8:過去を取り戻せ
至る所から、激しい足音が聞こえていた。無数にも思えるハンガーズの大軍勢が、私達の命を狙っている。
「フレイ、あてはあるのか!? 追いつかれるぞ!」
「その時はその時だよっ! もし攻撃してくるなら私が────」
「だ、ダメですっ! そんなのっ、絶対っ!!」
とりあえず大通りは危険だ。すぐに過去回れてしまう。
迂回すると、昨夜の路地の前に辿り着いたが……
「ああ、来るような気がしていたよ」
「ぜ、ゼノイさんっ!」
そこには見覚えのある人物がいた。昨夜と変わらぬ柔和な表情に、一瞬状況を忘れる。
「来なさい。グレイザーにも把握されていない拠点がある」
ここでゼノイを頼ることは、正直リスクもあった。彼とて群都市の一員である。グレイザーの強硬手段には逆らえないだろう。
けれど彼もまた、守護者と密接に関わる者だから。
「行こうっ!」
息を殺し、滑るように路地裏に入る。
案内されたのは、薄暗く殺風景な隠れ家だった。窓も最低限で、今には光も届いていない。
「あの……ごめんなさい。私達びしょ濡れで」
「おお、言われてみれば。君はこの場で着替えるかね」
「そうさせていただきます」
ザンが無造作に服を脱ぎ、上裸になる。私とエーネは何となく目を背けた。
というか……
「エーネ、そ、その……下着が」
「えっ? あっ……ふ、フレイもです……」
「うむ、お手洗いを使いなさい。配慮が足りずすまないね」
と言いつつ、ゼノイは全くこちらを見ていない。ザンは気付いてもいなかった。
私達は透けた胸元を庇いながら奥へ走る。着替えの最中、エーネのすすり泣きが聞こえた。
居間に戻ると、テーブルには飲み物が置かれていた。
「さあ、座りなさい。話は遠隔で聞いていたが、大変なことになったね」
「……はい」
「ダイナ嬢、一つ聞かせておくれ」
静かに腰かけたゼノイは、表情から笑みを消す。
「君はわかっているのかね。自分が、誰に牙を向いたのか」
「…………」
「このままいけば、君の故郷もただでは済まない。お友達も巻き込んで、取り返しのつかないことを────!」
「それでも」
目を伏せたまま、私は言葉を紡ぐ。言い淀みはしない。
「私は、あの人を倒すためにここに来ました」
「君は、一体……!」
「ただの村娘です、こいつは」
ザンが後を継いだ。瞳に映る感情は、私には計り知れない。
「向こう見ずで、ちょっとアホで、仲間想いな……そんなやつです」
けれど彼は、きっと私と同じ過去を見ている。
「ひぐっ、ぐずっ、っ……」
「エーネ」
一方、隣で静かに涙する幼馴染。
こうなることはわかっていた。彼女にだけは、かける言葉に迷う。
「……謝らないで、ください」
先にエーネが、消え入りそうな声で言った。
「わたしは途中で村に来たから、二人に何があったか知りません。でもわたし、信じてる……フレイとザンのこと。だからただ……誓ってください」
「…………!」
「誰も、傷つかないで済むんだって。みんな幸せでいられるって……!」
涙の滴る手の甲に、私は自分の手を重ねる。冷たかった彼女の身体に、少しずつ熱が戻っていた。
「ありがとう、エーネ。ありがとうねっ」
「ひぐっ、うっ……なぜ、でずッ……こんな……フレイとザン、なんてっ……っ、うぅ……っ!!」
「約束する。絶対……絶対大丈夫だから。私達は負けない」
エーネ、私はようやく前に進めたんだよ。
それは、無邪気で優しい、まるで年下みたいな姉貴分のおかげでもあるから。
「ダイナ嬢。君は良い仲間を持ったね」
ゼノイの言葉は陽炎のように儚い。遠くを見つめるその瞳が、グレイザーと重なって見えた。
「ゼノイさん……」
「到底真似できない。私はね、戦いなんて嫌いなんだ」
ほんの少しだけ届き始めた日光が、彼の視界を照らす。
「シュレッケンに向かえば、ハンガーズは無事ではいられまい。あの男を慕い、街を想う若者達が、得体の知れぬ化け物に殺されるやもしれん」
彼は言った。グレイザーは正しい。有り余る正しさは、人を惹きつけてやまない。しかし今の強引なやり方では禍根は積み重なるばかり。
そしてそれは間も無く、取り返しのつかないところまで行ってしまうと。
「彼を止めたかった。だが失脚して八年……無血での解決を模索してきたが、それはあまりに困難だった。もはや武力をもってして以外、方法は無いのかもしれない」
