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その日の夜、ぼくのケータイに、皆川絵美からメッセージが届いた。
それは「ごめんね」という、4文字の短いものだった。
日曜日の夜は、さまざまな人に特別な感情を抱かせるものなのだろうか。
ぼくは、これから1週間の学校生活を思うとユウウツになる。
教室や部活で会う奴らとも、月曜日がいちばんダルいよなー、と話している。
ぼくの遅刻率がいちばん高いのも、おそらく月曜日ではないだろうか。
皆川が「ごめんね」とメッセージをくれた時に、ぼくは「メッセージくれてありがとう。謝るなよ。今は自分のことを大事にしてあげてな」と返信した。
本心は、なぜ部活を辞め学校も欠席し始めてしまったのか、皆川に訊きたくてたまらなかった。
皆川のことが心配だった。
だけど、ぼくは訊かなかった。
皆川の心に踏み込んではいけないというブレーキが働いたともいえるし、訊く勇気がなかったともいえる。
いちばんは、皆川に問いただしても「ごめんね」以上のことは引き出せない気がしたからだった。
月曜日の昼休みに、ぼくは図書室で和田美保と会っていた。
いろんなことを話したかった。
部活のこと。皆川のこと。それから、昨日の澪さんの謎の行為について。
だがそれらは、和田美保と会う口実にすぎないのかもしれない。
ぼくは、美保に会いたいから、今ここで美保と会っているのではないだろうか。
今は、澪さんのことを話すのはやめておくことにした。
まず、昨日、皆川からメッセージが届いたことを報告した。
「皆川先輩のほうからメッセージを送ってくれたのは、大きな前進ですね」
美保は前向きに捉えているようだった。
「誰にも心を開かなくなってしまっていた皆川先輩が、鳥居先輩に何らかのサインを送ってきた。鳥居先輩が、皆川先輩から頼りにされている証拠ですよ」
美保の笑顔がまぶしかった。
「鳥居先輩って、やさしいんですね」
「え?なんで?」
「だって、皆川先輩からそんなメッセージが届いたら、私だったら、なんとかして皆川先輩から事情を聞き出そうとして、質問する形の返信をしたり、電話をかけたり、その時の感情しだいでは皆川先輩の家に行っちゃったりするんだろうなあ。でも、皆川先輩は、今はまだ自分の心を開けないから、鳥居先輩に、心配かけてごめんね、っていう気持ちだけでも伝えたかったんですよね。鳥居先輩、神対応ですよ」
ぼくとしては、あれ以外に返信のしようがなかっただけなのだが。
「だけどさ、ワダちゃん。石本が、皆川と神島のワケありな場面を目撃したんだったよね?」
「皆川先輩が、神島先輩の肩に顔をうずめるようにして涙を流していたところを、彩乃がみていた話ですよね」
美保は小さくうつむいてから、左右を見回して、つぶやいた。
「皆川先輩は神島先輩と付き合っているのかなあ」
「恋人同士ってこと?」
ぼくは身体の内側から、何かが外に向かってせり出してくるような感覚に気がついた。
「私も彩乃からその話を詳しく訊いたわけじゃないから、どんな感じだったのかはわからないんですけど、女子が男子の肩に顔をうずめて泣いているっていうのは、そうとう密接な関係じゃないと見られない光景じゃないですか」
「あの2人が付き合っているなんて話、聞いたこともないし、そんな気配も感じたことがないんだけどなあ」
「それは、鳥居先輩が恋愛感情に疎いからです!」
美保が厳しく言い放った。
「鳥居先輩って、やさしいんだけど、女の子の気持ちには鈍いんですよね」
美保は笑顔は崩さなかったが、瞳の奥は笑っていないようにみえた。それは怒りというよりも、哀しみに近い感情ではないかと受け取れた。
「神島先輩と皆川先輩が付き合っていたとすると、2人は複雑な気持ちになっていたとしても不思議じゃないような気がしませんか?」
「なんで?」
美保はため息をついた。どうやらぼくは、美保にあきれられているようだ。
「鳥居先輩って、男女関係については本当に天然の鈍感なんですね。新歓公演で、皆川先輩が演じたキョウコと恋に落ちる新垣の役をやったのは、誰でしたっけ?」
「俺だねえ」
「そして、新垣の恋敵の上沢の役をやったのが、神島先輩だったでしょ。もし、神島先輩と皆川先輩が付き合っているとしたら、こんなに複雑なことはないじゃないですか」
そこまで聴かされて、ぼくはハッとした。
神島と皆川が付き合っているとする。
新歓公演では、ぼくと皆川が恋に落ちる設定の役を演じた。
神島はぼくの恋敵の役だった。
確かに、これは複雑な関係だ。
皆川と神島の恋を、舞台上ではぼくが悪役になって引き裂こうとしていたようなものじゃないか。
「いや、だけどさ。部活と恋愛は別物じゃないか? うちの部は部活内恋愛を禁止にしているわけでもないし、神島と皆川が付き合うのは自由意思だよね?」
ぼくは言いながら、自己矛盾を抱えていることに気がついていた。
ぼくは舞台で皆川や美保に抱く感情と、普段の学校生活で彼女らに抱く感情の境目がわからなくなっている。
演劇というものには、人間関係を微妙に変化させる魔物が潜んでいるのではないか。恋愛感情については、とくに。
恋愛感情? ん?
