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第十五話:地獄の枕枕と、開かれた絶対の門


 刻一刻と、夜の静寂が深まっていく。

 東の空が白む「朝」という絶望の刻限まで、残された時間はあとわずか。

 絶対不可侵の結界で守られた、黒塗りの巨大な蔵。外からの妖術はすべて反照され、物理的な破壊を試みれば町中の警鐘が鳴り渡り、一瞬で包囲される。

 蔵の前にへたり込んでいた小狐は、じっと己の前足を見つめていた。


(外から壊すことも、侵入することもできん……。ならば、どうする? わしは試練を諦めて、ここで肉体を腐らせて死ぬのか……?)


 ——いや、違う。


 狐はむくりと起き上がり、背中の【4本目の尾】をゆらりと揺らした。


(落ち着け、わしよ。この蔵を守っているものは何じゃ? 結界か? 重厚な扉か? ……違う! この結界を張り、鍵を管理し、財宝を溜め込んでいる根源は誰じゃ!?)


 カチリ、と頭の中で何かが繋がった。

 結界を外から破る必要などどこにもない。

 この蔵の正当な所有者であり、結界の解錠方法を知り、鍵を持っている人間——『富豪・金蔵(かねぞう)』本人に、自らの手で結界を解かせ、扉を開けさせれば良いのだ!


「ふふ……ふははっ! そうじゃ! 人間ほど脆く、扱いやすい生き物はおらんからのう!」


 狐の黒い瞳に、陰惨で獰猛な知略の光が蘇った。

 【3本目の尾】を得た時に覚醒した「世界を模倣する最高精度の幻術」。それは物理的な破壊力こそないが、人間の「心」を内側から破壊し、精神を崩壊させることにおいて右に出るものはない。

 狐は四本尾の身体能力を極限まで活かし、音もなく蔵を離れた。

 向かったのは、屋敷の最も豪華で重厚な母屋

 ——富豪金蔵の寝室である。


 母屋の周囲にも用心棒たちが配置されていたが、蔵に比べて警備の密度は段違いに甘い。狐は風の妖術で周囲の影を揺らし、用心棒たちの注意を逸らすと、屋根の隙間からすんなりと天井裏へと忍び込んだ。

 天井の隙間から下を覗き込む。

 そこには、最高級の畳が敷き詰められた広大な寝室があった。

 部屋の中央の豪華な布団の上で、丸々と太った強欲な男——金蔵が、口を半開きにして「グー……グー……」と醜いイビキをかいて眠っていた。その枕元には、蔵の結界を制御する数々の「符」と、重厚な黄金の鍵が大事そうに置かれている。


「へへ……無防備な顔で眠っておるわい。強欲な人間め、今宵はとびきり極上な悪夢を見せてやるぞ」


 狐は天井裏で息を殺し、四本の尾に満ちる妖力を静かに練り上げた。

 狙うのは、金蔵の「脳」と「魂」。


「幻術・『業火地獄の枕返し』……ッ!!」


 ポンっ、と気配のない無音の煙が漂い、金蔵の枕元へと静かに吸い込まれていった。

 ——次の瞬間、金蔵の世界が一変した。


「ヒュオォォォォォォ……ッ!!」


 突如として寝室の温度が氷点下まで暴落し、不気味な風の呻き声が部屋中に響き渡った。


『ぬ……? な、なんじゃ……?』


 金蔵は目を覚ました。……いや、目を覚ましたと「錯覚した」

 実際には、狐の精巧な幻術によって「金蔵の意識だけが、現実と全く区別がつかない地獄の夢の中に閉じ込められた」のだ。

 金蔵が跳ね起きると、寝室の畳がドロドロとした「血の池」へと変わっていた。

 天井からは無数の生首がぶら下がり、血の涙を流しながら金蔵を睨みつけている。さらに、壁を突き破って現れたのは、金蔵がこれまで金をむしり取り、餓死に追い込んできた無数の村人や町人たちの腐乱死体——亡者どもの群れだった!


『金蔵ぁぁぁ……! 金を返せぇぇぇ……!』

『命を返せぇぇぇぇっ!!』

『ヒィィィィッ!? な、なんじゃお前たちは! 来ないでくれ! わしには強力な結界がある! 陰陽師がおるのだぞ!』


 金蔵は腰を抜かし、血の池の中を半狂乱で這い回った。

 しかし、亡者たちは構わず金蔵の太った足や腕に群がり、冷たい手で肉を腐らせていく。言葉を絶する痛みと恐怖。

 その時、亡者たちの群れが割れ、血の池の中心から天を衝くほど巨大な「怨念の魔王」が姿を現した。

 その魔王の顔は、金蔵が蔵の中に溜め込んでいる「金貨や宝飾品」が溶け合って出来上がった、禍々しい黄金の悪鬼だった。


『愚かなる強欲者・金蔵よ……聞き届けるがいい』


 魔王が部屋全体を震わせる重厚な呪いの声を放つ。


『お前が蔵に溜め込んだ膨大な財宝……それは生き血を吸われた者たちの「呪念の塊」だ! その財宝の呪いはすでに満ち、今夜……お前の命を吸い尽くすために目覚めたのだ!』

『な……なにぃっ!? 財宝が……呪われておるだと!?』

『左様! あの蔵の中に財宝が一銭でも残っている限り、呪いの毒気がお前の魂を内側から腐らせ、明日の朝までに地獄の最底層へと引きずり落とすであろう!』


 魔王の巨大な爪が、金蔵の胸元へと突き刺さった。

 ドクンッ!と胸が激痛に苛まれ、金蔵の皮膚が黒く爛れ、命がゴリゴリと削られていく強烈な感触!


