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部活に出る前に、ぼくは図書室で副部長の和田美保に会っていた。
午後の授業中に、ケータイのメッセージで「ちょっと部活の前に話があるんだけど、いいかな?」とアポをとっておいた。
「部活のことですか?」と返信がきたので「うん、皆川のことで」とだけ内容を伝えておいた。
部活のほうは、イッチーに「ちょっと遅れていくから、もし間に合わなかったら発声練習とかみんなでやっておいて」と頼んだ。
放課後は基本的には開放していない図書室には、司書の大塚先生しかいなくて、ぼくと演劇部員の密談の場所として、たまにこっそり使わせてくれる。
和田美保が図書室に入ってくると、いつもの明るい笑顔で「おはようございます」とあいさつしてくれた。
ぼくにはその笑顔がまぶしくて、なんだか心を持っていかれそうになってしまう。
そんな動揺を見透かされたくなくて、妙にかしこまって低い声で「おはよう」と言ってみる。
和田美保は机の反対側に座ると、さっそく質問してきた。
「皆川先輩、何かあったんですか?」
「うーん。何かあったみたいなんだよねえ」
「え? 昨日、皆川先輩、部活お休みしてましたよね。今日は?」
「午前中に帰っちゃった」
「体調を崩してるんですか?」
「それだけならいいんだけどね、いや、体調が悪いのはよくないか」
ぼくは歯切れの悪い返事をしながら、内ポケットから、皆川から預かった手紙を出した。
「皆川が、帰り際に渡してきたんだ。まだ誰にも見せてない。ワダちゃん、ちょっと読んでみて」
和田美保はさっそく封筒から2枚の便せんを取り出して、読み始めた。
【退部届
私、皆川絵美は、演劇部を退部させていただきます。これまでありがとうございました。 E】
1枚目に書かれていたのは、それだけだった。
皆川は署名の後に、丁寧に捺印までしていた。
「えっ、皆川先輩、辞めちゃうんですか?」
和田美保が大きな声を上げたので、ぼくはちらっと大塚先生の方を向いた。
中年の女性の大塚先生は、こちらの様子は気にせずに、書類に目を通していた。保健室の先生よりも生徒にやさしい人だ。
「退部届ってあるからね。そういうことなんだろうね」
和田美保は2枚目の便せんに目を通した。
【鳥居くんへ。
急に退部届なんて渡しちゃってごめんなさい。
いろいろあって、部活には出られなくなりそうだから、辞めようと思う。
演劇部がイヤだとかじゃないんだ。
今は理由は訊かないでくれるとうれしいんだけど、それじゃ身勝手すぎるよね。
身勝手すぎるのはわかってるんだけど、それでも訊かないでいてくれるのって、ありかな?
もしかしたら、しばらく学校にも来られなくなるかもしれない。
まだわからないんだけどね。
鳥居くんやみんなに迷惑かけたくないから、部活は辞めようと思います。
昨日、鳥居くん、日本史の授業の時に叫んでたよね。
あれね、新垣くんみたいで、ちょっとかっこ良かった。
鳥居くんは井伊直弼が大悪党として教科書に書かれていることがショックだったんだよね。
実際のところはどうだったんだろうね。
鳥居くんなら、真実を突き止めてくれるような気がしてる。
大老は、倒されたのよ。
なんて、この手紙で伝えることじゃないか。
ほんとに急でごめんね。
大船みゆきの役は、和田さんがいいと思う。
和田さんは私なんかよりずっと役者の才能があるし、鳥居くんも和田さんのやる気を買って、副部長を任せたんだよね。
って、これも余計な話だね。
辞める奴に言われても迷惑なだけだよね。
ごめんね
E 】
和田美保は、ゆっくり時間をかけて、2枚目の便せんに書かれている文章を読んでいた。
「ということなんだよね」
「ということって…。これ、かなりヤバい話なんじゃないですか?」
和田美保は、便せんの一文を指差した。
【もしかしたら、しばらく学校にも来られなくなるかもしれない。】
「これ、部活だけの問題じゃないですよね。皆川先輩が学校に来られなくなるかもしれないって、どういうことだろう?」
和田美保は顔を上げると、ぼくの目を見て聴いた。
