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ぼくと美保、神島は視聴覚室に戻った。
ストレッチ講座が続いていたが、準備室から出てきたぼくたちを見て、赤田先輩が「よし、終わり!」と声をかけた。
飯山亮佑がいつものぶっきらぼうな口調で訊いてくる。
「神島の次は誰のリサーチだよ」
「じゃあ、飯山先輩!」
美保が笑顔で切り返した。
「じゃあ、ってなんだよ。おまえらノープランでやってんのか?」
視聴覚室にいるのは、3年生の赤田先輩、石井先輩、2年生のぼく、神島、イッチー、飯山、1年生の美保、石本彩乃、桜井友恵、松山卓也。
あれ?
生徒会で忙しい近藤ゆかりを除けば、全員集合しているじゃないか。
顧問の川島匠はいないが、教育実習生の澪さんは来ていた。
澪さんが幕末の大老・井伊直弼だなんて、やっぱり信じられない。
しかし、自分が井伊直弼であるとカミングアウトした澪さんに、友恵は何かを感じ取っているようだ。
澪さんも友恵も、昨日、ぼくを含めて会っていたような気配などいっさい出していない。
澪さんは微笑をたたえ、友恵は腕組みをして座って、目をつむっている。
美保が小声で訊いてくる。
「先輩、今ならリーンカーネーションの台本の読み合わせができちゃいますね」
県立柏尾川高校の部活動は、校門を午後7時に出るまでと決められている。
いつも6時半には部活を終わらせて、着替えや掃除などの帰り支度をすませる。
今、4時50分。
上演時間が規定の60分ギリギリな「リーンカーネーション」の台本を、近藤以外の出演者全員で、最初から最後まで通しで読み合わせをすることができる。
ぼくは美保と小声で打ち合わせをして、読み合わせをしてから、皆川の件についてみんなに相談する段取りを練った。
5分後から「リーンカーネーション」の読み合わせ。近藤ゆかりが演じる平塚ひろみの役は石本彩乃が代役。松山卓也がストップウオッチで各シーンの時間を計る。石井先輩には準備室に入ってもらって、適当なBGMを流してもらい雰囲気をつくることにした。
みんなで感想交流をして、残った時間で7時ぎりぎりまで皆川についての相談をする。
皆川が演劇部から消えてから、何ひとつ段取りどおりいかないが、高校の部活動ってそういうものなんじゃないかな、とも思う。
強豪の運動部や、高いレベルをめざす演劇部ならスケジュールもみっちり決まっているのだろう。
美保は皆川のことも心配だが、役者の血が騒いで、稽古の誘惑に負けたのか。
それならそれでよいのではないだろうか。
ぼくは部長としては頼りない。そのユルさこそが、柏高演劇部の良いところなのだ。
「リーンカーネーション」は、大船みゆきが朝、登校するために家を出た瞬間に交通事故に遭って亡くなるという、エグい話から始まる。
その場面は暗闇の中で大船みゆきとその母親の会話、そして交通事故の音だけで表現される。
大船みゆきの母親の声は近藤の担当だから、今回は彩乃が代役だ。
2人の会話に合わせて、石井先輩が効果音リストの中から、ガラスが砕け散る音をスピーカーを通じて出してくれて、いよいよ「リーンカーネーション」の読み合わせに熱が入る。
次のシーンは映画研究部で藤沢一成、辻堂学、平塚ひろみ、大磯たまきの4人が、次に製作する映画について話す。
その後に、藤沢一成が思い描く映画の脳内再生シーンが入る。
ここではサッカー部の茅ヶ崎一成、北鎌倉ヒロシ、本鵠沼タカシ、そしてマネージャーの大船みゆきが登場する。
このシーンまでで、出演者全員が舞台に立つ。
川島匠の台本は、藤沢一成がカノジョの大船みゆきを失ったショックを映画でやり過ごそうとして、その弱さや折れた心を、他の登場人物に指摘され、アドバイスされながら、事実を受け入れて先を見て歩いていく物語だ。
