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ぼく、鳥居英輝が通っているのは、県立柏尾川高校だ。
「柏高」の通称で呼ばれているこの高校は、鎌倉市と藤沢市の境界線の、鎌倉市側にある。
高校の正面玄関の前に、鎌倉市と藤沢市をつなぐ道路が伸びていて、その向こう側に、柏尾川が流れている。
進学校というわけではないが、偏差値が低いわけでもない。
ぼくがこの高校を選択したのは、単純に、家からいちばん近いからだ。
部活は運動部も文化部も数はそれなりにあるけれど、全国大会に出るような部は聞いたことがない。
学校じたいの歴史がまだ開校してから10数年だからだろうか。
演劇部も、湘南地区大会すら突破したことがない。
ぼくが入部する前年の部員数は実質5人で、今も在籍しているのは3年生の赤田先輩と、裏方で音響担当専門の石井洋平先輩の2人だけだ。
昨年入部した、ぼくを含めた2年生で実質的に活動に参加しているのは6人。
1年生は4人いる。
高校の演劇部というのは、どこもたいてい女子部員の数が圧倒的に多い。
ところが柏高演劇部は、男子が7人、女子が5人という珍しい構成だ。
石井先輩は音響専門で、1年生唯一の男子部員である松山卓也は中学時代にも演劇部に所属していた照明のスペシャリスト。赤田先輩の指示があれば舞台装置製作の補助もソツなくこなす。
この日の部活には、すでに集合していたのが赤田先輩、イッチー、和田美保、桜井友恵、石本彩乃とぼくの6人。
クラスの掃除当番を終えてから部室に来た2年生の神島優心と、どこかでヒマつぶしをしてから来たのであろう、同じ2年生の飯山亮佑が遅れて参加した。
2年生の近藤ゆかりは、かけもちしている生徒会の作業が忙しいらしく、お休みの連絡が入っていた。
裏方の石井先輩と松山も、いつの間にか部室に顔を出している。
さらに教育実習生の澪さんがいて、校舎の4階にあるスロープで発声練習をしてから部室に戻ってきたら、顧問の川島匠もいちばん前の席に座っていた。
昨日、文化祭と秋季コンクールで発表する「リーンカーネーション」の配役決めをしたばかりとあって、出席率がいい。
しかし、皆川絵美だけが、いつまでたっても、姿を現さなかった。
皆川が部活を無断欠席することなんて、これまでほとんどなかったし、遅れてくる場合は、その旨を連絡してくれていた。
配役が決まってからの最初の読み合わせで、まさかヒロインを演じる皆川が欠けているという事態に、ぼくは戸惑った。
今回の舞台では割と出番の少ない桜井友恵か石本彩乃に、皆川の代役で台本を読んでもらおうかとも考えたのだが、ぼくは、違う行動に出た。
「きょうは皆川が来てないんだけど、他の部員がだいたい揃ってるし、川島先生と澪さんも来てくれてるよね」
「じゃあ、読み合わせやる?」
イッチーが訊いた。
「その前に、ちょっと話し合いたいことがあるんだ。川島先生、いいですか?」
30代半ばで黒ぶちの眼鏡をかけた英語教師の川島が、表情を変えずにぼくを見る。
「『リーンカーネーション』の練習に本格的に入る前に、みんながこの部活でどうしたいのか、何をやりたいのか、部活がどうあれば良いのかを、話し合っておきたいんです」
「えー、また話し合いかよー」
長身で瘦せ型の飯山がため息をついた。こいつがマジメな話し合いが好きではないのは、おりこみずみだ。
「確かに、これから秋まで『リーンカーネーション』の公演に向けて長丁場になるわけだから、その前に、みんなの意思を確認しておくのは良いことかもしれないな」
川島が冷静な口調で、話し合いを支持してくれた。
ぼくが話し合いの提案をしたのには、2つの理由があった。
そのひとつを、みんなに向けて話してみた。
「俺が1年生の時に演劇部に入部して、6月に最初の公演に出してもらった時、お客さんが3人しかいなかったんだよね。それも、元部員とか関係者だけでさ」
1年生の時に、初めて演劇の舞台に立った公演のタイトルや役名さえ、ぼくは覚えていなかった。
「あの時、すっげーさみしかったんだよね。公演をやるまでは俺も演劇をナメてたし、あんまりマジメにとりくんでなかった。だけど、本番の日は、めちゃくちゃ緊張した。何が何だかわからなくて、お客さん3人と川島先生に観られる中で舞台が始まって、終わった」
この公演に出演したのは、その時の2年生だった赤田先輩と、今はもう部活をやめている男子の先輩、そしてぼくと神島と近藤ゆかりの5人だった。
あの公演の現場にいて、今この場所にいるのは、ぼくの他には赤田先輩と神島、そして川島先生の4人だけだ。
「俺さ、自分がせっかく演劇やってて、みんなと一緒に活動していて、その成果を発表するのが公演だから、やるんなら、できるだけたくさんの人に公演を観てもらいたいんだよね」
「まあ、そりゃあそうだわな」
イッチーが相づちをうつ。
「みんなは、どう思う?」
「何が」
ぼくの突然の問いかけに声をとがらせたのは、飯山だった。
「だから、みんなは、これから、どんな気持ちで部活に参加していきたいか、どんな部活にしたいか、あと『リーンカーネーション』について、どう思っているのかを知って、公演に向けて目標をしっかり共有しておきたいんだ」
