23:世界の王
暗雲立ち込める、湿気で肌のべたつく夜────とは程遠く。
それは星の瞬く、空気が澄んだ一夜の事だった。
「首領、エディネア・モイスティ。前へ」
司会の厳かな言葉と共に、幼馴染が広場の壇上に歩み出た。
私が見たことの無い(きっと彼女にとっても念願であろう)煌びやかなドレスを纏い、少女は烈嶺の全てを見渡す。
崇め奉るかの如く敬意を表する民衆と、一生懸命対応しようとするエーネ。
真っ青な顔と遠目でもわかる緊張だけが、私の知る彼女の名残だった。
「エーネさん、綺麗……!」
「やはりあいつに必要なのは胆力だな」
目を輝かせるレトアと、冷静に分析するグレイザーの声が、朧気に聞こえる。
「今宵をもって、エディネア・モイスティはソールフィネッジの首領と相成った。行方をくらましていた八年、外の世界で力を蓄え、ここに悪鬼ライグリッドを打倒するに至ったこと。まさに長に相応しい力と功績といえよう」
「悪鬼かぁ。微妙な呼称だね」
「君はもう少し反省した方が良いよ」
「新首領を中心に、囚われた里は生まれ変わる。人々は娘をこう評すだろう」
祝ってあげないといけないのに。一緒に喜びたいのに。
「烈嶺ソールフィネッジの豪傑を率い、新たな秩序を造り出す無敵の魔導士。彼女こそがまさに────世界の王であると!!」
幼馴染の姿が、遠い。
(エーネ……行っちゃうんだね)
涙が頬を伝うのを堪え切れずに、私は顔を俯かせた。
今この瞬間、私達の関係は村娘と里長に二分された。故郷から遠く離れたこの地に足を運ぶのは容易ではなく、これからは会う事も難しくなる。
(これって、罰なのかな)
村を出る時、私は欺いた。心から優しいエーネの想いを。
謝ると決意したのに、未だにその勇気が出せない私への────
「泣いてるのか、フレイ」
「……っ、ザン」
異変に気付いた少年が、私の手の甲に自分の指先を添えてくれる。
私と同じ時を経た彼は、今、何を思っているのだろう。
霧の烈嶺で新たに舞い降りた、世界の王に対して。
(…………ん?)
と、私はその単語に強く引っかかった。
「世界の、王……?」
だって、それは私の────
「と、本来はその予定であったが」
司会────エーネの父の言葉が続き、私は顔を上げた。
見ると、いよいよ息を荒げた少女が、何かを話し出そうとしている。
「新首領より、いくつか訂正の言葉がある。さあ、エディネア」
「は、は、はいっ。えっと、ただいまご紹介にあ、預かっ、預かりました!! え、エディネア・モイスティですっ!」
こっちが赤面するくらいのたどたどしい挨拶を経て、エーネは。
「わたしは、首領のお仕事を放棄しますっ!!」
空いた口が塞がらなくなるくらい、とんでもない事を言い放ったのだった。
「は!?」
「フレイ、声がでかい!」
「ご、ごめんっ!」
「そ、その。ほ、本当に申し訳なく思ってるんですけど、わたし……ま、まだまだ外で、やりたい事があるんですっ!」
ざわめく群衆と私に向け、エーネは真摯に語る。
「フレイ達と、もっと一緒にいたい。一緒に生きて、楽しい事も辛い事も経験して……みんなで、夢を叶えたい!!」
驚愕と期待。混ぜこぜになった感情に、心臓が爆発しそうになった。
私は今、どんな顔をしているだろう。
「それがきっと『恩返し』になるからっ!! わたしの大好きな幼馴染はっ、誰よりもかっこよくて素敵な────『世界の王』だからっ!!」
エーネはドレスを脱ぎ捨てた。思わずぎょっとしたが、その下にはいつもの見慣れた服装が。
「フレイっ!! みんなっ!!」
感極まったように駆け出すエーネ。マインドやグレイザーは、まるでわかっていたかのように道を開けた。
勢い余る少女を抱き留めた時。私はまた────涙がこぼれ落ちそうになる。
「っ、エーネ……ほ、本当に、大丈夫なの……?」
「うんっ。自分の人生は、自分で決めるんです! 仕事はライや父さん達にお任せしちゃった」
「わ、私……私ねっ。エーネに、ずっと謝りたかったことがあって」
細かく震える少女の肩を掴みながら、微かな声を絞り出す。
「ごめんね、エーネ。村を出る時、私、嘘ついたんだ。みんなのためって言ったけど、ほんとは私、ほ、ほんとは……!」
「謝らないで、フレイ」
耳のすぐ横で、エーネが鼻を啜る音が聞こえた。
「フレイ、助けに来てくれたじゃないですか。ううん、それよりずっと前から。わたしが生きる理由になってくれた。それ以上の答えなんて無いです」
背中を包み込む手に力がこもる。高鳴る胸の鼓動は、もうどちらのものかわからなかった。
「だからフレイ、一緒に生きてください。わたし、っ、ぐすっ……みんなと一緒じゃなきゃ、ダメみたいだから……!」
「っ、あははっ……ほんとに、泣き虫なんだからさぁ」
なんて、涙ぐむ私も人の事は言えない。
けれどようやく、全てが叶いそうだったから。
「そんなの────言われるまでもないよっ!!」
満面の泣き笑いで、言ってやるのだ。
「て、てか何でみんなは全然慌ててないのっ!?」
公衆の面前である事を思い出す。
慌てて身を離しながら早口で問うと、ザンが当然のように肩をすくめた。
「いや、エーネが俺らと別れるのが想像できなかったから……」