ありがちな話だよな。
ありがちな話に肉づけをしてふくらませていくのが、役者の本領だ。
ぼくは読み合わせに没頭した。
最後のシーンの大船みゆきの長いセリフが終わると、松山が「53分15秒」とストップウオッチを見て呟いた。
「読み合わせで53分だと、動きがついてセリフをゆっくりしゃべるようになると60分ギリギリだな」
茅ヶ崎一成役の赤田先輩が疲れを微塵も見せずに嘆いた。
「場合によってはどこかのセリフを削ることも考えなきゃいけませんよね」
大船みゆき役の美保が思案顔になる。
「まあ、そこは台本で演出の川島先生に任せるのがいちばんだろうね」
ぼくが引き取った。
そのまま感想交流タイムに突入した。
一人ひとり、それぞれの感想を述べていったが、ここで飯山が、本音をもらした。
「俺さ、ずっと思ってることがあるんだけど、言っていいか、トリー」
「言っていいよ。そのための時間だぞ」
「俺、こんなんだから、脇役しかできないのかなー」
「えっ?」
飯山は天井に視線をそらせた。
「だってそうだろ? 新歓公演も今回も主役はトリー。ヒロインは皆川がいなくなっちゃったからワダちゃんに交代したけど、男子は違う。トリーを支えたりライバルだったりするのは赤田先輩と神島。俺は新歓公演はテレビのニュースで事件の原稿を読むアナウンサーとしてチラッと出ただけ。今回は藤沢一成の脳内再生に出てくるもう一人の自分である茅ヶ崎一成の後輩のチョイ役。それってアレだろ。俺がマジメにやってるように見えないからだろ?」
台本を読むときは棒読みなのに、今の話は感情がこもっていた。
「北鎌倉ヒロシって、この劇に必要か? 川島匠は最初から俺に期待なんかしてないから、このチョイ役を申し訳程度に付け足したんじゃないか?」
飯山の目には涙が浮かんでいた。なぜその感情を舞台で出せないんだ。
部屋に沈黙が流れた。
ぼくがふと視線をそらすと、いちばん奥の席に座っていた澪さんと目が合った。
その目は男性のように鋭かった。
井伊直弼?
澪さんはゆっくりとうなずいた。
ぼくは井伊大老に、この場を任されたのだ。
「ねえ、イッチー。本鵠沼タカシとして北鎌倉ヒロシの同級生の役で出ているおまえは、どう思う?」
イッチーはぼくから急に話を向けられて驚いたようだ。
彼は自分から積極的に発言するタイプではないから、こちらからパスを出す必要がある。
「俺は…前にも言ったように、役者をやるつもりじゃなかった。舞台に立つのは恥ずかしいし、苦手だよ。この部活に入ったのもトリーと神島くんに引っ張ってこられたからだしね。それでも、演劇部に入ったからには、何かしら役に立つお手伝いをしようと思ってたよ。だけど、役者の人数が足りないならってことで、なし崩し的に役者をやることになって、それが当たり前になっちゃった、って感じなんだよね」
イッチーの声には元気がなかった。部室にネガティヴな空気が漂い始めていた。
ぼくは、次に、北鎌倉ヒロシと本鵠沼タカシの先輩の茅ヶ崎一成の役を務める赤田先輩に話を振ろうとした。
しかしその前に、意外なところから声が上がった。
「いい加減にしてください!」
その声を発したのは、1年生の石本彩乃だった。
「彩乃…」
美保もびっくりしているようだった。
すでに涙が頬を伝っている彩乃は、気持ちを抑えることができなくなっていた。
「飯山先輩も市川先輩も、女々しいです。私には、先輩たちが舞台に立てるだけでもうらやましいんです。私なんか、役も与えられなくて、今回は小道具兼雑用なんですよ…」
「彩乃…私と話した時に、自分には役者はムリだからって言ってなかった?」
美保が訊いた。
