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断罪令嬢は柘榴石の戦車で前線を駆け抜ける 〜お招きに預かりましたわ。砲撃用意ですの!〜  作者: 絹田屋


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第四話 赤い種の眠る地


 水が出てから、村の動きが変わった。


 澄んだ水が安定して汲めるようになると、ヴィルヘルマは間を置かずに次へ移った。


 食料は、まず数えることから始めた。村に残った口は、八十ほど。端境を越えて次の刈り入れまで、一人あたり麦が四袋。しめて、三百袋あまりが要る計算だった。領庫の奥の備蓄は、虫の食ったぶんを引けば百袋に届かなかった。足りないぶんは、二百袋を超えた。


 その差を、ヴィルヘルマは私財で埋めた。個人名義の貯えを取り崩し、領主館の銀器のいくらかを売った。それでも残るぶんは、隣領との細い伝手をたどり、種と抱き合わせで買い付けさせた。値は足元を見られたが、ヴィルヘルマは値切らなかった。


「今撒く一粒の種は、来年ひと袋になって返ってまいりますわ。値切って撒く時期を逃す方が、よほど高くつきますの」


 コンラートが帳簿の数字に青ざめるのを、彼女は涼しい顔で見ていた。


 水と食料に目処が立つと、今度は衛生だった。ある朝、ヴィルヘルマは領主館の埃をかぶった物置から箒を一本見つけ出した。それを自分で握って広間に立った。


 ハルトは、ぎょっとした。


「令嬢様。それは、人にやらせれば」

「ええ。ですから、これは命令ではございませんの。わたくしが今からこの広間を掃きます。手伝いたい方は手伝ってくださって結構。手伝いたくない方は、見ていてくださって結構ですわ」


 そう言って、彼女は本当に掃き始めた。


 公爵令嬢が袖をまくって、館の床を掃いている。その光景を、村の者は最初は遠巻きに見ていた。やがて、一人が箒を取りに行った。次の一人が、雑巾を持ってくる。半日もすると、村の女たちが館中の窓を開け放った。年寄りまで出てきて、井戸端で煮沸の指図を始めていた。汚れと病は、繋がっている。村の年寄りは、それを言葉ではなく経験で知っていた。指図する相手さえいれば、彼らは動ける人々だった。


『この村には、能力がないのではございませんわ。指図する者が、これまでいなかっただけですの』


 ヴィルヘルマは、それを口には出さなかった。


-----


 治安は、最も短く済んだ。


 前任者が雇い入れていた徴税の手下が、まだ三人、村の外れの小屋に居座っていた。新領主が来たと聞いても、これまで通りどうにかなると踏んでいたらしい。彼らがいつもの調子で村の女から品物を巻き上げようとした朝、ヴィルヘルマは現場に立っていた。


 ヴィルヘルマは、武器を持っていなかった。代わりに、帳簿を一冊だけ小脇に抱えていた。


「あなた方の名は、この台帳に載っておりますわ。給金の支払先として。ただし、その給金の出どころは領庫ではございません。村から帳簿外で、直接抜いた金。横領の片棒です。――証拠は、すべて筆跡で揃っておりますの」


 男たちの顔色が変わった。


「選ばせて差し上げますわ。今ここで荷をまとめて二度とこの領に入らないか、それともこの帳簿を持ってわたくしが王都の監察に出向くか。どちらでもよろしくてよ。わたくしは後者の方が、少し楽しゅうございますけれど」


 男たちは、その日のうちに消えた。


 ハルトが、後で低く笑った。


「剣も抜かずに、か」

「剣を抜くのは、言葉が尽きてからですわ。今回は、まだ尽きておりませんでしたの」


 その夜、ヴィルヘルマは追放した男たちの名を、前借りの証文の束と引き合わせた。


 案の定だった。三年分の収穫を抵当に取ったという「貸主」の名の半分は、あの男たちか、前任者自身の偽名だった。金は動かず帳簿の上だけで借金が膨らみ、差額が横領へ消えていた。空証文である。解きほぐせば、領の本当の借りは、帳簿が言う三年分の半分にも満たなかった。


『数字は、嘘をつきませんわ。嘘をつくのは、数字を書く手の方ですの』


 ただ、本物の前借りが一筋だけ残った。宛先をたどると、王都の御用商人――その裏に、王家の名が透けていた。


 これだけは、消えない。彼女はその一行に、小さく印をつけた。今すぐ取り立てに来る相手ではない。けれど、いつか必ず向き合う一行だった。


-----


 水。食料。衛生。治安。


 四つが回り始めると、村に少しずつ余白が生まれた。畑に人が戻り、子供が外で遊ぶ声が館まで届くようになった。


 ある午後、ヴィルヘルマは村の広場の木陰に、子供を十数人ばかり集めた。


 教育、というほど大層なものではなかった。読み書きと、数の数え方。それと、世界の成り立ちを少し。子供たちは最初、令嬢様が何を始めるのかと落ち着かなかった。だが、彼女が地面に枝で絵を描き始めるとすぐに前のめりになった。


 話が、石のことに及んだ。


「この世で一番硬い石は、ダイヤモンド。十、と数えますの。次が、ルビーとサファイア。九。これは、王都の正規軍が鎧に使う石ですわ。硬い石ほど、内に魔力もよく抱えますの。鎧にもなり、炉に入れれば力の源にもなる。だから王都は、硬い石を何より尊びますのよ」

