第五話 炉の前の令嬢
石は、持ち帰った。
ヴィルヘルマは坑道で割り取った赤い石を布に包んだ。領主館へ戻ると、まずそれを叩いた。鏨を当てる。布を巻いた金槌で角度を変えて何度も打つ。砕けはしなかった。欠けもしなかった。鏨の方が先に鈍った。
『……硬度は七には届かないかしら。六と半分、七と少し。ルビーには遠く及びませんわね』
彼女は金槌を一度置いた。
『けれど』
もう一度、今度はわざと強く打った。石は鈍い音を返しただけだった。割れる気配がない。粘る。衝撃が石の内側で散っていくのが、手に伝わる打ち返しでわかった。
ヴィルヘルマの指が、布の上から石の表面をなぞった。
『硬さと割れにくさは別の話。本にそう書いてございましたわね。硬い石ほどよく割れる。――だとすれば、この石は』
彼女はしばらく動かなかった。それから机の上の紙を一枚、指先で引き寄せた。
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鉱山の麓に、一人だけまだ鍛冶場を畳んでいない老人がいた。
名をゴットフリートといった。前の前の領主が鉱山を放った頃に、流れてくる仕事も絶えた。鉱山が死んで、十数年。腕の立つ鍛冶ほど早くに見切りをつけて出ていき、出る当ても気力もない老人だけが残った。鍬や鎌を直し、銭の取れぬ年は麦で受けてどうにか冬を越してきた。背は曲がっているが、腕の太さは若い者の倍ある。ヴィルヘルマが訪ねていったとき、彼は炉の前で欠けた斧の刃を睨んでいた。
「領主様が、鍛冶場に何の用だ」
ゴットフリートは振り向きもせずに言った。歓迎しない声だった。
ヴィルヘルマは答える代わりに、丸めた紙を一枚作業台に広げた。図面だ。
ゴットフリートが横目でそれを見た。最初は見るともなしに。次に手元の斧を置いて。それから両手を台について、覆いかぶさるように。
長い沈黙があった。炉の火がぱちりと音を立てた。
「……これは、どこで手に入れた」
「描きましたの。わたくしが」
ゴットフリートが初めて振り向いた。皺の奥の目が、品定めするようにヴィルヘルマを見た。図面に戻る。またヴィルヘルマを見る。
「貴族のお嬢様が戦車の図面を引く、とでも」
「ええ。お勉強は、大切ですのよ」
「……この装甲の継ぎ目。普通はここをこう重ねる。あんたのは逆だ。なぜ逆にした」
「重ねる向きを逆にすれば、衝撃を受けたとき継ぎ目は開く方向ではなく噛み合う方向へ力を逃がしますわ。割れにくい石を、さらに割れにくく組む。――そういう石が北の鉱山にございましたの」
ヴィルヘルマは布包みを台に置いて開いた。
暗い、赤。
炉の明かりを受けて、その石が内側からとろりと色を返した。ゴットフリートがそれを見て息を止めた。彼は石を取り上げ、明かりに透かした。爪で弾いた。それから台の万力に挟み、傍らの大ハンマーを取った。
「割りますの?」ヴィルヘルマが言った。
「割れるかどうか、見るんだ」
ゴットフリートが振り下ろした。鈍い音。火花。石は、万力の中で欠けもしなかった。彼はもう一度振り下ろした。同じだ。三度目で手を止めた。長いこと石を見ていた。
『……三度。普通のクォーツなら一度目で粉ですわ。ルビーなら硬くても当たり所で必ず罅が――ああ駄目、わたくしったら』
ヴィルヘルマは表向き、両手を腰の前で重ねたまま涼しい顔で立っていた。立っていた――が、その視線はハンマーの落ちる軌道を一度も逸らさず追っていた。ゴットフリートが石を見ている時間より、ヴィルヘルマが石を見ている時間の方がずっと長かった。
「ゴットフリート」
「……なんだ」
「その石、もう一度。今度は継ぎ目を模した板で挟んで。図面のこの組み方で。割れる角度を見たいんですの」
声は令嬢のものだった。穏やかで丁寧で、よく整っていた。
ゴットフリートは、その丁寧な声で立て続けに飛んでくる注文に、思わず身を引いた。
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翌日から、鍛冶場に火が入った。
ヴィルヘルマは毎朝そこにいた。
炉の熱で、館の絹のドレスが煤けた。彼女は構わなかった。むしろ二日目には動きやすい上着に着替えてきて、コンラートを絶句させた。袖口に鏨の擦れた跡がつく。指先に金属の匂いが染みる。彼女はそれも構わなかった。
建造は容易ではなかった。赤い石――ヴィルヘルマはそれを古い本の記述にならって柘榴石と呼んだ――は硬度では中の下だ。鋭い刺突にはっきりと弱い。ルビーの鎧を貫けない刃でも、この石なら通る箇所がある。それは欠点だった。
だが、靭性。割れにくさ。衝撃を一度石の内へ逃がし、また取り込み直す粘り。そこにこの石の全部があった。
硬度で計れば、柘榴石は格落ち。だから大陸の誰も、見向きもしなかった。硬さの数の下にもう一つある目盛りを、誰も数えなかったからだ。