「お客さんが3人じゃ恰好がつかないからたくさんのお客さんに観てもらう、それでいいんじゃねーの?」
飯山がぶっきらぼうに言う。それはただ単に、ぼくの意見をまとめただけじゃないか。
「みんなはどう思ってるんだろう?」
この話し合いの提案について、真剣に捉えてくれる部員もいれば、軽く受け流す部員もいた。何も言わない部員もいた。
その中で、真剣に捉えて意見表明をしてくれた人たちの気持ちは、さまざまだった。
赤田先輩は、こう言った。
「確かに『サイレント詐欺』はボロボロだったよな。今年は部員も増えたことだし、昨年とは違う演劇部にはなるかもしれない。俺は最後の年だから、身体をもっと鍛えて、演技の技術を磨いていきたいな。たくさんの人に見てもらいたいのは俺も同じだけど、それが難しいんだよな」
顧問の川島匠は、こう言った。
「みんなで『リーンカーネーション』を練習することで、俺の台本以上の魅力を引き出してくれたらうれしいよね。初めて書いた台本だから、内容は薄いかもしれないけど、これをどう料理していくか、俺も演出担当としてできるだけ顔を出して、一緒に作っていくよ」
神島優心は、こう言った。
「『リーンカーネーション』の意味って輪廻転生ってことだよね。中島みゆきさんのアルバムにも『転生』っていうのがあって、ぼくはこの言葉の意味にすごく興味がある。川島先生の台本を読んで、なるほど、と思った。練習をしていくうちに、自分の中での輪廻転生の解釈ができていけたらおもしろいかな」
市川隆博は、こう言った。
「俺は、最初はお手伝いで部活に顔を出してたら、いつのまにか役者にされちゃって…まだ、舞台に立つのは恥ずかしい気持ちが抜けないね。今回も出演者の数が足りないっていうから、役者としてできることはするけど…まずは部活をみんなで楽しくできたらうれしいな」
1年生で副部長の和田美保は、いちばん強気な発言をした。
「私は、このメンバーとこの台本で、湘南地区大会を突破して、県大会の舞台に上がりたいです。新入生歓迎公演で鳥居先輩や皆川先輩、赤田先輩、神島先輩など皆さんの演技を見て、すごく感動したんです。今度は、この演劇部の公演に自分も参加できる。足を引っ張ってしまうかもしれないけど、でもやっぱり湘南地区大会を突破して、県大会も…できるだけ長くやって、たくさんの人に見てもらいたいと思います」
湘南地区大会突破か…。
赤田先輩の発言で、自分のデビュー作が「サイレント詐欺」というタイトルだったことを、ようやく思い出した。
振り込め詐欺の犯人が逆に詐欺に遭う話だったような気がするが、結末がくだぐただったような、あいまいな記憶しかない。
赤田先輩は、感情表現よりも身体技術に秀でている人だ。
もしかしたらこの公演が最後で引退となるかもしれない。
川島匠は、台本を書いてくれただけではなく、演出担当としても、できるだけ顔を出してくれるようだ。
ぼくがこの話し合いを提案した2つ目の理由は、川島先生が、今年度に入ってから、なぜこんなにも演劇部に積極的に関わってくれるようになったのかを知りたいからだった。
昨年度は、公演を見届けるくらいで、ほとんど視聴覚室には顔を出さなかったのだ。
川島先生が1時間近い公演の台本を書き上げて、その演出までやるのは、明らかに「変貌」だ。
表情を変えないで淡々と話すのはいつもの川島匠の特徴だが、何かが彼を変えたのは間違いない。
神島優心は、中島みゆきさんが大好きだ。
川島先生は、そのあたりを計算に入れて「リーンカーネーション=輪廻転生」をテーマにした台本を創作したのだろう。
演劇部にあまり関心がないように見えていたが、じつは川島先生は部員一人ひとりをしっかり観察している。抜け目がない。
イッチーの発言にはネガティヴさが含まれていた。
彼は部活中によく「俺は手伝いだけのつもりだったのに…」と言っているが、それは冗談とか照れ隠しの度合いが強いのだろうと思っていた。
しかし、どうやら本気で自分が役者として舞台に立つことに引け目を感じているらしい。
それでも、今回の公演でも、あまり出番はないが、役者を引き受けている。
普段は陽気なイッチーの繊細な部分には、注意を払っておく必要がありそうだ。
和田美保は、湘南地区大会突破を目標に挙げた。
これにはびっくりした。
赤田先輩が和田美保の中学時代の演技を知っていて、そのレベルの高さは聴かされていたし、実際にエチュードをしていて、演技から醸し出されるオーラが突出していて、ぼくなんかでは到底かなわないのは、感じていた。
それだけではなく、部活として地区大会の突破という、今まで柏高演劇部が成しえたことのない目標を掲げる意識の高さにも、驚かされた。
話し合いというよりは、一人ひとりの意見表明という形で終わってしまい、やや消化不良ぎみではあったが、飯山にチクチク言われながらも、今後も継続していこう。
どんな部活にしていくか。
今日、皆川がいてくれたら、どんな発言をしてくれただろうか。
帰り道、ぼくは方向が同じみんなと一緒に歩きながら、イヤホンを耳につけた。