「鳥居先輩は皆川先輩と同じクラスですよね。皆川先輩に何かあったような気配はアリですか?」
「ここにさ、昨日の日本史の授業のことが書いてあるでしょ。俺はさ、井伊直弼のことがショックでよく覚えてないんだけど、イッチーが言うには、皆川、その後に教科書を音読する声がひどく震えていたらしいんだよね」
「皆川先輩がですか? あの皆川先輩が教科書を読むだけで声が震えるなんて、やっぱりおかしいですよ。もう、鳥居先輩はそういうところに気がつかないんだからー」
うん。あの時、異変に気づいてあげられれば、昨日のうちに皆川にぼくのほうから声をかけてあげられたはずだ。
「イッチー先輩は、皆川先輩の声が震えているのに気がついていたんですよね。なんで皆川先輩に訊かなかったんだろう…」
「ああ、あいつは自分から女の子に声をかけられない奴だからね。教室では、俺とイッチーと皆川と3人で話すことはよくあるけど、イッチーと皆川が2人だけで話してるところはいっさい見たことがないよ」
「あー、イッチー先輩ってシャイですもんねー」
和田美保はそこでひと呼吸をおいた。
「それで、これ、どうするんですか?」
「それをワダちゃんに相談しようと思って、ここに呼んだんだよ」
「川島先生には、これ、渡すんですか?」
川島匠は、演劇部の顧問だ。30代半ばの英語教諭。
「それなんだけどさ」
ぼくは少し前かがみになった。
「うちの部活って、退部する奴が退部届を出すっていうルールが決まってるわけじゃないよね。皆川は律儀な奴だから、退部届を書いて進退をはっきりさせようとしてるんだと思うんだけど、いま急いで匠にこれを見せないでもいいような気がするんだ。いや、見せないほうがいいような気がすると言ったほうが適当かな」
「どうしてですか?」
「ひとつは、さっきワダちゃんが指摘してくれた、皆川がもしかしたら学校にも来られなくなるかもしれないってところ。皆川が学校に来られなくなる理由って、何だろう?」
「教科書を読む皆川先輩の声が震えていたっていうことは、何かの病気になっちゃったのかな。風邪みたいな軽いものじゃなくて」
「俺らにも言えない病気ってこと? だけどあいつ、少なくともおとといまでは、いつもどおりに元気に見えたよ。ワダちゃんも部活で皆川と会ってるよね?」
「うん。おとといは確か、皆川先輩は用事があって5時までで部活を早退してましたよね。あの時は、何も変わった様子はなかったかな」
和田美保が2日前の演劇部の活動を思い出しながら言った。
その日は、発声練習をした後、顧問の川島匠が視聴覚室に来ていた。
川島先生は秋のコンクールで発表する作品の台本を書いてくれて、演出も担当することになっていた。
昨年はほぼ演劇部を放置状態だった匠が、新年度に入ってから、ガラッと態度を変えて積極的に部活に顔を出すようになった。
新歓公演が終わって、中間テストが過ぎた頃になって「いま台本を書いてるんだけど、コンクールで上演してみないか?」と持ち出してきた。
その台本が「リーンカーネーション」だった。
すぐに書き上げてきた台本は、高校生の男女の恋の終わりと新たな旅立ちを描いたものだった。
おとといの部活では「リーンカーネーション」の配役を決めた。
川島先生は、もし「リーンカーネーション」の上演が決まれば、配役は話し合いで決めたいと言っていた。
ただ、部員の間では、主役の男子生徒がぼくで、彼女の女子生徒役を皆川が演じるように匠が合わせて台本を書いたのではないかという話をしていた。
新歓公演でぼくと皆川がカップルの間柄を演じた時の、お客さんの評判が良かったのだ。
皆川の手紙に書かれていた「新垣くん」というのは、新歓公演でのぼくの役名だった。
新垣の恋人のキョウコの役を演じたのが皆川。
皆川が「リーンカーネーション」の大船みゆき役の本命という流れになっていて、話し合いの結果、その通りになった。
だから、いま皆川が退部するというのは、想像もできなかったし、部活のみんなに話せば大騒ぎになる。
「病気じゃなかったら…」
和田美保が続けた。
「転校するとかなら、理由を隠すことじゃないし、だとすると、何かやらかしちゃったってことですか」
