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皆川と別れた後、ぼくは藤沢駅からバスに乗って柏高に向かった。
朝、澪さんと友恵と湘南深沢駅で待ち合わせたのが9時半。
それから堀内さんの事務所に乗りこんで真実を解明し、午後には藤沢駅で皆川と藤沢駅で1週間ぶりに会い、柏高に着いたのは午後4時近くになっていた。
授業は終わってしまっている。演劇部では準備運動が始まっているだろうか。
身体は疲れきっていたが、皆川を助け出したという達成感が、せめて部活には顔を出そうという気持ちを奮い立たせてくれた。
私服から着替えた制服の内ポケットには、誰かさんの退部届の代わりに、その誰かさんからプレゼントされたインカ・ローズのブレスレットが入っている。
「なんで私には教えてくれなかったんですか!」
視聴覚室のドアを開けたぼくを見つけるなり、和田美保がぼくの左腕の裾をつかんで視聴覚準備室に連れていった。
皆川の中学からの後輩で、彼女を心から心配していた演劇部副部長の美保には、真実を伝える必要がある。
先に学校に戻っていた澪さんが、録画していた「みんなで動画」を、美保だけに見せていた。
堀内さんと10時に待ち合わせたところからエロ教師が自白するまでのすべてが録画・録音されている「動かぬ証拠」だ。
「皆川先輩にひどいことをしたこの先生に、私だっていろいろ言ってやりたかったですよ」
「そこが心配だったんだよ」
ぼくは美保を諭した。
準備室のカーテンを開けて視聴覚室を見ると、澪さんはすでに「大学生」の姿に戻っていた。
「ワダちゃんが皆川に肩入れするあまりに暴走するのだけは避けたかったんだ」
先に澪さんと友恵に堀内さんの事務所まで行ってもらって、そこにぼくが突入し、後から教師の川島匠と生徒会役員の近藤ゆかりが現れて横山にダメ押しするというのは、5人で話し合ったベストな布陣だった。
推理が的はずれで横山が潔白なら「皆川を助けたい一心で生徒が考えたこと」と川島先生が丁寧に謝罪し、逆に横山や堀内さんが誰かに危害を加えるようなら、配信動画を見ていた近藤がすぐに警察官である父親に連絡するという手はずを整えていた。
だがそれよりも、ほくがこの計画に当初から美保を外したのは、美保を危険な目に遭わせたくなかったからだ。
澪さんと友恵にオトリになってもらったのだが、その役目を美保にさせるのは、ぼくにはどうしてもできなかった。
川島匠はこの計画を聞くとすぐに「危険すぎる」と言ったし、近藤は「なぜ友恵ちゃんが巻き込まれるわけ?」と訊いてきた。
ぼくはその答えを曖昧にした。
澪さんが男装の麗人に変身する本当の理由を知っているのはぼくと友恵だけだ。澪さんと友恵、そしてぼくは秘密の話を共有していることで、いざという時の結束が強まっているとぼくは踏んでいた。
もし澪さんの動画配信がなんらかの不都合で途切れたら、その時は友恵が配信をスタートさせることも打ち合わせていた。
だが、やはり女子2人が先鋭部隊としてカメラマンの部屋に突入するのはリスクをともなう。
その点が、ぼくが美保をこの計画に参加させなかったいちばんの理由なのだ。
たぶん、ぼくの心は美保に傾いているのだと思う。
「皆川は、じきに学校に来るし、テスト明けには部活にも顔を出してくれるんじゃないかな」
「そうなってくれると、ホッとします」
「もし皆川がまた演劇部に関わりたいと思ってくれるなら、あいつにはしばらくマネージャーをやってもらうっていうのは、どうだろう」
ぼくは藤沢駅から学校に来るバスの中で短い時間ではあるが、考えていたことを美保に話した。
「俺とワダちゃんは部長と副部長だし『リーンカーネーション』でも2人の出番が多いよね。秋まで続くこの公演の練習とその他の高校生活をやりくりするには、お互い負担が大きすぎるからね」
「皆川先輩がマネージャー…具体的には何をする役目ですか」
「俺もまだそこまでは浮かんでないんだけど、皆川にいちばんしてほしいのは『リーンカーネーション』のいちばんのお客さんになってほしい、ってところかな」
「いちばんのお客さん?」
「最初は皆川も『リーンカーネーション』に出演者として関わる予定だった。この公演について、いちばん悔しい気持ちを抱いているのは、あいつなんじゃないかな。皆川には、演出の川島先生とは違う視点、つまりお客さんの視点で、練習を見てほしいんだ」
「なるほど。確かに『リーンカーネーション』をお客さんが見てどう感じるかを皆川先輩からみんなに話してもらうのは、新鮮ですね」
「ワダちゃんが話してくれた究極の目標である『全国大会に出場する』ためには、まずお客さんが俺たちの舞台を観て感動してくれる必要がある。同時に、今の俺たちのレベルでは地区大会の突破すら怪しい。俺やワダちゃん、顧問、そして部活のみんなと話し合いながら部活全体の底上げを考えてもらうのが、俺が想定するマネージャーの役割かな」
「皆川先輩に、これは素晴らしいと思ってもらえる公演ができれば、私たちは確実にレベルアップできますもんね」
「高校演劇コンクールは野球やサッカーの試合と違って、審査員の先生の採点で勝ち上がる学校が決まるから、自分たちが他の学校よりよくできたと実感しても、落選してしまうかもしれない。ワダちゃんの目標を実現するには、そこに障壁はあるけどね」
「私たちは、今いるメンバーでベストを尽くすことが大事なんですね」
視聴覚準備室のドアが開いた。松山卓也だった。
「お取り込み中のところ申し訳ありませんが、和田さん、練習に加わっていただけないでしょうか」
松山は誰に対しても敬語で話す。
視聴覚室では「リーンカーネーション」の立ち稽古が始まっている。
座席の真ん中では、川島匠が台本とノートを開いて、赤いボールペンを動かしている。
やっとこの公演の演出らしい姿を見せていた。
今日は疲労困ぱいのぼくの出演シーンの練習はしないことを、川島匠は事前に取り計らってくれていた。
舞台には、藤沢一成が企画した映画に登場する茅ヶ崎一成、北鎌倉ヒロシ、本鵠沼タカシ、そして大船みゆきの4人が立った。
赤田先輩、飯山、イッチー、美保だ。
それを見ているのが川島匠のほかに神島優心、石本彩乃、松山卓也、そして石井洋平先輩。
あれ?
澪さんと友恵の姿がない。
トイレにでも行っているのかな。
ぼくも、4人の立ち稽古を集中して見る前に、トイレに行っておこう。
視聴覚室を出て、廊下を歩き、角を曲がってトイレに近づく。
トイレの入り口で、澪さんと友恵が黙ったまま、見つめあっていた。
澪さんがぼくに気がついた。
「鳥居くん、助けて。桜井さんが、ここをどいてくれないのよ」
苦笑する澪さんを、友恵は疑り深い目で見据えていた。
「早く正体を現しなさいよ」
友恵の詰問に、ぼくはあわてた。
「桜井、こんなところでよせよ。澪さんが井伊直弼の生まれ変わりかどうかって話か? デリケートな問題だからさ、場所を変えて…」
友恵はぼくの制止など聴いていなかった。
「あなたは井伊直弼なんかじゃない」
友恵の断言に、澪さんは目を逸らした。




