第十話:届かぬ爪牙と、狂乱の雷撃
バリバリバリ……ッ!
紫白い閃光が激しく明滅し、視界の全てを暴烈な光と影で塗りつぶす。
直後に轟く地鳴りのごとき大雷鳴。爆風と熱波が嵐の冷気を一瞬で吹き飛ばし、狐が身を潜めていた巨岩の表面がドバッと爆ぜ飛んだ。
「ひ、ひぃぃっ……!? 熱い、熱いぞいっ!」
小狐は泥に塗れながら横転し、間一髪で落雷の直撃をかわした。
岩盤が焦げ付き、溶けたガラスのようにドロドロと赤く光っている。ほんの数センチ避けるのが遅れていれば、二本目、三本目の尾が生えていようが、一瞬で黒焦げの炭にされていたところだ。
上空を見上げれば、そこは依然として絶望の領域だった。
厚さ数百メートルはあろうかという禍々しい黒雲。その遥か上空、数千メートルの高高度を、嵐の主である『雷雲の怪鳥』が旋回している。
漆黒の翼を広げるたびに、大気が摩擦音を上げて引き裂かれ、鋭利な鉄の羽が「ヒュヒュヒュヒュンッ!」と豪雨を切り裂く矢となって降り注ぐ。さらにその羽ばたき自体が雷雲を刺激し、際限なく地上へ極大の落雷を叩き落としていた。
「くそっ……! 逃げ回ってばかりでは埒が明かん! わしだって【3本目の尾】を得て、妖力は以前の何倍にも跳ね上がっておるんじゃぞ!」
狐は泥の中から身を起こし、足を力強く踏みしめた。
背中から伸びる三本の尾が、青白い妖気の光を纏って逆立つ。
飛べないからといって、手も足も出ずに死ぬつもりなど毛頭ない。地上の岩陰からでも、自分の持ち得る最大の遠距離妖術を叩き込んでやる——狐はそう腹をくくった。
「喰らいつけッ! わしの最高威力の狐火……『三烈大狐火』じゃあぁぁっ!!」
狐は三本の尾の根元から、体内の全妖力を惜しみなく汲み上げた。
前足を勢いよく突き出すと同時に、青白く巨大な火の玉が三つ、爆発的な推進力とともに空へと解き放たれる。
ドガァンッ!
山をひとつ削り取るほどの密度を持った狐火が、夜空を切り裂く彗星のように、怪鳥の潜む雲の上を目指してまっすぐに立ち昇っていった。
百メートル、三百メートル、五百メートル——。
爆速で上昇していく青白い火球。
「行け……! 届いてくれっ!!」
狐は目を血走らせて空を見上げた。
しかし——現実はあまりにも酷だった。
千メートルの高高度に達した瞬間、怪鳥が纏う異常な嵐の暴風が、容赦なく火球に襲いかかった。
風速数十メートルを超える突風と、滝のような豪雨が打ちつけられる。狐火の勢いは急速に衰え、青い炎は歪み、形を崩し始めていく。
さらに、雲の中に蓄えられた高圧の雷撃が、外敵の接近を許さぬとばかりに火球群へと群がった。
ドドドォンッ!!
爆音とともに、狐の全力の火球は怪鳥の足元——雲の層を突破することすら叶わず、虚空で虚しく弾け散り、黒煙となって掻き消えてしまったのだ。
怪鳥の羽一枚どころか、その影に掠りすらしていない。
「な……なんじゃと……ッ!?」
狐は愕然として前足を震わせた。
三本の尾を得て覚醒した己の全力。それが、相手の直接の防衛行動すら引き出せず、ただの「自然現象(嵐)」に揉み消されたのだ。高高度という圧倒的な高低差がもたらす絶望的な壁。
そして、最悪なことに——その撃ち上げた火術が、仇となった。
『ギ……?』
上空の黒雲の中から、嵐の騒音を切り裂いて甲高い鳴き声が響き渡った。
地上から雲に向かって放たれた高熱の妖術。
これまで「地上に転がる羽虫」程度にしか思っていなかった存在が、明確な反撃の意思を持って攻撃してきたことを、雷雲の怪鳥は察知したのだ。
二つの血のように赤い巨眼が、暗雲を透かして一直線に地上——小狐の立つ岩陰へと注がれる。
『ギシャアアアアアアアアアアッ!!!』
怒りの咆哮。
次の瞬間、空の様相が一変した。
これまではランダムに地上へ撒き散らされていた鉄の羽と落雷が、明確な殺意のベクトルを持って「ただ一点」へと集中され始めたのだ。
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュンッ!!
「しまっ——!?」
狐の全身の毛皮が逆立った。
空から降り注ぐのは、数本や十数本などというレベルではない。百、千を超える鉄羽のスコール! 空を埋め尽くす刃の雨が、狐の頭上を密室のように覆い尽くす。
——ドスドスドスドスドカドカドカドカッ!!!
「うあぁぁぁぁぁっ!?」
狐は脱兎のごとく泥の上を蹴った。
強化された脚力で必死に跳び、走り、岩から岩へと泥を跳ね上げて逃げ惑う。
直前まで狐が立っていた場所は、数千本の鉄羽によって肉のように微塵に細切れにされ、地形そのものがクレーターのように抉り取られていた。
しかし、攻撃はそれだけでは終わらない。
ズババババババババアンッ!!
天が割れたかのような連続落雷。
怪鳥が両翼を激しくはためかせるたびに、巨大な紫色の稲妻が蛇のように地上を這い、狐の逃げ道を正確に塞ぎにかかる。
ドカンッ! ボカンッ!
「熱っ! 熱い熱い! 焦げる! 丸焦げになるのじゃあぁぁっ!」
爆風に吹き飛ばされ、泥の中に激しく叩きつけられる。
【3本目の尾】の恩恵により身体能力は劇的に上がっているものの、それはあくまで「地上での機動力」に過ぎない。逃げ場のない広大な地上において、空からの面制圧攻撃をかわし続けるなど、物理的に不可能なのだ。
ドスンッ!
逃げ込んだ巨大な岩かげ。
しかし、上空から叩きつけられた一筋の極大雷撃によって、その巨岩すらも一瞬で木っ端微塵に砕け散った。
吹き飛んだ石くずが狐の背中を強打する。
「あぐっ……! げほっ、けほっ……!」
血混じりの泥を吐き出し、狐は地べたに這いつくばった。
背中の三本の尾は泥と焦げ跡で惨めに汚れ、全身の皮膚が雷撃の余波による熱で赤く爛れている。
逃げ場はない。
身を隠す岩も、立ち木も、怪鳥の怒りの猛攻によって全て破壊され、平地と化していた。
上空を見上げれば、黒雲が渦を巻き、怪鳥の胸元で溜め込まれた巨大な雷電が、最後のトドメを刺そうと青白く輝きを増している。
(だめじゃ……届かん……! 空を飛べんわしには……あんな雲の上のバケモノ、手も足も出ん……!)
胸を支配するのは、圧倒的な「距離」に対する無力感。
どれほど強い力を得ようとも、届かなければ意味がない。どれほど精巧な幻影を作れようとも、雲の上の敵に見せられなければ意味がないのだ。
『ギシャアアアッ!』
怪鳥の咆哮とともに、雲の隙間から極太の雷柱が、一直線に倒れ伏す小狐を目指して放たれた。
死の光芒が、狐の視界を真っ白に染め上げていく——。