『……みな、この一つの数で石を計りますの。それきり。けれど石には、誰も数えない目盛りがもう一つございますのよ』


 子供の一人が、手を挙げた。


「うちの石は? 川で拾うやつ」

「それは、たぶんクォーツ。七ですわね。硬い方ではございますけれど、軍隊の鎧には少し心もとない。練習用や、間に合わせに使われますの」


 ヴィルヘルマは、木陰の端に立っていたハルトを、何の前置きもなく指した。


「いい実物が、そこにございますわ。ハルト、胸の石を見せてくださいまし」


 ハルトが、戸惑いながら歩み出た。子供たちが彼の古い胸当てを覗き込む。曇った、地味な石だ。


「これは、トパーズ。八。クォーツより硬い石ですわ。――ここで一つ、覚えておきなさい。この石は、安くございません。そして、辺境の見回り兵には支給されませんの。これを支給されるのは王国軍の、それも前線に出る兵だけ」


 子供たちが、ハルトを見上げた。


「じゃあ、ハルトのおじちゃん……兵隊さんだったの? 強い?」


 ヴィルヘルマは、それには答えなかった。ありのままを伝えて、どう受け取るかは子供に委ねた。


「石は、嘘をつきませんわ。その人が、どこで何をしてきたか。身につけている物が、ときに本人より雄弁ですの」


 ハルトは、何とも言えない顔で子供たちに胸当てを覗かせていた。気まずそうで、けれどその口の端がほんの少しだけ動いていた。


 その日を境に、村の者がハルトを見る目がまた少し変わった。水を掘り当てた令嬢の信頼する男が、実は王国軍の前線帰りだった。誰も、そう声に出して言いはしなかった。けれど、彼が何か言うと、村の者は前より少しだけ耳を傾けるようになった。


 ヴィルヘルマはその変化に気づいていたが、何も言わなかった。彼女は人を持ち上げない。ただ、本当のことを示しただけだ。あとは、それを見た村の者が自分で見方を変えていく。


-----


 村が回り始めても、ヴィルヘルマの机の紙には、印のついた項目が一つ残っていた。


 台帳から消えた、数名の人員。「徴用」とだけ書かれ、その後の記録がない者たち。


 ヴィルヘルマは村の最年長の老人を訪ね、遠回しに、しかし的確に問うた。老人は最初、口が重かった。やがて、領主が本当に変わったのだと得心したらしい。震える指で、村はずれの方角を指した。前任者の代に、館の地下へ「物置」と称して人を入れたという。記録にも残さず、忘れ去ったのだと。


「……記録にすら、残さずに」


 その日の夕刻、ヴィルヘルマはハルトと数人を連れて、館の地下へ降りた。詳細は、ここには記さない。ただ、彼女がその扉を開けたとき横にいたハルトが長く息を吐いた。それきり何も言わなかったことだけを書いておく。


 ヴィルヘルマも、何も言わなかった。言葉は、そこで必要ではなかった。彼女はただ、その者たちの名を、新しい台帳の一頁目へ自分の手で書き入れた。前任者が消した名前から、彼女の領地は始まった。


-----


 地下の件が片づいた数日後、ハルトが思い出したように言った。


「令嬢様。村の北の、放棄された鉱山だが」

「鉱山?」

「前の前の領主の代に何か掘ろうとして、結局何も出ずに放った穴だ。崩れかけてる。子供が入ると危ないんで塞ぎたいんだが、人手を回していいか」


 ヴィルヘルマは、書きものの手を止めた。


「何も、出なかった?」

「ああ。ただの空穴だ。だから放られた」


 彼女は、しばらく黙っていた。


『何も出ない、という言葉。前任者の帳簿でも、何度も見ましたわね。歳入が、ない。村に、何もない。――そのどれも嘘ではございませんでしたけれど、調べてみれば見落としばかりでしたわ』

「ハルト。塞ぐ前に、わたくしが一度中を見ますわ」

「令嬢様が? 鉱山を? あんな埃と石ころの――」

「埃と石ころを、見たいんですの」


 ヴィルヘルマは、羽根ペンを置いた。


 翌朝、彼女はランタンを提げて北の鉱山の坑口に立った。長いこと人の入っていない湿って冷たい闇が、奥へ続いていた。コンラートとハルトが、不安げに後ろに控えている。


 ヴィルヘルマは、ランタンを掲げて坑道へ足を踏み入れた。岩肌に光を当てる。しばらく進み、足を止めた。露出した岩の断面に光が当たっていた。


 深い、暗い赤。


 ランタンの炎に照らされて、その断面が内側から灯ったように鈍く色を返した。血のような、炎のような赤。彼女の知るどの装甲石とも違う、けれど確かに見覚えのある――いや、本でしか見たことのない色。


『……あら』


 ヴィルヘルマの指が、その岩肌にそっと触れた。冷たかった。硬かった。だが、その硬さの底に彼女の知識が別のものを読み取っていた。


「ハルト」

「なんだ」

「ここは、空穴ではございませんわ」


 彼女は岩から手を離さずに、振り向きもせずに言った。声は、いつもの令嬢のそれだった。けれど、ランタンの炎を映したその目だけが、これまでとは違う温度で光っていた。


「グレナディア。――古い言葉で、赤い種の眠る地と読みますの」


 坑道の奥で、彼女の声が低く反響した。


「種はずっと、ここで目覚めるのを待っていたようですわね」


-----


*次話へ続く*


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