第十一話:轟く狂乱と、失墜の雷翼
視界の全てを惨白な光が覆い尽くす。
頭上から一直線に叩きつけられた極太の雷柱——死の光線が、倒れ伏す小狐の肉体を呑み込もうとしていた。
「——ドロンッ!!」
寸でのところで、狐は泥の中にあった小さな石ころへと己の姿を化けさせた。
直後、轟音とともに大地が爆ぜる。爆風と激しい熱波が狐の小さな身体を泥ごと吹き飛ばしたが、直撃だけは間一髪で免れていた。
「あぐっ……! けほっ、けほっ……!」
元の姿に戻った狐は、這うようにして、わずかに残された巨岩の影へと滑り込んだ。
背中の【3本目の尾】は焦げ付き、体力は限界に近い。呼吸をするたびに胸が焼きつくように痛む。
(死ぬ……次の一撃を喰らえば、今度こそ炭になるぞ……!)
絶望が狐の胸を締め付ける。
だが、その時だった。
激しい雨雨と雷鳴の合間を縫って、遠くの村の方角から小さな音が聞こえてきた。
——カン、カン、カン、カンっ!
逃げ遅れた人間たちが打ち鳴らす、警鐘の半鐘の音だ。
かすかな、本当に小さな金属音。しかし、その音が鳴り響いた瞬間——。
上空の黒雲の中で、旋回していた怪鳥がピクリと不自然に翼を痙攣させた。
『ギ……!?』
怪鳥は突如として小狐への追撃をやめ、鋭い首をグルリと傾けると、警鐘の音が聞こえた村の方角へ向けて一直線に大量の鉄羽を射出したのだ。
——ドスドスドスドスッ!
遠くで民家が打ち砕かれ、村人たちの悲鳴が上がる。
岩陰で息を潜めていた狐は、その光景を逃さず目撃した。
鋭い黒い瞳が、カッと大きく見開かれる。
(む……? いま、奴は何に反応した……? わしを見失ったからか? いや、違う……!)
狐は頭を高速で回転させた。
上空は視界を遮る分厚い黒雲と、絶え間なく降り注ぐ激しい豪雨。
数千メートルの高高度を飛び回るあの怪鳥にとって、地上は嵐の煙幕に覆われていて「目」で視認することなど到底不可能なはずだ。
では、奴はどうやって地上を狙い撃ちしていた?
なぜ、あの小さな半鐘の音が鳴った瞬間に、そちらへ向けて即座に攻撃を放った?
(あいつ……「目」で探しておるのではない! 「音」じゃ! 音を頼りに地上を探っておるんじゃ!)
狐の脳裏に、雷光のごとき閃きが奔った。
雲の上の怪鳥は、嵐の騒音の中でも地上の微かな音を聞き分ける、異常なまでに肥大化した「聴覚」を持っていたのだ。だからこそ、地上で妖術を放った狐の音を察知し、半鐘を鳴らした村を正確に狙い撃ちすることができた。
そして、過剰に発達した聴覚を持つ生き物には——共通する弱点が存在する。
(聴覚が良すぎるということは……音に対して無防備ということ! キャパシティを超える大音響を叩き込めば、奴の耳も……平衡感覚を司る三半規管も、一瞬で狂い散るはずじゃ!)
狐の口元に、陰惨で獰猛な笑みが戻ってきた。
飛べないなら、撃ち落とす必要などない。
あいつ自身の身体を狂わせ、勝手に墜落させてやればいいのだ!
