
勝負になりそうな筋は見えた。
頭の中で読んだ道筋を確認しつつ、5秒前になったところで駒を動かす。
7四玉!
====================
――きた。
よてい通りー、7ニ成桂、6六桂打、同角、同角成、8六銀打、
問題はー、ここで何を指してくるか……7ニ金。
これは、桂馬が欲しかったと言うより、将来的な6一飛成で金を取りつつ王手する手をなくしながらー、間接的に5九金寄を防いでる。
例えば、ここで5九金寄とすると、同と、7五銀打で、
王手馬ではあるけど、さっきまでなら7五同馬しかなかったところが、今回は6三玉がある。
6一飛成から即詰みがなくなっているからー、しかたなく6六銀などで馬を消そうとすると、6九角打。
これは即詰み。
具体的にはー、6八玉、6七龍、同金、
5八と、7七玉、8七角成まで。
よって、
ここで5九金寄はできない。
となると、9七銀でと金を払うか、その前に7五歩と突くか。
今一番怖いのはー、入玉されること、かな?
なら、先に7五歩で下に押し戻すべき。
9七銀だと紐がなくなった桂香が玉に取られると面倒そうだし。
7五歩。
あとはー、6三玉に9七銀とゆっくり受けていけば、勝てそう。
…………ん?
7五馬?
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私には、その手の止まり具合から、美宇ちゃんの動揺が手にとるように感じられた。
玉が6三に逃げられるように7ニ金としておいて、7五歩に同馬。一見ちぐはぐに見えるこの筋こそ、今の美宇ちゃんに喰らいつく唯一の道です。あの7ニ金は5九金寄を防いだだけ。6三玉と逃げられるようになるからと言って、逃げなくてはならないなんて話はない。逃げた先に、活路はありません。
入玉だけが、私に見えた唯一の勝ち筋です。
ピー
美宇ちゃんの持ち時間も切れた。同銀一択のここで考慮しているのは、少しでも時間が欲しいからでしょう。残った持ち時間30秒を大事にするより、さっさと30秒将棋にするほうがいいという判断。一手30秒掛けて指すことで時間が稼げますからね。この先を読むための時間が。この手順だけを3分読み続けた私と違って、恐らく美宇ちゃんは一瞬足りとも考慮していない読み筋。加えて年長さんの美宇ちゃんが入玉慣れしていないことも期待しましょうか。最後の最後まで時間攻めですが、申し訳ないとは思いません。こうまでして、ようやく持碁に持ち込めるかどうか。あわよくば勝利を。それほどに、美宇ちゃんは強い。
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…………そっか。入玉して持将棋になった時の規定はー、先後入れ替えての指し直し。点数計算はなし。しかもー、持ち時間は持ち越し。それも厳しいけどー、特に点数計算なしが面倒。大駒を5点、小ごまを1点として24点以上なければ指し直しにならず、点数の多い方勝ちという規定がない。だからー、璃子さんは入玉するために躊躇なく駒を捨てられる。馬を捨てても、入玉できれば問題ないんだ。
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時間ギリギリで、同銀。
私はすぐに同玉。
考えさせる時間は与えません。
ここで、入玉してこようとする後手玉を先手は追い払いたい所。しかし、手駒には7六、8五に打ち込みたい金も銀もない。一番欲しいのは5ニの金でしょうが、仮に5ニと金なら、その瞬間先手玉が詰んでいます。
8六桂打、同歩、8七銀打、7七玉、6六角打まで。
歩頭の桂から始まりますから、若干分かりにくいですし、秒読みに追われて指すのなら、間違える可能性も。
再び時間ギリギリまで粘って……5九金寄。
これを見落としてくれるほど甘い相手ではありませんか。
銀の方を拾いましたね。
私はやはり間髪入れずに8六桂打。
この桂打は5ニと金とした時の桂とは意味が違います。この場合は同歩、8七銀で入玉ルートの確保が目的――
――だと、美宇ちゃんは考えるでしょう。
しかし、この形では意外に先がない。
というのも、6八玉の開き王手を8六玉と躱し、
7七銀打、9五玉。これで先手玉への詰めろが消えているので5ニと金で金を拾うまで一直線。
次の8六金が入ればこちらに入玉の目はなくなる。かといって8五歩と指せば、8一竜でまた8六金と封鎖される手が出てくる。
しかも、この8六金の狙いは相当に受けづらい。
端的に言ってこの時点で入玉の目はないと言っていいほど。
よって、私の考えた一手は、
4四角打です!
=====================
???
8七銀打が飛んでくると思ってたからー、一瞬思考がとまった。
【00:26】
角打ち。しかも遠い。
5五桂打で塞ぐー?
