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断罪令嬢は柘榴石の戦車で前線を駆け抜ける 〜お招きに預かりましたわ。砲撃用意ですの!〜  作者: 絹田屋


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第六話 血の色の試運転


 ガーネットチャリオットが初めて自分の力で動いた日。


 ヴィルヘルマは、見ていなかった。


 正確には、見ようとして見られなかった。試運転の朝、彼女は鍛冶場の裏手で駆動の機構に最後の調整を入れていた。古代の本に記された、魔導で自走する仕組み。炉を据えて石を焚き、その出力を車軸へ落とす構造だ。ただし、炉にくべるのは高い本物の魔石ではない。割れて装甲にならなかった、掘り屑の柘榴石だった。理屈は紙の上で何度も追った。だが紙の上の理屈と、鉄の塊が地を蹴る現実は別の生き物だった。


「令嬢様。手を離してくれ。火を入れる」


 ゴットフリートの声がした。ヴィルヘルマは身を引いた。


 低い唸りが地の底から這い上がってきた。


 車体が震えた。装甲の継ぎ目が一つずつ力を分け合い、軋んで噛み合う。深い暗紅の結晶が、朝の光を受けて鈍く濡れた。ルビーのような華やぎではなかった。もっと暗い。血と炎を綯い交ぜにしたかのような赤。


 戦車が、動いた。


 ゆっくりと。地面を擦りながら。車輪の下で小石が砕け、赤い火花が散った。摩擦の火花までが赤かった。


 村の者が遠巻きに、声もなく見ていた。


 ヴィルヘルマは、その車体の脇を少し遅れて歩いた。表情は動かさなかった。動かさなかったが、その手だけが走る装甲の表面にそっと添えられていた。確かめるように。あるいは、そうせずにいられないように。


『……動きましたわ』


 胸の内で、何かが大きく一度跳ねた。


『動きましたわ。本当に。紙の上の線が、地を蹴っておりますわ。ああ、わたくし――』


 その先を、彼女は内心でも言葉にしなかった。代わりに、口だけがわずかに動いた。


「ゴットフリート。三十歩で一度止めて。軸の熱を見ますわ」


 声は、いつもの令嬢のものだった。けれどゴットフリートは、その横顔をちらりと見て思った。


『この方、笑ってはいないが――目だけが子供みてえだ』


-----


 戦車は、一台では戦にならない。それはヴィルヘルマが地図の上でとうに結論していたことだった。


 彼女は人を集めた。


 集めた、という言い方は正しくないかもしれない。布告を出して兵を募ったのではない。ハルトが村と近隣を回った。元兵が、思っていたよりいた。膝や腕を壊して軍を退いた者。負け戦の後に故郷を失って流れてきた者。彼らは辺境の村々に、石の下の根のように散らばっていた。誰にも使われないまま、痩せて燻っていた。


