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川島は、相変わらずの平坦な口調で言った。暗に「授業が始まってるだろ、おまえら」との含みがある。
「あ、川島先生、いいところに来た!」
と笑顔で叫んだのは美保だった。
「あ?」
「今、演劇部の問題点について、鳥居先輩と話し合っていたんです。でも、問題点が見つかりそうで、見つからないようで、どうしたらいいのか、困っていたんですよ」
「だから、いま何時…」
「先生、ちょっとの時間でいいんです。相談に乗ってください」
「おい、今は授業中だろ」
どうやら3年生の英語担当の川島匠は、このコマは授業がないらしい。
「あら」
声を出したのは、大塚先生だった。
「新着図書のリストと本が一致しないなあ。資料、職員室に置きっぱなしかしら」
大塚先生は独り言をつぶやくと、図書室から出ていってしまった。
ガチャリ。
え?
鍵の閉まる音がした。
「わあ、大塚先生、ありがとうございます!」
美保は喜色満面だった。
「これでこの場所は密室です。さあ先生、話を聴いてください」
「おまえら、単位を落としても俺は知らねーからな」
川島匠は仕方なさそうに着席した。
ぼくと美保は、交互に今までの会話を説明した。
顧問は黙って聴いていた。
「つまり、おまえらは、そもそも柏高演劇部とは何であるのかから、掘り下げようとしているわけか」
「はい」
ぼくがやりたいことは、それなのだという確信があった。
だが、そのためには、どうしたらよいのかがわからない。
だいたい、目の前にいる顧問の教師が、柏高演劇部についてどう考えているのかも、ぼくにはわからない。
「おまえら、俺に台本と演出以外の仕事もさせるなよ。これでも忙しいんだよ、俺は」
英語教師は、手元の教材にチラリと目を向けた。
同時に、彼は観念したようだった。
そこで、ぼくは思いきって、なぜ川島匠が「変身」したのかを訊いてみた。
川島匠は昨年はほとんど演劇部に関わっていなかった。
それが、今回は積極的に「リーンカーネーション」の台本を出してきて、演出まで担当することになった。
その差は何なのか。
「俺だって、関わりたくなくて関わらないでいたわけじゃない」
川島匠は自分について語り始めた。
「昨年までの演劇部は、はっきり言って核がなかった。核というのは、コアってことだ。今、2人が話してくれたような、活動意義や活動目標があいまいだったし、それどころか、演劇部とは名ばかりで、実態は何をしているのかよくわからない集まりになっていた。だが、去年、鳥居たちの代が入ってきてから、少しずつ変わっていった。何をしているのかわからない集まりが、【演劇部】になってきたんだ」
川島匠の、フレームの黒い眼鏡が陽光を浴びて一瞬、きらめいた。
「それで、俺は演劇部の成長を期待しながら、時間を見つけて少しずつ台本を書いてみた。初めてのことだから、手間がかかる。そのぶん、部活には相変わらず顔を出せなかったけどな。部活に関しては、1年生を赤田がうまく引っ張り始めてくれたから、任せてしまったところもある」
「先生は、今年のコンクールに向けて、台本に集中していたんですね」
美保が質問した。
「うん。ただし、自分が書いた台本を演劇部が上演するかどうかは、俺だけで決められることじゃない。部員みんなの理解と支持があって、初めて俺の台本の採用・不採用が決まる。みんながダメだと意思決定したら、俺の台本はお蔵入りだ。だから、俺は俺で初めてでも悔いが残らないように台本を書いた。秋のコンクールには新1年生も関わってくる。今年、どんな部員が入ってくるのか、1人も入ってこないのかは、新歓公演にかかっていたから、これでも3学期は積極的に顔を出していたつもりだったんだけどな」
川島匠がなぜ最近になって、演劇部に積極的に関わるようになったのかが、ようやく見えてきた。
顧問として演劇部との接点を見つけようとしていたのだが、去年まではなかなか見つけられなかったのだ。
1年生のぼくたちが、それなりに活動を模索している間に、川島匠は顧問としてというよりも、演劇部の一員としての演劇部との関わりのとっかかりに気がついたのだ。
「鳥居、神島、市川、飯山、皆川、近藤…後輩の個性派集団を、赤田はよくまとめてくれたよ」