「あれは、まだ部活に入ったばっかりで、右も左もわからなかったから。少しは考えてよ。1年生が自分からすすんで演劇部に入部したの。中学までは演劇とは無縁だった私が。ポスターを見て、ちょっとした興味で新歓公演を観にきて、感動して、だから演劇部に入ったよ。私も市川先輩と同じように、この人たちの役に立てたらいいなって思った。だけど私は市川先輩とは違う。演劇部に入ってから、こんな私でも、先輩たちや美保や友恵と一緒に舞台に立てるかもしれないと思って、少しずつワクワクしてきた。でも、私は、今回の公演には立てないの。立ちたくても立てない人間がここにいるの!」
彩乃の大粒の涙は止まらなかった。
「彩乃…なんで役決めの話し合いの時にそれを言わないの…」
「言えなかったの。この演劇部には皆川先輩や近藤先輩や美保のような素敵な役者がいる。友恵もエチュードに参加しているときはイキイキしてる。私には及びもつかない世界だった。役者はやってみたいけど、怖くて言えなかった」
「ごめん…」
飯山が声を押し出した。
イッチーは顔を赤くしてうつむいていた。
ぼくは彩乃に視線を向けた。
「石本。今日は近藤の代役で平塚ひろみのセリフを読んでもらったよね。俺には、石本が台本を読み込んでいて、平塚ひろみが舞台で動いている姿をすんなり想像することができたよ。皆川が部活を辞めて大船みゆきの役が宙に浮いて、その役をワダちゃんに頼んで、ワダちゃんがやる予定だった平塚ひろみの役を近藤に頼んだ。その時に、石本が舞台に立ちたいと思っていることを感じ取れていなかったのは、申し訳ない」
「大丈夫です。先輩たち、謝らないでください…私、大変なことを言っちゃった…」
「いや、柏高演劇部は、みんなが本音を吐き出してくれるほど、いい部活になっていくはずなんだ。だから、みんなには遠慮しないでどんどん意見を出してほしい」
「小道具…がんばります」
「彩乃、舞台に立ちたい気持ちがあるなら、今からでも…」
美保の弱い口調を彩乃はさえぎった。
「私はこの公演でみなさんの演技をしっかり焼きつけて、次の公演で下剋上するの。美保にも友恵にも、あと近藤先輩にも負けないようにがんばる。皆川先輩が帰ってきてくれても、主役をとってやる」
彩乃は涙でぐちゃぐちゃの顔を小さなタオルで拭いた。
「だから、飯山先輩も市川先輩も、もう弱音を吐くのはやめてください。何なら、私が北鎌倉ヒロコになりましょうか? 本鵠沼タカコになりましょうか? やってできないことはないですよ」
彩乃の表情に笑顔が浮かんだのを見て、場の空気の重さがやわらいだ。
「サッカー部の後輩に女子がいるっていう設定も悪くないなあ」
赤田先輩が飯山とイッチーを見ながら言った。
「いや、俺、やるよ」
「俺も」
飯山もイッチーも前を向いた。
「6時半です」
松山が、ストップウオッチではなく腕時計を見ていた。
石井先輩が準備室から出てきた。
「時間がある奴はさあ、このあと、パーっと遊びに行かないか? 気分転換して、あとはまた明日にしようよ」
「いいねえ。ゲーセン? カラオケ?」
飯山だ。今までのネガティヴさはどうした。
結果的にではあるが、飯山亮佑、市川隆博、石本彩乃が演劇部に対する思いを話す「リサーチ」の場にはなった。
「飯山先輩、私、泣いたぶん、スッキリしたいです。バッティングセンターかボーリングに行きませんか?」
今度は彩乃だ。
飯山にしろ彩乃にしろ、この切り替えの速さには学ぶべきものがありそうだ。
ん?
ぼくは急に、胸騒ぎを感じた。
何かがぼくの心に引っかかったのだ。
その何かがわからないもどかしさ。
ぼくは、こいつらにとことん付き合うことにした。
「よし、じゃあ部長権限で、ボーリングに行こうか」
ぼくたちは、それぞれ撤収の準備を始めた。
和田美保は、今日は7時に母親が車で迎えにきてくれるので帰ります、とぼくに耳打ちした。
「皆川先輩のこと、明日、絶対みなさんに話しましょうね。絶対ですよ」
皆川…
そうか、そういうことだったのか!