「皆川が何か校則に引っかかるようなことをして、それが停学とか退学につながるようなものだったとしたら…」
「鳥居先輩!」
また和田美保が大きな声を出した。
「停学とか退学になるようなことって何ですか? そんな大変なことを皆川先輩がするわけがないじゃないですか!」
「うん、わかってる。皆川は停学や退学になるような悪いことをする奴じゃない。俺だって1年間あいつと部活で一緒に過ごして、今年は同じクラスにもなってるから、それは信じてる」
「じゃあ、皆川先輩はなんでしばらく学校に来られないかもしれないなんて書いたんだろう。そこまでのことを書く理由がわからないですね」
「それは俺にもわからない。ただ、この手紙を何度も読んでみて、ほかにも気になる点がいくつかあるんだ」
ぼくと和田美保は同時に便せんに視線を戻した。
「どこですか?」
「2枚目の内容を読むと、この手紙は、明らかに昨日の俺たちの日本史の授業以降に書かれていることがわかるよね」
「うん」
「皆川は、おとといまでは普段どおりに学校に来て部活にも顔を出していた。おとといの5時に用事があるからと早退して、翌日、つまり昨日の日本史の授業の時には、あの皆川が教科書を読む声が震えていた」
「ということは、おととい、皆川先輩が部活を早退してから、昨日登校するまでの間に、皆川先輩に何かがあったってこと?」
「うん。それも、急いで退部届を書いて、今日、俺に渡さなければいけないほどに、皆川は追い詰められていたんじゃないかな」
「皆川先輩の身に何が起こったら、そんな急展開になるんですか」
「それはわからないよ。ただ…」
遠くから「あーえーいーうーえーおーあーおー」と演劇部の連中が発声練習をする声が聴こえてきた。
気がつけば、4時をだいぶ過ぎていた。
まだわずかしか美保と会話をしていないようでいて、実際はだいぶ時間を使っていたようだ。
「ただ、なんですか?」
美保も発声練習の声を気にしながら、話の続きを催促してきた。
「そもそも、なぜ皆川は、退部届を匠じゃなくて俺に預けたんだろう。確かに俺は部長だけど、退部届みたいなきっちりした書面は、やっぱり顧問の匠に提出するのが普通じゃないかな」
「それは皆川先輩が、先生には出しづらいから、鳥居先輩から渡してほしかったんじゃないでしょうか」
「普段の皆川なら、急にこんな手紙を書かないで、まず俺に相談してくれると思うんだよね。いま俺とワダちゃんがここで話しているように、皆川と俺も前に、図書室で台本について2人だけで話し合ったこともあるわけだし」
「へー。鳥居先輩と皆川先輩がここで2人だけで話をしてたんですか。その時は何を話してたんですか?」
美保の眼光が微妙に鋭くなったような気がした。
「ああ、その時は、新歓公演の練習をしている時で、皆川と俺が恋人の役をやることになったわけだけど、恋人っていう役柄の距離感がお互いつかめなくてさ。どうしようかって…」
「2人でコイバナしてたんですか?」
「いや、だから、どうやって恋人同士の役をやるかが、むずかしくてさ」
「えー、じゃあ、鳥居先輩と皆川先輩が本当に付き合っちゃえば良かったじゃないですか」
「いやいやいやいや」
ぼくは1学年下の美女の追及にたじろいでしまった。
って、今はそんな話をしている場合じゃないだろ。
「話を戻すと、なぜ皆川は、相談もなしに、一方的に俺に退部届を渡して、そのまま帰ってしまったのか」
「それだけ緊急事態だったってことですよね?」
「それももちろんあるよね。だけど、それだけじゃないような気がするんだ」
「どういうことですか?」
「皆川は、俺にこの手紙を渡すことで、俺に何かのメッセージを伝えようとしているんじゃないかと思うんだよ。これって、考えすぎかな?」
美保は、もう一度、皆川の2枚目の便せんに目を通し始めた。
「この文章の中に、鳥居先輩にだけは伝えたかったメッセージがあるってことですか?」
「うん…」
「それって、なんだかキョウコと新垣くんの関係みたいですね」
顔を上げた美保の表情には、今までに彼女が見せてきた明るい笑顔とは違うニュアンスの笑顔が浮かんでいた。
美保は今、何を思っているのだろう?