胸に釈然としないものは残ったが、川島匠が「リーンカーネーション」とともに柏高演劇部に積極的に参加するようになった理由は、わかった。
「皆川が辞めてしまったことは残念だが、今、演劇部にいる奴らが、どうして演劇部にいて、何をしたいのかを掘り下げること。鳥居が言った【楽しい演劇部】と和田が言った【素敵な公演】が問題を解決するヒントになるというおまえらの考えは、間違っていないと思う」
「先生は、どうしたらいいと思いますか?」
美保が訊いた。
「先日の話し合いは尻切れに終わったよな。あれは、順番を間違えたのかもしれないな」
「順番、ですか」
ぼくは、あの日「リーンカーネーション」の読み合わせをしないで話し合いを仕掛けた時のことを思い出していた。
「うん。話し合いをするには、まずそれぞれの部員の意思がある程度共通していないと、噛み合わないんだ。たとえば、部長の鳥居と副部長の和田が演劇部とは何かの共通認識を持っておくこと。そして、今、俺にしたこと」
「ぼくたちが、先生にしたことですか?」
「そうだ。話し合いの前にやることは、話し合いの準備だ。それは、いつやるかとかどこでやるかという準備じゃない。話し合いのゴールをどこに定めておくか、ということだ」
話し合いのための、準備とゴールという、ぼくにはなかった視点を、川島匠は提示した。
「私たちは、話し合いの前にする準備や、話し合いのゴールを定めるために、先生に何かしましたか?」
これも美保の質問だ。
「おまえらがしたのは、リサーチだ。話し合いをするためには、まず部員の意思を大まかにでもいいからつかんでおくことが重要なんだ。調査や、情報の収集をしておく。そうすることで、話し合いのゴールを方向づけることができる」
「そうか、話し合いをする前に、さっき先生に質問したように、まず1人ひとりの演劇部への参加理由を訊いて知っておくことが大切なんだ!」
ぼくは顧問のアドバイスを理解した。
ただ漠然と話し合いを持っても、ゴールを設定していないから、結果があいまいなまま終わってしまう。
みんなで何を共有したいのかをあらかじめ決めておいて、みんなの意見から意思統一を図るのが、話し合いのゴールだ。
そのためには、話し合いの準備が必要なのだ。
準備とは、先ほどぼくと美保がお互いに意見を述べ合ったり、川島先生になぜ最近になって演劇部に積極的に関わるようになったのかを質問することで、相手やメンバーについてリサーチをしておくことなんだ。
ガチャリ。
図書室の扉が開いて、大塚先生が戻ってきた。
川島匠は教材を持ち、席を立った。
「まだ授業時間は半分以上残ってる。保健室に行ってたとでも言えば出席扱いにしてくれるだろうから、さっさと教室に戻れ」
川島匠は書架のほうへ歩いて行った。
「続きは放課後の部室でだね」
ぼくと美保は、急いでそれぞれの教室に向かった。
川島匠の声がかすかに聴こえたような気がした。
「廊下を走るな!」
走り出したのは、ぼくや美保だけじゃない。
柏高演劇部が、未来に向かって走り出した感触があった。
それにしても。
皆川は、ぼくと川島匠にだけメッセージを送ったのだろうか。
皆川が神島と付き合っているとしたら、皆川はぼくよりも神島と何らかのやりとりをしているのかもしれない。
神島優心は、何かを知っているのか。
神島に訊けば、何らかの答えが返ってくるだろう。
そして、柏高演劇部と次回公演に向けての話し合いについて、最初にリサーチをするべき対象も、神島ということになるだろう。
だが、それがぼくには怖くてできない。
神島とぼくは、いつの頃からか、会話をしないようになってしまった。
もともと、ぼくがこの高校に入って、いちばん最初に仲よくなったのが、神島だった。
神島とぼくは話し合って一緒に演劇部に入ることにした。
同じクラスでもう1人、ぼくたちと仲が良くなったイッチーを演劇部に引き入れたのは、2人が部活になじんでからだった。
2年生になった今、神島とぼくは会話をしていない。
個人的に何か連絡がある時は、イッチーが中に入って伝達しているほどだ。
神島がぼくに心を閉ざした理由を、ぼくは知らない。
そこにはやはり、皆川が関係しているのだろうか。
ぼくは、走るのをやめた。




