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リーンカーネーション  作者: さら
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3/26

3

翌日、ぼくは3時限目の授業の途中から登校した。


とにかくぼくは朝が弱い。


席についても、しばらくぼーっとした。


「鳥居くん、ちょっといい?」


休み時間になって、細い声で訊いてきたのは、皆川絵美だった。


庶民的なお嬢様系のふわっとした黒髪のショートカットに、頬っぺたがふっくらしたところから顎にかけてシュッとしたラインを描く輪郭は、テレビの懐かし番組で見かける80年代アイドルのようだ。


そして、教室ではほとんど目立たない皆川とぼくは、4月の演劇部の新入生歓迎公演で、結婚を前提に交際している、主演の恋人同士の役を演じた。


カップルといっても、台本の中の話だから、実際に付き合っているわけではない。


何しろぼくは、女の子と2人になると、何をしゃべっていいかわからなくなってしまう。


演劇部の稽古や本番では、誘拐された彼女を捜し出し守るために一途なカレシとして、男らしいセリフをばんばん吐いた。


実際にあんなセリフで皆川と接していると、台本の中の世界のような恋人同士になれるのだろうか。


んなわけねーよなー。


1年生ではクラスが違ったが、2年になってからクラスメイトになった。


ちなみにイッチーとぼくは1年生の時も今も同じクラスだ。


教室では、たまにぼくが皆川に声をかけるぐらいで、皆川から声をかけられたことはほとんどない。


その内容も、きょうの部活は放課後に用事があるからちょっと遅れるね、とか、きょうの練習は台本の何ページからだっけ、というような、部活の連絡や確認のようなものだった。


ぼくと話すときはたいてい、やさしそうな笑顔を向けてくれる皆川が、きょうは虚ろな表情をしていた。


そういえば、昨日、皆川は部活を欠席した。


うちの演劇部は無断欠席のオンパレードだが、皆川が断りもなく部活に来なかったのは、これまでの記憶にない。


「これ」


皆川は、ぼくに小さな封筒を渡した。


中に折りたたんだ手紙が入っている、いわゆるレターサイズだった。


「これ、読んでくれる?」


「うん。開けていいの?」


「あ、私、今から早退するから、私が帰ったら読んで」


「どこか体調でも悪いの?」


「ううん、大丈夫。じゃあ」


皆川はななめ前の自分の机に置いてあったカバンをつかんで、ぼくに一瞬、微笑むと、それをあいさつにして、後ろのドアから教室を出て行った。


皆川の微笑みは、新歓公演の時にぼくの彼女のキョウコ役としてぼくと話していた時に見せたものだった。


それが彼女の精一杯の演技だったのだろうか。


皆川がていねいにドアを閉めて、姿が見えなくなってから、ぼくは渡された封筒に視線を落とした。


ラブレターやデートのお誘いといった嬉しい内容の手紙ではなさそうだ。


いや、ぼくに告白の手紙を渡そうとして、ド緊張して顔色を失っていたのかもしれない。


封を開けると、便箋が2枚重なって、3つ折りになって入っていた。


その1枚目の書き出しを見て、ぼくはすぐに便箋を封にしまい、制服の内ポケットにねじこんだ。


「退部届」


目を強くつむっても、その3文字の残像が消えることはなかった。


ぼくは座って目を閉じたまま、右手の親指と人差し指で、両目のちょうど真ん中、鼻の付け根のあたりのやわらかい肉をつまんだ。


そして親指の爪先を鼻の付け根に押しつけた。


何か信じられない出来事に衝撃を受けた時、ぼくはこの仕草をするのがクセだった。


そういえば、昨日の日本史の授業の時も、急に叫んだ後、ずっと右手の親指の爪先で鼻の付け根をぐりぐりやっていたような気がする。


「あ、トリーおはよう」


声をかけてきたのはイッチーだった。


目を開けて、前に立っているイッチーがハンカチで手を拭いているところを見ると、トイレから戻ってきたところか。


1年生から一緒のクラスのこの男は、ぼくが遅刻してゆっくり登校してくることにすでに慣れていて、遅刻の件はなんでもないことのようにスルーした。


「トリーさ、今、皆川がカバン持って教室を出て行くのを見たんだけど、早退するのかな?」


「あー、帰るって言ってた」


皆川から渡された封筒のことは、イッチーには伏せておくことにした。


だいたい、ぼく自身まだ「退部届」の部分しか見てないし、そこだけ読んでとっさに制服の内ポケットにしまったのは、イッチーに見られないようにしようという無意識の判断だったように思う。


皆川も、イッチーが登校したばかりのぼくのところに来るのではなく、教室から出て行くのを見届けてから、ぼくに声をかけたのではないだろうか。


「皆川、昨日、部活来なかったよな」


イッチーの問いかけに、ぼくは机に ヒジをついて右手を鼻の付け根に添えたまま「うん」と小さく頷いた。


「そういえばさ、昨日、トリーが日本史の時間に素っ頓狂な声を出した後の、皆川の様子、なんかおかしかったよね」


「え? そうなん?」


昨日の日本史の時間は、自分が叫んだ後は、叫んだ自分が恥ずかしくて情けなくなっていたのと、井伊大老という人物についてわけがわからなくなってしまったことで、記憶が飛んでいた。


「トリーが叫んだ後、皆川が先生に指名されて教科書読んだだろ」


「覚えてない」


「桜田門外の変のところだよ。井伊大老がさ、その…」


「殺されたとこな」


「そう。その文を読んでる皆川の声、だいぶ震えてたぞ。トリー、気がつかなかったの?」


「うん。やっぱ俺、取り乱してたな」


「だな。皆川、台本読む時も英語の時間に当てられたときも、いつもスラスラ読むのに、昨日はやけに声が震えてた。あんなの初めて聴いたよ」


皆川に、何かがあったのか?


ぼくは昨日の日本史の授業を思い出そうとしたが、自分が叫んでからの記憶は浮かんでこなかった。


「あいつ、風邪でもひいたのかな」


風邪…ではないだろうな。


ぼくに手紙を渡した時の皆川は、思いつめたような表情をしていた。


そして、帰り際に見せた、皆川絵美ではない、キョウコの微笑み。


「退部届」の後に、あいつは何か理由を書いているのだろうか。


手紙の続きを読みたい。いや、永遠に制服の内ポケットにしまっておきたい。


皆川に何があった?


あのショートカットで輪郭も表情も声も仕草もぼくのドストライクな皆川に。

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