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日曜日、ぼくは桜井友恵と藤沢駅で待ち合わせて、澪さんが待つ横浜駅まで電車に乗った。
そういえば、友恵とぼくが2人だけでこうしてどこかへ出かけるのは、初めてのことだ。
それなのに、友恵とは何年もそばにいるような不思議な間合いを感じる。
「鳥居くんて、そんなに無口だったっけ?」
電車に揺られながら友恵に質問されて、ぼくは友恵との近さの理由を理解した。
「おまえさ、なんで先輩の俺に、タメグチ使ってんだよ」
「あら、あなた、そんなことを気にするような人だったかしら」
ぼくは、一瞬たじろいだ。
「おまえ、他に人がいる時は俺のことを【鳥居先輩】って呼ぶのに、2人だけになると【鳥居くん】になるだろ。それ、なんでだよ」
「あなたと私だけのヒミツの関係、とでも言っておこうかしら」
友恵は車窓をみつめながらひとつため息をついて、続けた。
「私が【鳥居くん】て呼ぶ代わりに、あなたは私のことを【おまえ】って気軽に呼べるでしょ。和田美保のことは【ワダちゃん】で彩乃のことは【石本さん】。それなら、2年生と1年生でも【鳥居くん】と【おまえ】のほうがよっぽどフラットに話せると思わない?」
言われてみれば、確かにそうだ。
友恵は、入部して最初の頃から一貫して、他に人がいる場面ではぼくのことを【鳥居先輩】と呼び、2人だけになると【鳥居くん】と呼ぶ。
ぼくはそれを、自然に受け入れていた。
ただし、友恵とぼくが2人で会話をすることは、普段からほとんどない。
「あら、あなたまた無口になってるわよ。せっかく女の子と2人で電車に乗ってるんだから、会話ぐらい盛り上げてよ」
「え、ああ…」
「部活のこととか、学校の勉強のこととか、皆川さんのこととか、話題なんていろいろあるでしょ。これから会う谷口澪のこととか。それとも、鳥居くんの脳内はもうあの教育実習生のことでいっぱいで、話す余裕なんかない?」
「おまえ、いい加減に…」
「ほら、横浜駅に着くわよ」
友恵に痛いところをつかれまくった挙句に、2人の会話は強制終了となった。
駅のホームから改札口に向かう階段を下りながら、ぼくはなぜ友恵が、ぼくにワダちゃんのことを好きなのかと訊いてきたのか、逆質問すればよかったと、ようやく気がついた。
澪さんは駅の改札口で待っていて、ぼくたちを見つけると胸の前で小さく手を振ってくれた。
薄い茶色のカットソーがオシャレで、さすがはハマっ子の女子大生だ。
駅からはバスに乗って、澪さんの家まで行った。
途中、澪さんが友恵に訊いた。
「桜井さんは、今日はどうして、鳥居くんと一緒にウチに来ようと思ったの?」
友恵は、学校のトイレの前で澪さんとぼくが話していたことを偶然、聴いてしまったことを素直に伝えた。
だが、それ以上のことは言わなかった。
「今日は何の予定もなかったし、お邪魔とはわかっていながら鳥居先輩にお願いしてみました。ごめんなさい」
「そんな、謝らなくていいのよ。大歓迎なんだから」
バスの中では澪さん、ぼく、友恵の順で立って並んでいた。
ぼくには、心なしかうつむいている友恵の表情が電車に乗っていた時より色を失っているように見えた。
「昨日から両親はバカンスに出かけていて、ウチにいるのは私だけだから、気兼ねなくくつろいでね」
澪さんは、ぼくと友恵を自分の部屋ではなく、和室に案内してくれた。
すぐに澪さんは、お茶を淹れてくれた。
「私、茶道を習っているのよ。だから、お茶にはちょっとした自信があるの。温かいうちに飲んでみてね」
茶道の作法はわからないが、自分の目の前に出されたお茶が、いつもぼくの両親が飲んでいるそれとは違う本格的なものであることが、茶碗や香りから伝わってきた。
「私、ちょっと着替えてくるから、お茶を飲んで待ってて。おかわりならいくらでもあるから」
澪さんは、一度、和室を退出した。
「このお茶、本格的だな」
ぼくが隣に座った友恵に声をかけると、友恵はしぼり出すような声でうなずいた。
「うん…」
友恵の頬には汗が浮いていた。バスに乗っていた時よりも、さらに顔色が悪い。
「おまえ、大丈夫か?顔色悪いぞ?」
「大丈夫」
友恵は、あわてて小さなタオルをバッグから取り出して、汗をぬぐった。
「とりあえず、お茶を飲んでみようぜ」
ぼくは、熱い茶碗を持つのに苦労しながら、ほんの少しだけ、澪さんが淹れてくれたお茶を飲んでみた。
「うまい!」
たかだか高校生のぼくにお茶の味の違いなんてわかるだろうか、くらいに思っていたが、今しがた口にしたお茶の味は、これまでに飲んだことのない旨みが凝縮されていた。
熱くて濃厚なのに、清涼感がある。一見、ドロッとした深緑色のお茶は、想像以上に飲みやすかった。
続いて友恵もお茶を口にした。
ぼくは、友恵がどんな反応をするか興味があった。
友恵は、お茶をひとくち飲んだ瞬間に、カッと目を見開いた。
「これは…」
顔色を失っていた友恵の眼光が鋭くなり、茶碗の中のお茶をじっと見つめていた。
「どうした?」
黙ってしまった友恵が心配になって、ぼくは訊ねた。
友恵は、そっとつぶやいた。
「おいしい…」
真顔のまま、友恵は言った。
「な、そうだよな」
ぼくは茶碗に残ったお茶を飲み干すと、すぐにもう一杯、おかわりした。
その間、友恵は微動もしなかった。
澪さんは、着替えてくると言って部屋を出たものの、和室に戻ってくるまでに5分以上かかった。
「入っていい?」
という澪さんの声がした。
「ここは澪さんの家じゃないですか。ダメとは言えませんよ」
ぼくはおどけた調子で応答した。早くお茶の感想を言いたかった。
しかし、閉じていた襖を開けた澪さんは、さきほどまでとは違う、着替えどころではない恰好をしていた。
肩甲骨のあたりまで伸びていたロングヘアに代わって、首筋にかけて紫色の髪が流れている。
紫色の髪に包まれた顔は薄い白の化粧を施していた。
茶色のカットソーの代わりに、ところどころ破れた黒いロングTシャツを着ている。
ヴィジュアル系バンドのメンバーのような出で立ちの澪さんが、そこにはいた。
「どう、驚いた?」
声は確かに澪さんのものだ。
澪さんには男装趣味があるのか?
ぼくは混乱した。お茶どころではなくなってしまった。
「それ、どういうことですか?」
ぼくは男装の麗人に訊いた。
「私…俺…なんて言ったらいいのかな。自分でもよくわからないんだけど、俺でいくね」
澪さんが何を言っているのか、追いついていくのに必死だった。
澪さんは、声のトーンを低くして言った。
「俺、井伊掃部頭直弼なんだよ」