「あたしは普通にびっくりしたけど、何となく大丈夫かなぁって」
「僕はむしろ、こうやって二人が抱き合うことを期待してたんだ」
私はエーネと顔を見合わせた。何とも微妙な表情でいると、最後に守護者が締め括る。
「はっ。王も首領も、仲間のこととなると威厳の欠片もねェな」
「…………う、うるさい」
まだまだ大人への道は遠そうだ。
********
『グレイザー、無事で本当に良かった』
「無事、とは言い難いがな。本来なら入院は必須の大怪我だ」
『どうせまた無茶したんだろう?』
フレイング・ダイナ一行が持参した通信機は、奇跡的に壊れていなかった。エルドとペアのものを耳に当て、グレイザーは静まり変えった里を歩く。
『まさかモイスティさんが、本来の首領だったなんてね』
確かに、彼女からしたら青天の霹靂に違いなかった。
『それで? この先ソールフィネッジはどうなるんだい?』
「大方、予想のついていた選択だ」
一連の流れを思い起こしながら、守護者グレイザーはまとめ上げた。
「あいつは首領だが、この里に留まる気は無いらしい。ダイナ達と生きる選択をした」
『……そうか。まあ、わかっていたことだね』
「そして里の統治は、引き続きモリアデス一家が行うことになった」
体裁上は、あくまで首領はモイスティである。が、結局ソールフィネッジは、残ったモリアデス親子が共同で治めていく形となった。
「モリアデスが引き続き政務に居座るのは、混乱を避ける意味合いが強い。認めたくはねェが、奴の存在そのものが外患に対する抑止力ではあった」
ライグリッドの罪は許されざるものだ。牢獄で震え、明日の生を信じられなかった者達にとって、彼は何よりも憎い存在に違いない。個々による怨みの深さは毒刃少女をも上回るだろう。
しかし、それでどうこうできる問題では無いのだ。
「誰も奴を罰することはできん。それほどまでにあの男は……まさに、化け物だった」
『…………』
「だが奴にはもう、大きな弱点ができた」
もはや一住民に過ぎない彼は、エディネア・モイスティに逆らえない。彼女は、しっかり両親の言うことを聞くようライグリッドに言い含めたのだ。
「皮肉なものだ。己を最強たらしめた信条に、あの男は縛られ続けることになる」
グレイザー個人としても、彼を許す気は無い。やがて自分が超えるべき相手だと、強く確信させられるに至っていた。
「いずれにせよ、この里は再生する。もっとも、オレ達の脅威となることはしばらく無いだろう」
『つまり、こう言いたいんだね?』
「あァ、わかっているようだな」
今こそ絶好の機会だ。
シュレッケンにおける利権も取り込み、交易を拡大する。王都南部の蜜を根こそぎ吸い取って、ビートグラウズを国内最大の都市に成長させるのだ。
「最低限の手伝いはしたが、連絡通路が開通するまで待ってはいられねェ。エルド、俺は迅速にそっちに戻る。合議の席を空けておくが良い」
『……ふふ、ははははっ』
その時。通信機越しに、親友の思いも寄らぬ声が聞こえてきた。
『珍しいね、キミがそんなに上手く感情を隠すなんて』
「……何?」
『でも、言動に本心が伴っていない。ボクの耳は誤魔化せないよ』
全てお見通しの幼馴染は、静かに笑っていた。
『グレイザー、キミも夢を見たんだろう?』
守護者は言葉に詰まる。
二十二年の人生で、エルドにこんな態度を取るのは初めてのことだった。
『もっと強くなりたい。もっと色々なものを見たい。王都にでも行って、世界を知りたい。そう思ったんじゃないか?』
「…………」
『こっちはこっちで、皮肉なものだね。キミにそう思わせたのは……間違いなくキミが出会い、牙を剥いてきた人間達だ』
ライグリッド以外にも、大きな存在が脳裏に浮かぶ。
炎の使い手、フレイング・ダイナ。明るく能天気に見えるその仮面の下に、燃え盛る激情を秘めた村娘。
怨念から解放されてもなお、彼女の視線は世界を捉えている。
「……オレは」
『行ってきなよ、グレイザー』
親友はあっけらかんとしていた。そこに憂いなど無いと言わんばかりだ。
『もちろんボクにはまだまだキミが必要さ。いずれ帰ってきてもらわないと困る。でも、キミが見た景色を知りたいとも願ってるんだ』
「景色……?」
『いずれリアンさんと、三人で見たいと思っていたもの。それを見に行くならさ、今が大チャンスじゃないか』
最強の街の礎たるもの。表面上しか知らない未知……契約を結ぶことでしか得られなかった、圧倒的な技術の結晶。
それから、王都で流行っている美味なパンも。
『自分に問うんだ、どうしたいか……きっとそれが、彼女の願いでもある』
エルドの言葉は、揺れ動いていたグレイザーの心を強固なものにした。
「……迷惑をかけるな」
『いいや? 逆に帰ってきたら、キミの居場所が無くなってるかもね』
「はっ。そうなっていたら、存外面白い」
守護者グレイザーは夜空を仰ぐ。
「なァ、エルド。見ているか?」
『ああ。ボク達は、同じ空の下にいる』
通話機越しでも、互いの表情が透き通って見えるような気がした。
「今宵も星が綺麗だ」
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