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「リーンカーネーション」を日本語に訳すと、転生、輪廻、あるいは輪廻転生となる。
転生とは、生まれ変わりのことだ。
そして「リーンカーネーション」は、ぼくたち演劇部が次の文化祭とコンクールで公演する舞台のタイトルでもある。
「さっき、谷口先生は、谷口澪に井伊直弼が降臨してきたと言っていましたが」
口を開いたのは友恵だった。
「あなたは、井伊直弼の生まれ変わりなのですか?」
「そこが、わからないんだよね」
澪さんは困ったような表情で答えた。
「掃部頭が私に憑依しているのかもしれないし、私自身が彼の生まれ変わりなのかもしれない。もしくは、私自身の心が井伊直弼に執着して、おかしくなってしまっているのかもしれない」
ぼくは、黙ったまま、ここまでの澪さんの話を理解しようと努めた。
しかし、あまりにも突拍子がなさすぎる。
「やっと公演の概要が決まって練習が始まって、しかも皆川さんの突然の退部があって、普段の学校生活もあるし、大変な時なのに、びっくりするような話をしちゃってごめんね」
柏餅の甘ったるさが、ようやくぼくにしゃべる勇気を与えてくれた。
「いや…澪さんだって、今までこのことを誰にも話せなくて、つらかったと思います」
「ありがとう」
やや表情を緩めた澪さんも、柏餅に手をつけた。
「私から1つ、提案があるんだけど」
「何ですか?」
「リーンカーネーションという概念について、どう思うか、部活で話し合ってみてほしいんだよね」
「なるほど」
友恵が口を挟んだ。
「谷口先生は、自分に井伊直弼が転生しているのかどうか、よくわからない状態にある。一方で、リーンカーネーションという、今度の公演のいちばんのテーマとなる部分について、台本を書いた川島先生を含めて、私たちはまだきちんと話し合っていない。リーンカーネーションという概念について話し合うことは、澪さんだけではなくて、部活全体に意味があることになりますよね」
「事情を知ってしまった鳥居くんと桜井さんには、私が演劇部を利用してしまっている形なのがバレバレだと思うんだけど、桜井さんが言うように、部活にとっても意味があることだと思うのよ」
ぼくはハラを決めた。
「わかりました。ぼくは、澪さんが井伊直弼の転生かどうかという話は、はっきりいってわかりません。だからこそ、みんなの意見を聴いてみたいという気持ちもあります」
それからぼくは、自分の持論を展開した。
「うちの演劇部は、ぼくが部長を任されたからには、ぼく流の運営の仕方をしていきたいといつも心がけています。いちばん大切なのが、話し合いなんです。基礎練習の繰り返しや台本の練習時間はもちろん大切ですが、話し合いをしてお互いが理解をすることなくしていい舞台は作れません」
お茶をひとくち飲んでひと息ついた。
「こうなったら、リーンカーネーションについて、川島先生を含めて徹底的に話し合ってみますよ」
ぼくと友恵は、バス停まで送ってもらって、澪さんと別れた。
最後に澪さんは「今日の話はこの3人だけの秘密だからね」と念を押した。
「桜井、ここまで来る時と、澪さんの家に着いたあたりは顔色が悪かったけど、大丈夫なのか?」
「大丈夫。じゃなきゃ、谷口先生にあんなにいろいろ質問していないわよ。誰かさんが、頭の中が真っ白になって、話についてこられなくなってたからね」
「それまでは、どこか具合でも悪かったのか?」
「気を感じたのよ」
「気?」
ぼくはまたびっくりしてしまった。
「谷口先生は、バスに乗っている時から、明るそうに努めていたけど、どこか苦しそうな気配を感じたの。それに気がついた時に、私にもその苦しさが伝染した。最初は、なぜだかわからなかったんだけど」
「おまえ、本当に頭の回転が速いけど、それだけじゃなくて敏感というか、繊細なところもあるんだな」
「ねえ、鳥居くん」
友恵はぼくを見て言った。
「谷口先生の言っていたこと、どう思う?」
