第十二話 発進
出立は、約束の通り三日後の朝だった。
その三日を、ヴィルヘルマは一刻も無駄にしなかった。
残す者の段取りが、何より重かった。グレナディアには、戦に出ない人間の方がずっと多く残る。傷を負った潰走兵。逃げてきた民。村の年寄りと子供。彼らを領主の留守の間、誰が食わせて守るのか。それが決まらぬうちは、一台の戦車も村の門を出さない。ヴィルヘルマは、そう決めていた。
彼女は残す者の指揮を、ハルトではなくベルントに委ねた。
広間でそれを告げられたとき、ベルントは絶句した。
「……私は、よその国の敗軍の士官だ。なぜ、私に」
「あなたは、隊を半分死なせたと仰いましたわね」ヴィルヘルマは言った。「その半分がどこで、どう死んだか。あなたは今も言えますの。――次は間違えないために、ここにいなさい。守る者の指揮は、勝った経験のある者より負けを覚えている者の方が向いておりますわ」
ベルントは、しばらく言葉を探していた。
探して、見つからなかったらしい。彼はただ、深く頭を下げた。
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二日目の夜、ヴィルヘルマは鍛冶場にいた。
炉の前に、五台の柘榴石戦車が並んでいた。
暗紅の装甲が、炉の残り火を低く吸っていた。一台は、最初の試し撃ちのあの車体。残る四台は、この数十日、ゴットフリートの炉が夜を削って打ち上げたものだった。五台が横に並ぶと、それはもう一台の兵器ではなかった。隊だった。
ゴットフリートが、煤だらけの顔でその前に立っていた。
「……間に合った」
彼が言ったのは、それだけだった。
「ええ」ヴィルヘルマは答えた。「間に合いましたわ」
二人は、しばらく五台の車体を見ていた。互いに、付け足すことは何もなかった。
炉の火が爆ぜる。暗紅の装甲が、その音に応えるように一度鈍く光を返した。
『……あなたたちは、見向きもされなかった石でしたわね』
ヴィルヘルマは、内心でそう語りかけた。
『誰も掘ろうとしなかった。世に出ても、格落ちだと笑われた。――けれど、あなたたちは砕けない。硬いだけの石が砕けても、あなたたちは残る。それを、これから王都の真ん中で証明いたしますわ』
彼女は、一台の装甲に手を置いた。
冷たかった。硬かった。その硬さの底に、彼女の知る別の強さが眠っていた。
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三日目の朝が、来た。
空は、晴れていた。雲は、ほとんどなかった。
グレナディアの村のはずれに、軍が並んでいた。五台のガーネットチャリオット。それを動かす者。守る者。修理の道具を積んだ輜重。元兵の隊。鍬を剣に持ち替えた、村の男たち。数は、王都の正規軍に比べればささやかなものだった。だが、その隊列に緩みはなかった。
見送りに、村の全員が出ていた。
残る者たちだった。傷の癒えきらぬ兵。子を抱いた女。読み書きを習い始めた、子供たち。彼らは、声を上げなかった。ただ立って、見ていた。グレナディアがこれまで一度も持ったことのない、自分たちの軍が出ていくのを。
ヴィルヘルマは、先頭の車体の上に立っていた。
絹では、なかった。まとうのは、あの煤色の戦装束。髪は、首の後ろで固く結われていた。けれど、その立ち姿は、王都の大広間に立っていた頃と寸分変わらなかった。装いだけが、戦のものだった。
コンラートが、車体の脇に控えていた。彼は、残らなかった。十年、付き従ってきた。今更、離れる理由は彼の中に一つもなかった。
「コンラート」
「はい」
ヴィルヘルマは、声を落とした。誰にも聞こえない、二人だけの低さだった。
「……長く、付き合わせますわね。ここまでも。これからも」
コンラートは、その言葉にすぐには答えなかった。
彼が答えたのは、いつもの執事の口調ではなかった。
「ヘルマ様。手前は、お嬢様がまだ何者でもなかった頃からお側におりました。――あの大広間でお一人で背筋を伸ばしておられた、あの日から。今日まで見届けて、まいりました。最後まで、見届けとうございます」
ヴィルヘルマは、前を向いたままだった。
その横顔がほんの少しだけ和らいだのを、コンラートは見た。見て、それきり何も言わなかった。十年仕えた身には、それで十分だった。
『……ありがとう』
彼女は、内心でそれだけ言った。表には、出さなかった。十年それで通じてきたのだから。
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ヴィルヘルマは、顔を上げた。
東の空の、その向こう。まだ見ぬ王都の方角が、朝の光に白んでいた。そこに、囲まれた都がある。後詰めのない、最後の城門がある。そして――かつて彼女を捨てた人々が、いる。
彼女は、その方角を長く見ていた。
恨みは、なかった。期待も、なかった。あるのは、ただ一つの為すべきことだった。民が、死ぬ。それを止められる力が、今この手にある。理由は、それ以上要らなかった。
彼女は、軽く息を吸った。
そして、声を放った。穏やかで隙のない、いつもの声だった。けれど、その声は村のはずれの最後の一人にまでまっすぐ届いた。
「――参りますわよ。グレナディアの皆様」
五台の暗紅の車体が、低く唸りを上げた。地を擦る車輪の下で、赤い火花が朝の光に散った。
軍が、動き出した。
残る者たちが、声もなくそれを見送っていた。やがて、誰かがひとり手を上げた。次の一人が、続く。声は、まだなかった。ただ、無数の手が朝の中で上がっていた。
ヴィルヘルマは、その声なき見送りを背に受けていた。
前だけを見ていた。その目は、もう戦場の温度に変わっていた。
『――では』
おくびにも、出さなかった。けれど彼女の奥で、ぐつぐつと煮えたぎる高揚が、確かに渦を巻いていた。
『お久しぶりの、皆様のところへ。参りましょう』
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*次話へ続く*




