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ぼくは皆川絵美と藤沢駅の改札口で待ち合わせて、昨日、澪さんと友恵と一緒に入ったカフェで話すことにした。
午後2時を過ぎていた。ぼくはお腹が空いていたので、紅茶のほかにサンドイッチを注文した。
皆川は最初に「ありがとう」と微笑んだ。その表情には、この1週間の不安定な心の影が現れていた。
「学校、来なよ」
ぼくはレタスとトマトのサンドイッチを頬張った。
学校嫌いの自分が言うセリフじゃねーな。
「うん。週明けの月曜日からで大丈夫かな」
「いいと思うよ。イッチーと同じ授業を受けてる教科は、あいつのノートを写させてもらいなよ。俺もできるだけ協力するから。テスト、近いしな」
「うん。テストまで休んじゃったらさすがにアウトだなって、けっこう追いつめられてたんだよね」
「だから、できる限り迅速に行動したんじゃん。最初から皆川がすべてを教えてくれてたら、1週間もかからないであいつを追い込めてたと思うよ」
ちょっと余計なことを言ったかな。皆川にはきょうまでの成果を簡単に報告して、心が少しでも安定してくれるようにという気持ちで会いにきたのだ。
「ほんとに、ありがとう。生放送動画で見てたけど、私のぐちゃぐちゃな暗号によく気がついてくれたね」
皆川のほうから暗号について触れてくれたので、ぼくは少し深入りしてみることにした。
「【E】は【井伊】。【大老は倒された】は【E】を横にして【横山】。【□の中に×】は【ボーリングのストライク】で【大船、鎌倉、江ノ島、藤沢を結ぶひし形の対角線上の湘南深沢】。【R】は【STRIKE】に【R】を足した【ストライカー】。暗号の解釈は、これで本当に間違ってないのかな?」
「うん。だいたい合ってる。鳥居くん、こんなよくわからない暗号を解いてくれて、ありがとう」
「そんなに恐縮しないでよ」
皆川はアイスティーにミルクとガムシロップを入れて、ストローでかき混ぜた。
「だって、私だったらこんな暗号、解けないもん。何が何やら。暗号であることすら気がつかないかもしれないよ」
じゃあこんな入り組んだ暗号を作るなよ、というツッコミはのど元で抑えこんだ。
皆川は皆川で、それだけ心のバリアーが固かったということが、難しい暗号を提示するという形で現れたのではないだろうか。
それにしても難しすぎだが。
「私の写真が成人向け雑誌に掲載されちゃったら、それが消せない過去になって、これからの人生すべてに悪い影響を及ぼすんじゃないかと悩み始めたの。ネガティヴ一直線になっちゃった」
「うん。わかるから、ムリして言わなくていいよ」
皆川はバッグの中から小さな紙包みを取り出して、ぼくの前に置いた。
「これ…こんなもので申し訳ないんだけど、お礼に受け取ってもらえるかな」
「開けていいの?」
ちょうど1週間前、教室で手紙を受け取った時も、ぼくは皆川に同じ質問をしたな。
あの時は中身が退部届だったけれど、今度はそんなに重苦しいものではなさそうだ。
開封してみると、中には赤やピンクがまだら模様になった小さな石をつなげて作られた、ブレスレットが出てきた。
「これは?」
「インカ・ローズっていうパワーストーンで作ったんだよ。13世紀ごろ、インカ帝国の鉱山から発掘された鉱石が、バラのような形をしていたことから、インカ・ローズっていう名前がつけられたらしいの」
「インカ帝国って、どこにあったんだっけ?」
「アンデス山脈のあたり」
だめだ。世界史と地理に疎いぼくにはインカ帝国もアンデス山脈の位置もわからない。
「なんで、これを?」
「ふふ。この暗号は、鳥居くんでも解けないだろうな」
ぼくは紅茶を吹き出しそうになった。
「これも暗号なのかよ!」
「『リーンカーネーション』て、生まれ変わりとか転生っていう意味だけど、分解すると『リー』と『インカーネーション』になるの。『リー』は『もう1度』って意味ね」
皆川は、ペーパーナプキンにボールペンで大きく【R】と【E】の2文字を書いた。
「あっ!」
「そう。神島くんへの退部届に書いた【R】と鳥居くんに宛てた【E】の組み合わせ。『リーンカーネーション』の『RE』には、誰かが簡単に気がつくと思ったんだけどね」
皆川の頬に赤みがさしてきた。少しリラックスしてきたようだ。リラックスの「リ」も同じ『RE』なのかな。
「学校を休んだり演劇部を辞めちゃったりしたけど、『もう一度』っていう気持ちは、最初から捨てられなかったんだろうね、私。『インカーネーション』は『肉体化すること』という意味で、『RE』がつくと『もう一度肉体化すること』、つまり生まれ変わり・転生っていう意味になるんだ」
「へー」
ぼくはもう、暗号の謎解きや言葉の分解に脳を使うことに疲れていた。
皆川は構わずに続ける。
「『ネーション』は『国家』とか『集合体としての国民』、『統合性のある民族』っていう意味。私はやっぱり、学校や演劇部に戻りたかったんだよ」
そ、そうですか。「(^_^;)=苦笑」のマークが脳内に浮かんだ。
「そうすると『リー・インカーネーション』から『インカ』の言葉だけ残っちゃうんだよね。私はインカ帝国には特別な思い入れがあるわけじゃない。そこで『インカ』でネット検索してみたの。そうしたら、まず、この花が出てきたの。『インカ』っていう種類のバラ」
皆川が見せてくれたケータイの画面には、鮮やかな黄色の花を咲かせたバラの画像が表示されていた。
「へー。バラっていうと『星の王子さま』に出てくる真っ赤な花のイメージなんだけど、こんな綺麗な黄色のバラもあるんだね」
「ね。『リーンカーネーション』だと、カーネーションの花が浮かんでくるけど、バラの花が出てくるなんて、おもしろいよね」
おもしろいのか? 目の前の皆川が楽しそうだから、まあ、いいか。
「でも、鳥居くんにあげたインカ・ローズの石は、赤でしょ。なんだか対照的だよね。黄色い花が赤い石に生まれ変わったのか、それとも赤い石が黄色い花に生まれ変わるのか」
皆川は世界の不思議を発見したかのように、目を輝かせた。
「インカ・ローズにはね、『バラ色の人生』って意味があるんだよ」
「バラ色の人生か。それは本当に、楽しそうだね」
皆川は微笑んで、続けた。
「それだけじゃないの。インカ・ローズは、自分が困っている時に手を差し伸べてくれる人、心から心配して一緒に解決してくれる人、心を委ねられる良い友人との出会いに導いてくれるんだよ」
「ふーん…」
「私は、鳥居くんに手を差し伸べてもらったし、鳥居くんは心から心配して私の不安と恐怖を解決してくれたでしょ。心を委ねられる良い友人に出会えて、本当に感謝しているの」
「良い、友人、か…」
「私がしばらく肌身離さず持っていたこのインカ・ローズを、鳥居くんにあげる。今度は、鳥居くんに手を差し伸べて力になってくれる人、心から心配して一緒に解決してくれる人が現れるよ。いいえ、そんな人が、鳥居くんの近くにはもう現れているのかもしれないね」
その相手は、皆川、お前じゃないのかよ…
ぼくはインカ・ローズを見つめながら、残っていた紅茶を飲み干した。
皆川には、まずは週末、心をゆっくり休めるように念を押した。
「ああ、もう1つだけ」
ぼくは別れ際に、思い出した体を装って、皆川に声をかけた。
「おまえ、退部届なんか、出してたっけ?」