「澪さんが、井伊直弼の生まれ変わりだっていう話か? 信じろと言われて、簡単に信じられる話ではないよな」
「うん。私もそう思う。谷口先生も気づいているみたいだけど、あれは妄想だと思う」
「澪さん自身が話していたのは、澪さんは、井伊直弼について調べているうちに、自分に井伊直弼が降臨してきたってことだったよな。つまり、転生というよりは、憑依に近い」
バスが横浜駅に着いたので、ぼくたちは電車に乗り換えた。
先に口を開いたのは友恵だった。
「自分の行動が、自分でやるのではなく、他人に考えさせられ、行為をさせられている、と感じる人がいるらしいの。それを【させられ体験】というのだけれど、谷口先生の場合は、歴史上の人物に【させられ体験】を感じている、とみることもできる」
「おまえ、博識でもあるんだな」
「だけど、谷口先生は、自分が井伊直弼に何かをさせられていると感じているわけではないから【させられ体験】とは、ちょっと違う。おそらく、彼女は井伊直弼に肩入れするあまり、直観的に妄想が形成されていったのではないかしら」
「うん。俺もそう思う」
友恵の詳しい推理に異論はなかった。澪さんは井伊直弼になりきってしまっている。
「俺の0歳の時の写真を見て、そこに自分の妄想上の姿である、ヴィジュアル系のアーティストのような顔が写り込んでいるのを発見して、やっと自分以外の誰かに話す決心をつけたんだろう」
「あの写真に写っていた紫色の頭髪の顔に見える部分は、何かの飾り物がボヤけて顔みたいに写っただけじゃないかしら」
「偶然が重なって、澪さんは俺に話すことにしたのか」
「うん。でも…」
ここで友恵が言い淀んだ。
「でも、何だよ」
「あのお茶…」
そこまで言って、友恵は急に口をつぐんだ。
「お茶? ああ、澪さんが出してくれたお茶、今まで飲んだ中でいちばんおいしかったよ。あのお茶がどうかしたのか?」
「ううん。なんでもない。なんでもない。なんでもないの!」
友恵は珍しく語気を荒げた。
友恵自身が、自分の中に湧いた何かの感覚を強く否定しているようだった。
「なんだよ。今日のおまえ、何かおかしいぞ」
「なんでもない」
お茶、というキーワードが出たところで、友恵は急に心を閉ざしてしまった。
ぼくが黙っていると、友恵は渋々といった感じでしゃべった。
「あのお茶は、井伊直弼が育った滋賀県の彦根の水系の水を使った独特の味だったの」
「おまえ、なんでそんなことまでわかるんだよ」
「私も滋賀県に住んでいたことがあるから…」
友恵の歯切れは良くなかった。
「茶道といえば、歴史では千利休が有名でしょ?」
「うん」
「井伊直弼は、千利休に次ぐお茶の名人といわれている人なのよ」
「そうなのか…」
「でも、それはない。ない。ない…」
やはり、友恵は心を閉ざしてしまった。
ぼくはそんな友恵が心配になって、話題を変えることにした。
「桜井は、リーンカーネーションについて、どう思う?」
「輪廻転生について?」
「うん」
「鳥居くんは、どう思う?」
「うーん」
ぼくは、台本「リーンカーネーション」の最後のシーンを思い出していた。
台本「リーンカーネーション」の最後には、大船みゆきの長いセリフがある。
大船みゆきは舞台の中央に立って、客席に向けて語りかける。
「あなたは、リーンカーネーション…輪廻転生を信じますか? 私は信じます」
皆川絵美に代わって大船みゆき役を務めることになった和田美保の声が脳内再生される。
「正直、生まれ変わりとか、そういうのって、うさんくさくないか?」
ぼくは正直に友恵に言った。
だが、和田美保の声を脳内で再生していると、輪廻転生という概念はあながち否定できないのかな、と思えてくる。
和田美保の演技は、台本に書かれていることを観る者、聴く者に納得させてしまうチカラがあるのだ。
「で、おまえはどうなんだよ」
ぼくは再び友恵に水を向けた。
「私は、輪廻転生なんて、信じない」
友恵は、車窓を見据えたまま言った。
「だって私、死んだことなんてないから」