「皆川先輩が部活を辞めた理由に、神島先輩が関係している、とは考えられないでしょうか?」
「皆川が神島との関係で、実際と部活で公私混同して部活を辞めてしまったということ?皆川に限って、それはないと思うけどなあ」
ぼくは冷静を保っているふりをして、美保の推理に反論していたが、実際は、皆川が神島と恋仲であったとしたらと想像すると、なぜだか不安でたまらなくなった。
だからぼくは、話をガラッと変えるという選択肢を瞬時に決断した。
「ねえワダちゃん、リーンカーネーションって、どう思う?」
ぼくが唐突に話題を変えたことで、今度は美保が驚いた。
「なんですか急に…」
昨日、澪さんが提案してくれた、部活のみんなでリーンカーネーションについて話し合いを持つ時間を作ることを、ぼくは自分の提案として美保に告げた。
「確かに、部活のメンバー全員で、リーンカーネーションとか、今回の台本について理解を深める話って、まだしてないですよね。皆川先輩が部活を辞めてしまったショックと、キャストが少し変わったことで、どこか浮わついているし、なし崩し的に読み合わせに入ってしまっているかもしれません」
予鈴がなった。昼休みが終わりに近づいていて、「みんな授業に気持ちを入れ替えろよ」というイヤーな時間への誘いだ。
「何日か前に、鳥居先輩がみんなで部活について話し合いをしようとした時に、話し合いというよりも、個々の意見表明で終わってしまったのが、私には引っかかっているんです。もっといろいろな話を聴きたかったな」
美保は、次の授業の準備という切り替えの発想が吹っ飛んでいるかのように、予鈴の余韻を無視して言った。
「私は、今の演劇部で全国大会に行きたいと思っています。でも、部活のみんなの気持ちはそうじゃない。あれからずっと、引っかかっているんです。この部活は、何をめざしているのだろう。なんのためにこの部活にこのメンバーが集まっているのだろう。集まっているだけで、みんなの気持ちはバラバラなんじゃないか。だとしたら、全国大会どころか、地区予選だって通過するのはムリなんじゃないか。だってみんなの気持ちがバラバラだったら、素敵な公演なんてできないから」
美保はまくし立てた。ぼくは、その勢いに圧倒されそうになったが、美保の言っていることの半分以上は、自分が部長として抱えてきた悩みでもあったので、話についていくことにした。
「ワダちゃん、授業は?」
「物理ですけど、少し遅れることになりました」
なりました、っておい。
まあ、ぼくも次の古文の授業はどうでもよくなっていた。
「ワダちゃんと俺の思っていることは、だいたい共通しているよね。柏高演劇部とは何なのか。そこは、俺とワダちゃんの間でも意見が違う。俺は今まで全国大会なんて考えたこともなかったし、地区大会すら、ハナから突破できるものではないと思ってた」
美保は黙って聴いていた。
「俺が部長としてやりたいことは、みんなが楽しく演劇部という部活に関われる環境を作りたい、という思いなんだ」
「楽しい演劇部とは、どういうものですか?」
「去年1年間、演劇部でやってきて、つまんねーなーって感じたことが多すぎたんだよね。この部活にしても、ワダちゃんが言ってるようにバラバラだし、演劇はやりたいけど、この環境でできることには限界があるよなーって思って、何かを変えたくて、部長に立候補したんだ」
本鈴が鳴った。図書室から生徒はいなくなった。いるのは大塚先生だけだ。
「だけど、何をどう変えたらいいのかわからなくて、モヤモヤは収まらない。収まらないまま、今回の公演の練習に突入してしまったんだよな」
「先輩は、話し合いを大切にしたいって言ってましたよね」
「うん」
「私は、まだまだ話し合いの時間が少ないと思います。少なくとも、私自身の気持ちはみんなに伝わりきっていない。それは、演劇部のメンバーとしての自分であり、副部長としての自分であり、今度の公演で急にですけど大船みゆき役をやらせてもらうことになった自分でもあり」
「俺が【楽しい演劇部】って言ったところに、ワダちゃんは食いついてきた。逆に、俺が訊いてみたいのは、ワダちゃんがいう【素敵な公演】っていうのは何なのか、だな」
議論が熱を帯びてきてしまった。授業に出るのは気乗りしないが、図書室で演劇部の部長と副部長が授業をサボって話し合いに夢中になっているのを、大塚先生以外の教師に見つかったら、演劇部じたいの心証が悪くなりそうだ。
「【素敵な公演】とは、柏高演劇部が胸を張って全国大会に行けるような公演です」
「今の柏高演劇部が、そのレベルにあると思う?」
「思いません」
美保が寂しそうな表情を見せた。美保の中にも、今の柏高演劇部の活動について、モヤモヤした部分があるのは明白だった。
「ねえワダちゃん。俺はまず、部長と副部長が、柏高演劇部とは何なのか、柏高演劇部をどうしたいのか、意思をある程度共有して、統一したくなってきたよ」
「確かにそれは、私もそう思います」
「今、俺とワダちゃんは、演劇部が抱えている問題についてアプローチしかけている。だけど、まだその問題が何かは明確にはなっていない。俺の【楽しい演劇部】とワダちゃんが言う【素敵な公演】には、問題を明確化するヒントがあるはずだよね。だとしたら…」
そこで、ぼくは言葉に詰まってしまった。
だとしたら、ぼくと美保は何をしたらよいのだろうか?
沈黙の時間が流れた。
その時、図書室の扉が開く音がした。
「おい」
やばい。教師に見つかった。この男性教師の声は誰だっけ。
図書室の入り口を振り向くと、そこに立っているのは、演劇部の顧問の川島匠だった。
「いま、何時だったかな」