酷く苦しそうに、積年の無念を吐露するゼノイ。
「君達は笑うかね。かつての地位にしがみつくこの私を。自らも血の沼に浸かろうとしている老いぼれを」
「…………」
「だがどう思われようと関係無い。ビートグラウズを取り戻すまで、私は退くわけにはいかんのだ」
私の村は、本当に狭い世界だったと思い知った。
少し外に出るだけで、こうも切実で巨大な思念が渦巻いているのだから。
「なら、目指すところは────」
「ああ。改めて、君達と『契約』を結びたい」
ゼノイは拳を胸にかざす。
そこにはまるで、グレイザーの命運が握られているかのようだった。
「他の誰の犠牲も生まない、最高の作戦を提供しよう。守護者グレイザーを見事打ち倒し……失われた街を、取り戻してくれ」
********
「お疲れ様です」
「……ああ」
この執務室が我が物となってから、どれくらい経つだろう。
仏頂面で腰かけると、補佐のエルドが気を利かせて茶を置いてくれた。
「いつもすまねェな」
「いえ、あなたの頑張りに比べれば」
「今は他人の目も無い。堅苦しいのは無しだ」
流し目で告げる。今は少しでも気分を紛らわしたかった。
ぼうっと立っていたエルドは、やがて笑顔になると、
「……キミがそう言うのなら」
「おい、何だ今の間は」
「いや、仕事モードとプライベートの切り替えには準備がいるからね」
彼女は微笑しながら対面に腰掛けた。
「あの少女達のことは、一旦置いておこう」
先ほどのショックが抜けていないのか、彼女の顔は青白い。
「グレイザー、考え直す気は無いか?」
「何度も話し合ったはずだ。シュレッケンは我らが支配する。でなければ、軍を動かすのは割に合わねェ」
「ボクは、不安でならないんだ」
エルドは胸元に手をかざす。何かを訴える時の、彼女の癖だった。
「敵の力は未知数。心得はあれど、僕らの技術も付け焼刃だ。そもそも勝算はあるのか?」
「こういう時のために、オレとお前で鍛えてきた部隊だろうが」
ハンガーズの訓練や士気上げを怠った事はない。決戦前夜に開くパーティだってそうだ。
「そうじゃない、グレイザー」
それでも、エルドはかぶりを振る。
「人が死ぬんだ。キミを慕い、この街に尽くしてくれた人が、ほとんど異国のような場所で死ぬんだよ。ゼノイさんならきっと……!」
「……くどい。もはや決定は覆らん」
常に気が利いて献身的な彼女が、今は無性に癪に触る。これも全て奴らのせいだ。
忌々しい魔法使いに、卓越した力を持った剣士。弱腰のくせ、仲間意識だけは一丁前の銀髪の娘。
モイスティ────奴も魔法使いだったか。
「今日のこともそうだ。街中で銃器を乱射するなんて」
「…………黙れ」
「グレイザー。どうか────」
「黙れと言ってるんだ、エルドッ!」
力任せに机を叩きつける。ガラスにヒビが入り、口もつけていなかった茶器が反動で倒れた。
「今日は随分と饒舌だなァ? 路地裏で公演でもしたくなったか?」
「ボクのことも……追い落とすつもり?」
「……ハッ」
馬鹿馬鹿しい。
「お前無しでやれるとは思ってねェ。これ以上、無駄口を叩かねェならな」
「なら良いんだ。さ、そっちを拭いてくれ」
「……それはお前の役目だろ」
「今はプライベートなんだろう? ボクはパンでも持ってくるよ。君が好きだったやつだ」
相変わらず食えないやつだ。汚れた机を布で適当に拭い、腰かけ直す。
やがて、見慣れた形状のパンが運び込まれた。静かに頬張ると、決して忘れられぬ味が脳を包み込む。
「オレとてわかっているつもりだ。これがどれほど危険か。だが……!」
拳を握り締め、グレイザーは歯ぎしりした。
「オレはもう、引き返す訳にはいかねェ。八年前、奴と道を違え……誰よりも強くあらんと決意した、あの瞬間から」
────『グレイザー。最強の街、創り上げてね』
そうだ。自分は間違えていない。誰も見捨ててなどいない。
「エルド」
「……はい」
「付いてきてくれ、このオレに。オレ達が目指した理想の世界は────」
見ていろ、リアン。
「何人たりとも、侵すことは許さねェ」
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