『嫌だ……嫌だぁぁぁぁっ! 死にたくない! わしはまだ死にたくないぞぉぉぉっ!』

『生き残りたくば……今すぐあの蔵の結界を自ら解き、中の財宝をすべて外へ投げ捨てよ! 財宝を一つ残らず外へ放ち、貧しき者どもに分け与えぬ限り……お前の命は明日を迎えられん!!』


 ゴゴゴゴゴ……ッ!!


 爆音とともに地獄の光景が弾け飛んだ。


「ヒあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


 現実の寝室で、金蔵は激しい悲鳴を上げて跳ね起きた。

 全身は滝のような冷や汗でビショビショになり、呼吸は荒く「ハぁ、ハぁ、ハぁっ」と引きつっている。胸にはまだ、あの地獄で爪を突き刺された激痛の感覚がハッキリと残っていた。


「夢……夢か……!? いや、違う! あの痛み、あの呪気は本物じゃあぁぁっ!」


【4本目の尾】が得た世界模倣の幻術は、あまりにもリアルすぎた。

 金蔵の脳は「今の恐怖と呪いは100%現実である」と完全に誤認し、狂気的なパニック状態に陥っていた。

 自分の手を見る。微かに黒く変色しているように見える(それも狐が重ねて見せている小さな幻覚だ)。


「ひぃっ!? 呪いが……呪いが始まっておる! 財宝がわしの命を吸っておるんじゃあぁぁっ!」


 金蔵の頭から、蔵の警備や用心棒のことなど完全に吹き飛んだ。

 命より惜しい財産などこの世に存在しない。錯乱した金蔵は、枕元にあった結界の解錠用の「符」と「黄金の鍵」を震える手でむんずと掴み取ると、着物も着ずに裸足のまま寝室を飛び出した。


「旦那様!? いかがされましたか!」


 廊下にいた用心棒たちが驚いて駆け寄ってくる。


「どけいっ! 邪魔をするなっ! 死ぬ……わしが死んでしまうわぁぁぁっ!」


 金蔵は用心棒たちを跳ね飛ばし、なりふり構わず夜の庭へと駆け出していった。

 向かう先は、丘の上のあの「黒塗りの蔵」だ。

 屋根の上でその光景を見下ろしていた狐は、お腹を押さえて必死に笑いを堪えていた。


(クックック……! かかった、見事にかかったぞい! 強欲な奴ほど、己の命の危機にはとことん脆いからのう!)


 金蔵は息を切らしながら蔵の前に辿り着くと、震える手で符を扉に貼り付け、呪文を叫んだ。


「臨・兵・闘・者……解けい! 結界よ、解けいぁぁぁっ!」


 シュゥゥゥゥ……ン!


 金蔵自身が唱えた解呪の言葉により、あれほど外からの攻撃を弾き返していた絶対不可侵の「呪術の膜」が、まるで氷が溶けるようにスーッと消滅していった。

 さらに金蔵は、黄金の鍵を鍵穴に差し込み、ガチャリと重厚な音を立てて鍵を解除した。

 ギィィィィ……っ。

 絶対に破れないと言われた鉄扉が、金蔵自らの手によって、あっけなく開かれ放たれたのだ!


「捨てねば……! 早く捨てねばわしの命がぁぁぁっ!」


 狂乱した金蔵は蔵の中に飛び込むと、中に山積みされていた千両箱を、金の屏風を、宝石の入った壺を、両手に抱えられるだけ抱えて外へと放り出し始めた!

 ドカッ! バリリーンッ! ジャラジャラジャラッ!

 夜の境内に、無数の金貨や財宝が乱れ飛ぶ。


「捨てろ! 全部外へ出せ! わしの命を吸うな悪魔どもめぇぇぇっ!」


 金蔵は泡を吹いて叫びながら、夢中で財宝を外へと投げ捨て続ける。

 用心棒や術者たちは、その異常すぎる主人の奇行に完全に呆気にとられ、誰一人として止めることもできずにただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 屋根の上の暗闇で、四本尾の化け狐はニヤリと勝利の笑みを浮かべた。


「ふはははは! 見事じゃ! 外から破れぬなら、中から開けさせればいい! さあ……次はわしの仲間(妖怪たち)の出番じゃぞ!」


 知略と最高精度の幻術がもたらした、完全なる大逆転。

 絶対の蔵は開かれ、一夜の大泥棒作戦は、クライマックスの全額回収へと一気に加速していくのだった。


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