『弱点のない石なんてございませんわ。問題は、弱点をどこに隠して強みをどこで使うか。――それは石の話ではございませんわね。陣の話。兵の配置の話。……あら、また話が飛んでおりますの』
ヴィルヘルマは図面に新しい線を一本足した。それから、もう一本。装甲の角度を、刺突を滑らせる向きに寝かせる。硬さで止めるのではなく当たらせない。歴史書のある古戦の盾の組み方が、そのまま使えた。
ゴットフリートがその線を見て、低く唸った。
「……あんた、どこの戦をやってた」
「紙の上だけですわ。本の中の戦を、ずっと」
「紙の上で、これが引けるのか」
「引けますわ。楽しゅうございますもの」
ヴィルヘルマはそう言って、手を止めなかった。心の声が、もう完全に隠せていなかった。
『楽しゅうございますわ。ああ、楽しゅうございますわ。刺繍やタペストリーの何が楽しいのか、わたくし、ずっとわからなかったんですの。これですわ。わたくしが見たかったのは、ずっとこれ』
表の顔は澄ましたままだった。背筋も言葉遣いも、令嬢のそれを一分も崩していない。
崩していないのに――図面を引く速度が明らかに上がっていた。ゴットフリートへの問いが途切れなくなっていた。炉の温度を尋ねる。石の産出量を尋ねる。組み方を尋ねる。駆動の機構を尋ねる。答えが返るそばから次の問いが出る。老鍛冶が一つ答える間に、令嬢からは三つ来た。
ゴットフリートはある午後、ついに鎚を打つ手を止めた。ヴィルヘルマを正面から見た。
「……令嬢様」
「なんですの」
「あんた、本当に追放されてきたお嬢様か」
ヴィルヘルマは図面から顔も上げずに答えた。
「ええ。捨てられた令嬢ですわ。――捨てられた石と、捨てられた土地。捨てられた鍛冶場。そこで今、戦車が作れると思っている、そういう令嬢ですの」
ゴットフリートはしばらくその横顔を見ていた。それから何も言わずに鎚を取り直した。前より少し強く打った。
炉の火が二人の影を壁に長く伸ばしていた。鉄を打つ音が夜まで続いた。
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数日後。
コンラートが夜半に執務室を覗くと、ヴィルヘルマがまだ机に向かっていた。図面ではなかった。それはもっと大きな紙だった。
領地の地図に、線が引かれていた。鉱山から鍛冶場へ。鍛冶場から村へ。村から街道へ。物の流れ。人の流れ。石を掘る手。運ぶ手。組む手。それを使う手。一台の戦車の図面が、いつの間にか一つの組織の図面に変わっていた。
「お嬢様。それは……戦車の絵では、ございませんね」
「ええ」
ヴィルヘルマはペンを止めずに答えた。
「一台造れても、意味がございませんの。一台の戦車には、それを動かす者が要りますわ。守る者。修理する者。運ぶ者。石を掘り出す手も、その手を食わせる糧も。――戦というのは、コンラート。ぶつかる前にもう半分終わっておりますのよ」
「……お言葉ですが」コンラートが、地図の鉱山の印を指で押さえた。「これだけの手を動かすには、先立つものが要ります。領庫は、空です。前借りの本物の一筋は、王都の――」
「触れませんわね。あの一筋には、当分」ヴィルヘルマは頷いた。「半分は嘘の証文でしたけれど、残った本物が向こう数年の収穫に楔を打っておりますわ。収穫を担保には、もう入れられませんの」
「では、何を元手に」
「楔の打たれていない財布が、一つだけございますの」
彼女は地図の北、鉱山の印に指を置いた。
「この山。前の前の領主が掘って、何も出ずに放った穴。――けれど、出るものはございましたのよ。装甲になる石。それと、装甲にもならない屑石が山ほど」
「屑石が、金になると」
「燃えますの」ヴィルヘルマは唇の端だけで笑った。
「柘榴石は、魔石ほど多くは溜め込めませんわ。けれど、いくら力を通しても割れませんの。割れて装甲に使えない屑でも、炉に焚べれば魔石の代わり。本物よりずっと安く、そのぶん嵩張りますけれど。戦車を動かす火が、掘り屑から出ますのよ」
「では、戦車の動力は買わずとも」
「自前ですわ。余った屑は、隣領の商会へ売れますの。この山を担保に金を貸さない理由が、向こうにございませんでしょう」
コンラートはいつもの調子で青ざめかけ――途中で、やめた。今度ばかりは、数字が合っていたからだ。
「……お嬢様は戦車を造りながら、それを養う山ごと設計しておられるのですか」
「養えない戦車は、置物ですわ。置物を造る趣味は、ございませんの」
コンラートはその地図をしばらく見ていた。
彼の主は、もう領地を立て直す令嬢ではなかった。立て直した領地で、何かを組み上げ始めている。それが何になるのか、彼にはまだ見えなかった。ただ、その背中が大広間で一礼したあの日よりずっと生きていることだけは、わかった。
窓の外、鉱山の方角の空が夜なのに炉の火でうっすらと赤かった。その火は、もう何日も落ちていなかった。
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*次話へ続く*