 ハルトが、その一人を連れてきた。痩せた中年の男だった。男はヴィルヘルマの前で敬礼の形だけ取り、すぐにやめた。


「……令嬢様の私兵に、なれと」

「私兵ではございませんわ」ヴィルヘルマは続けて言った。

「グレナディアの兵です。わたくしの飾りで死ぬ者は要りません。生きて土地を守る者が、要りますの」


 男はしばらく黙っていた。


「俺は前の戦で、部隊を潰した。指揮が悪かった。――そういう男でも、いいのか」


 ヴィルヘルマは男の顔を見た。それから、声を低く落として尋ねた。


「その指揮の、どこをどう誤ったか。あなた、今ご自分の口で言えますの」


 男の目が泳いだ。やがて低く絞り出すように、彼は語り始めた。

 退路の取り方。地形の読み違い。命令の届くのが半拍遅れたこと。語るほどに声が固くなった。喉の奥で、何かが軋んでいた。


 ヴィルヘルマは最後まで黙って聞いた。聞き終えて、一言だけ言った。


「その悔いを、若い者に教えておやりなさい。あなたが数えた死を、二度と別の誰かに数えさせないために。――それが、あなたの新しい役目ですわ」


 男はそれきり何も言わなかった。ただその日から、彼は鍛冶場の隅で若い者に陣の組み方を教える側に回った。教えるとき、彼の声は最初より少しだけ戻っていた。


 コンラートは、それを見ていた。


『……お嬢様は、人の値踏みをなさらない。人が自分で値を取り戻すのを、待っていらっしゃる』


 彼はその思いを、また胸の中にしまった。最近、しまうものが少しずつ増えていた。


-----


 軍が形になり始めた頃、王都からの行商が久しぶりに盆地へ入ってきた。


 行商は、塩と針と噂を運んできた。村の広場で荷を解きながら、聞かれもしないのに喋った。王都の景気が悪いらしい。税がまた上がったらしい。東の国境が、きな臭いらしい。隣の大国が軍を動かしているとかいないとか。確かなことはわからない。商人の噂は、いつも半分が風だ。


 ヴィルヘルマは、その場にいなかった。


 話を持ち帰ったのはハルトだった。彼は夕刻の執務室で、聞いたままを淡々と並べた。東の国境。隣の大国。動く軍。確かなことは何もない、と最後に付け加えた。


 ヴィルヘルマはペンを置いた。


 しばらく窓の外を見ていた。盆地を囲む山が、夕闇に沈んでいくところだった。


「ハルト。あなたが軍にいた頃、東の国境を抜かれたら王都までは何日でして」


 ハルトの顔がわずかに引き締まった。


「……地形にもよるが、まともな防衛線が崩れれば十日。早ければ、もっと」

「王都の正規軍の装甲は」

「ルビー。サファイア。最上等だ。硬さだけなら、大陸でも上の方だろう」

「ええ」ヴィルヘルマは言った。「硬さだけなら」


 彼女はそれ以上、何も言わなかった。ハルトも訊かなかった。


 ヴィルヘルマは、机の上の組織図をゆっくりと引き寄せた。鉱山から鍛冶場へ。鍛冶場から村へ。村から街道へ。線は盆地の内側で閉じていた。閉じた線の先には、まだ何も引かれていなかった。


 彼女はペンを取った。


 そして街道の線の先を、ほんの少しだけ東へ伸ばした。一本だけ。薄く。まだ決めたわけではないというように。けれど、引いた線は消さなかった。


「令嬢様」ハルトが、その手元を見て言った。「噂は、半分が風だ。まだ何も起きちゃいない」

「ええ。何も起きておりませんわ」


 ヴィルヘルマは、線を引き終えたペンを置いた。


「屋根を直すなら、晴れた日に。雨漏りしてからでは遅いのですわ。――皮肉なものですわね。この屋敷に来て、わたくしが一番に学んだことでしたわ」


 ハルトが、口をつぐんだ。


 彼は知っていた。この領主が着いた最初の夜、領主館の広間には雨漏りの黒い染みが広がっていた。あの夜、彼女は何も言わずに書類を探させた。今と少しも違わない、あの顔で。


 ヴィルヘルマは、東へ伸びた一本の薄い線を、指の先でひとなぞりした。


「ハルト。明日から、街道の東。物見の立てる高みを、いくつか見繕ってくださいまし。兵を置くのではございません。ただ見える場所を、押さえておくだけ」

「……見張りを? 何も起きてないのに」

「起きてからでは、見えませんもの」


 ハルトは、しばらくその横顔を見ていた。それから何も言わずに、頭を下げて出ていった。雨の降る前に屋根を見に行く男の、足どりだった。


 一人になった執務室で、ヴィルヘルマは東へ伸ばした薄い一本の線を、指の先でもう一度なぞった。今度は、消えないほど濃く。


 地図の上の細い一本は、もう消えなかった。彼女が引いたいくつもの線の中で、それだけが、まっすぐ東を向いていた。


-----


*次話へ続く*


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