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断罪令嬢は柘榴石の戦車で前線を駆け抜ける 〜お招きに預かりましたわ。砲撃用意ですの!〜  作者: 絹田屋


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第八話 はじめての一撃


 試すなら、本気の的でなければ意味がない。


 ヴィルヘルマはそう言って、鍛冶場の裏の荒れ野に的を組ませた。


 ただの板ではなかった。ゴットフリートが手持ちの石をかき集め、本物の装甲を模して張った的だ。手前にクォーツの層。その奥にトパーズの板。一番奥に、ハルトが古い伝手で都から取り寄せた、欠けたルビーの破片を埋めた厚板。王都の正規軍が胸に佩いているのと、同じ石だった。


「令嬢様。ルビーは高いんだぞ。これを的にするのか」

「ええ。割れるところを見たいんですの」


 ゴットフリートが、ブツブツと何か呟いた。聞こえなかったが、止めはしなかった。この数十日で、彼はこの主の「見たい」を止めても無駄だと知っていた。


 ガーネットチャリオットが、荒れ野の端に据えられた。


 完成していた。深い暗紅の装甲が、午後の光を吸って鈍く濡れていた。前面に、可動式の射出機構。ゴットフリートと令嬢が図面の上で何度も組み替えた、この戦車の牙だった。


 兵たちが遠巻きに集まっていた。元兵がいた。村の男がいた。井戸を掘った女もいた。誰も、これが何をするのかをまだ見たことがなかった。


 ヴィルヘルマが、戦車の脇に立った。


 絹のドレスではなかった。動きを妨げない丈の上着。腰の帯。革の手当て。煤色の生地。あの工房の夜と同じ装束だった。違うのは、髪を一つにまとめて首の後ろで結い上げていたことだ。戦場の風に、後れ毛一筋取られないように。


 その立ち姿は、少しも崩れていなかった。社交界の大広間に立っていた頃の、あの揺るがぬ佇まいのままだった。


『……さて』


 ヴィルヘルマは、戦車の搭乗位置へ身を引き上げた。夜会で馬車の踏み段に足をかける令嬢の、優雅な身ごなしそのままだった。煤色の上着のまま、彼女は戦車の上に立った。


 風が、荒れ野を渡った。


「ゴットフリート。機構の安全弁を外しなさい」

「……本当に撃つのか。ぶっつけで」

「紙の上の戦は、もう飽きるほどいたしましたわ」


 彼女は的の方を見た。三層の的。一番奥の、ルビーの厚板。


「――では。始めますわよ。砲撃、用意ですの」


 それは、茶を勧めるときと変わらない声量だった。和やかで、角がない。荒れ野に風が一度渡るくらいの、ささやかな声。


 その声が落ちた瞬間、荒れ野の音が消えた。


 雑談していた元兵が、言葉を途中で呑んだ。井戸を掘った女が、抱いた桶を地に下ろした。村の男が無意識に背を伸ばし、自分でそれに気づいて戸惑った。誰も、命じられていない。それなのに、全員の体が先に答えていた。柔らかい声に、逆らえない重さが乗っている。叱声よりも、その静けさの方がずっと逆らいにくかった。


 コンラートは、離れた場所で腕に粟が立つのを感じた。


 射出機構が、低く唸った。


 暗紅の装甲の隙間から、赤い魔力光が糸のように漏れた。夜にしか見たことのなかったその光が、白昼に戦車の輪郭をなぞった。地を擦る車輪の下で、赤い火花が散った。


『――硬さで硬さを砕くのではございませんわ。ふだんは石の中で巡らせている力を、撃つ一瞬だけ内へ戻さず、一点にまとめて外へ放つ。硬い石ほど、その衝撃を逃がせない。柘榴石だけが、受け流せますの』

『陣形図の、あの線。本の中の、あの一撃』


 ヴィルヘルマの指が、機構の引き金にかかった。


『ずっと、紙の上でしかなぞれませんでしたわね』


 肩が、ほんのわずか揺れた。あの工房の夜と同じだった。けれど今度は、押さえなかった。押さえる必要が、なかった。誰も見ていない場所では、ない。これは見せるための一撃だった。


「――撃て、ですの!」


 ガーネットチャリオットが、吼える。


 光が走る。赤い一条が荒れ野を裂いて、的へ伸びていく。音は遅れて来る。腹を打つ、低い破裂。土埃が巻き上がる。荒れ野の草が、一斉に衝撃の方向へ寝る。兵たちが、思わず後ずさる。誰かが、無意識に耳を押さえている。


 土煙の向こうで、的が順に死んでいく。


 手前のクォーツの層が、最初に消える。砕けるのではない。粉になって、煙に溶けていく。次のトパーズの板が、その一拍後に四つに割れる。中心から外へ亀裂が走り、破片が宙へ撥ねる。八の硬度が、紙のように裂ける。


 そして、一番奥。


 王都の正規軍が胸に佩いているのと、同じルビーの厚板。九の硬度。大陸でも上位の、最上等の装甲。


 それは、すぐには壊れない。


 一撃を受けて、表面が白く濁る。次に、その濁りの底から細い罅が一本走る。罅は、枝のように分かれる。分かれた先が、また分かれる。硬い石は、その硬さゆえに衝撃を逃がせない。逃がせない力が内側に溜まり、行き場をなくしていく。板は外からではなく、中から崩れる。自分の重さで、内側へ落ちる。最後は土の上に、赤い砂利になって散った。


 硬い石ほど、よく割れる。本に、そう書いてあった。誰も信じなかった。それが荒れ野の真ん中で、土煙と一緒に地に落ちていた。


 誰も、声を出さなかった。


 その沈黙の中を、ガーネットチャリオットがゆっくりと前進する。


 コンラートは、その車体を食い入るように見た。あれだけの一撃を放った反動が、どこかに残っているはずだった。継ぎ目の緩み。装甲の歪み。罅の一本でも。


 何もない。


 暗紅の車体は、一片も欠けていない。罅も入っていない。撃つ前とまったく同じ姿で、午後の光の中を血の色のまま進んでくる。硬さで、ルビーには遠く及ばない石。その石がルビーを砕いて、自分は無傷で立っていた。


 ヴィルヘルマは、その上に立っていた。


 風が、結い上げた髪を撫でた。彼女は、的のあった場所をじっと見ていた。表情は、動かさなかった。


 コンラートは、見た。

 お嬢様の口の端が、ほんの少し上がっている。


 工房の夜のような、こぼれた息ではなかった。隠そうとも、していなかった。長いこと紙の上でだけ生きてきたものが、初めて自分の手で世界に触れた。その顔だった。


「……ふふ」


 今度は、止めなかった。


「ふふっ。……ええ。ええ、そうですわ。こういうことですのね」


 声は、まだ令嬢のものだった。崩れていなかったが、その下で何かが確かに笑っていた。


「ゴットフリート」彼女は戦車の上から、振り向かずに言った。「あと五台。急ぎますわよ」

「ご……五台!? 一台で、これだけ――」

「一台では、戦になりませんもの」


 ヴィルヘルマは、的のあった荒れ野の先を見ていた。その向こうに何があるのかを、もう見ているような目だった。


『屋根は直しましたわ。あとは――』


 風が、また荒れ野を渡った。暗紅の装甲が、低く唸っていた。


 その日、グレナディアは、自分たちが何を造ったのかを初めてその目で見た。


 そして、その中心に立っている令嬢が何者なのかも。


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*次話へ続く*


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