「だからこそ、手紙に日本史の授業の話を書いて、そこに【新垣くん】の名前を出したんですよ」
「俺じゃなくて、新垣の名前を出してきてるんだよな」
「私から見たら、この部分こそ意図的だと思いますよ」
「どういうこと?」
「先輩、アホですか? 鈍感なんですか?」
「なんだよ急に」
「先輩の言うとおりにこの手紙に鳥居先輩へのメッセージがこめられているとしたら【新垣くん、助けて!】ってことじゃないですか」
「ん?」
「だーかーらー、皆川先輩は、この手紙で【鳥居くん、助けて!】ってSOSを出してるんですよ。自分の彼氏の役までやってくれた鳥居くんなら、自分を助けてくれるんじゃないか…」
「いや、俺、そこまで皆川のことなんでも知ってるわけじゃないぞ…」
「鳥居先輩がそうでも、皆川先輩の気持ちがどうなのかはわからないじゃないですか。鳥居先輩って、けっこうモテるタイプだと思うしなー」
「いや、俺のモテるモテないは関係ないだろ。だいたいカノジョとかこの歳までいたことないし…って、ほっとけ!」
ぼくは漫才コンビのノリツッコミのような軽い切り返しをしたが、内心、かなり動揺していた。
もしかして、皆川がぼくのことを?
いや、俺がモテるとか、その時点で間違ってるし。
ワダちゃんはなんでそこを執拗に攻めてくるんだろう?
「そろそろ部活に行ったほうがいいね。さあ、この退部届を、どうするか」
「私は、やっぱり、川島先生に見せて、事情を説明しておいたほうがいいと思います。私たちだけじゃどうにもできないこともあるかもしれないし、『リーンカーネーション』のこともあるし。もし本当に皆川先輩が辞めちゃうなら、大船みゆきを含めて、配役を決め直さないといけません」
「そうしようか」
そこまで話して、お互い、席を立った。
「ああ、そうだ、ひとつだけ」
ぼくは左手の人差し指を上に向けた。
「なんですか?」
「『リーンカーネーション』なんだけど、俺は、大船みゆきはワダちゃんにやってほしいと思ってる」
「え? 私が、皆川さんの役をですか?」
「今の皆川の状況だと、大船みゆき役は辞退する。皆川に負けないどころか、今のうちの演劇部でいちばん演技がすごいのがワダちゃんなのは、皆川だけじゃなくて俺もそう思ってる。赤田先輩のハンパない技術力は別としてね」
そこでぼくは少し間をおいた。
「皆川の代役っていう意味じゃない。大船みゆきは、ワダちゃんしかいない。そう考えてみて」
「鳥居先輩が藤沢一成で、私が大船みゆきってことですか?」
「うん。さあ、部活行こう」
ぼくは、立ち尽くしている和田美保をその場に置き去りにして、図書室のドアを開けた。