角桂交換で将来的にもう一回8六桂打が狙いかも?
6八玉で開き王手?
でも、これも角道通ってるから何かあるかも?
6六銀打、はない。
同角、同銀、同玉で竜の道が通って危なそう。
【00:17】
どうするか。
次に思いついたのは…………盤から目を離してー、息を吐くこと。
…………ふぅー。
何も見えないときはー、一旦落ち着く。
そうするとー、視野が広がる気がするから。
【00:12】
あ。
全部の読みを深める時間はないけどー、これ7六銀打の王手は安全そう。
実質8六玉しかないしー、そのまま7五角打。
8八桂打まで連続王手で、一分貰えるしー、入玉もなさそう。
【00:06】
7六銀打ー!
=======================
一瞬停止し、考え込んだ美宇ちゃんを見て、撹乱が上手くいったのを確信した。
そして、一息ついたのを見て敗北を確信した。
現状は、一度のミスでどうにかなる程の接戦ではない。そんな状況でこんな手を使おうとも思いません。しかし、一度のミスは二度目のミスを誘発する。一瞬でも後悔に襲われれば、30秒などあっという間に過ぎ去るのです。それ故に、7五馬で読みをリセットさせ、4四角で焦りと思考停止を狙ったのですが、傍目からも分かるほどに、美宇ちゃんは自分のペースを取り戻しました。
そしてギリギリのところで、7六銀打。
すぐに8六玉と動かしますが、この先チャンスはないでしょう。
一応ノータイムで指し続け、ミス待ちはしますけど。
7五角打、
9六玉、8八桂打。
同と、同銀、7一桂打!
今更受けてもなんともなりませんが、ぱっと見攻め方が難しい。30秒将棋ならもつれる可能性も0ではないでしょう。
4九金。
冷静すぎて嫌になりますね。
もう入玉は不可能ですし、9三に香が成ると背後を絶たれます。
よって9五玉、5ニと金。
…………もう紛れようがありません。
7四香打、8七桂打、9四玉、
9五金、8三玉、8四金、9ニ玉、
9三歩打、9一玉、7一飛成、
受けが一直線なので、もう詰みまで見えてそうですね。
同金、8三桂打、8ニ玉、9ニ歩成、
取れば9三桂成からすぐなので、7ニ玉、7三金、同桂、7一桂成、
6三玉、7三桂成、同玉、
6四角、6三玉、5五桂打、
同角と取ると、5三と金までの即詰みなので、5ニ玉ですが、6三金打、5一玉、4三桂まで。
「負けました」
「ありがとうございました」
=============
この対局で負けても、2勝勝ち抜け、2敗負け抜け戦なので、十分予選突破は狙えますが、年長に負けるのは堪えますわね。
研修会で見かけたこともありませんし、どこでこれだけの実力を。
「あなたの師匠をお聞きしても?」
背もたれに体重を預け、ぼーっとし始めていた美宇ちゃんの視線がこちらを向く。ちっさい子の仕草は一々可愛い。
「弦くんー」
「……誰ですの?」
弦くん?
私はてっきりプロか塾の講師辺りに習っているかと。しかし、この呼び方だと、そう年の離れていない方に聞こえますわね。
「同い年のともだちー」
「!?」
この子に教えられるほどの子が、年長?
「あそこで指してるー」
私は美宇ちゃんの視線の先を追う。そこにいたのは確かに美宇ちゃんと同い年くらいの背丈をした男の子。視線だけで判別がついたのは、その子が高学年の部で出場していたからです。そういう子も毎年1人いたりいなかったりするというのは聞きましたが、実際に見たのは初めてですわね。
「そんなに強いんですの?」
「つよい」
曰く、練習以外では勝てたことがないと。対局数はこの一年で数え切れないほど。指定局面戦などの練習対局ですら勝てるのは数ヶ月に一度。
これだけ正確な読みを見せる美宇ちゃんが、手も足も出ないレベルなんて。
「低学年の部に出ていなくて助かりましたわ」
美宇ちゃんに負けはしたものの、内容は五分。用意の策に対策をぶつけられ、その後の差し回しも隙がなく、押し切られたのは認めますが、こちらも他に策を持っていないわけではない。それに、隙がなかったと言っても、中盤大きく時間を使ってようやく、だ。美宇ちゃんが対抗形を用いる以上、盤上の模様を決める権利は私にある。今回よりも差し回しが難しい形にしてしまえば、勝機は十分。
まだ、県代表に成れる可能性は残っています。
「報告にいくー?」
「…………行きましょうか」
連絡先や研修会に行くつもりがあるのかなど、聞きたいことはいくつかありましたが、今はいいでしょう。
本戦で雌雄を決した後に聞けばいいことです。