「ふ……ふははっ! 見えたぞ、勝利の筋書きが! 試練の攻略法は、力や妖術だけではない……『大がかりな悪戯』こそが、わしの真骨頂じゃ!!」
狐は濡れた毛皮を力強く振り払い、立ち上がった。
作戦を決行するには、狐一匹の力では足りない。
山中に響き渡るほどの「正気を疑うほどの大音響」を作り出すには、周囲にいる全ての者を巻き込む必要があった。
狐は【3本目の尾】の妖力を解放し、脚力を爆発させて疾走した。
向かったのは、嵐に怯えて山中の洞窟に隠れていたタヌキや下級の妖怪たち、そして村の避難所に集まっていた人間たちの元だ。
「おい! お前たち、死にたくなくばわしの話を聞けっ!」
狐は最高精度に達した幻術を使い、自分の声を何十倍にも増幅させて響かせた。
突然現れた三本尾の化け狐に、タヌキも妖怪も、怯える人間たちも悲鳴を上げた。
「ひいぃっ! 化け物が出たぞ!」
「だまれ愚か者ども! あの空のバケモノを撃ち落とす方法がある! わしの指示に従え! 死にたくなければな!」
狐は威厳に満ちた大妖怪のハッタリを叩きつけ、彼らを一瞬で圧倒した。
「人間ども! 村にある太鼓、半鐘、鍋、釜、あらゆる音の鳴るものを集めて叩き鳴らせ! 祝いの爆竹や火薬があるなら全て持ってこい! タヌキども、お前たちは腹太鼓と化け術で音を増幅させよ! 下級妖怪どもは叫べ、吠えろ、鳴らし尽くせ!」
狐の迫力と、生き残るための唯一の希望に、人間も妖怪も種族の垣根を越えて一致団結した。
「よし! 野郎ども、太鼓と爆竹をかき集めろ!」
「タヌキの意地を見せてやるポン! ぽんぽこぽんのドンじゃ!」
わずか十数分のうちに、山裾の開けた谷間へと、ありとあらゆる「音を出す仕掛け」が集結した。
人間たちの巨大な祭り太鼓、大量の爆竹、金属の壺や鍋。タヌキたちの腹太鼓、妖怪たちの咆哮。
狐は集まった大群衆の先頭に立ち、三本の尾を天高く掲げた。
「幻術・『音霊倍増の大結界』……ッ!!」
【3本目の尾】が得た「世界を模倣する最高精度の幻術」が発動する。
周囲の地形を音響が反射・増幅する巨体なホーン(喇叭)状の幻影で覆い、これから発生する全ての音を千倍、万倍に跳ね上げる仕掛けを完成させたのだ。
上空では、異変を察知した怪鳥が、黒雲の中から巨大な雷柱を溜め込み始めていた。
「今じゃ……! 全員……鳴らせえぇぇぇぇぇッ!!!」
狐の合図とともに、地上の全てが一斉に爆発した!
——ドガアアアアアアアンッ!!!
カカンカンカンッ! バババババババババンッ!!
ポンポコポンポコ! ガラーン! ドドドドドンッ!!
祭り太鼓の重低音、数千発の爆竹の破裂音、金属の打撃音、タヌキたちの腹太鼓、数百の妖怪と人間の絶叫!
それらの音が、狐の幻術結界によって極限まで増幅され、一たびの目障りな音波のメガトン爆弾となって、雲の上へと向けて一直線に突き抜けた!
ドバアアアアアアンッ!!!!
地響きどころではない。大気が物理的な衝撃波となって空を押し上げた。
そして——その大音響は、過剰に肥大化した聴覚を持つ『雷雲の怪鳥』の耳介へと直接叩き込まれた。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!??』
声にならない悲鳴。
怪鳥の脳内で、三半規管と聴覚神経が一瞬で爆発的に破壊された。
世界が激しく回転し、上下左右の感覚が完全に消滅する。
数千メートルの高高度で風を捉えていた翼のコントロールが失われ、巨大な羽ばたきが狂ったように乱れた。
『ギ……ガ……ッ!?』
胸元に溜め込んでいた極大の落雷エネルギーが暴発。
自らの雷によって翼の鉄羽が焼き散り、バランスを完全に失った怪鳥の巨躯は、まるで撃ち落とされた石ころのように、空中で錐揉み回転を始めた。
旋回を維持できなくなった黒雲が破れ、嵐が霧散していく。
宙を舞い、制御を失った『雷雲の怪鳥』が——絶叫とともに、地表目指して真っ逆さまに墜落し始めた!
「ハハハハハ! かかった! かかったぞい!」
狐は三本の尾を激しく振って、大笑いした。
「空を飛べぬなら、引きずり降ろせばいい! わしの『大仕掛けの化かし』の味はどうじゃ、雷鳥め!!」
雲を突き破り、無様に回転しながら地上へと叩きつけられてくる巨躯。
弱小な化け狐の知略と、巻き込まれた者たちの意地が、100年空に君臨した災厄を地上へと引きずり降ろした瞬間だった。




